なぜ外国人は「新宿ゴールデン街」が大好きなのか…非合法の売春宿が「文化人の集まる聖地」に変わった理由
プレジデントオンライン / 2024年1月30日 15時15分
2021年1月13日、東京の閑散とした新宿ゴールデン街の眺め。日本の菅首相は同日、全国で新型コロナウイルス感染症(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックが再拡大する中、緊急事態宣言の対象をさらに7都府県に拡大したと発表した。 - 写真=時事通信フォト
■2つの組合がそれぞれ管理している
「このあたりは組合が持っている私有地なんですよ、全部」
この地で40年以上、バー「クラクラ」を経営し、新宿ゴールデン街商店街振興組合の理事長も務める俳優・外波山文明さんいわく、それは街の成り立ちと深くかかわっているという。
新宿駅前の闇市の人々は三光町(現・歌舞伎町一丁目と新宿五丁目の各一部)に移動させられ、やがて「新宿三光商店街振興組合」となる。また、新宿二丁目からも大挙して移転してきた闇市の勢力もあり、それがのちの「新宿ゴールデン街商店街振興組合」となる。現在、この二つの組合がそれぞれ管理している区画の総称がゴールデン街だ。
「もともとは終戦後の闇市なんです。新宿駅周辺にはいくつかマーケットが出ててね、いまの東口周辺に和田組というテキヤが仕切る闇市があった。それをどかして駅前をきれいにするための受け皿が花園神社の西側にあった空き地だったわけです。
和田マーケットに居着いて商売していた人たちとか、屋台を引いていた人たちを、そこに強制的に移動させた。でも、個人個人に土地を全部分けちゃったら収拾がつかないから、組合をつくって全体で土地を管轄しろということになったんです」
■もぐりの風俗営業地域・青線だった
土地も路地も組合の私有地だが、街の南側にある「東京電力パワーグリッド」の変電所が建つ部分と、西側に整備された「四季の道」という遊歩道だけは異なる。
「四季の道は、もともと都電の引き込み線だったんです。新宿文化センターの隣に、いまは都営住宅の総合庁舎があるんですけど、そこに大きな車庫があって、靖国通りを走っていた都電が線路を通ってそこに向かう、と。僕が飲みに来始めたころはまだ線路があって、枕木もあってね。それをテーブル代わりにして、よく飲んでたんですけどね」
人が集まってきた当時のこの一帯では、ほとんどの店が飲食店という名目で売春を行う、もぐりの風俗営業地域・青線だった。
新宿二丁目から来た露天商たちは木造3階建てのバラックをつくり、3階を娼婦部屋としていた。対して、新宿駅から流れてきた三光町の多くは飲食店。元は木造2階建てだったが、赤線の儲り具合を見て3階部分の建て増しをして営業を始めたのだ。
現在「クラクラ」が入っている建物も元をたどれば売春目的で使われており、その名残があるという。外波山さんは店内の上方にある戸を指した。
「ここ、下から見ると2階建てなんですけど、本当は3階建てなんですよ。いまは僕の劇団の芝居の道具が入ってますけど。20年前に改装するときに半分だけ残して吹き抜けにしたんです」
■文化人が集まるようになったきっかけ
しかし、非合法売春で栄えた時期はそう長くはなかった。1958(昭和33)年に売春防止法が施行され、青線営業を行っていた店舗は廃業。その後は飲み屋が密集する地域となり、現在の姿に近いゴールデン街の土壌ができあがっていった。
外波山さんが上京したのは、その10年後だ。
「そのころ、映画界では松竹ヌーヴェルヴァーグが興って、演劇界ではアングラ演劇が生まれて。新宿にもシアターや小劇場ができてくる。その流れで映画人、演劇人、あるいは文壇の人も新宿で飲むようになり始めた。野坂昭如さん、長部日出雄さん、大島渚さん、若松孝二さん……挙げるとキリがないですけど。そういういろんな文化人がゴールデン街で飲み出して、それまでいかがわしい街という感じだったものが、知る人ぞ知る飲み屋街になっていく」
そんな文化人が集まる界隈だったゴールデン街では、そこで生まれた人脈や作品も多かった。
「それこそ『竜馬暗殺』は、ゴールデン街の仲間で集まってつくったような映画ですからね。舞台の『かなかぬち』もそうですよ(中略)」
酒の席でした口約束を守るために、あとから資金繰りや段取りを調整して帳尻を合わせていく。
「そんな土壌がゴールデン街にはありましたね」と外波山さんは懐かしむ。
「ここは人と人がつながる場であり、交差点みたいなところです。面白い人間が集まっていて、そこに誰かが火をつけてあげれば、ボンと燃え上がる。いまはそんなこともだいぶ少なくなってますけど、そういう時代があって、そこから生まれた作品がある。それは伝えていきたいと思っています」
■76万円で土地と建物が買えた
「電信柱に76万で土地も建物も買えるって書いてあってさ。面白そうだから覗いたら、その店の親父さんがひとりで座っててね。『なんだ、冷やかしか?』って」
