だから大谷翔平の契約は「スポーツ史上最高額」になった…「頼みは大谷ぐらい」というMLBの厳しい経営状況
プレジデントオンライン / 2024年2月4日 12時15分
■世界のスポーツ史を塗り替えた大谷翔平の3年間
日本人アスリートが海外で記録・記憶を残したターニングポイントとして思い当たるのはいつだろうか。
1995年に野茂英雄がMLB(米国メジャーリーグ)・ドジャースに単身渡った年。
中田英寿がイタリア・ペルージャに移籍した1998年。
イチローがメジャーシーズン最多安打記録を打った2004年と安打世界記録ギネスとなった2016年。
大坂なおみが日本人初のグランドスラムをとった2019年など、色々あるだろう。
だがそれらと比較しても、この3年間はあまりに特別であった。
大谷翔平が史上初リアル二刀流でオールスター出場した2021年、メジャー史で104年ぶりに2桁勝利2桁ホームランを打った2022年、MLB史上初の2度の満票(全米野球協会の記者30人全員が大谷に投票)最優秀選手賞(21・23年)を取り、10年7億ドルという世界スポーツ史上最高額の契約をドジャースと取り交わした2023年。
空前絶後、前人未踏。日本人アスリートとしてだけではなく、世界中のアスリートと比較してもおよそ誰も到達したことのない記録ずくめだったこの3年間は、スポーツ史を大きく塗り替えたといって過言ではない。
■ダルビッシュと松井とイチローを合わせたような
デビューの2018年の9月に右ひじ損傷が発覚し、トミー・ジョン手術を受け、投手としては2020年、打者としても2019年まで復活できないと言われたスタートであったからこそ、余計にこのストーリーは劇的に人々の心を打っている(それでもイチロー以来17年ぶりの日本人による新人賞を2018年で獲得しているが)。
3年目の2020年はコロナが猛威を振るい、ファンの応援もない中で不調を連発。後半はスタメンも外されるような状況だった。
投手・打者の二刀流という1918~19年のベーブルースという100年前の事例以外なかった“現実離れしたドリーム”を実現しようとする大谷に反対する声も多く、2021年は大谷自身が「本当に、今年はラストチャンスかなというくらいの感じだったと思います」(『Number』2021年9月9日号)と述べている。
2021年4月27日に投手として1072日ぶりの白星を挙げるなど、約3年間も実績が出せなかった中で、2021年の活躍は目覚ましかった。翌22年は驚愕(きょうがく)し、23年になると評するすべがないほどの存在になった。
大谷を「ダルビッシュと松井とイチローを合わせたような選手」と形容するアメリカのファンもいたほどだ(志村朋哉『ルポ大谷翔平』2022朝日新書)
■日本人メジャーリーガーのパイオニア
日本人として「最初」にメジャーリーグに挑戦したのは、野茂英雄である。1964~65年に唯一南海から派遣された村上雅則がいたが(彼のお陰で、後から説明する“任意引退”という「禁じ手」で本来は球団に反対されていけないメジャー行きを野茂が切り開いた)、自らそれを選び、背水の陣で渡米し、挑戦したのは100年にわたる日本球界史のなかで1995年の野茂英雄が一歩目であった。
それ以前も1960年代にドジャース、ホワイトソックスが長嶋茂雄と王貞治をスカウトしようとしたこともあったが、当時の読売オーナー正力松太郎にバッサリ断られている。
後に王は「本当はメジャーリーグで腕試しをしたかった。しかし、たとえ読売にアメリカ行きを許されたとしても、ファンは絶対に許してくれなかったでしょう。当時はそういう風潮でしたから」(ロバート・ホワイティング『野茂英雄 日米の野球をどう変えたか』2011PHP)と語っている。
日本のファンもそれを望んでいなかったし、日本人のスター野球選手がメジャーに行くというのは1990年代になっても「日本人が月面着陸するくらい浮世離れしていた」ものだった。
■野茂英雄が使った禁じ手
そもそも日本のプロ野球選手は、転職を禁じられたサラリーマンのようなものだった。
甲子園で活躍をすると「ドラフト制」によって入札で競り落とした球団(1球団6名まで指名)への“入社”が、半ば強制的に決定される。
選手にとって選択肢は「入社しない」の拒否権しかなく、実質的に自ら球団やチームを選ぶ手段がなかったことが、1985年のPL学園の清原と桑田をめぐる巨人ドラフト事件の悲劇にもつながっていた。
