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ここ50年で震度5以上の都道府県別回数…2位福島県52回、4位北海道45回、9位石川県28回で、衝撃の1位は?

プレジデントオンライン / 2024年2月7日 11時15分

元日に発生した能登半島地震において石川県の輪島市、志賀町などが震度7だった。周辺の新潟県から福井県にかけての北陸地域全体でも震度5以上が観測された。震度5弱は「大半の人が、恐怖を覚え、物につかまりたいと感じる」揺れ。統計データ分析家の本川裕さんが、気象庁が公開している1919年以降のデータに基づき震度5以上の地震の回数を都道府県別に集計したところ、驚くべき事実が判明した――。

■この50年に、その前の50年と比較して増えてきている地震回数

2024年元日に発生した能登半島を震源とするマグニチュード7.6の大きな地震により石川県の輪島市、志賀町で震度7が観測され、5日時点で240人の方が亡くなるなど甚大な被害がもたらされている。地震発生から1カ月以上が経過したが、なお、避難を余儀なくされている方々が多く、道路、水道などのインフラの完全復旧にはほど遠い。

国の地震予測では能登半島でこうした大地震が起こるとはあまり考えられておらず、あらためて人知を超えた自然災害の脅威を感じさせている。将来予想が難しいなかで、地震に関する過去のデータを振り返ることが重要だと考えられることから、今回は、気象庁が整備している震度データベースで都道府県別の地震回数を整理するとともに今回の能登半島地震と東日本大震災における津波の高さを確認してみたい。

まず、今回の能登半島地震における震度分布を振り返っておこう(図表1参照)。

能登半島は震度6以上、最大震度7の大きな揺れに見舞われたが、さらに広く、能登半島を中心に新潟県から福井県にかけての北陸地域全体で震度5以上の地域が分布していたことが図からうかがわれる。ちなみに震度5弱は「大半の人が、恐怖を覚え、物につかまりたいと感じる」揺れであり、震度6弱は「立っていることが困難になる」揺れとされている。なお最大区分の震度7は「揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある」揺れとされる。

■ここ100年間で震度5以上が最多の都道府県は「東京都」

気象庁は、わが国で発生した1919年以来100年以上の地震の震度データベースを公開している。これによって、震度5以上のかなり大きな地震の回数を都道府県別に集計したデータを図表2に掲げた(注)。青い棒グラフは1960年代以前の51年間の地震回数、オレンジ色の棒グラフは1970年代以降、先月までの54年1カ月間の地震回数をしめした。

(注)図表1で見ても地震回数は「震度5強以上」でカウントするのがよさそうなのだが、震度5および震度6で弱と強が区別されるようになったのはそう古いことではなく、データベース上も1996年10月以降なので長い時系列データを得るために「震度5以上」の回数とした。

【図表】日本列島の各地域でこの50年に、その前の50年を上回る地震が発生

大まかな特徴を見ると、日本列島の地震はこの100年、愛知県より東の東日本と熊本県より南の九州南部・沖縄で多かったことが一目瞭然である。

また、もうひとつの特徴、すなわち1970年代以降の約50年間の方がそれ以前の約50年より多くの地震が発生している点も印象的である。

意外なことに都道府県で最大の地震回数を記録しているのは、この50年も、その前の50年も東京都である。これは、三宅島噴火など伊豆諸島や小笠原諸島の噴火活動に伴う地震を含んでいるからであるが、それにしても首都である東京都で地震の最大回数を記録しているというのはやや驚きである。

この50年で見ると、東京都の57回に次いで地震が多いのは、福島県の52回、茨城県の48回、北海道の45回、宮城県の44回となっており、やはり三陸沖を震源とする東日本大震災の影響が大きいことがうかがわれる。その証拠に東北地方でも日本海側の秋田、山形の値は小さい。

1960年代以前では、東京都の20回に続いて、静岡県と愛知県が同数の17回で多くなっており、この2県については1970年代以降の地震回数より多くなっている。これは終戦前後の東南海地震、三河地震やそれ以前の1920年代~1930年代に大きな地震が発生していたからである。

なお、この100年では、三重県から九州北部の長崎県までの地域は、それ以外の地域と比較して比較的地震が少なかったことが分かるが、この地域には、東海地震と並んで東南海・南海地震という大地震の発生が予測されており、決して安心できるわけではない。

