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「東京駅で売れるスイーツ」を次々と生み出す…菓子メーカー「寿スピリッツ」の知られざる経営戦略

プレジデントオンライン / 2024年2月6日 15時15分

寿スピリッツ社長の河越誠剛(かわごえ・せいごう)氏。1960年、鳥取県米子市生まれ。京都産業大学卒業 - 写真提供=寿スピリッツ

東京駅のスイーツ売上ランキングで4年連続1位を達成したCOCORIS(ココリス)のサンドクッキーは、寿スピリッツグループのシュクレイが手掛けている。寿スピリッツは、もともと鳥取県の観光土産菓子メーカーだったが、今や時価総額3000億円を超えるプレミアムギフトスイーツの最大手となった。成長の軌跡をテレビプロデューサーの結城豊弘さんがリポートする――。

■寿スピリッツグループが東京駅のスイーツフロアを席巻

「私は元々ツイている思想の持ち主です。何があってもツイているんですよ」と笑顔で爽やかに語る社長。その屈託のない満面の笑みに、普段ならば「そんな事はないでしょうに」と反論の気持ちが浮かぶところが、むしろ爽快でもあった。

取材相手は、鳥取県米子市に本社を構える「寿スピリッツ」社長の河越誠剛さん(63歳)だ。先代の興した会社を継ぎ、1994年に社長になった。

「鳥取の田舎の会社の話?」と思われた読者のみなさん、早合点しないでほしい。この寿スピリッツは驚くべき展開をしている会社なのだ。

ここでJR東京駅に目を転じる。東京駅は、一日の平均乗車人員数は34万6658人(2022年度)、東海道新幹線を皮切りに、北陸新幹線、上越新幹線、東北新幹線など6つの新幹線の発着駅を擁し、JR東日本最多11面22線のホームがあるマンモス駅でもある。当然、観光客や帰省客向けの、お土産物店舗も他の駅と比較できないほど多い。

そのお土産激戦区の東京駅エリアで、寿スピリッツグループの企業が菓子店を14店舗手がけており、どれも大人気店となっていると聞くと、見方も変わってくるのではないか。

■売上高、営業利益ともに過去最高を記録した

ザ・メープルマニア、COCORIS、東京ミルクチーズ工場、PISTA&TOKYO、岡田謹製あんバター屋、nekochef、バターバトラー、Now on Cheese♪……。これら全て、寿スピリッツのグループ企業が展開するブランドだ。

コロナ禍が収束し、東京駅に観光客やインバウンドの賑わいが戻ったのと連動するように、寿スピリッツは2023年3月期に売上高、営業利益ともに過去最高を記録した。

河越さんは、会社の強さの秘密を「社員の一人ひとりが主役であり、それこそが最高の戦略なんですよ」と語る。そこには社員一丸となって、コロナを乗り切り企業をもっと逞しくした経営理念があるという。そんな大胆発想の会社を解析していく。

■うさぎ伝説モチーフのまんじゅうが大ヒット

寿スピリッツの前身の会社は、戦後まもなくからスタートする。父・庄市さんが、第2次世界大戦後、台湾から復員。芋アメや粟おこしを製造販売し、その売り上げやノウハウをベースにして、1952年、鳥取県米子市でキャラメル、飴玉、ドロップスの生産を行う「寿製菓株式会社」を設立した。

その後、火事で工場全焼、製品の自主回収や砂糖の値上がりなど幾多の困難を乗り越えて、1968年に山陰の銘菓として親しまれる「因幡の白うさぎ」の発売を始めた。

「因幡の白うさぎ」
写真提供=寿スピリッツ
「因幡の白うさぎ」 - 写真提供=寿スピリッツ

うさぎの形をした黄身餡の焼きまんじゅうのお菓子は、可愛くて美味しいと人気を呼び、ロングセラー商品となった。そんな会社に長男の河越さんが入社したのは1987年の事。大学を卒業し、別会社での勤務を経てからの入社だった。

今にも続く大ヒット商品となった「因幡の白うさぎ」について河越さんは、興味深い話を教えてくれた。

白うさぎは、大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上比売(やかみひめ)の縁を結ぶ山陰の伝説。古事記にも記され、地元に親しみのある、うさぎの伝説をモチーフに「福を呼び、縁を結ぶ」縁起のいいお菓子として発売された。

「最初は目を付けていなかったが、途中から、うさぎの目は赤く付けました」と河越さん。工場見学に来た小学生の「赤い目だったら、うさぎさんもっと可愛いのに」との声を聞き、先代が「それは良い。早速取り入れよう」と二つ返事。それ以来、お菓子のうさぎの目は赤くなったという。

