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天皇を騙して出家させ、その隙に自分の孫を即位させる…藤原道長の父・兼家が「出世のため」に使った禁じ手

プレジデントオンライン / 2024年2月4日 15時45分

藤原道長(画像=読売新聞社「日本国宝展」/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

藤原道長の父・兼家は、どんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「平安貴族にとって一番の関心事は自分の出世だった。そうした貴族の中でも、兼家は特に出世欲が強かった」という――。

■平安貴族にとって唯一の生きがい

藤原道長(柄本佑)は、まひろ(吉高由里子演じる紫式部)に自分の身分は伝えずに、自身を取り巻く環境について、「俺のまわりのおなごはみな淋しがっておる、男はみな偉くなりたがっておる」と説明した。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第3回「謎の男」(1月21日放送)での話である。

実際、平安貴族たちはみな「偉くなりたがって」いたようだ。山口博氏は「官位と女と富のトライアングルこそ、王朝貴族のいきがいであり、人生の目標であった」と書く(『悩める平安貴族たち』PHP新書)。

だから、たとえば藤原道長は、息子のひとりが出家するといい出したとき、「どうしてそんなことを思い立ったのか。何か辛いことでもあるのか。私が気に入らないのか。官位が不足なのか。それとも、何としても手に入れたいと思っている女のことか」と尋ねたという(同書)。

官位が上がればおのずと富もついてくる。それと女。当時の貴族の男性にとって、人生の希望といえば、それしか思いつかなかった、という話である。

出世とは端的にいえば、貴族の位階を一つずつ上がっていくことが基本だった。当時の貴族社会において、個人の序列は明快だった。すなわち、正一位から少初位下まで位階が30階級に分かれ、そのどこか位置づけられる。

■大臣になれば3億円の給与

まず、一位から三位までがそれぞれ、正と従に分かれる(正一位、従一位、正二位、従二位、正三位、従三位)。この6階級が上流貴族で、いわゆる公卿の身分である。

続いて四位と五位は、正と従のほか、上と下にも分かれていた(正四位上、正四位下、従四位上、従四位下、正五位上、正五位下、従五位上、従五位下)。この8階級が中流貴族に該当する。

そして、六位の正と従、上と下の4階級は、法的には貴族ではないものの一般には下級貴族とみなされた。ここまで18階級で、さらにその下に、正七位上からの12階級があったが、そこに位置する者は事実上、貴族とは認められていなかった。

貴族たちは実績を重ねて位階を上げ、その位階に見合った官職に就いた。官職とは、たとえば左右大臣や内大臣、大納言、中納言、参議……といった役職のことで、男はこうした階段を一歩一歩上ることを生きがいにした、というわけだ。

実際、従一位や正二位の大臣にでもなれば、俸給はいまでいえば軽く3億円、4億円に達し、そのほかにも、各国の地方官から贈り物が山のように届けられるなど、おのずと巨万の富を手にすることにもなったという。

■「帝の食事に薬を入れさせろ」

さて、「光る君へ」では現在、道長の父である藤原兼家(段田安則)が、出世のためになりふり構わぬ行動に走っている。

第2回「めぐりあい」では、兼家は次男の道兼(玉置玲央)に「そなたは蔵人で帝(円融天皇)のお側近くに仕える身。配膳の女房を手なずけて帝の食事に薬を入れさせろ。お命を取ってはならぬ。お加減をいささか悪くされればいい。お気が弱って退位を望まれれば」と命じた。

円融天皇(坂東巳之助)を退位させ、天皇の外孫として権力を振るえる立場を近寄せよう、というのである。むろん、毒を盛った云々は脚本家の創作だが、出世のためにはそれほど手段を選ばなかった、という当時の状況が描かれている。

そして、兼家がねらったとおりに、円融天皇が退位して花山天皇(本郷奏多)が即位すると、第4回「五節の舞姫」で兼家は3人の息子、道隆(井浦新)、道兼、道長を前にして「次の帝をどうやって素早く退位させるか。それが難しいところだ。お前たちも知恵を絞れ」と発破をかけた。

兼家は退位させられた円融天皇の後宮に娘の詮子を送り、懐仁(やすひと)親王を生ませていた。この親王が天皇になれば、兼家は天皇の外祖父として摂政に就任するなど権力を握れる。円融天皇を退位させたのも、次の花山天皇を早く退位させたいのも、すべては自分の孫である懐仁親王を即位させたいがため、という話なのである。

■兄との出世レースに負ける

ここからは歴史上の兼家の軌跡をたどってみたい。延長7年(929)に、正二位右大臣まで上った藤原師輔(もろすけ)の三男として生まれ、道長が生まれた康保3年(966)の時点では、38歳で従四位下左京大夫と、まだ公卿にはなっていなかった。伊尹(これただ/これまさ)、兼通という二人の兄がいたため、出世はさほど容易ではなかったのだ。

