朝ラッシュでも必ず空けてある「札幌の専用席」はアリなのか…「優先席は空けるべき論争」で考えたいこと
プレジデントオンライン / 2024年1月30日 7時15分
■いっそのこと「専用席」にすべき?
鉄道利用マナーにおける古くて新しい問題が「優先席」だ。子連れや病気を患っている人が優先席に座っていたらトラブルになったとか、空いている優先席に座ることの是非を問う記事は定期的に目にするし、近年はバスの優先席に座っている女性を無断撮影し「障害者でも妊婦でもないのに座ってマナーが悪い」とSNSに投稿する人まで登場した。
こうしたトラブルを防ぐために対象者を明確にした専用席にすべきではないかという声がある。国土交通省の調査によれば公共交通機関利用者の6割が「優先席に座らない」と回答していることを考えれば、面倒事を避ける専用席化は最適解のようにも思えてくる。
そんな「専用席」を全国で唯一、設置しているのが札幌市営地下鉄だ。
札幌市営地下鉄はゴムタイヤで走ったり、網棚がなかったりと、何かとユニークな存在だが、高齢者と障害者を対象として1974年に設置した「優先席」についても、優先利用の対象者が座れないとの声が多く寄せられたことを受け、導入翌年に「専用席」に改めた。
専用席化の効果を定量化するのは難しいが、宇都宮大学の土橋喜人客員教授らが2019年に行った調査によれば、札幌の優先利用対象者利用率は、関東の19.9%に対して93.9%、専用席空席率は55.4%で、関東の優先席空席率22.1%を大きく上回っており、実効性の高い取り組みだと評価している。
■朝ラッシュの満員電車でも絶対に空けてある
筆者はラッシュ時間帯の札幌市営地下鉄に乗ったことはないものの、札幌赴任経験のある担当編集氏によれば、朝ラッシュの混雑にあっても「専用席の3席分はぽっかり空いたまま」も珍しくないそうだ。「内地」の人間が知らずに座って冷ややかな視線を浴びるのは定番エピソードになっているが、一方で空いているのに座ってはいけないのは非合理との否定的な意見もある。
札幌と異なるアプローチを試みたのは、全車両、全座席を高齢者や障害者の優先利用対象とする「全席優先席」を2003年に導入した横浜市営地下鉄だ。優先席・専用席に限らず席を必要とする人に譲るべき、優先席という区分自体が必要ないというのは確かに理想だが、現実とのギャップを埋めるに至らず、2012年に「ゆずりあいシート」という名前で事実上「優先席」が復活している。
優先席、専用席、全席優先席、それぞれの取り組みに利点と欠点があるが、少なくとも日本人の規範意識下においては、「外部の視線」が成否を分けるのだろう。専用席は優先利用の対象者以外は「座らない」ことが、優先席では対象者が来たら率先して「譲る」ことが求められ、振る舞いは外部の視線に晒(さら)される。
■マークをつけないと譲ってもらえない社会はどうなのか
この点において専用席のほうが高い効果を発揮するのは当然だが、一方で優先利用の当事者もまた視線に晒される。つまり高齢者や身体障害者と異なり一見して分かりにくい人、例えば内部障害者や病人、妊娠初期の妊婦などからすれば、「健康なのに座るな」と絡まれる恐れがあり、利用しにくい。
前述の宇都宮大学の研究でも「優先利用対象者か一般利用者かの判断は、各調査員に委ね」(判断できなかった場合は、調査対象から除外)ており、対象に含まれるのに座れなかった人、対象者なのに対象外とされた人が見過ごされている可能性がある。
そのために「ヘルプマーク」「マタニティマーク」があるという声もあるだろうが、自らの身体をマークで区別される、そうでなければ配慮されない社会というのは健全といえず、マークを付ける人、付けない人両方の差別につながりかねない。
それどころか、優先利用の理念に従えば、急に体調が悪くなった健常者だって座ってよいはずだ。「体調の悪い若者」対「元気な高齢者」という不毛な論争があるが、どれくらい体調が悪ければ座ってよいか、外部から定量的に測定することなど不可能なのだから、座りたい人は座る、譲れる人は譲る、それ以上を強いても仕方ないのである。
■座る、座らないの線引きはあえて“曖昧”なほうがいい
その意味で筆者は、専用席化の効果は一定、認めつつも、より広範な対象者が気兼ねなく利用しやすいように、制度にはあえて曖昧さを残しておくほうが良いと考える。とはいえ全席優先席まですると外部の目が希釈されて当事者意識を持たなくなってしまうため、現実的な解とはいえないだろう。
なぜ曖昧さが必要なのか。それは前身の「シルバーシート」に始まる優先席の歴史を辿ることから理解できるかもしれない。
最初にシルバーシートが設定されたのは国鉄中央線だ。中央線には殺人的満員電車対策として1947年から「婦人子供専用車」が設定されていたが、1970年に高齢者の割合が人口の7%を超えた「高齢化社会」に突入したことを受け、1973年9月15日(当時の「敬老の日」)に婦人子供専用車と入れ替わる形で登場した。当初は中央線の両先頭車両に限定されていたが、やがて他線区や私鉄・地下鉄にも広がっていった。