鳥取県米子市にある寿製菓の本社
撮影=プレジデントオンライン編集部
鳥取県米子市にある寿製菓の本社 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■異例の「日持ち5日間」でも売れ続けた

その上、当時のお土産用の菓子の常識だった「日持ち優先」「味は二の次」の常識をくつがえして、「因幡の白うさぎ」は、5日間の日持ちと甘すぎず口当たりのいい味の良さをとことん追求して作られた。まだ流通整備や酸化防止技術が確立されていない時代の話。大英断である。

先代は「味を追求すると日持ちしないのなら、日持ちがしない商品を創って、味の良さをとことん追求してみようじゃないか」(河越誠剛『全員参画の最強理念経営』、PHP研究所刊)と社員を鼓舞した。

「日持ちしない商品は売れない。お店も置いてくれない」。反対する営業マンと本気の喧嘩を繰り返しながらも新商品を開発して売り続ける先代。

しかし、無謀との予想に反して新商品は売れ続けた。先代の逆転の発想が超ロングセラーの大ヒット商品を生んだのだった。この良いものをつくって、お客様に届ける、「収益第一から、美味しさ最優先」という先代の考えは、息子の河越さんと社員にも受け継がれて社の基本理念となっていく。

■表には出ず「知る人ぞ知る会社」でいい

そんな先代のリーダーシップと経営方針を胸に、1994年に河越さんは社長に就任。2006年には「寿スピリッツ株式会社」に商号を変更して、寿製菓を分社化した。

山陰の地方都市から全国市場に向けて、観光土産菓子を製造するようになり、地域にぴったりのネーミングや包装で菓子を売るノウハウを身につける一方、全国各地の経営不振の菓子会社を傘下に収めていった。

ここでまたその当時の面白い話がある。河越さんによれば「お菓子は昔は、“菓子”ではなく、草冠のない“果子”でした。果物そのものから作ったのがお菓子の由来なのです」という。そこから原点回帰し「草冠のない菓子づくり」というコンセプトで、土地の特産品を使った地域密着のお菓子を前面に出し、その商品は他地域では売らないという戦略を展開した。「どこで買っても中身が同じでは、消費者に失礼になる」からだ。

寿スピリッツグループで展開しているお菓子は、グループ会社が製造販売しているため、パッケージには、「寿スピリッツ製」とは書いていない。寿スピリッツは一般消費者にとって、知る人ぞ知る、そんな会社でいいと河越さんは説明する。

商品研究のため、毎日スイーツを食べているという河越さん。「世界一お菓子を食べる人だと思う」と話す
写真提供=寿スピリッツ
商品研究のため、毎日スイーツを食べているという河越さん。「世界一お菓子を食べる人だと思う」と話す - 写真提供=寿スピリッツ

■小樽洋菓子舗ルタオが誕生したきっかけ

そんな寿スピリッツの象徴的なブランドに、北海道の「小樽洋菓子舗ルタオ(LeTAO)が挙げられる。

北海道への進出を狙っていたある時、北海道で経営不振のチョコレート菓子会社があることを知った。しかし、チョコレートには弱点がある。夏場は気温が上がって溶けやすく、販売時期が冬場に限られてしまう。

それでも、北海道は観光や広さが魅力的だ。札幌市や旭川市などの大都市もあって大型店舗やドライブイン、空港といった観光客がお土産を求める場所が多い。いつか北海道の小樽か札幌に店を持ちたいと考えていた。

ここで河越さんは閃いた。経営不振のこの会社を買い取って、夏場は涼しい北海道でチョコレート菓子を売り、冬は全国で売ればいいのでないか。

こうして、1996年に株式会社コトブキ・チョコレート・カンパニーを設立(現・株式会社ケイシイシイ)。これまで和菓子を中心に展開してきた寿スピリッツにとって、初のチョコレート部門が誕生したのだった。

■知名度ゼロなのに地権者がOKしてくれた理由

そして、念願の小樽への出店への話が舞い込む。

河越さんが説明する。「夢だった小樽に店を出したい。しかし地権者を説得するのが難儀でした」。山陰の老舗の菓子屋でも北海道では知名度ゼロ。「なんで北海道、しかも小樽なのか」。地権者は訝る。河越さんが説得するも地権者の疑念は晴らせない。

すると、なんと地権者は、北海道から米子の本社に電話をかけてきた。観光客を装ったその地権者は「いま私は米子駅です。そちらの会社に伺いたいのだが、どう行けば良いか教えてほしい」と言った。電話を取った女性社員は、観光客からの電話の対応だと思い、普段通りに「分かりにくいでしょうから、私がお迎えにあがりますよ。少しお待ちください」と答えたという。

その後、この地権者は河越さんに「素晴らしい対応で感動した。普段からの対応がこんなに丁寧な御社と仕事がしたい」と話し、契約が決まったという。日々の対応の積み重ねがチャンスにつながると河越さんは振り返る。