■全国主要8地域の震度6以上の回数の推移でわかること

次に、同じ気象庁の震度データベースで、この100年で地震が多かった東京都と福島県、および震度7以上の大きな地震に見舞われたことのある北海道、宮城県、新潟県、兵庫県、熊本県、そして石川県という合計8地域の年代ごとの地震回数(震度6以上)の推移を図表3に示した。

【図表】阪神淡路大震災以降、列島各地で大きな地震が発生

こちらを見ても、日本のどこに住んでいても大地震の発生がないと安心してはいられないと実感する。

震度7という最大の揺れが大きな被害をもたらすことは今回の能登半島地震で認識させられたところであるが、震度6でも悪条件が重なると震度7以上の被害を生じさせることがある。例えば、東日本大震災は福島県では震度6にとどまっていたが、沖合から押し寄せた津波被害で深刻な原発事故につながった。また1923年に発生した関東大震災は東京都では震度6止まりだったが、下町市街地を中心に大火災を引き起こし巨大かつ凄惨(せいさん)な被害をもたらした。震度が6以下でもけっして安心はできないのである。

■津波の最大の高さ:東日本大震災は能登半島地震の4倍以上

沿岸・沖合が震源の地震では津波による大きな被害が懸念される。東日本大震災では多くの方が津波によって亡くなったが、原子力発電所が高い津波の直撃を受け、原子炉のメルトダウンという深刻な原子力事故につながったことも記憶に新しい。

次に、震災時における津波の高さデータを振り返ってみよう。

能登半島地震については、気象庁の調査班が2024年1月11~20日、石川、富山、新潟の3県のうち、津波被害が特に大きかったとみられる地区で、津波が到達した高さを調べた。この結果を図表4で示した。津波の高さは痕跡高と遡上(そじょう)高に分け、それぞれ海岸線に沿って西から東に並べ直した(原資料では混在)。

【図表】痕跡高の最大は4.7m、遡上高の最大は5.8m

痕跡高(青グラフ)で最も高かったのは能登町白丸の4.7mであり、珠洲市飯田港の4.3m、能登町内浦総合運動公園の4.0m、佐渡市羽茂港の3.8mがこれに次いでいた。

遡上高(緑グラフ)で最も高かったのは上越市船見公園の5.8mであり、同直江津海水浴場の4.5mがこれに次いでいた。

■東日本大震災による津波の遡上高の最大は43.3m

では、東日本大震災による津波の高さはどうだったのか。図表5には、種々の調査による基本的に痕跡高の津波の高さを整理した。

【図表】東日本大震災最大の津波は21.1mと能登半島地震の4倍以上

図表5を見ると、東北・関東太平洋岸6県の非常に長い海岸線に沿って大きな津波が襲ったことが分かる。

また、素人目には、3回のそれぞれの震源地に対応して津波の高さも3つのピークをもっているように見える。ただし、旭市飯岡地区の津波が銚子に比べ高かったのは「遠浅の海底地形が要因」という報告もある(2011年3月30日付読売新聞)。

なお、図には示していないが、東日本大震災の津波の遡上高の最大は、宮城県女川(笠貝島)の43.3mと報告されている(東大郡司凖教授調査)。能登半島地震では上越市船見公園の5.8mが遡上高の最大と報告されているので、東日本大震災の場合は能登半島地震の7.5倍と痕跡高と比較してもさらに高くなっている。

2つの地震は震源の位置など性格が異なるので、津波の高さで規模の違いを単純に推し量ることはできないが、それにしても東日本大震災の恐ろしさにあらためて目を見張らせられるデータといえよう。いずれにしろ明確なのは、われわれ日本人はこの2つの地震を含むここ100年間の大地震の数を再認識し、防災意識を絶対に忘れてはいけないということだ。

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本川 裕(ほんかわ・ゆたか)
統計探偵/統計データ分析家
東京大学農学部卒。国民経済研究協会研究部長、常務理事を経て現在、アルファ社会科学主席研究員。暮らしから国際問題まで幅広いデータ満載のサイト「社会実情データ図録」を運営しながらネット連載や書籍を執筆。近著は『なぜ、男子は突然、草食化したのか』(日本経済新聞出版社)。

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(統計探偵/統計データ分析家 本川 裕)

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