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最新の1位は開成でも筑駒でもない…過去60年の「関東圏・京大合格者数ランキング」の全一覧

プレジデントオンライン / 2024年1月31日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/taka4332

関東圏の進学校は京大合格者をどれくらい輩出しているのか。教育ジャーナリストの小林哲夫さんの著書、『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』(光文社新書)から、過去60年の「首都圏京大合格者ランキング」を紹介しよう――。(第2回)

■京大合格者を輩出し続けている水戸第一

【茨城】

公立の中高一貫校が全国でもっとも多い。小瀬(おせ)、並木中教、日立第一、古河中教、下館(しもだて)第一、竜ヶ崎第一、鹿島、鉾田(ほこた)第一、太田第一、勝田中教、土浦第一、水戸第一、水海道(みつかいどう)第一、下妻第一があり、小瀬、鹿島、太田第一、勝田中教以外は合格者を出した。10年に農学部合格の男子(土浦第一)が話す。

「ふらりと立ち寄った農学部で説明を受けて大変興味を覚え、そのまま食糧環境経済学科を第一志望としました」(『私の京大合格作戦2011年版』)。

◆最多合格者:県立土浦第一高校13人(1988年81位)、県立水戸第一高校13人(1998年48位)
【図表1】茨城県内の高校別京大合格者数ランキング
1964-1993年累計、1994-2023年累計、1996年、2023年における茨城県内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)
【栃木】

宇都宮女子は、「制服のない自由な校風にあこがれて、全県下から個性豊かで生き生きとした生徒が集い、各方面での活躍が期待されています」(同校ウェブサイト)。15年文学部合格の男子(栃木)が話す。「苦しい時は、緑豊かで伝統あるキャンパスの中で、大学生活を楽しむ自分をイメージしてみましょう」(京都大学案内「知と自由への誘い」2018」)。

【図表2】栃木県内の高校別京大合格者数ランキング
1964-1993年累計、1994-2023年累計、1997年、2023年における栃木県内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)
◆最多合格者:県立宇都宮高校17人(1987年67位)

■新設高校から合格者を輩出している栃木県

【群馬】

2000年代まで前橋(マエタカ)、高崎(タカタカ)がトップ争いをすることが多い中、太田が90、92、93、95、98、99年に1位となっている。

【図表3】群馬県内の高校別京大合格者数ランキング
1964-1993年累計、1994-2023年累計、2000年、2023年における群馬県内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

2019年伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校から3人の合格者を出した。同校は09年に市立伊勢崎高校を母体に誕生し、全国初の市立中等教育学校になる。県内では04年高崎市に県立中央中等教育学校が開校している。同校から京都大に合格者を初めて出したのは2010年で、21年には4人受かっている。2011年工学部に合格した男子(高崎)は大学の魅力をこう話す。

「入学以前にある方から『京大の良さは研究室の近さだな』と言われたことがあります。実際、講義を受けている同じ建物の中で最先端の研究が刻々となされています。そこで訪ねてみると、先生方がキラキラした目で嬉しそうに研究の話をしてくれたり、実際の調査に同行させてくれたりもします」(京都大学案内「知と自由への誘い2015」)。

■優秀な高校生が他県の進学校に流出している

2010年代半ば、東京大現役合格者数で高崎0人、前橋1人という年があった。県内の高校教員は危機感を抱く。難関大学合格実績を高めるため、県内の公立進学校、前橋、前橋女子、高崎、高崎女子、太田、太田女子、中央中等教育学校が集まり、東京大と国公立大医学部進学志望者向けの群馬県「東大合格セミナー」「医学部医学科セミナー」を企画した。

地元の優秀な生徒が、開成(東京)、早稲田本庄、慶應志木(しき)、栄東(以上、埼玉)に「頭脳流出」している状況を食い止めなければならないと、高崎の校長が音頭を取ったことによる。地元紙が伝える。

「東大、京大、国公立大医学部を目指す県内の生徒を集め、切磋琢磨(せっさたくま)しながら実力向上を目指す県内全体のプロジェクトを立ち上げた。(略)予備校講師を招いた実践的な講義に加え、群馬出身の東大生、大学院生から研究内容や生活ぶりについて話を聞く機会を設け、生徒の学習意欲を高めた」(上毛新聞2023年6月24日)。

◆最多合格者:県立前橋高校13人(2007年53位、2019年53位)

■堅調に首位をキープし続ける浦和

【埼玉】

1990年代以降、浦和はほとんどの年で首位だった。京都大名誉教授の清野純史(じゅんじ)氏(浦和)は高校ラグビーで県大会準優勝を経験。76年に京都大を受験したときのことを綴っている。

