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「低俗なポルノ」「無類の悪文」と酷評の嵐…「源氏物語」の評価が戦後にガラリと変わったワケ

プレジデントオンライン / 2024年1月7日 17時15分

源氏物語画帖・部分(写真=メトロポリタン美術館所蔵/CC-Zero/Wikimedia Commons)

現代では古典の名作とされる「源氏物語」だが、一貫して評価が高かったわけではなかった。ライターの北山円香さんは「江戸時代までは仏教説話などと結び付けられており、社会情勢の変動のなかで大きく評価を変えてきた。そのため、『低俗』『駄文』といった評価がされていた時期もあった」という――。

※本稿は、源氏物語研究会=編『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■オリジナルの「源氏物語」は存在しない

現代を生きる私たちは、当たり前のように「源氏物語」を読んでいます。1000年前に書かれた本作が、時を超えて現代に伝わるには、この物語に魅了され続けた先人たちの絶えざる努力が欠かせませんでした。

なぜなら、紫式部本人が書いた「源氏物語」は、この世のどこにも存在しないからです。つまり、現存する「源氏物語」はすべて、後世の人間が多くの写本を参考にしながら、オリジナル版を復元しようとして作成したものなのです。

まずは、この物語の来歴から確かめてみましょう。

■「源氏物語」には実は3種類ある

現存する「源氏物語」の本文は、通常ルーツによって3種類に分類されます。それが、①青表紙本系統、②河内本系統、③別本系統です。青表紙本は、鎌倉中期の歌人・藤原定家によって作成された証本、河内本はそれとほぼ同時期に河内守源光行・親行父子によって作成された証本、別本群はそのいずれにも属さない証本を指します。

青表紙本と河内本は、いずれも54巻という形態で、巻順も同じです。研究者でなければ、差異に気づくことは難しいかもしれません。

さて、普通私たちが手にする「源氏物語」は、このうち青表紙本系統に属します。数ある版のなかで、青表紙本が広く受け入れられたのはなぜなのでしょうか。

その謎を解くカギは、藤原定家という伝説的な歌人の存在にあります。和歌の世界において定家の存在が神格化されるに伴い、室町時代ごろより、彼の手になる青表紙本が「源氏物語」の「正しい」本文であると認識されるようになったのです。

室町時代の公家・三条西実隆は、『弄花抄』のなかで、河内本よりも青表紙本の方が文学的に優れていると主張しました。もちろん、文学的に優れていることと、オリジナル版との近接性は関係がありません。ところが、当時の大学者たちからお墨付きを与えられたことで、青表紙本はその他の伝本を凌駕する権威を帯びていきました。

■「青表紙本はオリジナルに忠実」と判断された

青表紙本が広く受け入れられた理由は、もう一つあります。昭和に入って、佐渡で現在では重要文化財に指定されている青表紙本系統の「大島本」が発見されたのです。国文学者・池田亀鑑がこれに注目し、新たな校本である『校異源氏物語』を発表したことで、現代の「源氏物語」研究の新たなスタンダードが生まれました。

どうして、池田は青表紙本系統の「大島本」を高く評価したのでしょうか。藤原定家の日記『明月記』には、定家が青表紙本を作成する際に、解消しきれない不審な点を感じていたことが記されています。これに対し、河内本を作成した源親行は、諸本を校合することによって、不審な点のほとんどを解消したといいます。

つまり、河内本では原本の復元よりも、文章を明瞭にすることが優先されたと考えられるのです。池田は、これらの事実から、青表紙本は本文をみだりに改めておらず、オリジナル版を尊重しているだろうと判断しました。

■「源氏物語」の原姿を見ることはまだまだかなわない

とはいえ、青表紙本を読めばオリジナルに近い物語を楽しめるというわけではないのが、難しいところです。近年の研究では、青表紙本の名称の付け方、分類上の問題が数多く指摘されるようになり、その不動の地位が揺らぎつつあるのです。

本来、文献学の研究において作品の諸本を分類する場合は、本文の形状・性格等を捉えることが優先されるべきだとされています。ところが、「源氏物語」では中世以来の「青表紙本」という概念が重んじられ「定家作成」という起源ができたため、本文の特徴が「青表紙本」的の本文であっても、定家以前の写本は「別本」に分類されてしまうという、おかしな事態が発生するのです。

これにより、本文研究は振り出しに戻った感があります。「源氏物語」の原姿を求める果てなき夢は、まだまだ先の長い旅の途中にあるのです。

■明治時代に「アンチ源氏」が多かった理由

古典文学の代表格とも呼び得る本作ですが、この物語を拒絶する「源氏嫌い」の系譜も根強く存在しました。鎌倉時代の仏教説話集『宝物集』には、妄語を語った罪によって紫式部が地獄に落ちたという話が記されています。

江戸時代になると和歌・物語文化の担い手であるはずの天皇からも、「源氏」に耽溺する文弱な朝廷文化を批判する意見が出ました。「源氏物語」を軟弱な誨淫の書と見なす考え方は、日本文化のなかを静かに底流し続けていたのです。

