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嫌っていた母にそっくりな毒エゴイストになり最愛の娘を壊した…40代女性が臨んだ"毒の系譜"一掃作戦の結末

プレジデントオンライン / 2024年1月10日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

40代の女性は情緒不安定な両親のもとに育った。そのため、常に不安と満たされない想いを抱え、結婚した後も心が欠けた部分を夫や2人の子供などに依存して埋めてきた。過保護・過干渉を繰り返したことなどが原因となり、子供たちは不登校に。女性は母親から受け継いだ負の連鎖を断ち切ろうと立ち上がった。多くの毒親を取材してきたノンフィクションライターの旦木瑞穂さんの著書から一部抜粋してお届けしよう――。(後編/全3編)

※本稿は、旦木瑞穂『毒母は連鎖する』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

前編・中編はこちら

■家庭での長女

長女はもともと明るくひょうきんだったが、母親の吉野透子さん(仮名・40代)の過保護・過干渉によりに精神的に追い詰められ、小学校生活に支障をきたし、中2になると登校できなくなった。母親は相談をするために市役所を出向いた。

次に市役所の相談員は、長女の家での様子をたずねた。

次女に対して長女は、次女が興味のあることを丁寧に教えてあげたり、好きな食べ物を多めに分けてあげるなど、優しいお姉ちゃんだった。

夫は、長女が4〜5歳くらいの頃、新居を購入したり、次女が生まれたりして、父親としての責任の重さをプレッシャーに感じていたのか、常にイライラしていた時期がある。その頃長女は、ささいなことで夫を怒らせては、怒鳴られたり、たまに叩かれたりしていた。それはその一時期だけだったが、以降長女は、父親の顔色をうかがい、慎重に言葉を選んで話すようになっていた。

そして母親である吉野さんに対しては、いつも「大好き」「ありがとう」と自分の気持ちを伝え、贈り物をくれる子だった。

「せっかちで自己中心的な私に対して長女は、おっとり優しくマイペース。私の誕生日、母の日、クリスマスなど、小さな花束や鉢植えを今までどれだけもらったか。私は『ありがとう』と言って受け取りましたが、内心は『なんでこの子は自分のためにお金を遣わないんだろう?』と歯がゆく感じていました。長女の優しさが弱さに思えていた私は、いつも長女を叱咤(しった)激励していました」

■ガス欠状態

長女が進学する中学校は、地域の複数の小学校から生徒が集まってくるマンモス中学校だった。「長女が生き直すチャンスだ」と思った吉野さんは、「過去は過去! 新しくお友だちを作って、勉強や部活も頑張ってみようよ!」と長女に声をかけた。

すると長女は頑張った。友だちができ、成績も真ん中くらいをキープ。吉野さんは褒め、そして言った。「やればできるじゃない! やればできるんだから、もうちょっと頑張れるよね?」

そして現在に至る。

相談員はメモを取りながら、ひと通り話を聞き終えると、長女たちの居る別室に消えていった。吉野さんは話し終えたとき、激しい疲れと、スッキリしたような清々しさを感じていた。しばらくして戻ってくると、相談員は言った。

「お母さん、長女ちゃんはね、頑張りすぎちゃったんだと思います。車で言ったら、ガソリンが空っぽの状態なんです」

吉野さんは絶句した。

「今はとにかく、長女ちゃんをゆっくり休ませてあげてください。お母さんにも不安や葛藤があると思います。焦りもあるでしょう。でも、一番大切なのは長女ちゃんの心です。大丈夫。優しい、いいお子さんです。しばらく休んだら、きっとまた前を向けますよ」

そう言って相談員に微笑まれたとき、吉野さんは泣いていた。

■人生初の心療内科へ

帰り道、いつもはセカセカ歩く吉野さんだが、その日は長女と並んでトボトボ歩いた。

「今までごめんね。エネルギーが切れてたなんて気付かなくて、ごめんね。学校に行く話ばっかりして、ごめんね。今日からは学校のことなんか忘れて、ゆっくりしていいんだよ……」

吉野さんが謝ると、長女は何も言わず、ただほっとしたような表情を見せた。

しかし吉野さんの試練は始まったばかりだった。「ゆっくり休ませてください」を、忠実に守ろうとするも、焦りを感じてしまう。1週間経つ頃には、焦りは苦しみに変わっていた。