「京都大学ラグビー部から一枚のはがきをもらった。『俺たちと一緒にラグビーをしよう』。ただそんな内容のはがきだった。当時、京大はラグビー大学選手権に出場するほど強く、テレビで見て憧れを抱いていた大学でもあった」(「京都大学 工学広報」2023年4月)。

2013年、浦和が全国高校ラグビー選手権大会に出場したときのラグビー部員が、14年法学部に合格した。高校時代をふり返る。「ほとんどの時間をラグビーに費やしました。そのため勉強は早めにきて、その日のやらねばならない予習をしたり、定期テスト前にテストの範囲を詰め込むくらいしかしていませんでした」(『私の京大合格作戦2015年版』)。

【図表4】埼玉県内の高校別京大合格者数ランキング
1964-1993年累計、1994-2023年累計、2016年、2023年における埼玉県内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

2014年法学部合格の男子(埼玉・開智)は出身校の受験指導に感謝する。「長期休みや受験期にはとても多くの講習が組まれ、また先生方も生徒の面倒をよく見てくださるので、努力を重ねて実力をつけていけば、多くの人が予備校に行かずとも難関大学の合格を勝ち取れるでしょう」(『私の京大合格作戦2015年版』)。学校の教育方針がよくわかる。

◆最多合格者:県立浦和高校32人(1988年24位)

■“東大京大ダブル合格者”を多数輩出した千葉県

【千葉】

千葉は1963年から毎年、合格者を出している。関東の公立のなかではもっとも息が長い。東京大とのダブル受験が可能な87年に35人、88年には47人で強さを見せた。

【図表5】千葉県内の高校別京大合格者数ランキング
1964-1993年累計、1994-2023年累計、1993年、2023年における千葉県内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

2019年、渋谷教育学園幕張において、京都大学男女共同参画推進センターから渋幕出身の女子学生2人が派遣され、「京都大学女子セミナー」を開いた。中学3年から高校3年まで25人の女子生徒が参加し、京都大での学びや研究施設、学生生活の様子、受験勉強の方法などの話があった。同校はこう伝える。

「このセミナーは京都大学より、本校女子生徒の入学の強い希求が示されたものです。(略)二人が語った京大進学のモチベーションは『自立』と『東大至上主義への反骨』。セミナーに参加した女生徒たちの、本校での学びの意欲が向上した、とても有意義な時間となりました」(同校ウェブサイト2019年9月25日)。

これが功を奏したのだろうか。20年に同校から薬学部に進んだ女子がこう話す。「私は薬剤師として周囲の人に頼られる両親とその仕事に憧れ、幼い頃から薬学に興味を抱いていました。学科にとらわれることなく最先端の幅広い専門知識を得たいと思い、学科配属の遅い京大薬学部を目指しました」(京都大学案内「知と自由への誘い2023」)。

◆最多合格者:県立千葉高校47人(1988年11位)

■「学校群制度」の廃止によってなにが変わったのか

【東京】

1967年の都立高校学校群制度の導入は京都大合格者数に影響を与えた。①学校群以前の1963〜68年累計、②学校群以後の1970〜2015年累計、③学校群全廃後四半世紀経った2018〜23年累計の推移について3校を見てみよう。

富士2人→16人→2人、青山5人→13人→24人、小松川0人→5人→2人となっている。富士は西と、青山は戸山と、小松川は両国と、それぞれ長年進学実績が高かったところと学校群を組んでいたため、優秀な層が振り分けられた。学校群制度はグループ選抜を経て1994年に全廃され、高校を単独で受けられるようになった。

【図表6】東京都内の高校別京大合格者数ランキング①
1964-1993年累計、1969年、1993年における東京都内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

青山は2003年に東京都から進学指導重点校に指定され、難関大学対策に力を入れたため、京都大合格者が増えた。合格者数が突出した年が3回ある。1969年と87、88年だ。69年は東京大が入試中止となり、東京大志望者が京都大に進路変更した。68年から69年は日比谷9人→42人、麻布0人→16人。87、88年は東京大と京都大のダブル受験が可能となった。86年から87年では東京学芸大学附属6人→42人、開成6人→40人となっている。

■「都立・西」が京大に強い偏差値以外の理由

都立では西が日比谷、戸山、国立よりも多い。その理由の1つにアメリカンフットボールがある。

京都大アメフト部には西出身者が2022年11人、23年8人いた。同部で出身校ランキング1位だ。2017年、西の生徒7人が練習に参加した。「練習では実際にパート練習に混ざってもらいましたが、大学生にも匹敵するレベルの高いスキルを持っており、コーチたちも大絶賛でした! マンツーマンでは、高校生たちが大学生に競り勝つ場面も見られました」(京都大アメフト部ウェブサイト2017年9月7日)。