そして、1998年に「小樽洋菓子舗ルタオ」が小樽市の観光名所オルゴール堂の向かい側、メルヘン交差点に面した場所に開店した。

北海道小樽市にあるルタオ本店
写真提供=寿スピリッツ
北海道小樽市にあるルタオ本店 - 写真提供=寿スピリッツ

いまでは、寿スピリッツグループを代表するブランドに成長。全国的にも美味しいスイーツの定番として定着しており、小樽に限らず北海道に旅行や出張をした人が買ってくる大人気のブランドだ。

なにを隠そう私も、北海道・千歳空港のお土産にルタオの主力商品であるドゥーブルフロマージュやラングドシャなどを買い、後輩社員や番組スタッフに喜んでもらった経験を持つ。

■試食作戦や無料配達で人気が少しずつ上昇

開店当初は、認知度不足でルタオは苦戦したが、その美味しさから徐々にファンを増やしていった。味わいを直に知ってもらうため、店頭で積極的な試食作戦を展開。地元の人向けには、一個120円のシュークリームでも無料配達をすると宣伝して、丁寧な配達サービスを行った。イベントにも積極的に参加し、地元の寿司店や和食店とも組んで「食事の後のデザートはルタオ」とキャンペーンをした。

徹底した地元との連携や取り組みにより、ルタオは小樽の美味しいスイーツとしての認知を獲得していった。そして、テレビ番組などに何度も取り上げられるようになり、知名度は全国区となった。

河越さんは語る。「一番人気のドゥーブルフロマージュは北海道産の小麦と生クリーム、牛乳にこだわり、世界から集めたチーズのとろける食感と美味さが最高なのです。美味しくなければリピーター獲得や口コミは獲得できません」。地元に愛される店を作り、マーケティングをし、その上美味しい。これがヒットの最大の秘訣(ひけつ)なのだろう。

ルタオの「ドゥーブルフロマージュ」
写真提供=寿スピリッツ
ルタオの「ドゥーブルフロマージュ」 - 写真提供=寿スピリッツ

■株式時価総額は菓子業界トップクラス

寿スピリッツは、長崎の「九十九島せんぺい」の九十九島グループや「ザ・メープルマニア」のシュクレイ、米子の寿製菓など、海外も入れて17の子会社がグループを形作る。

新型コロナ感染拡大時の2021年3月期には29億円の営業赤字に陥ったが、2023年3月期の売上高は501億5500万円(前々期比は約1.5倍)に回復し、営業利益も99億円を計上。売上高、営業利益ともに過去最高を記録した。プレミアムギフトスイーツ業界では最大手だ。

寿スピリッツは東証プライムに上場しており、株式時価総額は3105億円だ(2024年1月31日時点)。売り上げランキングは菓子業界12位だが、時価総額ではカルビー(4155億円)に次ぎ、江崎グリコ(2958億円)や森永製菓(2651億円)を上回っている。

■会社存続の危機を救った「社員のアイデア」

コロナ禍は寿スピリッツにも深刻な影を落とした。人流が国内から消え、観光客も消滅。ビジネスマンの出張もなくなった。当然、お土産を買う人も激減する。一時は売り上げが9割減という事態に追い込まれ、会社存続も危ぶまれた。

しかし河越さんは、ポジティブに「ツイている」と声に出し続けた。「手持ちの現金がまだあり、1年くらいの苦境は乗り越えられるはず」と、なんとか堪える道を探った。

河越社長が身に着けている同社オリジナルの腕時計。「ツイてますか ツイてま~す」と書かれている
撮影=プレジデントオンライン編集部
河越社長が身に着けている同社オリジナルの腕時計。「ツイてますか ツイてま~す」と書かれている - 撮影=プレジデントオンライン編集部

すると、社員からさまざまなアイデアが上がってきたという。生産ラインの見直し、商品のリニューアル、緊急事態を逆手に取って普段ならできない原料などの仕入先メーカーとのすり合わせ、製造プロセスの大胆な改革……。そうしたスリム化の結果、河越さんが言うところの「超現場力を駆使し、強靭(きょうじん)な会社体質を手に入れた」という。

この改革を提案してきたのが現場の社員らだったという点も見逃せない。これがもしも、上からの高圧的な命令だったとしたら上手くいかなかったことだろう。経営陣がボトムアップで社員の声や改革を積極的に採用していったことが、全社一丸の改革を成功させた。

■「本部主義」では経営陣が裸の王様になる

河越さんは「本部主義ではダメです。現場の肌感覚や知恵を汲み取ろうとしないと、現場との乖離(かいり)がどんどん大きくなり、経営陣は裸の王様になってしまう」と説明する。現場が考え、現場が実践する。これはイコール現場を信じるということに他ならない。かなり経営者としては勇気のいることだ。