「誰かに聞いてほしい」と思うものの、「みんな幸せそうに見えて、聞いてくれる友だちなんて思い当たらない」。苦しくて相談員に電話すると、「お母さんにも、心の拠り所があったほうが良いかもしれません」と言って、児童心理に詳しい心療内科を紹介してくれた。

予約した時間に行くと、医師は黒い革張りの椅子に座って、3mほど離れたところにある小さな丸椅子を勧めた。

医師はいろいろな質問をし、吉野さんはそれに答えていった。ひとしきり話し終えると、医師は、「お母さん、大丈夫。あなたは悪くない。決してあなたのせいじゃないですよ。だから自信を持って、前向きに行きましょう! 自分を責めてはいけません。辛くなったらまたいらっしゃい」と言った。

吉野さんは首を傾げながらお礼を言い、会計で6000円ほど支払った。

「医師の言葉は、『自分のせいだ』と自分を責めて苦しい人になら胸に刺さるのでしょうけれど、このときの私は自分が悪いとは思っておらず、解決方法を求めて受診したので、『これで6000円?』という疑問しかありませんでした」

■「消えたい」

不登校になってから長女は、朝起きて朝食を摂ると、そのままリビングで一日中YouTubeを見ていた。長女はボーカロイドの曲をよく聴いていたが、吉野さんはボーカロイドの人工的な声が苦手だった。

私の娘は現在小学校6年生だが、やはりボーカロイドの曲をよく聴いている。そして私も、その人工的な声が好きではない。ただ、ボーカロイドの曲には、思春期の子ども特有の悩みや葛藤を赤裸々に表している曲が多く、ティーンエイジャーに受け入れられるのもよくわかる気がする。

不登校から4カ月ほど経ったある日、仕事から帰った吉野さんは、ボーカロイドの曲を聴いている長女の側に珍しく腰を下ろした。すると、そのボーカロイドの曲の歌詞が、スッと耳に入ってきた。

少し歩き疲れたんだ 少し歩き疲れたんだ
月並みな表現だけど 人生とかいう長い道を
少し休みたいんだ 少し休みたいんだけど
時間は刻一刻残酷と 私を引っぱっていくんだ

不登校になってから長女は時々、「消えたい」と口にした。「死にたいのではなくて、消えたい」「死ぬ勇気はないから、いつのまにかふっと、自分の存在が消えたらいいのに」とつぶやいた。それを聞いた吉野さんは、「何年も辛い学校生活を送ってきたのだから、生きていたって楽しいとは思えないのだろう。そのくらい辛いから、『学校へ行くエネルギーなんてないけど許して』ということかな」と考えていた。

夢だとか希望とか 生きてる意味とか
別にそんなものはさして必要ないから
具体的でわかりやすい 機会をください
泣き場所探すうちに もう泣き疲れちゃったよ
(作詞・作曲・編曲:すこっぷ 唄:初音ミク)

気が付くと、吉野さんは号泣していた。びっくりした長女は、慌てて自室に居る次女を呼びに行った。

「長女の気持ちがこの曲に凝縮されている気がして、歌詞と曲が胸に突き刺さってきたのです……」

後で長女に曲のタイトルをたずねると、『アイロニ』と答えた。

『アイロニ』を調べてみると、2015年にニコニコ動画で100万再生を達成した曲であり、現在はたくさんのシンガーにカバーされていることがわかった。悲しげなメロディで始まり、サビの部分では“誰か”に対して「バカ!」「ヤダ!」という強く真に迫るような歌詞が印象的だった。

自分が経験していない感情を本当の意味で理解することは難しい。吉野さんは長女の気持ちを頭では理解しているつもりになっていたが、本当の意味では理解できていなかったのだろう。しかし、『アイロニ』の曲の世界に引き込まれることによって、長女の感情を心で理解したのだ。

■吉野さんの後悔

吉野さんにとって、仕事は楽しいもの。頑張れば頑張っただけお金や評価がもらえ、職場の仲間たちともうまくやれた。しかし子育ては、そうではなかった。

「私は、待つことができず、手を出しすぎてしまう。口を出しすぎてしまう。『こうすればいいのに』を押し付けてしまう。妹がおかしくなったとき、実家から逃げたように、辛いとき、お酒に逃げたように、できることなら、子育てからも逃げたかった。私は仕事に逃げ、お酒を飲んで、毎日をやりすごしました。私は大人だから、いくらでも誤魔化せました」

