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芦原妃名子さんのマンガに私は本当に救われた…「セクシー田中さん」でベリーダンスを始めた作家が思うこと

プレジデントオンライン / 2024年2月7日 15時45分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Staras

昨年テレビドラマ化されたマンガ『セクシー田中さん』の作者・芦原妃名子さんが亡くなった。作家の岩井志麻子さんは「このマンガがきっかけで私はベリーダンスを始め、女性に生まれたことの喜びを改めて知った」という――。

■『セクシー田中さん』の「セクシー」はどんな意味か

セクシーというのは、日本語にすればだいたいが「性的魅力、性的興奮、色っぽい、官能的」といったエロティック限定の言葉になるが、英語圏の国々では、性的な雰囲気は抜きで「魅力的、みんなに人気、かっこいい」といった意味合いで使われることもあるのだと、つい最近になって知った。

たとえばセクシー・カーは色っぽい車ではなく、かっこいい車。セクシー・プランなら魅力的な計画なのだそうだ。いやしかし、やっぱりそう知っても微妙な気分になる。

何年か前、環境相が国際的なサミットで気候変動問題をセクシーと発言して問題視されたが、あれも性的な意味合いで使った訳ではなかったのだなと改めてわかったが、やっぱりああいう場でセクシーといえば、どうしても誤解はされるだろう。

だから考えてみれば、我らはなかなかに不穏、不穏当、非日常であるはずの意味の言葉を、けっこう気楽に日常使いしているし、されている。それは私もで、「あなたは多くの人に性的魅力を振りまいていますね」といった誉め言葉、ときにはお世辞として口にしてきた。

私にしては気合いを入れておしゃれしたとき、セクシーといわれれば素直に賛辞と受けとめにっこりする。

改めてセクシーの意味を調べよう、ちゃんと確かめてみようとしたのは、ドラマ化もされた人気マンガの『セクシー田中さん』を読んだからだ。

■すべての登場人物に体温が感じられる

主人公は、優秀で仕事もできるが、独身で彼氏も友達もいないアラフォー。髪をひっ詰め地味な眼鏡、化粧っ気もなく無口、社内では皆に変わり者扱いされている田中さん(40)。

ところが田中さん、夜は濃い舞台メイクをして露出度の高い衣装をまとい、ペルシャ料理店で妖艶な、まさにセクシー全開のベリーダンサーとして踊っていたのだ。

夜のセクシー田中さんを見つけたのが、同じ会社の派遣社員である倉橋朱里(23)だ。朱里は一見すると、すべて田中さんとは対極にあるような、「誰からも愛され系」の女子。傍からは人生イージーモードなのに、すべてに流されていくような自分が好きではなく、ベリーダンサーの田中さんを知る前から、自分をしっかり持っている孤高の人だと憧れていた。そして朱里から接近し、2人は年齢差も性格の違いも超え、親友になる。

そんな田中さんもいつも自分に自信がなく、自分を変えたいとベリーダンスを始め、そこで出会った既婚の料理店マスターに惚れてしまう。マスターこそセクシーでモテ男だが、田中さんに対しては真面目に向き合い、軽率に手は出さない。

若いのに古風、保守的、昭和脳と評される笙野浩介も現れ、田中さんに惹かれていく。朱里は幼い頃からモテ続け、今も学生時代からの中途半端に友達で彼氏みたいな仲原進吾と、合コンで会ったチャラ男に見えて意外と純な小西一紀との間で揺れている。

■マンガに影響を受けてベリーダンスを始めた

これら主要な登場人物だけでなく、彼らの親も含め、脇役から通行人に近い人まで、すべての人に深い物語と生々しい感情がある。だからどの人も主人公足り得るし、2次元を超えた、生きている人、血肉が感じられる存在となっているのだ。

私も還暦を目前にしてベリーダンスを習い始めたのも、このマンガにかなり影響を受けたからだ。そのときも私はタイトルのセクシーを、色気よりも魅力と解釈していた。

お腹を出して妖艶に官能的に腰を振る踊りは、世界最古の踊りという説もあり、元は祭事だ神への祈りだともいわれながら、イロモノ、キワモノ扱いもされる。そう、衣装や踊りがずばりセクシーだからだ。

発祥の地では娼婦の踊りともされ、戒律の厳しい地域では禁じられてもいる。田中さんも、それを承知している。だからこそ始めたし、楽しんでいるともいう。

実際に踊ってみれば、わかる。娼婦でないのに娼婦と見られても、いつ脱ぐのなどと誤解されても、男に媚びていると決めつけられても、踊り手は強く否定や反論はせず、そうかもしれませんね、と微笑み返せる。