『マジンガーZ』のあしゅら男爵、『NARUTO -ナルト-』の3代目火影ほか多数の作品に出演するベテラン声優・柴田秀勝さんが営む会員制バー「突風」。1958(昭和33)年にオープンした古参だ。
店内の雰囲気は朗らかで、その日もカウンターは満員。口々に映像作品の話題が飛び交うなかを通り、2階に案内していただいた。
「売春防止法ができてから、遊廓でさんざん儲けていた店主たちは、いまさらこんなところで商売ができないからって出払っちゃった。そんなとき、ちょうど大学の卒業式の日に友人と一緒に偶然通ったのがきっかけでね。その親父さんに『土地を買え』って言われたけど、当時は76万なんて大金だよ」
■「スナック」発祥の地
サラリーマンの月給の平均が1万6000円ほどの時代。大学を卒業したばかりの柴田さんには現実的でない額だった。
「『だったら、月々2万円でいい』って言われて。それでも無理だって言ったら、『じゃあ1万円だけ払え。残りの1万円は俺が店で飲んでやるから』って。それで登記簿謄本をもらっちゃった。で、遊廓からスナックに転業したひとつ目の店だから、『トップ』って名前にして、お店を開いたんだよ」(中略)
柴田さんは、あとに続く人たちのために、知る限りの街の歴史を書き溜ている。それは今後も街を維持管理していくためであり、ひいては街を守っていくためだ。いわく、「スナック」という業態もゴールデン街が発祥の地のひとつであるという。
「戦後の1回目の東京オリンピックのとき、外国の人がこぞって東京に来るというんで、初めて規制が始まったの。カウンター越しのお客さんと話をすることは接待に入る。つまり、風俗営業に入る。それはダメだと。そうして、当時、許可されたのは、カウンターの客側と内側を仕切る境をつけなさいというもの。その仕切りの下の部分だけは開けて、丼は出せるようにしてよいと。
でも、そんなの冗談じゃない。『俺たちに死ねって言ってるのか』ってことで組合が反発して食事を主にした店だけは許可された。だから、お店を改装して食堂ということにして商売をした。さらに、オリンピックが終わるとお酒を出してもよいことになった。ほかの県でも同じことはあっただろうけど、これがスナックの始まりよ。だから、ゴールデン街は全部、飲食店許可での営業なんです」
■ヤクザが取る「みかじめ料」がない
ゴールデン街の歴史は行政とのかかわりの歴史でもあったが、組合が街を守るという点では、もうひとつ、ゴールデン街には特徴的な歴史がある。
「この街には昔からヤクザが取るみかじめ料がない。うちは会員制にしてヤクザのお客さんを入れないようにしてるけど、会員制じゃない店には出入りすることもあんの。
そういう話を持ってくる人には、『どうぞ組合に行ってください』と言ってもらうようにしてる。それで、わざわざ組合にヤクザが訪ねてきたということもない。まあ、こんなとこ相手にしても、たいした金が入ってくるわけでもないしね。新宿にはキャバレーだってクラブだって掃いて捨てるほどあったわけだから」
■『火曜日の放火魔事件』
1980年代、日本がバブル経済に沸く真っ最中。ゴールデン街にも再開発の波が押し寄せ始める。その前夜ともいえるころ、1977(昭和52)年から営業している、G2通りにたたずむ会員制の店「のんちゃん」のママ・仲本規子さんは笑顔を浮かべて当時を回顧した。
「私がお店を始めたころのゴールデン街は空いてる建物はほとんどなかったかな。全部店舗で埋まってて、すごい賑やかで。開店したころはベビーブームのときに生まれた人たちが、ちょうどたくさん飲みに来てた時期でね。ガーッて働いて、ガーッと飲んで」(中略)
そんなおおらかなゴールデン街にも、やがてバブル景気の負の風が吹き荒れることになる。1985(昭和60)年、東京都庁の新宿への移転が決定。街の「土地買い」に拍車がかかり、翌年には不審火騒ぎが起きるにいたった。
4月7日早朝、三光商店街では7店舗が全半焼する火事が発生。地上げがらみの放火と見られ、危機感を抱いた有志が「新宿花園ゴールデン街を守ろう会」を結成し、地上げや再開発に反対する活動を行っていった。
「地上げはすごかったですよ。それこそ変な火事がたくさんあった。物件の持ち主にはちゃんとお金を出して、店子は火をつけて追い出そうとしてるって噂にもなりました。
地上げとはまた別なんだけど、『火曜日の放火魔事件』っていうのがあってね。必ず火曜日にゴールデン街で火がつくっていうのがしばらく続いたから、3店舗でひと組になって火の用心して回ってたの。当時、火曜日にお休みのデパートが新宿にあったから、『そこの従業員の人じゃないか』って調べたけど、それらしい人がいなかった。結局、デパートとまったく関係ない人が犯人だったんだけど。
ゴールデン街でしめ縄を飾るお店が少ないのは、火をつけられると、あっという間に燃えちゃうから。でも、不思議なことに、うちの店は焼けてないの」
花園神社に近いから、そのご利益かもねと、ママは微笑んだ。
■若い経営者が増えたワケ
バブル景気が崩壊した1990年代初頭、地上げはいったんの落ち着きを見せたが、今度は地上げによって空き店舗となった建物が目立ち、景気の後退によって客足も遠のいた。