乱雑なベッド
写真=iStock.com/onsuda
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/onsuda

でも長女は逃げられない。本来、学校からの逃げ場であるはずの家庭に居場所がない。心を許せる友だちもおらず、不良にもなれなかった。

「逃げ場のない長女は、分厚くて頑丈な殻に自分を閉じ込めました。しかし私はその度に、容赦なく殻を打ち壊し、長女を引きずり出しました。それなのに、長女が不登校になったとき、私は、長女を守ろうとしたのです。自分がさんざん躾という名の“いじめ”をしてきたくせに。長女を最初にいじめたのは誰でもない、私自身だったのに……」

そう気付くことができたとき、吉野さんは、はっとした。「私は、長女が大事なんだ。誰にも傷つけられないで、笑っていてほしかっただけなんだ」と。

吉野さんは、以前頭に浮かんだ、『クレヨンしんちゃん』の母親・みさえと自分との違いに思い至った。

「みさえは、怒るときはとてつもなく怒りますが、度々しんちゃんに『愛している』と伝えていました。しんちゃんは、みさえに愛されていることをちゃんと知っていました。それに引き換え私は、『好きだよ』とか、『大事だよ』と長女に伝えたことが一度だってあっただろうかと思い、愕然としました。でも、『私は長女をちゃんと愛していた』。そう確信を持てたとき、『間違いに気付けたんだから、やり直せる。長女に好きだと伝えよう。そこから始めてみよう』と思うことができたのです」

■自立への道

その後、長女は自分から「高校を受験する」と言い、勉強を頑張り、無事合格する。通い始めると、「友だちができた」と楽しそうに報告してくれたが、約1カ月で再び不登校に。吉野さんはがっかりしたが、「14年もの間に底をつき、ガス欠を起こしていたのだ。たった1〜2年注ぎ直したからと言って、すぐに“満タン”状態になれるものではない」と思い直し、頭から布団をかぶったままの長女に声をかけた。

「今まで、ずっと苦しめてきてごめんね。もうお母さん、何も言わないから。学校も行きたくなければ行かなくていいんだよ。好きにしていいんだよ。本当にごめんね」

すると、長女は布団から飛び出して叫んだ。

「今まで散々ああしろこうしろ言っておいて! 今さら何を言ってるの? ずっとお母さんの言った通りに生きてきたんじゃない。自由になんて生きられるわけないじゃない。どうしたらいいかわかんない。急に手を離さないでよ!」

泣き崩れる長女。吉野さんは、長女を抱きしめながら、背中をさすることしかできなかった。少しだけ落ち着きを取り戻した長女は言った。

「好きにしていいよって言われると、見離された気持ちになるんだよ。お母さんは私のことなんて、どうでもよくなっちゃったんだって思うんだよ。お母さんの思い通りに育たなかったから、『私なんてもう要らないんじゃないの?』って思うんだよ」

吉野さんは慌てて首を振り、「絶対にそんなことない。私は長女が大事なんだよ。心から大事だから、自由に生きてほしいと思ったんだよ」と言うと、長女は、「本当に?」とたずねた。吉野さんは、「本当だよ」とうなずいた。

吉野さんは、これまで誰かに感情をぶつけることがなかった長女が、自分に感情をぶつけてくれるようになったことに唯一の希望を感じていた。そして「これから自分はどうすべきか」を考えたときに、「娘たちを自立させることを目標に生きていこう」と決意する。

「アルコールや夫への依存、仕事への依存、そして、長女との共依存……。考えてみたら、母親である私自身が自立できていませんでした。そんな私が子どもを自立させられるわけがないんです。これまでも、『このままじゃダメだ』と頭ではわかっていたのに、慣れた生活や性格を変える面倒くささのほうが勝って動けずにいました。私が、変わる勇気を持つこと。これが、一番の難所でした」

吉野さんは、ようやく重い腰を上げた。

■依存症患者の会

吉野さんは妹や母親の勧めで、依存症専門のカウンセラーが主催する、依存症患者や家族が集うミーティングに参加した。ミーティングの参加者たちは、自分の生い立ちを話したり、他者の経験談に耳を傾けたりしていた。

