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17歳の高校生を「さかなクン」に変えた…「TVチャンピオン全国魚通選手権」が"伝説の番組"と語り継がれるワケ

プレジデントオンライン / 2024年1月20日 9時15分

参院の国際経済・外交に関する調査会に参考人として出席し、意見陳述する東京海洋大客員准教授(=当時。現在は客員教授)のさかなクン=2020年2月12日、国会内 - 写真=時事通信フォト

1992年に誕生した『TVチャンピオン』(テレビ東京)は、なぜヒットしたのか。社会学者の太田省一さんは「それまでにはなかった、素人のすごさをストレートに見せることに徹した番組だったからだ。TVチャンピオンはテレビ界に革命を起こした」という――。

■どこか頼りなげだった17歳の「さかなクン」

昭和から平成にかけて放送されていた「ヤバい」番組を振り返る。「ヤバい」は、むろん悪い意味だけではない。常識破りで、新たなトレンドを生んだという良い意味でもある。その第一弾は、昨年末復活したテレビ東京の『TVチャンピオン』。

毎回特定のテーマで自慢の技や知識を競い合うこの番組は、それまで民放キー局とはいえ弱小だったテレビ東京が一目置かれるテレビ局になったきっかけの番組、そして「素人」という存在に新たな角度から光を当てた番組でもあった。そこから生まれた最大のスター、さかなクンのことから話を始めよう。

その新星は、突然現れた。1993年5月6日放送の『TVチャンピオン』の「第3回全国魚通選手権」。タイトル通り、魚類に関する知識をさまざまなかたちで競う企画だ。

集まったのは、魚のことなら任せろという5人。第1回、第2回と連覇した54歳の会社員、33歳の水産試験場職員、元漁師の29歳タクシードライバー、市場通いが日課という38歳男性など、いずれも猛者ぞろいだ。

ところがそのなかにひとり、よく見ると詰襟の制服を着た17歳の現役高校生がいる。絶対勝ってやるという闘志を表に出した他の大人たちに比べ、やせていてどこか頼りなげ、ちょっとか細い声で話すその少年の名は宮澤正之。後のさかなクンである。これが『TVチャンピオン』初登場だった。

■最初のあだ名は「オタッキー宮澤」

この番組では、競技が始まる前にスタジオでMC陣と観覧客が競馬に見立てて優勝予想をする流れになっていた。ここでも宮澤少年は、MCの田中義剛、松本明子、東ちづるの話題の的に。

好きな魚がネコザメ、しかもそれを飼育して餌付けしているという紹介があったため、魚へのマニアックすぎる愛に驚いた松本明子は「オタッキー宮澤」などと呼んでいた。だがさすがに観覧客で優勝を予想したひとは最も少なかった。

しかしいざ始まってみると、宮澤少年の魚通ぶりは予想をはるかに超え、こちらの度肝を抜くものだった。

■選手権の休憩中にエイを買う

予選1問目は、ご飯の上に置かれた中おち部分を、ご飯と共に食べて何の魚かを当てる問題。回答がわかった宮澤少年は、ご飯と一緒に口いっぱいに頬張り答えるも「それじゃわからない」と現場の進行役である中村有志(現・中村ゆうじ)にツッコまれる、スタジオからは「かわいい~」の歓声も飛んでいたが、見事アカマンボウを正解。

嬉しそうなのはもちろんだが、正解と言われてなんどもペコペコお辞儀をする腰の低さはこの頃から変わらない。続く2問目も正解で、「天才高校生」の出現に他の出場者もたじたじとなった。

またこんな場面も。七輪で焼いた焼魚のニオイから魚の名前を当てる問題でエイを正解した宮澤少年は、「今日買いました」と一言。「ロケのあいだに買ったの⁉」と聞かれて「家でさばきます。4匹」と答えた宮澤少年に、中村有志からは思わず「ヘンなひと!」という驚きの言葉が漏れる。

魚の開きを炭火で焼いている
写真=iStock.com/kazoka30
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazoka30

緊張感あふれる真剣勝負の最中なのに買い物をするのは余裕の表れだったのか、それだけなによりも魚に目がないことの証しだったのか。いずれにしても、宮澤少年の只者でなさがわかる場面だ。

見事決勝進出を果たした宮澤少年は、ここでも「アンコウを剝製にしたことがある」と言って周囲を唖然とさせたりしたが、初登場時は準優勝にとどまった。だがその後圧倒的な知識量で優勝を続ける。

■出演者が度肝を抜かれた「ある回答」

たとえば、第6回全国魚通選手権の準決勝の、16分割された魚の写真の一部だけ見て名前を当てるクイズ。「ニベ」という魚が答えだったのだが、全体の16分の1、背びれのごくわずかしか見えないのに正解しただけでなく、「これ、『世界の海水魚』の写真ですよね」と、その写真の出典元のタイトルまで当ててしまった。だがそんなときでも、勝ち抜いた際には腕を高く突き上げ、ピョンピョン飛び跳ねながら喜びを爆発させる姿が印象的だった。

