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「4畳一間の共同トイレ」から外資金融マネジャーに…仕手株で500万円を失った肉乃小路ニクヨのお金哲学

プレジデントオンライン / 2024年2月2日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Actogram

どれだけのお金があれば幸せになれるのか。金融業界で働いてきた女装家の肉乃小路ニクヨさんは「私はかつて、資産で周囲に追いつきたいという焦りから500万円の損失を出した。お金で焦っても、幸せになることはできない」という――。

※本稿は、肉乃小路ニクヨ『確実にお金を増やして、自由な私を生きる! 元外資系金融エリートが語る価値あるお金の増やし方』(KADOKAWA)を再編集したものです。

■収入が上がらず仕事もうまくいかず、腐りかけた20代

私は順風満帆に外資系企業の正社員になったわけではありません。新卒で入った証券会社は現場で働く前に辞めてしまいましたし、その後は契約社員やアルバイトも経験しています。20代の頃は、東京都新宿区の4畳一間のお風呂(シャワー)とトイレが共同の物件に住んでいました。

20代後半まで、私は契約社員でした。収入が思うように上がらず、腐りそうになったこともあります。低評価だったり、上手く業務を回せなかったりした時などは、ストレスで掌の皮が全部めくれた時もありました。時給の良さにつられ、クレーム対応の仕事をして、心を病んで引きこもってしまった経験もあります。

でも、私は復活しました。私を復活させてくれたのは「営業」という仕事でした。

信じられないかもしれませんが、私はコミュ障(コミュニケーション障害)です。大学時代も陰キャで、ドラァグクイーンとしても、ショウタイムは頑張るけれど、それ以外はほとんど役に立たない自分勝手なクイーンでした。

■友人たちに追いつくためには営業から叩き上げるほかなかった

そんな私は絶対に営業に向いていないと思っていました。だけど、このままだとどんどん周りと差がついていきます。大学時代の友人たちは企業で3~4年目となり、ボーナスや昇給で豊かに暮らしていました。後輩たちも私より良い生活をしています。遅れた分を取り返すには「営業」から叩き上げるしか方法がなかったのです。

自分をもっとアピールできる(売り込める)ようになりたいという気持ちもありました。そのためにも「営業」を経験することは自分の役に立つのではないかと思い始めた頃、ある銀行で投資商品を売る歩合制の契約社員として働き始めました。コールセンターの経験があったので、電話の腕を買われての採用でした。

今までは受ける(受信)だけの仕事だったのに、今度は電話をこちらから発信しなければなりません。ものすごく抵抗がありました。要らない情報なのでは? 嫌われるのでは? 最初はおっかなびっくり電話をかけていました。

新人は口座開設をした人にお礼の電話をかけさせられます。そこで、興味がある商品がないかを聞き出し、興味があれば資料を送り、説明して、最終的に電話だけでクロージング(契約成立)まで求められる仕事でした。

■粘って続けていたら販売実績1位をとれた

電話をかけていくうちに、50本に1本くらいは話を聞いてくれることがわかりました。話ができるとあとは受信の仕事の時に培った説明スキルを使うだけです。この経験は大きかったと思います。自分の発信なんて、迷惑になるだけだと思っていたのが、必要としてくれる人もいる。そういった人に出会うために頑張ろうと思えるようになりました。

正直、歩合としてはそんなによくなく、辞めていく人も多い職場でしたが、私は粘って続けて、最終的にはグループで一番の実績を残すことができました。さらに色々な投資商品の販売資格を取ることもできたので(もちろんそのため勉強は別にしました)、心からやって良かった仕事だと思っています。

その実績を引っ下げて、もっと条件の良い営業の仕事がしたいと考え、正社員採用に応募するべく、人材紹介会社に登録をしました。そこで条件の良い保険会社の営業支援の仕事を得て転職し、以後はなんとか勢いよくキャリアを重ねることができたのです。

■外貨貯金と投資信託を10万円ずつ始めてみた

そして私は電話営業を始めたこの時期から少しずつ投資を始めました。

まずは為替の動きがよくわかるように外貨預金を始めました。当時はニュージーランドドルが高金利で流行っていたので、ニュージーランドドルと米ドルを10万円ずつ買いました。また、日経平均株価に連動した投資信託も始めました。こちらもキリが良くて値動きがつかみやすい10万円から始めました。大まかな日本経済の動きを理解するためです。

当時はつみたて投資という概念が私の中にありませんでした。恥ずかしながら私自身が不勉強だったこともありますが、当時は一般的につみたて投資はメジャーではありませんでした。私の感覚だとリーマンショック以降に投資に慎重になった投資家の間に広まり、2018年のつみたてNISA導入を機に広く一般的に言われるようになった概念だと思います。なので、市場の動きを見ながら、安い時に買い足すという手法で当時の私は投資をしていました。