1993年になってFA(フリーエージェント)制度が導入され、累積10年間(のちに短縮して累積7年に)を最初の球団で勤めあげた選手に関しては移籍が可能になった。それだけでも、当時は画期的な変化であった。
野茂は高校時代に甲子園ベスト8で社会人野球の新日鉄に進む。当時から編み出していたトルネード投球を武器にオリンピックでも活躍。1989年に史上最多の8球団ドラフト1位指名を受けるほど期待の高い選手だった。
彼は、当時夢見ることすら遠い「月面着陸」としてのメジャー挑戦を視野にいれていた異端児だった。野茂がメジャーに移籍した手法は、正規ルートではなく(というか現代のような正規ルートが存在しなかったので)「禁じ手」である。
94年オフ、近鉄との契約更新時に6年20億円という(当時は)“法外な”契約金を申し出て、近鉄にあえて断らせて、任意引退を表明したのだ。任意引退した選手はチームから外れるので、個人でメジャーと交渉ができるという「穴」があった。
■スタジアムの4分の1が日本人に
そもそも寡黙で反抗的でもあった野茂はチーム、監督、メディアからも批判的に評されることが多かった。
メジャー移籍が決まった時は「恩知らず、裏切り者、亡命者」と、ほとんど取材陣から歓迎されることもなかった。「いなくなってせいせいする、戻ってくるな――それが世間一般の反応だった」(『野茂英雄 日米の野球をどう変えたか』前掲著)という雰囲気の中、渡米している。
それまで1.4億円の年俸をもらっていたスター選手が、10分の1以下のメジャー最低給与11万ドル(約1300万円、当時レート。ボーナスで200万ドルはついていたが)で、文字通り身一つでドジャースに移籍したのだ。
それが1995年にナショナルリーグ新人王に選ばれ、1996年に日本人初のノーヒットノーランを達成するころになると雰囲気も一変。
野茂の試合を見ようと衛星放送の加入者も急増し、ロサンゼルスのスタジアムは4分の1を現地日本人や日本人旅行客が占めるようにもなった。
野茂英雄という“コロンブスの卵”が生まれてから、メジャー挑戦をする日本人は急増する。
1997年に伊良部秀輝ら4人が渡米、2001年にイチロー(野手としては1例目)、2007年は松坂大輔ら5人、2009年に上原浩治ら4人……。このあたりになると日本人メジャーリーガーはもう珍しいものではなくなってくる。
2012年のダルビッシュ有や2014年の田中将大などメジャーからも引き合いがくる大型移籍も実現するようになり、満を持して2018年に「58人目の日本人メジャー選手」として登場したのが大谷翔平であった。
■イチローの記憶も記録も塗り替えた
とはいえ、MLBでは、25歳以下の海外選手は上限が決められている。
23歳という異例の若さでメジャー挑戦した大谷翔平は、あと2年待てば何十億円という年俸が入るはずのところを棒に振って、かなり低めの50万ドル(約6000万円)からスタートした。
イチロー、ダルビッシュ、松坂、松井秀喜などがその10倍サイズの500万~700万ドル、過去最高額でもある田中将大は2200万ドル(約23億9000万円。田中は7年間のMLB挑戦後に楽天に戻り、日本人のNPB最高年俸9億円も獲得している)の移籍だった。
だが、MLBに挑戦する日本人の最大の問題は「どのくらい長く高い評価を維持できるか」という点だろう。なにせこれまでの60人近い選手はほとんどが数年とたたずにマイナーに落ちたり、日本に帰っている。
日本人としての最高地点はイチローが19年間(2001~2019)で打ち立てた記録の数々であろう。彼の年俸は累計で1.68億ドル(約191億円)である。
だが総額でいえば、すでにダルビッシュが13年間(2012~)で2.11億ドル(約211億円)とそれを抜いている。
移籍当時は大きな話題だった田中将大の7年・1.55億ドル(約161億円)、松坂大輔の6年・5200万ドル(約60億円)といった巨額の契約金は、もはや過去のものとなっている。
■年俸は6000万円→100億円に
これらの中でスタート地点としては最も条件の低かった大谷は、2023年末ではメジャー6年間で4040万ドル(約54億円)、実は「成果に対して圧倒的に給与の低い選手」であった。