現場迎合主義や現場任せということではない。戦略は本部が練る。具体的な方針と手段は現場が磨き、実践する。

河越さんは苦境の中でも、新規出店の計画を着々と進めたという。それこそが未来への希望であり、コロナ禍を乗り切った時の備えでもあった。

コロナ禍が収束すると、準備していた東京駅をはじめとした新店舗が続々と売り上げ記録を塗り替えていった。そうなると、「もう一店舗増やしませんか」「いい場所があるのですが店を出しませんか」との話がドンドン舞い込む。注目が注目を呼び、文字通りのV字回復につながった。

■「東京駅1位」という期待を裏切らない味

常にブランドの価値を上げ、高価値の商品を追求する姿勢も見逃せない。「リピーターの開拓やリピート率の上昇を目指す。そうすれば熱狂的なファンを掘り起こせる」(河越さん)

東京駅のエキナカ商業施設「グランスタ東京」で大成功した「COCORIS(ココリス)」のサンドクッキー「ヘーゼルナッツと木苺」(6個入り1560円)は、東京駅の売上ランキングで4年連続(2020年〜23年)1位に輝いた(※)

※JR東日本クロスステーションデベロップメントカンパニー発表「東京駅限定定番手土産スイーツ売上ランキングTOP10」

ココリスの「ヘーゼルナッツと木苺」
写真提供=寿スピリッツ
ココリスの「ヘーゼルナッツと木苺」 - 写真提供=寿スピリッツ

東京駅はディズニーランドへ行く人も通る。帰省客や出張のサラリーマンも通る。4年連続というのは、「東京土産に、東京駅1位のお菓子を買ってきたよ」という期待を味が裏切っていない結果だろう。その上、1位という勲章は「うちにも出店しませんか」という呼び水になる。

河越さんは著書の中でこのことに触れ、「品川駅では『フィオラッテ』という別のブランドで出店していますが、これもエキナカナンバーワンです。また、『一位』『一番』『最初』『最大』といった”称号”は、マスコミが取り上げたくなるので、注目度はさらにアップされます」(『寿スピリッツの超絶経営』マネジメント社刊)と説明する。確かに、われわれメディアは「1位」や「1番」という言葉に弱い。

■これからは「プレミアムギフトスイーツの時代」

寿スピリッツの社員は、同社の経営哲学(フィロソフィー)を明文化した「こづち」を各職場単位で行う朝礼や研修、勉強会で活用し、経営理念の浸透に活かしている。同社のバイブルのような存在。そこには「売り上げは最大の宣伝活動」と記される。今日の売り上げを明日につなげる、ポジティブシンキングのベースとなる考えだ。

京セラグループの創業者・稲盛和夫氏から学んだことが多かったという河越さん。稲盛氏の考えを独自にブラッシュし、進化させた経営理論が寿スピリッツの経営に活かされている。

寿スピリッツの経営理念や経営哲学が綴られた「こづち」。全社員が携帯しているという
撮影=プレジデントオンライン編集部
寿スピリッツの経営理念や経営哲学が綴られた「こづち」。全社員が携帯しているという - 撮影=プレジデントオンライン編集部

お客様を第一と考え、ニーズを逃さない。常に「ツイている」と考えて実践の歩みを止めない――。「これからは、プレミアムスイーツの時代。特別なスイーツを購入し、価値をお土産にする。みんなが喜べるものを創り出していきたい」

鳥取の小さな菓子工場は今では、有名菓子ブランドを綺羅星のように保有するお菓子会社に成長した。河越さんは「私の力ではなく、全員参画が成功のカギ。進化する『人財』と現場。そして進化する会社でありたい」と話す。現場力の大切さ、そしてファンを裏切らない味やサービスが、この会社を支えているようだ。

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結城 豊弘(ゆうき・とよひろ)
テレビプロデューサー
1962年鳥取県境港市生まれ。駒澤大学法学部卒業。元読売テレビ報道局兼制作局チーフプロデューサー。「そこまで言って委員会NP」「ウェークアップ!ぷらす」「情報ライブミヤネ屋」の取材・番組制作を担当した。現在はBSテレビ東京「石川和男の危機のカナリア」の総合演出や、プロデューサーとして各局の番組制作を続ける。その他、鳥取大学医学部付属病院特別顧問と境港観光協会会長を務める。合同会社ANOSA CEO 。著書に『オオサカ、大逆転!』(ビジネス社)、『吉村洋文の言葉101』(ワニブックス)、共著に『“安倍後"を襲う日本という病』(ビジネス社)がある。

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(テレビプロデューサー 結城 豊弘)

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