吉野さんは話を聞くうちに、参加者たちと自分に、共通点が多く見られることに気付いた。

「私はごく普通の家庭で育ったと思い込んでいましたが、違ったようです。情緒不安定な両親のもとに育ち、いつも不安と満たされない想いを抱え、心が欠けたまま、様々な物や人に依存しては、自分を埋めてきたようです。皆さんの話を聞くまで、そのことに気付きもしませんでした」

アルコールや夫、仕事への依存、そして長女への共依存は、子どもの頃から家庭で感じ続けてきた不安や、満たされない思いに端を発していた。

「母による私への過保護・過干渉は当たり前で、私と母の間には境界線がなかったのです。母にとって子どもは所有物であり、尊重されるべき存在ではありませんでした。母は、子どもを支配することで自分を埋めていました。そして私はそれをそっくりそのまま、自分の子どもにも連鎖させていたのです。浅はかでした。自分と向き合わず、考えることさえ放棄し、子どもを支配して、子どもに欠けた穴を埋めてもらっていたのですから。いつのまにか、嫌っていた母にそっくりなエゴイストに成り果てていました」

白い背景に黒いハート型の穴
写真=iStock.com/Marat Musabirov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Marat Musabirov

欠けた穴を自分で埋めるには、どうすれば良いのだろう。

「自分が子どもの頃に受けた仕打ちや言葉は、ゴミになって心の奥底に溜まっています。それを、外に出してあげるのです。ミーティングなどで、否定せずに受け止めてくれる人に聞いてもらうと良いと思います。子どもの頃に経験できなかった“自分の気持ちをそのまま受け入れてもらった”という感覚を覚えることが大切なので」

そのためには、自分自身と向き合う作業が必須だ。嫌な過去であっても振り返り、痛みを伴う記憶であっても掘り起こし、真正面から受け止めなければならない。

「不登校になった子どもだけをなんとかしようとする専門家や指導者さんもいますが、所詮、子どもをコントロールしているに過ぎません。親と子どもは別の存在であり、何ひとつ思い通りにならないのだということを、親は知っていく必要があります。親は自分で自身を満たし、考え方を変え、子どもには子ども自身の人生を歩めるように、子どもの体や心を返さなければなりません。子どもの問題行動は、子ども自身に問題があるのではなく、実は、“代々続いてしまっている親の考え方や家族の在り方に問題がある”ということを暗に教えてくれている場合が多いのです」

吉野さんは、みるみる変わっていった。

■災い転じて福と成す

吉野さんが母親と妹の勧めで参加した依存症専門カウンセラーのミーティングは、別人のようになった妹が実家に帰ってきて吉野さんが逃げ出した後、母親がたどり着いた場所だった。母親は妹を治してくれる病院を必死に探し、何軒か回ってようやく行き着いたのが、その依存症専門カウンセラーが所属する病院だったのだ。妹は入院し、母親はその会に参加した。

吉野さんの母方の祖母は、母親が19歳のときに自死している。母方の祖父は中年を過ぎてからリウマチで寝込んでいたが、結婚当初からモラルハラスメントがひどく、要介護状態になってからも「介護されるのは当たり前」という態度で、祖母や子どもたちに辛く当たっていた。やがて祖母はうつ病を患い、40代で自死してしまうと、7人の子どもたちが祖父の世話をさせられるようになる。自己肯定感が低く、人の顔色をうかがう母親の性質は、祖父母のせいで身についたものだった。

依存症専門のカウンセラーは、吉野さんの母親に「思いの丈をぶちまけてきてください」と言って、祖父母の墓参りを勧めた。母親は勧められるままに墓参りをすると、そこで、祖父母に対して長年抱えてきた憤りや寂しさ、やるせない思いをぶちまけてきたという。

それからだった。母親は憑き物が落ちたように明るく愛情深い人になっていった。

夫は吉野さんと出会ってからというもの、吉野さんから執拗(しつよう)に尽くされてきたため、家の中で威張るクセがつき、モラハラのような言動が目立ってきていた。吉野さんはこれまで、夫には自分が育った家庭のことを一切話さなかったが、カウンセラーの助言を得て、夫と向き合うことを決意。吉野さんが、「本当は尽くすのが嫌だった」と打ち明けると、「そうだったの? 早く言ってくれよ。俺、騙されてたよ」と驚き、翌日から少しずつモラハラは鳴りを潜めていった。