「お年寄り」や「からだの不自由な方」を対象にしたシルバーシートだったが、平成期に入ると妊婦や乳幼児連れ、ケガ人、内部障害者などを含めた「優先席」へと発展的に解消した。営団地下鉄(現東京メトロ)は1996年、JR東日本は1997年頃から設置を全車両に拡大し、2003年には車端部の向かい合った座席の両方が優先席となった。
■優先席の概念は座席から“エリア化”へ
譲りあいマナーにとどまっていた優先席の存在を、利用者に強く意識させたのが携帯電話の電磁波問題だ。2000年代初頭の「第2世代(2G)携帯」は心臓ペースメーカーに影響を与える可能性があり、体が密着する満員電車では万が一の事態が否定できなかったため、関東鉄道各社は2003年に「優先席付近では携帯電話の電源を切り、優先席以外ではマナーモードに設定する」という統一ルールを設定した。
また「優先席付近」を示すために、つり革や手すり、壁、床などをオレンジ色にして、エリアを視覚的に区別するようになり、一部の事業者は「おもいやりぞーん(ゾーン)」と名付けている(近年はユニバーサルデザインの観点からオレンジ以外の採用も見られる)。
当時から賛否両論あった携帯電話統一ルールの評価はともかく、結果として優先席の概念を座席そのものから車端部のエリア全体へ変えたのは確かだろう。
優先席の「エリア化」を促進したもうひとつの要因が「車いすスペース」だ。首都圏では1990年代以降、優先席の向かいに車いすスペースを設置した車両が増えていき、交通弱者を補助する空間として両者は一体化していく。
■1か0かの専用席は時代に即していない
その後、国土交通省が2014年に統一的な「ベビーカーマーク」を制定すると、「車いすスペース」は、ベビーカーや大きな荷物を持った人も使える「フリースペース」として再定義された。鉄道各社は新型車両から順次、フリースペースの設置を拡大しており、1両あたりフリースペース1つ、優先席3カ所を設定するスタイルが主流となりつつある。
こうして「シルバーシート」「車いすスペース」という個別具体的な目的の設備は、対象を広げた「優先席」「フリースペース」へ移行し、優先席は座席そのものを指す言葉から、車端部のエリア全体を指す概念へと変化した。JR東日本は現在の優先席利用について「優先席の対象者に優先順位は定められていない。必要に応じて利用者間で譲りあって使用してほしい」としている。
札幌市営地下鉄の「専用席」は1974年という極めて早い時期に設定されたため、高齢者、身体障害者など外見で判別しやすい対象者を想定した仕組みとされた。しかし対象者が多様化し、また座席のみならず空間そのものを共有するようになるにつれ、1か0の専用席では零(こぼ)れ落ちる人々が増えてしまうのではないかと思うのだ。
■まずは「その人は何に困っているか」を知ろう
ただし筆者は札幌市営地下鉄の取り組みを否定するものではない。50年前に掲げた理念が今も守られているのは、関係者の努力と市民の協力の結果であり、賞賛すべきものだ。本稿で指摘した外見では分かりにくい弱者にも配慮できているのなら、無理にやり方を変える必要はない。
だが他都市における優先席が抱える問題を、専用席化で解決することは困難、いや、むしろあるべき姿から遠ざかりかねないというのが筆者の主張だ。
多数の見知らぬ人々が共存する公共交通機関で生じる利害の対立を1か0で解決することは困難である。また優先席対象者と非対象者の関係は固定的ではなく、ケガや病気、老化あるいは体調の変化で利用者側に移る可能性は誰にでもある。
どのような人が優先席に座っているのか、その人は何に困っているかを知ることは、他者への理解と思いやりを深める第一歩になるとともに、自分にも優先席の利用機会が巡ってくる可能性があることを知るきっかけにもなるのである。
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鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(青弓社、2021年)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter @semakixxx
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(鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家 枝久保 達也)
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