1990年代はさながらゴーストタウンのようだったという。事実、1986(昭和61)年に約240軒あった店舗が、1998(平成10)年には約150店舗にまで激減している。
残った商店主たちは、この状況を逆手に取って各種インフラ整備事業を画策した。行政との交渉の末、インフラ更新工事が1996(平成8)年に始まり、翌年には工事が完了した。
また、2000(平成12)年以降、借地借家法の一部改正によって貸し主は期間を決めて物件を貸し出すことが可能になった。満期になれば契約を解除することができるため、オーナー側も店舗を貸しやすくなり、若手経営者による出店が増加した。
■平成に起きた客層の大変化
まねき通りの奥で営業する「Barダーリン」のマスターである俳優・石川雄也さんもそのひとりだ。
「お店は開店して16年目ぐらいかな。その前に別の店でのバイト期間が5年ぐらい。知り合いのママさんがゴールデン街でショットバーを出したいって言うんで、俺が昔、バーテンやってたことがあったから、教育役で教えに来てくれないかって。
でも、オープン1週間前ぐらいに、店長やるはずだった人が飛んでしまって。
で、しょうがなく『新しい人決まるまで』って言って昼間の仕事とかけ持ちしながらやってたんですけど、思いのほか人気店になってしまってね(笑)。抜けるに抜けられなくなったんで、もう昼間の仕事やめて。そこからズルズルと20年」
いまでは映画好きが映画談議に花を咲かせるバーとして知られる「Barダーリン」。過去にはクエンティン・タランティーノ監督がふらりと入ってきたり、園子温監督があのニコラス・ケイジを連れてきたりしたこともあるという。店内にはインディペンデント系の映画や舞台のフライヤーが並べられており、酒とともに、そのうちの1枚を手渡してすすめてくれた。
「俺が来始めた二十数年前とかは、まだ店先で呼び込みしてるおばちゃんとかオカマさんとかいましたね。外に丸椅子を置いて座って『兄ちゃん、どうぞ!』って。入りづらい、怖い感じの店もありましたね。スーツ着てるけどシャツは血まみれ、みたいな人も路上にいたし。
あとは、お客さんもね。昔は戸を開けて営業してると、路地の反対側の店から喧嘩して椅子ごと転がり込んでくるおじさんとかもいましたね(笑)。
向かいも戸を開けてるから。入ってこられた店のママが止めんのかなと思ったら、扉閉めてタバコ吸いながら待ってるっていうね。ある意味、正しい対処ですよ。最近はそういう人もほとんどいなくなりましたね」
■外国人観光客の増加
ここ数年は若い世代の出店が増え、また、海外のガイドブックで紹介されるなど、外国人観光客も多く集まるようになってきている。ある意味、「観光地化」されているともいえる。
「不思議なのが、いまだ20代の若い人たちがそういうイメージを持ってるってこと。来たことがない人にまでも脈々と怪しいイメージが共有されてるんだなって。でも、一回来てみたら全然。面白いし、安全だし、楽しいしって感じで、4〜5軒ハシゴする女の子たちも結構増えてます。
その半面、やんちゃな店も増えてますよね。個人的にはゴールデン街は文化的な大人の街であってほしくて、そんな場所を維持したいとは思っています」
新型コロナウイルス禍はまだ続くが、ゴールデン街はかつての客足を取り戻しつつある。長い休業期間を経てそのまま閉店してしまった店も多いというが、新規出店の人気は落ちない。
石川さんによると、物件がすぐに埋まるどころか、30〜40人が空くのを待っている状態だという。コロナ禍によって落ち着きを見せたインバウンド需要も、再び盛り返している。
通りに出ると、雑多な喧騒に交じって、さまざまな国の言語が飛び交っていた。陽気なグループがすれ違う他人とハイタッチを繰り返す。煌々とした明かりは消えぬまま、夜が更けていった。(平野貴大)
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編集プロダクション
編集プロダクション。国内外問わず、旅、歴史、アウトドア、サブカルチャーなど、幅広いジャンル&テーマで取材・執筆・編集制作を行っている。バスや鉄道、航空機など、交通関連のライター・編集者とのつながりも深い。編集した本に『秘境路線バスをゆく 1~8』『“軍事遺産”をゆく』『地下をゆく』(イカロス出版)、『攻防から読み解く「土」と「石垣」の城郭』(実業之日本社)、『路線バスの謎』『ダークツーリズム入門』『国道の謎』『図解 「地形」と「戦術」で見る日本の城』『カラーでよみがえる軍艦島』(イースト・プレス)、『ニッポン秘境路線バスの旅』(交通新聞社)、『2022年の連合赤軍 50年後に語られた「それぞれの真実」』(深笛義也著、清談社Publico)、『日本クマ事件簿』(三才ブックス)などがある。
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(編集プロダクション 風来堂)
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