1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「早期発見・早期治療」でも止められない…認知症に悩む高齢者に現役医師が「諦めたほうがいい」と語るワケ

プレジデントオンライン / 2024年2月13日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/koumaru

認知症にはどのように備えればいいのか。医師で作家の久坂部羊さんは「早期発見・早期治療が重要だといわれるが、治療や予防の方法は確立されていない。むしろ、早期発見で本人も周囲も認知症を強く意識することで、ストレスを抱えるリスクがある」という――。(第2回)

※本稿は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

■医療にはいい面と悪い面がある

何事にもいい面と悪い面があります。医療も同じです。

ところが、医療者が医療のいい面ばかりしか語らないので、世間は医療幻想ともいうべき状態に陥っています。医療の進歩はすばらしい、これまで治らなかった病気も治るようになった、医療にかかれば安心、健診や検診を受けておけば大丈夫――。

しかし、医療の悪い面を知っている私としては、この状況に不健全なものを感じざるを得ません。医療の限界や不備、不条理や不確実性などに目を向けず、漫然と安心していていいのか。医療の悪い面も知ることが、患者さんと医療者の健全な関係につながるのではないか。そう思うのですが、ネガティブな話には耳を傾けたくないという人も多いようです。

医療者もまた、医療のネガティブな話は語りたがりません。それを語ることは自己否定につながるからです。だれしも自分のやっていることの悪い面は話したくはないでしょう。しかし、医者同士の飲み会に行くと、世間にはとても聞かせられないような話がポンポン飛び出します。

たとえば、無駄な検査や治療は収益を上げるためとか、CTスキャンで浴びる放射線は恐ろしいとか、外科医だって二日酔いや夫婦喧嘩のあとは手術の調子が悪いとか、念のためという便利な言葉で薬と検査を追加するだの、がん検診は穴だらけだの、がん難民という言い方はメディアが作った言いがかりだの、認知症は治らない、予防もできない、でもほんとうのことを言うと患者さんが来なくなるので言わない等々です。

■医療者にできることにも限界がある

医療者も人間ですから、能力や体力には限界があり、人柄もよい人ばかりではないし、精神状態もいつも安定しているわけではありません。今は専門性が細かく分かれていますから、自分の専門以外のことはわからない医者もたくさんいます。

にもかかわらず、世間は医療者にスーパーマンのような能力と、キリストや釈迦(しゃか)のような人格を求めます。最高の技術と最先端の幅広い知識を備え、常に患者さんのことを考え、ミスを犯さず、判断もまちがえず、親切で患者さんの気持ちに寄り添い、説明もわかりやすく、気さくでまじめで親しみの持てる頼りがいのある存在です。

患者の手を握る看護師
写真=iStock.com/David Gyung
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/David Gyung

以前、ある全国紙の社説に、「患者の病気を治すのは当然として、ひとりひとりの悩みや苦しみにも共感し、身体のみならず精神面でのきめの細かい対応をしてほしい」と書いてあるのを見て、私は愕然としました。性格も人生経験も手持ちの情報も異なる個々の人に、そんな対応ができるわけがありません。それができると思うならそれこそ幻想です。

しかし、天下の大新聞が臆面もなく書いているので、世間はそれが当然だと思い込むでしょう。医療者のほうも、「そんなこと、できるわけがない」などと言うと、不真面目、やる気がない、努力が足りないと批判されるのを恐れて、身内の飲み会以外では滅多に口外しません。

こうして世間と医療者の意識に大きなギャップが生じ、現場でよけいな軋轢や失望やもめ事が頻発することになります。

■「それはわかりません」とは言いづらい

私は医療者がもっと正直になればいいと思いますが、プライドが高いので、世間の期待には応えられませんなどとはなかなか言いません。専門家も同じで、「それはわかりません」とは口にしにくい。

2020年から約3年、日本中を席巻したコロナ禍で、世間は専門家の意見を強く求めました。どうすれば予防できるのか、感染したらどうすればいいのか、いつまで自粛すればいいのか。

しかし、新型コロナウイルスはその名の通り“新型”ですから、研究データの積み重ねがありません。従って確実な予防法や治療法を決定することはできないはずです。にもかかわらず、「新しいウイルスなので、確かなことは言えません」と発言する専門家は皆無でした。そんなことを言うと、信頼を失い、だれも見向きしなくなるからです。

■専門家の意見は参考材料に過ぎない

そこで発表されるのが、過去のデータに基づく憶測です。それが正しいかどうかは、時間をかけてデータを集め、検証しなければわかりません。

にもかかわらず、世間および政府は専門家の発表を信じて、やれ会話をするな、密室に入るな、密着するな、密集するな、不織布(ふしょくふ)マスクをつけろ、アルコール消毒をしろ、アクリル板を立てろ、店を閉めろ、営業するな、県外には行くな、飲むな、騒ぐな、歌うな、パチンコをするな等、生活に厳しい制限を課しました。