それでも安奈2年(969)には、次兄の兼通を追い越して中納言に、続いて天禄3年(972)には大納言に昇進している。とはいえ、長兄の伊尹は正二位太政大臣だから遠くおよばなかった。

そして同年10月、伊尹が病気のために辞表を提出すると、兼通が権中納言、内覧になってしまう。内覧とは、太政官が天皇に上げた文書や天皇が下す文書を事前に内覧する役のことで、実質的な仕事内容は関白と変わらない。

さらに11月、伊尹が死去すると、兼通は内大臣に出世。天延2年(974)には関白に就任するとともに、正二位太政大臣になって、政権をすっかり握ってしまった。

その後は、兼家は兄の兼通からの牽制を受け続ける。兄と弟の関係は、険悪そのものだったようだ。

兼家は安和元年(968)、長女の超子を冷泉天皇の後宮に入内させ、超子は皇子を産んでいた(のちの三条天皇)。それだけに兄の兼通は、弟の兼家が外戚として権力を握るのを恐れて、貞元2年(977)、従弟(師輔の兄であった実頼の息子)の藤原頼忠に関白を譲り、兼家を正四位下の治部卿に左遷したのである。

■兼家が円融天皇を退位させた可能性

しかし、病気だった兼通がまもなく死去すると、いったんは自宅に引きこもっていた兼家は、天元元年(978)6月から出仕するようになり、8月には円融天皇の後宮に詮子を入内させ、10月には右大臣に任ぜられるなど、ようやく権力を握れる可能性がめぐってきた。

とはいえ、この時点で兼家はすでに50歳。権力奪取に向けて残された時間を考えると、焦りがあったものと思われる。

それから2年、天元3年(980)6月1日、詮子が円融天皇の唯一の子となる懐仁親王を産んだ(のちの一条天皇)。この時点で52歳だった兼家は右大臣。57歳で関白太政大臣の藤原頼忠、61歳で左大臣の源雅信に次ぐ、朝廷における3番目の地位にあったが、懐仁親王が将来、即位できたなら、外祖父として権力を握れる可能性が出てきた。

そして永観2年(984)8月27日、ドラマで描かれたように円融天皇が退位すると、東宮だった師貞(もろさだ)親王が即位して、花山天皇になった。同時に、懐仁親王が東宮になっている。

むろん、円融天皇の退位については、食事に毒を盛ったかどうかはともかくとして、兼家と対立したことが原因であったと指摘されている。

また、倉本一宏氏は「円融は譲位と引き替えに懐仁親王を立太子させ、一代限りという情況にピリオドを打ったという側面も考えられる」と記す(『紫式部と藤原道長』講談社現代新書)。

つまり、退位せざるを得ないかわりに、自分の息子を東宮に押し込んだわけだが、それが兼家の孫なのだから、兼家にとっては幸いだった。

■天皇を騙して出家させる

しかし、花山天皇になっても、相変わらず頼忠が関白のままだった。兼家にすれば、頼忠の娘や、兼家の異母弟の為光の娘が、花山天皇の皇子を産んだらどうなるかと、気が気ではなかっただろう。しかも、花山天皇は政治にも積極的だった。

花山天皇
花山天皇(画像=月岡芳年画/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

寛和2年(986)6月23日、いよいよそのときが来た。

花山天皇は藤原為光の娘の忯子(しし)を見初めて入内してほしいと懇願し、忯子は女御として宮中に入る。めでたく懐妊するが、すぐに死去してしまう。嘆き悲しむ天皇は、出家したいと口にする。

ここで兼家が動く。三男(嫡系では次男)の道兼を使い、彼から天皇に「共に出家しましょう」と持ちかけさせたのだ。

清涼殿を出た花山天皇は、道兼が同乗する車に乗せられて東山の元慶寺に連れていかれ、そこで出家させられたのである。

その前に、三種の神器などは東宮懐仁親王に献上され、兼家は内裏の門を固めて、東宮に皇位を譲る儀式を断行。こうして兼家の孫の懐仁親王がわずか7歳で即位し、一条天皇となった。

兼家は100年以上前の藤原良房以来、2人目の外祖父摂政となって、念願の政権を手にする。すでに58歳の兼家にとっては、政権が転がり込んでくるのを待つ余裕はなかったに違いない。

クーデターを起こさないかぎり、政権を奪取できないと判断したのだろう。その結果、人並み以上に「偉くなりたがって」いた兼家は、人生の目標を達成したのである。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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