なぜトコジラミの根絶は難しいのか…絶食でも2カ月以上は生存できる吸血虫の「特殊すぎる生態」
プレジデントオンライン / 2024年1月20日 15時15分
■もともとはコウモリに寄生する虫だった
――そもそもトコジラミとはどのような生き物なのでしょうか?
【深津】トコジラミといいますが、シラミとは縁が遠く、実はカメムシに近い仲間です。日本語では南京虫、英語ではベッドバグとも呼ばれます。体長は5ミリ程度で、一度に平べったい体がパンパンに膨れあがるほどの血を吸います。
光を嫌うので、日中や明るい部屋では、ベッドや畳の隙間、柱の割れ目などに潜んでいます。部屋が暗くなるとひそかに隠れ家から出てきて、人間が寝ている間に吸血します。天井や壁、家具の隙間などに小さな黒いシミがあれば、それが「血糞」で、トコジラミがいる証拠です。
翅はなく飛ぶことはできず、人間の荷物や輸送される家具に取り付くことで、その分布を拡大します。
トコジラミは世界で100種以上が知られています。その多くがコウモリ類に寄生しています。ほかにニワトリ、ハト、ツバメなどの鳥類に寄生する種も知られています。
もっぱら人の血を吸うのは「トコジラミ」と「ネッタイトコジラミ」の2種です。
トコジラミが人の血を吸うようになったのは、大昔の人類が洞窟で暮らすようになったときに、コウモリから移ってきたのではという推測があります。しかし、本当のところはわかりません。
ともあれ、人類とトコジラミの付き合いは長いんですね。もともと日本には分布していませんでしたが、江戸時代に外国の船舶を経由して持ち込まれた可能性が高いといわれています。
■2~3カ月絶食状態でも生き延びる
――シラミや蚊などの他の吸血性昆虫との違いはありますか?
【深津】例えば、シラミは宿主である人間や動物の体表にくっついて吸血しながら生活しています。そのため、宿主から引き離されて血が吸えないと数日で死んでしまいます。
一方、トコジラミは絶食に強く、吸血なしでも2~3カ月は生きていられます。これは洞窟内でコウモリに寄生していたからこその生態でしょう。洞窟を飛び立ったコウモリがすぐに戻ってくるとは限らない。だから長期間の空腹に耐えられるよう進化したと考えられます。
空き家になって何カ月も経っているのに、次の住民がトコジラミに刺される、といったことが起きてしまうのはそのためです。トコジラミの防除が難しい理由のひとつです。
シラミは宿主特異性が強い、つまり好き嫌いがあります。人なら人、豚なら豚と、特定の宿主にだけ寄生します。それに比べるとトコジラミは、より好みが比較的少ないといえるかもしれません。
私たちが研究に用いているのは、もともとは人に寄生するトコジラミですが、実験室ではウサギの血液で飼育しています。他の動物の血でもそれなりに生きていくことができるようです。ですから、もしも自宅でトコジラミが出た場合、飼っている犬や猫を吸血する可能性も否定できないでしょう。
かゆみのメカニズムは蚊などと同様に、吸血時に注入される唾液に対するアレルギー反応によって起きます。もっとも、トコジラミは最初に刺されたときはかゆくならないことが多いようです。継続的に繰り返し刺されると免疫反応が起こり、ものすごくかゆくなってきます。
私も一度、自分の腕からトコジラミに血を吸わせてみたことがありますが、まったくかゆくなりませんでした。かゆみの症状は、刺された経験や免疫反応の強さ、体質などの個人差が大きいといわれています。
■交尾器をメスの腹に突き刺す
――トコジラミはどのように繁殖するんでしょうか。
成虫の寿命は数カ月から1年以上におよびます。メス成虫は1日に数個の卵を隠れ家に産み付け、生涯では100~200個以上の卵を産みます。
卵は細長いナスのような形をしていて、上部にあるフタのようなものがパカッと開いて幼虫が出てきます。幼虫は脱皮を繰り返しながら1カ月以上かけて成虫になります。やっかいなのは、蚊の幼虫(ボウフラ)とは違い、トコジラミは生まれたての幼虫の段階から吸血するところです。
トコジラミの生態で生物学的に面白いのが「外傷性授精」という習性です。英語では「traumatic insemination(トラウマティック インセミネーション)」と言います。