なかでも明治維新に伴う富国強兵思想の確立は、大きな危機でした。キリスト教の伝道者である内村鑑三は、「あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい」と、正宗白鳥は「読みながらいく度叩きつけたい思いをしつづけたか(中略)無類の悪文である」と、それぞれ酷くこき下ろしています。

内村の言葉は、キリスト教徒の修養会である夏期学校での講演で語られたものですが、頼山陽の『日本外史』を称揚したうえで、「『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女々しき意気地なしになした」と語っていることから、明確に思想上の嫌悪であったことが窺えます。

一方の正宗も「気力のない、ぬらぬらした、ピンと胸に響くところのない、退屈な書物」とは言ってはいるものの、批判の前置きに「内容は兎に角……」と記しており、ストーリーについては批判していません。

さまざまな理由から生じた根強い「源氏嫌い」の文化がありつつも、「源氏物語」は熱心な読者たちに支えられ、辛辣な批判をはねのけ続けてきました。今度は、この物語を愛した人々の歴史を追ってみましょう。

■「源氏物語」を世に広めたオタクたちの功績

藤原定家による校訂については先に述べた通りですが、同時期の河内守源親行・光行親子による校訂も、無視することができません。万葉学者としても著名なこの父子は、本文の一字一句にこだわり抜き、長い年月をかけて『河内本源氏物語』を完成させました。

著作権という概念が存在しない時代、物語は改変されて広まっていくのが普通でした。そんな時代を経て、私たちがある程度信頼できる「源氏物語」に触れることができるのは、こうした「源氏物語」を愛した人々の功績であると言えるでしょう。

石山寺で源氏物語を詠む紫式部 八島岳亭・画
石山寺で源氏物語を詠む紫式部 八島岳亭・画(写真=スミソニアン博物館コレクションより/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

写本が確立したことで、「源氏物語」研究が幕を開けます。室町時代の歌人・四辻善成は『河海抄』という初期の集大成とも呼び得る注釈書を完成させました。源氏オタクである彼は、300年以上前の作品を正確に読み解こうと、語句の解釈だけでなく、出典調査や準拠の指摘に挑みました。

知識階級の独占物であった「源氏物語」の大衆化に一役買ったのが、江戸時代の歌人・北村季吟です。季吟が記した『湖月抄』という注釈書は、本文と注釈を1冊で確認できる、当時としては大変画期的なものでした。これにより、多くの人々が手軽に「源氏物語」の世界に触れられるようになります。

■儒仏文化から解放した本居宣長

長いあいだ凝り固まっていた「源氏物語」の読み方に革命を起こしたのが、江戸時代の国学者・本居宣長でした。宣長は、異国の儒教・仏教の書によって本作を論じてきた旧来の読み方を批判し、物語が「たゞ人情の有のまゝを書しるして」いると主張しました。つまり、勧善懲悪や仏教説話などという枠組みから物語を開放し、その自立性を説いたのです。

北山円香ほか『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)
源氏物語研究会=編『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)

ただし、「もののあわれ論」を即作品そのものの主題とするには問題があります。その眼目が儒仏文化からの解放にあったにもかかわらず、あたかも『源氏物語』そのものの主題であり、ひいては日本文学の土台でもあるように捉えられているのは、過大評価だという向きもあるので、注意が必要です。

明治維新に伴う西洋文化の流入は、「源氏物語」にとって大きな危機でした。先進的な西洋文学を至高と見なす影響下では、日本の古典文学全体が軽視されてしまったのです。明治期において「源氏物語」を評価した著名な文化人は、わずかに尾崎紅葉・樋口一葉・与謝野晶子らを数えるばかりです。斎藤緑雨にいたっては、「悪文の標本也」とまでこきおろしています。

■社会状況の変化に応じて評価を変えてきた作品

逆風のなかで「源氏物語」再評価のきっかけを作ったのが、文豪・谷崎潤一郎です。谷崎は『文章読本』のなかで、「最も日本文の特長を発揮した文体」と絶賛し、翌年から現代語訳に取り掛かっています。

戦後になると、「源氏物語」は見事に復権を果たしました。漫画、舞台、映画など様々な加工品に姿を変えつつ、毎年100本以上の研究論文が生み出されるようになったのです。現代語訳も上梓している作家の田辺聖子は、「源氏物語」を「勝負や黒白のつかないオトコ文化における『愛』と『恋』の世界を扱ったもの」として、復権の理由を敗戦によるオトコ文化の崩壊に求めました。

「源氏物語」は社会状況の変化にともなって、振り子式に評価を変えてきたと言えます。

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北山 円香(きたやま・まどか)
ライター
1994年京都市生まれ。男性。一橋大学大学院社会学研究科修了。専門は日本近世村落史。ことに身分、系譜、由緒、差別など。ほか、文学、サブカルチャーを中心に執筆。おもな寄稿先は『歴史街道』、「文春オンライン」など。分担執筆した著書に『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)がある。

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(ライター 北山 円香)

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