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40億円耐震補強工事がフイ…再建したばかりの能登観光拠点の寺院が再被災、報じられていない仏教王国の惨状

プレジデントオンライン / 2024年1月19日 14時15分

地震で被害を受けた総持寺祖院=2024年1月14日、石川県輪島市門前町 - 写真=時事通信フォト

■能登半島地震で仏教王国「北陸」が負ったダメージ

2024(令和6)年元日におきた能登半島地震では、仏教界にも大きな被害が及んだ。全容は不明だが、被災した寺院は判明しているだけでも数百施設に及ぶ。被災寺院の中には、曹洞宗の大本山總持寺祖院などの中核寺院も含まれている。能登半島を中心とする北陸地方は仏教に篤(あつ)い地域で知られ、伽藍(がらん)規模も大きい。それだけに再建には、相当なコストと時間が必要となり、「自力再生」は極めて困難な状況だ。

仏教教団のホームページや、1月10日付の宗教専門紙『中外日報』などによると、北陸における寺院の深刻な被災状況が伝えられてきている。

まず、北陸における寺院分布の特殊性から述べていく。今回、被害が甚大であった北陸3県(石川県、富山県、新潟県)の寺院数は、石川県が1407カ寺、富山県が1595カ寺、新潟県が2871カ寺(文化庁『宗教年鑑 令和4年版』)である。

次に、宗派別の寺院分布をみていく。石川県と富山県に絞れば、全寺院に占める浄土真宗系寺院は7割を超えると言われている。新潟県や福井県でも浄土真宗系寺院が過半数を占めている。ゆえに北陸は「真宗王国」と呼ばれ、仏心に篤い門徒が多い。

浄土真宗系寺院が多い理由の一つは、浄土真宗の開祖親鸞が越後へと流罪になるなど、歴史的に北陸との結びつきが強いということだ。室町時代に入って、本願寺中興の祖である蓮如が越前(福井県)・吉崎の地に道場を開き、北陸における布教に心血を注いだことで、一気に教線が拡大した。

北陸の真宗勢力は、時の権力者を脅かすまでに強大化。加賀(石川県)では1488(長享2)年、大規模な一向一揆が勃発し、織田信長に滅ぼされるまでのおよそ100年間、「百姓の持ちたる国」として自治国家が成立している。

真宗門徒衆の結束力は他の仏教教団よりも、はるかに強い。寺に資金が集まりやすく、そのため、伽藍の規模も概して大規模である。

例えば、富山県の井波別院瑞泉寺の本堂(真宗大谷派)は450畳もあり、国内の木造建築物(床面積)で5位の規模を誇っている。参考までに、世界最大の木造建築物(床面積)は京都の東本願寺御影堂(真宗大谷派)である。国内2位は東大寺大仏殿(華厳宗)、3位は西本願寺御影堂(浄土真宗本願寺派)、4位は東本願寺阿弥陀堂(真宗大谷派)となっており、トップ5の中に浄土真宗系寺院の伽藍が4つも入っている。

浄土真宗寺院の被災状況をみていく。真宗大谷派(総本山東本願寺)では1月14日現在、能登教区(全353カ寺)で「何かしらの被害」が報告されているのが262カ寺で、うち大規模被害(本堂や庫裡)が130カ寺としている。「被害なし」は13カ寺にとどまっている。

さらに金沢教区で118カ寺、富山教区で59カ寺、新潟教区で143カ寺、他教区36カ寺で被害が報告されている。

浄土真宗本願寺派(総本山西本願寺)では、今回の地震によって北陸地方を中心に377カ寺が被災(13日現在)したことを明らかにしている。

■曹洞宗・大本山總持寺祖院が再び破壊された

1月10日付宗教専門紙「中外日報」は、各教団の被害状況をまとめている。曹洞宗では石川、福井、富山、新潟の北陸4軒で全壊が10カ寺、一部損壊が51カ寺に及び、浄土宗でも35カ寺が被災したとの一報を伝えた。