一般的に昆虫はメスのお尻の方にある交尾口で交尾をしますよね。でもなぜかトコジラミは、オスが鋭い針のような交尾器をメスのお腹の節と節の間に突き刺して、そこから精子を注入します。注入された精子はメスの体液の中を泳いでいって卵巣に到達し受精するのです。
■トコジラミのオスの精巣は非常に大きい
【深津】そのためトコジラミのメスはなかなか大変です。メスの体壁に穴を開けて射精するわけですから、メスはその傷によって感染症のリスクが上がり寿命が短くなるという研究もあります。
飼育環境下など、密度が高く複数のオスがメスを奪い合うような状況では、何匹ものオスに交尾器を突き刺されてしまうことも。
ちなみに、トコジラミのオスの精巣は驚くほど大きいんです。それは「外傷性授精では大量の精子を注入する必要があるから」「他のオスに負けないための精子競争」などの理由が推測されます。
ならばふつうのやり方で交尾すればいいのでは、と思ってしまうのですが、なぜこのような奇妙なやり方をするのか、いまだに謎です。
一方で、メスの方にも対策はあるようです。メスのお腹の右側の交尾器を刺されやすい場所には、「スペルマレージ」という器官があります。そこには免疫細胞が集まっていて、外傷性授精によるダメージを軽減する役割を担っているのではないかと考えられています。
こんなわけのわからない交尾システムではありますが、オスの側もメスの側も、進化の過程で特別な構造へと特殊化しているんですよね。
外傷性授精はトコジラミの他に、ハナカメムシやネジレバネなどの昆虫でも知られていますが、言うまでもなく例外的な、かなり珍しい交尾のやり方です。
■トコジラミ駆除の可能性を秘めた共生細菌
――深津先生は2009年に、トコジラミの生存や繁殖に共生細菌が必須であることを報告されました。
【深津】トコジラミだけでなく、ツェツェバエやシラミなど吸血性昆虫の多くは、共生細菌を体の中に保持しています。
血液はずいぶん栄養豊富な感じがしますが、実はビタミンB類が欠乏していて、血を吸っているだけだとビタミンB欠乏症になってしまいます。トコジラミの場合は「ボルバキア」という共生細菌がビタミンBを作ってくれるおかげで、血を吸うだけで生きていけるのです。
トコジラミのお腹の中には、多量の共生細菌を細胞内に含んだ一対の共生器官があります。共生細菌は母虫の体内で卵巣の中の卵細胞に伝えられ、卵が産まれたときにはすでに共生細菌が感染しています。
では共生細菌がいなくなったトコジラミはどうなるのか。母虫に抗生物質を与えて共生細菌を除去してみたところ、産まれた卵の多くは発生途中でしなびて死んでしまい、なんとか孵化した幼虫もうまく育たなくなってしまうのです。
共生細菌を叩けばトコジラミが死ぬということは、共生細菌をターゲットにしたトコジラミの防除が原理的には可能です。私たち人間は、感染症になったら細菌を殺すために抗生物質を飲んだり注射したりしますよね。
それと同じように、トコジラミに抗生物質を投与すると共生細菌が殺され、その結果としてトコジラミが死滅することになります。抗生物質は飲んでも平気なくらいですから、農薬や殺虫剤の散布よりも人畜への安全性が高いトコジラミの駆除方法になりうるわけです。
■刺されて死ぬことはない
【深津】しかし、「原理的に」と申し上げたのは、実用化は現実的に難しいからです。
抗生物質を農薬のように大量に散布して効果があるかというと、抗生物質は農薬のように低分子で浸透性が高いものではないので、体内に浸透していかず効果がありません。
ベッドの隙間にいるトコジラミに薬を飲ませたり注射するなんて非現実的で、普通に駆除した方が早いですからね。さらにはコスト面や、抗生物質を大量に使うことによる環境問題の懸念もあります。
共生細菌を標的にした駆除で実用化されているほぼ唯一の例が、人や犬のフィラリア症の予防や治療です。
フィラリア症はフィラリア線虫に寄生されることによっておこる病気です。フィラリア線虫もトコジラミと同様に、体内に生存に必須な共生細菌ボルバキアを保持しています。
人や犬でしたら薬を飲ませることができるので、抗生物質のドキシサイクリンを投与すると共生細菌ボルバキアが死に、その結果としてフィラリア線虫も死滅するので、フィラリア症の予防や治療が可能になるのです。
――トコジラミにはどう対処したらいいのでしょうか?