毒親家庭やモラハラ家庭で育った人が、自分でも毒親家庭、モラハラ家庭を築いてしまうことは少なくない。その理由は、その人自身が毒のある人やモラハラ気質の人を引き寄せてしまうほかに、その人自身が側にいる人を毒のある人やモラハラをする人に変えてしまうケースもあるようだ。吉野さんの場合も、依存傾向のある吉野さんが、無意識に夫をモラハラ配偶者に変えてしまっていた。

結局長女は高校に4年間在籍したが、卒業することはできなかった。しかし20歳になった長女はアルバイトを始め、家にお金を入れるようになった。自動車の教習所にも通い始めた。絵を描くことが好きな長女は、マイペースでイラストを練習し、22歳になった現在は、アルバイトを続けながら、時々イラストの仕事をしているという。

私が吉野さんに取材を申し込んだとき、「長女に確認しますから、ちょっとお待ちください」と言われた。子どもは親の所有物だと思っていた吉野さんはもういない。「長女を尊重しようと決めたので、長女が嫌ならば取材を受けるつもりはなかった」と言っていた。

「災い転じて福と成す」というように、長女の不登校がきっかけで、吉野さんは母親との関係も改善し、夫との絆も確かなものとなった。長女が、代々続いてしまっている親の考え方や家族の在り方に、問題があるということを教えてくれたのだ。

■吉野家に連鎖する毒

長女の4歳下の次女は、長女が不登校になった約半年後、小学校4年生時に不登校になっていた。ほとんど中学校に行かずに高校を受験し、入学するも2年で休学。しばらくフリースクールに顔を出していたが、この春から1年遅れで高校2年生に復学した。

旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)
旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)※刊行記念として漫画家・ライターの田房永子さん、漫画家・イラストレーターの尾添椿さんとのトークイベントを24年1月18日に開催

長女と異なり、次女は慣らし保育を経て幼稚園に入園して以降、放任気味になっていた。

次女自身、長女に過保護・過干渉する母親を警戒し、距離を取っていたが、そのせいで孤独感を募らせていたようだ。不登校期間中に自分や母親、家族と向き合い、社会での自分の立ち位置なども冷静に分析したうえで、「自分には、好きに生きて食っていける能力はない。だから、生きていくには社会のレールに戻るのが一番安全なんだ」という答えにたどり着き、復学を決めたという。

「約30年前、苦しむ妹と両親から逃げたとき、あのとき、アダルト・チルドレン家庭の連鎖の怖さに気付いていたら、子どもたちをここまで苦しめることはなかったでしょう。もしかしたら、家庭を持つことも、子どもを産むことも考えなかったかもしれません。嫌なものに蓋をして逃げた問題は、必ずまた自分に降ってきて、更なる犠牲者を生み出します。だから、連鎖を断つ機会を逃してはいけませんでした」

長女が高校に行けなくなったとき、吉野さんは一念発起し、生まれ変わったように依存症専門のカウンセラーからがむしゃらに学び、実践してきた。「連鎖を断つ機会」とは、家族ぐるみで向き合わなければならない問題が起きたときのことだ。アダルト・チルドレン家庭の連鎖を断ち切るためには、避けては通れない機会だという。

山梨県医師会によると、「アダルト・チルドレン(Adult Children:以下AC)とは、子どもの頃に、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そして大人になった人たちを指します。子どもの頃の家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。ACという言葉は、伝統的な精神医学や心理学の枠組みでの診断名ではありませんが、自分の育ってきた環境、親や家族との関係を振り返って自分自身を理解するための、1つのキーワードとしてとらえることができます。」(「アダルト・チルドレンってなに?」)とある。

ストレスが日常的に存在している状態の「機能不全家庭」で育った吉野さんの母親は、ACだったが故に、「機能不全家庭」を築き、吉野さんもまた、ACだったが故に、「機能不全家庭」を築いてしまった。しかし、自身がACだったと自覚し、自分自身の“生きにくさ”を理解することで、連鎖は断ち切ることができる。

最近吉野さんは、夫や長女、次女からも、「変わったね」と言われるという。しかしここまで来る途中には、思わず干渉しすぎてしまい、慌てて謝ることも何度もあった。そんなとき娘たちは、「お母さんのほうが毒にさらされてきた期間が長いんだから、治療にも時間がかかるんだよ」と言ってくれた。(後編おわり)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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