こうして「第4回全国魚通選手権」から5連覇を果たし、殿堂入り。そして少年だった宮澤正之は、ある時からハコフグの帽子がトレードマークのタレント「さかなクン」(ちなみに名付け親は、中村有志である)として、ユニークなキャラクターが人気を呼び、テレビでもよく姿を見るようになった。

その一方で、東京海洋大学から名誉博士号を授与され、さらに客員准教授に就任するなど魚類学者としても活躍している。このあたりは、改めていうまでもないだろう。いまや魚のことなら生態から美味しい食べかたまでどんなことでもわかりやすく教えてくれる先生として、唯一無二の存在だ。

■『TVチャンピオン』がテレビ界に起こした革命

さかなクンが『TVチャンピオン』から誕生した背景には、この番組がテレビに起こしたひとつの革命があった。

テレビの本放送が始まって約70年。黎明(れいめい)期のころから、視聴者参加形式の番組も多いバラエティにおいては、素人が存在感を発揮してきた。ただほとんどの場合、素人はプロの芸人などから「いじられる」存在にすぎなかった。

1970年代に素人を積極的に起用して一世を風靡(ふうび)した『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系、1975年放送開始)など「欽ちゃん」こと萩本欽一による一連の番組が典型的だ。1980年代に入っても、基本は変わらなかったとみるべきだろう。

ところが、1992年に始まった『TVチャンピオン』は違っていた。この番組の素人は、「いじられる」存在ではなくなった。さかなクンのような特定の分野についてのきわめて豊富な知識や「和菓子職人選手権」の職人たちのような超絶技巧、さらには「大食い選手権」の参加者たちの人並外れた食欲など、誰にも真似できないような能力を披露して驚嘆される存在になった。

要するに、素人は「いじられる」存在から「すごい」存在になったのである。

東京都港区虎ノ門にあるテレビ東京本社ビル(日経電波会館)
東京都港区虎ノ門にあるテレビ東京本社ビル(日経電波会館)(写真=ITA-ATU/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

■素人そのものに焦点を当てた

世の中には、無名でも実はすごい特技を持った人たちがたくさん隠れている。『TVチャンピオン』は、そのことを知らしめる画期的な番組になった。それは、派手ではないがテレビ史におけるひとつの革命、静かな革命だった。

宮澤正之少年は、そうした「すごい」素人の申し子的存在だった。漁師や水産試験場の職員は、仕事として魚についての知識を身につけた人たちだ。

それに対し、宮澤少年は、物心ついたときから魚がただただ好きだったにすぎない。しかし「好き」という気持ちさえあれば、その道のプロも顔負けのここまでの存在になれる。

そのことを自ら証明したのである。どんなことであれ、好きな魚について話すときのさかなクンのこの上なく嬉しそうな表情を思い出してもらいたい。「好きこそものの上手なれ」とは、まさにさかなクンのためにあるような言葉だ。

■「オタク」に市民権を与えた

『TVチャンピオン』がウケた背景には、当時の日本社会の状況もあったと思える。

番組が始まった1992年は、1991年にバブル崩壊があった直後。それは、敗戦から奇跡的な復興を遂げ、高度経済成長からバブル景気を経験した「昭和」という高揚感あふれる祭りの時代が終わったタイミングでもあった。

そして祭りの集団的熱狂と陶酔から目が覚めた日本人は、自分の足元を見つめ直すことになった。世の中の敷いたレールにただ従って生きるのではなく、一人ひとりが自分のあるべき生きかたを問い直すようになったのである。

そのとき、『TVチャンピオン』に毎回登場する「すごい」素人たちは、視聴者にとって芸能人や有名人にはない親近感を抱かせてくれると同時に、いま自分のいる場所で頑張ること、自分だけの生きる道を見つけることの大切さを教えてくれたのではないだろうか。

そのなかで、『TVチャンピオン』は「オタク」が市民権を獲得するきっかけにもなった。

それまで「オタク」という言葉には「暗い」などネガティブな意味合いがつきまとっていた。だが宮澤少年のことを松本明子が「オタッキー宮澤」と呼び、中村有志が「ヘンなひと!」と言うとき、そこには明らかに親愛の情がこもっている。

そして生粋の「魚オタク」である宮澤少年は5連覇し、多くのひとが尊敬と親しみをこめて「さかなクン」と呼び愛される存在になった。

いまや「推し活」という名のもと、「オタク」であることは生きる喜びとして肯定されるような時代だ。『TVチャンピオン』は、そんな現在への道筋をつけた番組でもあった。

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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。

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(社会学者 太田 省一)

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