2010年代後半、日比谷の東京大合格者が四十数年ぶりに50人以上を数えたり、上位10校に入ったり、メディアは「日比谷復活」と伝えている。こうしたなか2017年に文学部に合格した女子(日比谷)は、学校全体の東京大志向の強さから、こんな理由で京都大を選んだ。

【図表7】東京都内の高校別京大合格者数ランキング②
1994-2023年累計、2008年、2023年における東京都内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

「先生方がすぐ口をそろえて東大と言うことに違和感を覚えました。(略)もう1つの理由は作家・万城目(まきめ)学(まなぶ)さんの存在です。彼自身、京大出身で、作品の中には京大生のサークルを舞台にしたものもあり、それらを読む中で、自然と京都という土地と京大に惹かれていきました」(『私の京大合格作戦2018年版』)。

2023年、開智日本橋学園、三田国際学園から初めて合格者を出した。2校は2017年に日本橋女学館、戸板女子を共学にして改称した学校の1期生である。

◆最多合格者:開成高校61人(1988年9位)

■「私の中から他の大学はすべて消えました」

【神奈川】

1968年文学部に合格した女子(湘南)は浪人中から京都大を強く志望していた。

「専攻として国文をやりたいから京都という環境がすごくいいんじゃないかなと思っていました。(略)うちでは反対したんですけど」(『螢雪時代』1968年6月号)。

女性が実家を遠く離れて京都大へ進むことについて家族から賛成されなかった時代だ。約40年経った2006年、法学部合格の女子(湘南)はこう話している。

「京大のオープンキャンパスに行ったあと、私の中から他の大学はすべて消えました。他にない京大の雰囲気に圧倒されました。見に行くべきです」(『私の京大合格作戦2007年版』)。

【図表8】神奈川県内の高校別京大合格者数ランキング
1964-1993年累計、1994-2023年累計、1987年、2023年における神奈川県内の高校別京大合格者数ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

彼女はオープンキャンパスに毎週のように通っており、そこから導き出した結論である。京都へ行くことになにも障害はなかったようだ。京都に魅力を感じる関東の受験生は少なくない。1987〜95年は桐蔭学園が合格者数トップを続けていた。この期間の累計で200人、2位湘南は95人。ダブルスコアだった。

■かつては「開成を抜く」と語っていた桐蔭学園

桐蔭学園は92年東京大114人(3位)、東京工業大69人(1位)、一橋大46人(1位)、京都大16人(36位)となっていた。4校合わせて245人。難関の東京医科歯科大にも6人合格した(4位)。同校校長の鵜川(うかわ)昇(のぼる)氏は、「この生徒に全員、東大を受けさせたら東大合格者は開成を抜きます」(『週刊朝日』92年9月11日号)と豪語していた。

林哲夫『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』(光文社新書)
林哲夫『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』(光文社新書)

しかし、栄枯盛衰。2000年代以降、桐蔭学園からの難関大学合格者数は減り、聖光学院、栄光学園、浅野、逗子(ずし)開成など男子校の後塵を拝するようになる。07年、農学部に合格した男子(厚木)は中学3年の修学旅行で京都をまわってすっかり虜になった。

「歴史が好きで、観光しているうちに『なんていい所なんだろう』と感動し、住みたいと思うようになりました。(略)中学3年にして高校も決まらないうちに『大学は京都大学』と決めてしまいました」(『私の京大合格作戦2008年版』)。

2009年に開校した公立中高一貫校では、中高の1、2期生から京都大に進んでいる。市立横浜サイエンスフロンティアは2013年、相模原中等教育学校は15年、平塚中等教育学校は16年に合格者を出した。

◆最多合格者:桐蔭学園高校46人(1988年12位)

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小林 哲夫(こばやし・てつお)
教育ジャーナリスト
1960年生まれ。神奈川県出身。95年から『大学ランキング』編集を担当。著書に『東大合格高校盛衰史』(光文社新書)、『高校紛争 1969―1970』(中公新書)、『中学・高校・大学 最新学校マップ』(河出書房新社)、『学校制服とは何か』(朝日新書)、『神童は大人になってどうなったのか』(太田出版)、『女子学生はどう闘ってきたのか』(サイゾー)、『「旧制第一中学」の面目 全国47高校を秘蔵データで読む』(NHK出版新書)、『早慶MARCH大激変 「大学序列」の最前線』(朝日新書)などがある。

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(教育ジャーナリスト 小林 哲夫)

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