だが、他の教団や神社界も含め、詳細は不明だ。すべての寺院、神社、さらに新宗教の施設を合わせれば、1000を超える被災数になる可能性がある。

これは、2011年の東日本大震災以来の惨事といえる。東日本大震災での宗教施設の被害はあまり報じられなかった。だが、東日本大震災における流失、全壊・半壊・一部損壊などの被害を受けた寺院はおよそ3200カ寺(全寺院の4.2%)にも及んでいる。また、神社では、神社本庁所属の神社のうち4385社(同4.8%)が被災している。

ちなみに太平洋戦争下における寺院の被災数4609カ寺(被災率5.9%)である。このことからも、地震などの自然災害の威力がいかに凄まじいかが見てとれる。

今回の能登半島地震で衝撃だったのは、曹洞宗の大本山總持寺祖院が破壊されたことだ。回廊が全壊し、全ての伽藍に被害が見受けられたという。

總持寺の公式ホームページでは祖院の被害状況について以下のように説明している。

「法堂(大祖堂)、山門、仏殿、経蔵、僧堂(坐禅堂)などの主要建物の倒壊は免れはしましたが、前田利家公の正室・お松の方をお祀りしておりました芳春院が全壊し、山門と香積台とをつなぐ禅悦廊(山門に向かって右手の回廊)や水屋が全壊するなど、大きな被害がありました」

回廊など国の登録有形文化財も被害に遭った。そのため、むやみに瓦礫を撤去することもできない状態という。

悔しいのは、總持寺祖院は震度6強を記録した2007(平成19)年の地震でも多くの建物が被害を受け、再建した直後だったからだ。この地震では僧堂が全壊するなど、境内にあった約30棟のほぼ全てが被災していた。境内の地盤も地滑りを起こして変形していた。

そこで、翌2008(平成20)年から保存修理事業がスタート。およそ40億円を寄付などで集めて、耐震補強工事などが施された。地滑り防止の多数の杭を打ち、地盤改良なども施していた。山門は曳家による修理が行われ、再建の様子に目が注がれていた。

再建した直後の2021年に總持寺祖院を撮影。今回の地震で山門から延びる回廊が倒壊したとみられる
撮影=鵜飼秀徳
再建した直後の2021年に總持寺祖院を撮影。今回の地震で山門から延びる回廊が倒壊したとみられる - 撮影=鵜飼秀徳

そして、2021(令和3)年にようやく再建、落慶したところであった。それがわずか3年後に、再び被災する憂き目に遭ったのだ。関係者の失望を思うと、言葉も出ない。耐震工事の検証も必要になってくるだろう。

祖院は信仰面だけではなく能登観光の拠点でもあった。地域経済をも担った祖院の再建がどうなるかで、地域の復興にも影響を与えるであろう。

■宗教施設の再建には公的資金投入できない原則だが…

とはいえ總持寺祖院は、災害と復興を繰り返し、その都度、不死鳥の如く蘇ってきた過去をもつ。近代において祖院は、1898(明治31)年の火事でほぼ全焼している。

鵜飼秀徳『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)
鵜飼秀徳『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)

この火災をきっかけに、明治新首都として人口が増大していた東京近郊への移転計画が持ち上がる。地元住民や信者らの猛反対を押し切り、檀家総代を解任(後に復職)してまで、横浜市鶴見への移転を実現させたという。そして能登に祖院としてのシンボルを残した。

つまりは、ピンチをチャンスにかえたのである。当時の関係者の先見の明と、決断力には感服する次第である。

だが、今回は事態が深刻である。地域全体がダメージを負っていることに加え、短期間で2度の被災となったからだ。寺院を取り巻く社会環境も違う。能登は地震が起きようと起きまいと、高齢化と人口減少が著しい地域であった。もはや、寄付で再建資金を賄える時代ではなくなっている。

総門前の灯籠2基も倒壊したと伝えられている
撮影=鵜飼秀徳
総門前の灯籠2基も倒壊したと伝えられている - 撮影=鵜飼秀徳

祖院だけではなく、被災寺院すべてを再建するのは正直、厳しい状況だろう。わが国は「政教分離」の原則によって、宗教施設の再建には公的資金を投入できないのが原則だ。だが、寺社なき被災地の復興はあり得ない。寺や神社は地域コミュニティの核だからだ。被災地における寺院や神社の再建に、国や行政が資金面を含めた対策を講じるべき時期にきていると思う。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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