専門家の意見はあくまで参考材料であって、確かなものではありません。正しいかどうかわからないという冷静な判断をする人が多ければ、自粛警察などは発生しなかったでしょうし、マスクを忘れて電車に乗っても、犯罪者のような目で見られることはなかったはずです。

■認知症の早期発見・早期治療への疑問

厚労省や医師会の発表を見ていると、認知症には早期発見と早期治療が重要であると強調されています。たしかに、独り暮らしの高齢者の場合などは、認知症を放置しておくと、本人だけでなく周囲にもさまざまな危険(失火やガスもれなど)が及びますから、早期に対処したほうがいいでしょう。

しかし、家族と同居している場合や、近くに見守る身内がいる場合もそうでしょうか。

早期発見・早期治療は大事に決まっていると言う人は、医療幻想にとらわれていると思います。なぜなら、現段階では認知症を早く見つけても、治療法も悪化の予防法もわかっていないのですから。

車椅子と高齢者
写真=iStock.com/mapo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

逆に、早期発見してしまうと、本人も周囲も認知症を強く意識するようになって、ストレスから疑心暗鬼に陥る危険が生じます。ちょっとしたもの忘れや勘ちがいでも、認知症のせいではないか、認知症が悪化したのではないかと思ってしまうでしょう。

また、認知症の診断をつけられてしまうと、いくらまだ早期だと言われても、自分は認知症なんだと繰り返し思ううちに自己暗示にかかり、落ち込んだり悔やんだりして、逆に進行を早める危険もあります。“知らぬが仏”“病は気から”という言葉もある通り、病気を知ってしまうことで、自分から病気を悪化させることもあり得ます。

医療者にも認知症の早期発見を勧める人がいますが、発見したあとどんな治療をするのか聞いてみたいです。先にも述べた通り、現在ある治療薬は、認知症を治すでもなく、進行を止めるでもなく、単に進行を遅くするという生半可なものです。進行を遅くできればいいじゃないかと思うかもしれませんが、もともとの進行のスピードが人によってちがうのに、その人の進行が遅くなったかどうかなど、だれにもわかりません。

■「薬を飲めば改善する」というわけではない

実際、私は在宅医療で認知症の患者さん約300人に治療薬を処方しましたが、少し症状が改善したかなと思えたのは一人だけでした。逆に薬の副作用で興奮したり、徘徊(はいかい)がひどくなったりした人が二人いて、すぐに薬を中止しました。

患者に処方した薬の説明をする医師
写真=iStock.com/SARINYAPINNGAM
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SARINYAPINNGAM

残りの297人ほどは、ほとんど変化がありませんでした。もちろん、この人たちも薬をのんでいなければ、もっと進行したのかもしれません。しかし、のんでいなくても変化がなかったのかもしれません。

周囲も当人も認知症を受け入れる気持ちになれば、早期診断・早期治療の呪縛からも解放され、年を取ればこんなものと、軽く受け止めることができるのではないでしょうか。そういう状況は、仮に認知症になったとしても、比較的、周辺症状は少ないまま穏やかに過ごせると思います。

■病名がわからず不安になる高齢者男性

私がかつて勤務した老人デイケアのクリニックでは、リハビリの施設もあり、理学療法士がいろいろなリハビリをしていました。

脳梗塞で車椅子生活だったJさん(78歳・女性)が、リハビリの甲斐あって自分の脚で少し歩けるようになりました。それまでは立ち上がることもできなかったので、大きな進歩です。Jさんは涙を流して喜びました。

「先生、ありがとうございます。こんな嬉しいことはないわ」

私は利用者さんたちの前でそのことを報告しました。

「Jさんはみなさんに励まされて、歩けるようになりました。みなさんも頑張ってください」

職員たちが拍手をし、利用者さんたちもそれに倣いました。近くにいたJさんの友だちが、「あんた、よう頑張ったな」と肩を叩くと、Jさんは涙と笑いで顔をクシャクシャにしていました。

すると突然、同じく歩行困難のあるGさん(72歳・男性)が、さっと手を挙げてこう言いました。

「先生。僕にもマイクロ(超音波治療器)をやってください。ローラーベッドもして、リハビリももっと増やしてください。お願いします」

我慢の限界を超えたような切羽詰まった声でした。

Gさんの歩行困難は少し変わっていて、亀のように背中が丸くなり、変形性膝関節症のため脚が極端なO脚で、うまく足が運べないのです。神経症状で杖もうまくつけず、脳梗塞やパーキンソン病ともちがう珍しい病態でした。大学病院でも検査を受けたそうですが、診断がつかず、病名は不明とのことです。それでよけいに苛立ち、不安と焦りを感じていたのでしょう。

■「老化のせいです」と言われたら希望がなくなる

「大学病院で診てもろたのに、なんでわからんのやろう。ちゃんと診てくれたんやろか」

Gさんは何度もそう繰り返していました。彼には大学病院ならどんな病気もわかるという思い込みがあったようです。もちろん、大学病院でもわからないことはいくらでもあります。

多くの高齢者は障害が起こると、その原因を知りたがります。病名を知りたいのです。病名がわかると少し安心します。治る希望が持てるからです。「病気ではありません、年のせいです」と言われるとがっかりします。老化は治らないと思っているからです。