「身銭を切る」という言葉がありますが、実際に自分のお金で投資をすると切実さが違うんです。仕事上、毎日為替や日経平均株価の動きは見ていましたが資産を持っていない時は「はぁそうですか」ぐらいにしか考えていませんでした。でも自分が実際にその資産を持つと、上がった時、下がった時「どうして?」ということをしっかり考えるようになりました。損得に直結しますからね。とても必死に価格の推移を見るようになったんです。

■値動きを毎日チェックして理由を説明できるようになる

必死に見ながら、上がり下がりの原因と過去からの値動きの推移を考えて、仕事でお客さんに状況を説明していきます。つまり強烈なインプットとアウトプットを同時にするようになったのです。銀行だったので個別株(投資信託などではなく、いわゆる一般的に取引されている個別の会社の株)まではやっていなかったのですが、とても勉強になりました。

また、当時はグローバルソブリンという外国債券に特化して、毎月配当を分配するような投資信託がシニア世代にとても流行っていたので、値動きを知り、説明して売るために買い足しました。

こうして当初私はニュージーランドドルと米ドルの外貨預金、日経225(平均株価)の投資信託とグローバルソブリンの値動きを見ながら、お金がちょっと貯まって、安いと思う時に買い足していくという方法で運用していきました。

良い時も悪い時もありましたが、この方法だと借金をしていないし、毎日値段をチェックしているし、買ったものが大きな値動きをするものでもなかったので、損は一切ありませんでした(といっても年利10%くらいの収益でしたが……)。

■上司の話を聞いているうちに仕手株に手を出してしまう

ところが保険会社に転職して正社員になりボーナスをもらい始めると、ガンガンお金が貯まっていきました。正社員になると上司と一緒にランチをする機会も増えたのですが、当時個別株の中でも仕手株にハマっていた上司が、毎日その話をしてきます。ちなみに仕手株とは特定の投資家によって株価が意図的に操作されている銘柄です。仕手筋(大量の株式を売買し、株価を操作する投資家や投資家集団)によって売買されている恐ろしい銘柄といえます。

私は投資信託大好きっ子だったので、当初は個別株についてはやったことがなかったし、やる勇気もありませんでした。しかし恐ろしいもので毎日1年以上、その上司の話を聞いていたら慣れて来ちゃうんですね。上司が薦めていた仕手株の値動きも自然と追いかけてしまい、追っていると、上司が買った値段よりも安くなってきていることがわかりました。

正社員として1年経てばボーナスは2回分貯まります。そのタイミングで誰にも言わず黙って、その仕手株を買ってしまいました。最初は値上がりしたので、しめしめと思って買い足しました。そうしたら、今度は下がってきちゃったんです。そこでも下がったからには上がるはず、これはチャンスだと思って買い足しておこうと思いました。

株価下落のイメージ
写真=iStock.com/Naypong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Naypong

■高級マンションの頭金にするつもりが500万円の損失

この仕手株で大きく増やして高級マンションの頭金にでもしようと夢見ました。「これでやっと資産でも周りの同級生たちに追いつける」と焦ったんでしょうね。そしたらあれよあれよという間に値段が下がっていって、その会社は吸収合併されて企業名が変わって、持っていた株が二束三文になってしまいました。私はこれで500万円くらい損をしました。

不幸中の幸いだったのは、借金をしていなかったこと。だから誰にも迷惑をかけなかったのです。また、その後も仕事は順調で稼ぎ続けていたので、なんとか働いて損金をすぐに挽回できたことです。仕事をしていると一定期間頑張れば挽回がきくので、そういった意味でもまだ若いうちに、失敗を経験して良かったなと思いました。

この失敗から得た教訓は、

1 投資は余裕資金でやるべし
2 個別株は現物株(借入することなく自己資金且つ時価で取引する株)のみでやるべし
3 知らない会社の株は買わない
4 過去の値動きについて説明できる株を買うべし

です。

その後、保険会社でのキャリアを積んでいくうちに、さらに分散して投資することの重要さ、長期投資の大切さを学びました。

■お金を使うときに大切なのは「どうしたら自分が幸せになれるか」

私は、自らを経済愛好家というだけあって、お金が大好きです。愛おしいです。お金は私にたくさんのチャンスや出会いをくれます。「お金は災いを呼ぶ」という人もいるけれど、お金自体はあくまでも「道具」です。災いが起きたというならお金を使う人が間違った使い方をしただけ。だから間違わないように使わなくてはなりません。そして大切に使っていると、もっと仲間を集めてくれるのがお金です。