ベリーダンスは女に生まれたことの喜び、女の体を持っていることへの誇りを持たせてくれる。あらゆる雑音も賛美も謗(そし)りも受け入れ、セクシーを賛辞に持って行ける……。

そんな喜びと自己肯定をくれた素晴らしい物語はしかし、ご存じのように未完となってしまった。

■「セクシー」が持つふたつの意味

テレビドラマ化の際、原作をかなり変更されたことに悩んでのことだといわれているが、今となっては作者の芦原妃名子さんの本当の思いなど誰にもわからない。

ただし、芦原さんはあれほど読者を大事にされていたのだから、読者がそれぞれ自分の中で別の物語を創作したり、世界を広げていくことは、喜んでくださると思う。

このマンガによってセクシーには別の意味もあるのを知ったと前述したが、ふとそこから思いつき、セクシーの対義語は何かと調べてみた。

直截的には、否定を表すUNやNOTをつけてアンセクシー、ノットセクシーとなるが、それでは情緒に乏しい。そんなことを考えていると、思いがけない発見をした。

虚を突かれた感じにもなったのは、セクシーに「清楚」「清純」といった解説もあれば、「猥褻」「卑猥」とする向きもあるのだ。

なるほど、セクシーの対義語が「清純」であるのも納得できる。一方で、「猥褻」はセクシーの類義語であるから、セクシーの対極の言葉と考える人もいるのだった。

■題材がベリーダンスだった理由

そこから私は、もし逆に田中さんが朱里をうらやみ、一般男性に受ける服装や化粧をして婚活に励んだら、と想像してみた。

絶対、そこにベリーダンスは選択されないだろう。なぜならそこではベリーダンスのセクシーは、卑猥の類義語となるからだ。朱里が田中さんに興味を持たず、当初の目標通り「堅実なそこそこの男」との結婚を果たしていたら、やはりベリーダンスはどこにも関わってこない。もしベリーダンスを見ても、セクシーは卑猥でしかないだろう。

現実では、婚活に励むアラフォーも趣味でベリーダンスはしているし、そこそこの男と結婚した若い女性も楽しみでベリーダンスはしているが、やはりこのマンガの2人は「背筋を伸ばしたくて始めて」「背筋を伸ばせた」ベリーダンスだからこそ結びついた。

赤い衣装を身に着けてベリーダンサーがダンススタジオで踊っている
写真=iStock.com/Paulina Rojas Gonzalez
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Paulina Rojas Gonzalez

ゆえに私は、『セクシー田中さん』におけるセクシーは、猥褻の対義語である、清楚に一票を投じる。田中さんはセクシーでありつつ、清楚だ。ベリーダンス姿を猥褻と見る人はいても、田中さん本人がセクシーを貫いているから。

■自分の後ろ姿が語ること

それにしても、今現在コミックスの最新巻である7巻を読み返すのは切ないが、1巻目の冒頭には勇気をもらった。1ページ丸ごと、田中さんの後ろ姿だ。

何でもないシンプルな制服の長袖シャツに、タイトなスカート。後ろで一つ結びにした、長い黒髪。朱里はその後ろ姿の姿勢の良さ、体のラインの美しさに、「絶対 何かやってる」と気づき、見抜くのだ。

地味なアラフォーの体形が変わったなど、朱里以外は誰も気づかないどころか、後ろ姿など見る人もいない。でも、朱里だけはセクシーだと見惚れた。

「私は本心など誰にも見透かされていない」と思っていた朱里は、なんでもない後ろ姿から、田中さんのベリーダンスだけでなく心の持ちようまで見透かしたのだ。

自分の後ろ姿も何かを語り、誰かがきっと何かを気づいてくれる。それを教えてくださった芦原さんのマンガに出会え、ベリーダンスも教えてもらえ、私も世界が広がった。

芦原さんのマンガは、これからも寂しい後ろ姿の人たちを救い続けていくはずだ。

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岩井 志麻子(いわい・しまこ)
作家
1964年、岡山生まれ。少女小説家としてデビュー後、1999(平成11)年「ぼっけえ、きょうてえ」で日本ホラー小説大賞受賞。翌年、作品集『ぼっけえ、きょうてえ』で山本周五郎賞受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。近著に『でえれえ、やっちもねえ』(角川ホラー文庫)がある。

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(作家 岩井 志麻子)

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