蚊やシラミなどの吸血性昆虫には、マラリアや日本脳炎など致死的な病気を媒介するものがたくさんいます。
一方、トコジラミはそのような報告はほとんどありません。つまり、ものすごくかゆくて嫌なんだけど、命にかかわることはない。病気媒介という点では“タチがいい”吸血性昆虫とはいえるかもしれません。
■もし見つけてしまったらどうすればいいか
【深津】日本でも戦前はそこらじゅうにトコジラミやシラミがいて、当時の人は「そんなものだ」と思って生きていたんだと思います。戦後、強力な殺虫剤の普及と衛生状況の向上によって、1960年代にはシラミやトコジラミは日本ではほぼ駆逐されました。
ただ、そのような駆除を繰り返し生き延びたトコジラミが子孫を残し、殺虫剤への抵抗性を進化させ、おそらくは国際的な人の往来や物流にともなって海外から再導入され、ふつうの薬剤が効かない「スーパートコジラミ」が再び蔓延するようになったというのが現状でしょう。
もっとも、今なぜトコジラミがこんなに大きな話題になっているのでしょうか。トコジラミは本当に最近になって急増したのでしょうか。私はもしかしたら、実はもっと前からある程度蔓延していたのが、SNS上におけるショッキングな話題として情報が拡散し、一気に増幅しただけなのではないかと、ちょっと疑っています。
トコジラミはどうしたら防げるかという話で、よくネット上などで流布している方法として、「ホテルや家に入ったらまず荷物は浴槽などに入れて、トコジラミの侵入を防ぐ」とか言われていますが、現実的に日常生活の中でいつも実践できるかといったら、難しいですよね。
トコジラミは熱に弱いと言われていますが、家具や部屋の隙間をくまなく高温処理するなんて、特殊な器具を有する専門業者でもないとできません。いま蔓延しているトコジラミは通常の家庭用の殺虫剤ではほとんど効果がありません。かといって、人が住んでいる室内で強力な殺虫剤を使うわけにもいきません。
少なくとも現状では、そうそう一般家庭に入ってくるものではないと思いますので、私としては「気にし過ぎなくてもいいのでは」って言いたくなりますけどね。
ただ、トコジラミってものがいて、かゆくなったら寝具の隙間に血糞がないか一応チェックしてみよう、といった知識や発想はもっておくとよい。実際に家に侵入されたら被害は大きいですし、さすがに私も自宅でトコジラミと一緒に暮らしたいとは思わない(笑)。
もしも家庭でトコジラミが発生してしまったら、費用はかなりかかるようですが、専門業者に駆除を依頼するのが無難な対応かと思います。
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産業技術総合研究所 首席研究員
1966年東京生まれ。89年東京大学理学部動物学教室卒業。94年同大学大学院理学系研究科動物学専攻博士課程修了、理学博士。95年通商産業省工業技術院(現・産業技術総合研究所)生命工学工業技術研究所入所。主任研究員、研究グループ長などを経て2013年より同研究所生物プロセス研究部門首席研究員。11年筑波大学大学院生命環境科学研究科教授(連携大学院)。13年東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授(兼任)。19年ERATO深津共生進化機構プロジェクト研究総括。
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(産業技術総合研究所 首席研究員 深津 武馬 聞き手・構成=ライター・堤美佳子)
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