だからお金って、「どう使うか?」がとてもとても大切なんです。そして使う時に一番大切に考えてほしいことは「どうしたら自分が幸せになれるか」ということです。こう言うと「新手の自己啓発セミナーか宗教か?」という人が出てきますが(たしかに私の見た目は新興宗教の教祖っぽいですが……)、それは違います! なぜなら優先順位は第一に「自分」だからです。まず「自分」が幸せになる。そのためにお金を使う。そしてその幸せが少しでも長く続くように周りの環境を整える。何を差し置いても「自分優先」なら、宗教じゃないですよね。

「自分の幸せがわからない」という声もよく聞きます。私の経験上「自分の幸せ」がよくわからないのは、あまり自分のことが好きではない人が多いようです。自分のことが好きだと、自分に興味関心があるので、どうしたら自分が喜ぶのかがすぐにわかります。自分を好きでないと、どうすれば自分がうれしいのかがよくわからないのです。

■自分のことが嫌いな人は幸せになれない

周りの幸せそうな人やお金持ちで「自分のことが嫌い」という人を見たことがありますか? 私はほとんどありません。たまにいたとしても「自分のことが嫌い」な人は必ずその後、不幸になりお金も逃げていきます。だから「幸せ」や「お金」に恵まれたかったら、自分を好きになるしか方法がないのです。

そうは言っても「私はブサイクに生まれました。自分を好きになれません」という人もいるでしょう。だったらお金を集めて整形をしてみてください。それは正しい自分の愛し方です。「家族の愛情に恵まれなかったから、自分の愛し方がわかりません」という人もいるでしょう。その場合は家族以外の人を見習ってみましょう。歌や小説、物語から、愛し方を学びましょう。愛し方を教えてくれる素敵な人に出会うためにお金を使うことも、素敵な使い方だと私は思います。

■恥ずかしがらずにとことん自分を愛する

これを読んでいる方はきっと「お金を貯めたい! お金持ちになりたい」という思いを持っている方だと思います。だったら絶対条件として「自分を好きになる」ということに対する恥じらいを捨ててください。この世界に生まれてきたからには「自分」から逃げることはできません。

「自分なんて」と思う人生と「自分だからこそ」と思う人生と、どちらが楽しいでしょうか? 恥ずかしがったり、照れたりすることなく、とことん「自分」を愛しましょう。そこが徹底されていない限り、どんなにお金について、テクニカルな話を読んで実践したところで幸せになれません。幸せになるための最強の道具である「お金」を集める意味もなくなってしまいます。

■お金という道具を使いこなして役に立てる

肉乃小路ニクヨ『確実にお金を増やして、自由な私を生きる! 元外資系金融エリートが語る価値あるお金の増やし方』(KADOKAWA)
肉乃小路ニクヨ『確実にお金を増やして、自由な私を生きる! 元外資系金融エリートが語る価値あるお金の増やし方』(KADOKAWA)

私自身、最初から「自分を愛する」ようになれたかというと、そうでもありません。肥満児で、運動神経も鈍く、勉強も中途半端で、家柄も普通、しかもゲイ。慶應義塾大学に入った時にはコンプレックスの塊でした。40歳くらいまでずっとそうだったと思います。もう少し自分を早くから受け入れて愛してあげられていたら、もっと現在(いま)は変わっていたかもしれません。

でもそれも今では不器用な私らしいなと思っています。コンプレックスを抱えてもがき続けて、さんざっぱら嫉妬して、歯ぎしりして、悔しがる人生で、壁にぶつかり続けたからこそ得たことがたくさんありました。まさに「ピンチはチェンジ」です。ピンチのたびに反省したり、考え続けたりして立ち上がってきました。そして幸せになる道具「お金」との付き合い方を学びました。

現代社会において「お金」というパワフルな道具を使いこなして、自分の幸せに役立てるには、お金と向きあう「お作法」が必要です。「お作法」さえ理解していれば、どんなに時代が変化していても対応できるのです。

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肉乃小路 ニクヨ(にくのこうじ・にくよ)
コラムニスト
経済愛好家、ニューレディー、コラムニスト。千葉県出身。渋谷教育学園幕張高等学校を卒業し、慶應義塾大学総合政策学部へ進学。大学在学中より女装をスタート。大学卒業後は金融業界で10年以上勤務し、お金のプロとして様々な提案を行う。証券会社、銀行、保険会社などを渡り歩き、夜は新宿2丁目の社交場で、人間観察力を磨いてきた。42歳で退職し、その後はフリーランスとしてお金との付き合い方を多くのメディアで発信する。

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(コラムニスト 肉乃小路 ニクヨ)

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