雑誌『アトランティック』も「大谷翔平は世界で最も能力に見合わず薄給な男かもしれない」という見出しで記事を掲載している(2017年12月11日配信)。
それが日本ハムでのプロデビューから数えて9~11年目となる2021~23年、前述のような空前絶後の記録を打ち立て、結果的に2024年から10年間・7億ドル(約995億5000万円)、年俸ベースでは約100億円という過去最高地点に降り立った。
MLB7年目で初任給の166倍、日本時代ピークの2017年の2.7億円から比べても37倍の年俸となった。
■選手の契約金はどこまで上がるのか
果たしてこの大谷の契約がどのくらいすごいのか。
これは過去10年ずっと「世界で稼ぐトップアスリート」の常連で、Top4からすら外れたことのなかったリオネル・メッシ(2014~23年の平均年俸6.8億ドル=約967億円)とクリスチャーノ・ロナウド(平均6.0億ドル=853億円)といった数字を越えるものであり、野球どころかサッカーやバスケなどあらゆるスポーツの中で、世界中の記録のなかで最も高額で締結された契約である。
もともとこの30年間、スポーツ界は北米4大スポーツ(アメフト、バスケ、野球、ホッケー)と欧州サッカーが牽引するバブルとなっている。
アメリカでは、1996年に、「あらゆる事業者」が「あらゆる通信分野」に相互参入し、活発な競争を繰り広げることを目指す連邦通信法が成立した。
これにより通信キャリアがケーブル放送に参入するなど、メディアでM&Aが活発化。ディズニーABC、ユニバーサルNBC、バイアコムCBSなど巨大メディアコングロマリットが誕生した。
これら巨大コングロマリット間での競争が起こり、スポーツの放映権取り合いで価格が高騰し、選手たちの給与もどんどんあがっていったのだ。
1990年代からオリンピックの費用も際限なく上っており、「もう天井」と2010年ごろにも言われていたが、2021年の東京五輪の際にはそこから倍以上になりました。同じように、選手の給与もまだまだ上がり続けるだろう。
■大谷に賭けているMLB
世界1位のアスリート収入/世界トップ10人の収入合計は(年俸・賞金だけでなくスポンサー費用も入っているため、およそ年俸の倍額に膨らんでいる)1990年の0.29億ドル/1.28億ドルから、2018年の2.85億ドル/10億ドルへと10倍規模になってきた。
この期間、日本のプロ野球選手の年俸はほとんど変わっていないのに!(1990年でMLBとNPBがほとんど同じだったため、今は「米国だと10倍稼げる」という状態)
そうした10倍サイズの北米・欧州スポーツ史上においても、大谷の今回の契約は類をみないものであった。これは日本の野球界だけでなく、実は北米のMLBにとっての幸甚である。
欧州サッカーや北米のNFL(アメフト)・NBA(バスケ)に比べると、MLB(メジャー野球)はずっと“落ち目”であった。2021年に大谷が二刀流で登場したオールスターゲームも視聴率4.5%。2023年は3.9%と過去最低。「野球はクールじゃない」「おじさんのスポーツ」として若者の野球離れが顕著なのは日本のみならず米国でも同様だ(志村朋哉『ルポ大谷翔平』2022朝日新書)。
だからこそMLBは大谷に賭けているのだ。稼ぐスポーツとしても観るスポーツしてもプレイするスポーツとしても、他のスポーツの後塵を拝している「野球」の復権に向けての命運を大谷は託されているのだ。
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エンタメ社会学者、Re entertainment社長
1980年栃木県生まれ。東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。著書に『エンタの巨匠』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』(すべて日経BP)など。
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(エンタメ社会学者、Re entertainment社長 中山 淳雄)
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