窓際の椅子に座っている高齢者
写真=iStock.com/Hanafujikan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hanafujikan

Gさんの歩行困難は神経性のもので、広い意味では老化による神経機能の低下が背景にあります。いつ転倒するかわからないので、車椅子を勧めますが頑として受け付けません。

「まだそんなもん、いりませんわ。それよりマイクロをお願いします」

超音波治療器はマイクロ波を照射して血液循環を改善させ、痛みを和らげるために使うものなので、Gさんの歩行困難には適用がありません。それでも以前から理学療法士にねだって、目的がちがうと説明しても納得せず、しつこく希望するので困るという報告を受けていました。今回、関節痛で超音波治療を受けていたJさんが歩けるようになったことで、Gさんは気持ちが沸騰し、矢も盾もたまらず私への直訴となったのでしょう。

Gさんの歩きたいという気持ちはわかりますが、リハビリをすれば元通りになるというのは幻想です。冷たく聞こえるかもしれませんが、リハビリの実際の効果は世間で思われているよりかなり少ないと思っておいたほうがいいでしょう。以前は無制限に医療保険で受けられたのが、脳梗塞などでは発症後180日までと制限されるようになったのも、それ以上はやっても意味がないと判断されたからです。

■現実を受け入れることで前向きになれる

もちろん、リハビリがすべて無意味なわけではありません。特殊な例かもしれませんが、立命館アジア太平洋大学(APU)の学長、出口治明(でぐち はるあき)氏の場合をご紹介しましょう。

もともと生命保険会社に勤めていた出口氏は、60歳でネット型生命保険会社を立ち上げ、69歳でAPUの学長に就任した人で、何度かお目にかかったことがありますが、常に前向きな姿勢を失わない積極的な方です。

常に前向きというのは、現実をよくしようという姿勢で、私が常々推奨する現実を受け入れる姿勢とは、ある意味、逆です。前向きであれば、現実をよくすることもありますが、いつもうまくいくとはかぎらず、うまくいかなかったときの悔しさや不愉快を考えると、はじめから現実を受け入れ、その中に喜びや充実を見出すほうがいいのではないかというのが私の考えです。消極的かもしれませんが、現実を受け入れるというのは決して後ろ向きではなく、“足るを知る”ということです。

出口氏は72歳のときに脳出血で倒れ、後遺症で重度の右半身麻痺と言語障害となりました。私なら無理な回復は望まず、現実を受け入れて、自分にできる範囲での生活を選ぶでしょう。

しかし、出口氏はちがいました。自分の足で歩くことはあきらめた代わりに、言語機能の回復に全力を投じる決意をしたのです。

■専門的な理論と努力で復活を遂げた

APUの学長に復帰するためには、歩行はできなくても、話せることが必須だったからです。この決断に要した時間は、たったの1秒だったそうです。あれこれ悩むのではなく、少しでも可能性のある道に即決するのが出口氏の流儀です。

とはいえ、私の医学知識では、言語中枢に出血や梗塞の起こった言語障害が回復するとは、とても思えませんでした。ところが、出口氏は懸命なリハビリの結果、ほぼ完璧に話せるようになったのです。前向きな姿勢の勝利です。1年後の2022年に、校務に復帰し、APUの入学式で新入生歓迎の挨拶をした出口氏の動画を見て、私は完全にかぶとを脱ぎました。

久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)
久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)

出口氏はただがむしゃらに頑張ったのではなく、専門的かつ先進的な理論の裏付けによるプログラムに取り組んだのでした。まさしく新しい発想によるリハビリです。さらに出口氏は毎日3時間のリハビリのあと、麻痺のない左手で古典を鉛筆でなぞるドリルや、家族の名前を書く「宿題」をこなし、家族に声を出して話しかける「自主トレ」を1日あたり6、7時間も行ったといいますから、まったく頭が下がります。前向きな姿勢と言っても口先だけではなく、実際に猛烈な努力の裏打ちがあったのです。

今も言語障害に悩む人は多いと思いますが、出口氏の成功例は大きな励みとなるでしょう。ただし、回復には相応の準備と努力が必要なこと、そして同じ努力をしても、だれもが必ず回復するわけではないということを、あらかじめ心しておく必要があります。

※出口氏の回復については、講談社現代新書の『復活への底力』に詳しい経過が書かれています。

----------

久坂部 羊(くさかべ・よう)
小説家、医師
1955年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部附属病院の外科および麻酔科にて研修。その後、大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で麻酔科医、神戸掖済会病院一般外科医、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(幻冬舎)で2003年に作家デビュー。『祝葬』(講談社)、『MR』(幻冬舎)など著作多数。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞。小説以外の作品として『日本人の死に時』、『人間の死に方』(ともに幻冬舎新書)、『医療幻想』(ちくま新書)、『人はどう死ぬのか』『人はどう老いるのか』(ともに講談社現代新書)等がある。

----------

(小説家、医師 久坂部 羊)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください