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日本は「見知らぬ人への人助け」で最下位…イェール大名誉教授「日本人は本当に人助けをしないのか」

プレジデントオンライン / 2024年3月1日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/master1305

■日本人は本当に人助けをしないのか

2024年の1月1日に、能登半島は最大震度7の激震に襲われた。それによって尊い命を失われた方々には、心からの弔意を表するばかりである。被災した地域の一日も早い復興をお祈りしたい。

政府、放送局、各財団からの支援の手が速やかに差し伸べられている。そして東日本大震災の時のように、日本国内からだけでなく外国からも支援が送られている。

たとえば、支援活動を行う日本財団の場合、震災から約1カ月の本稿執筆時点で、12万人余りの人々から6億円を超える基金が寄付されているという。

しかし、世界では日本の寄付活動や博愛活動は活発なほうだとは考えられていない。英国の慈善団体が発表する世界の国々の人助け度合いをランク付けした「世界人助け指数」で、23年の日本の順位は「見知らぬ人への人助け」が最下位の142位。「寄付」「ボランティア」を含めた総合順位は最下位から4番目の139位だった。

とはいえ、米国に住んでいる私からしても、日本には人助けの伝統が残っているのではないかと思う。そして、今回の能登半島地震に対する日本人の反応を見ると、「日本人の利他心」がこれからより強化されていくように思うのだ。

地震が起きたことは不幸なことではあるが、この機会で日本人の慈善心が目覚め、博愛活動がより盛んになっていくことが望ましい。今回は災害等に寄せられる寄付金、支援金の果たす役割について考えてみよう。

■そもそも経済学とは何か

経済学の目標は、第1に、いかに国民全体が享受できる財やサービスを大きくするか、言い換えれば、国民全体が享受するパイをいかに大きくするかにある。そして第2に、還元されたパイを国民の間でどう分配していくかという所得分配にある。

第1の問題に比べて、第2の問題は誰にどれだけの財やサービスを配るかという価値判断が絡むため、説得力のある回答をするのが困難だ。異なる価値観があふれる近代社会において、何が公正かを決めるのは「神々の争い」だというマックス・ウェーバーの有名な言葉もある。

国民のパイをいかに大きくするかという第1の問題については、軍備や警察などの公共財のように政府の介入が必要なものはあるが、ごく大まかに言えば、自由競争に任せて社会成員に自己の利益を追求させ社会の効率を上げればよい。しかし、所得分配の問題の場合、各個人が他人の状況に共感することができなければ、公正な分配を実現できないのだ。

現在、経済学で有力な分配の正義の理論は米国の哲学者、ジョン・ロールズによるものである。ロールズによれば、社会で「公平としての正義」が成り立つのは、社会で最も恵まれないものの福祉が最大になるような状態である。

「原初状態」という、我々の生まれる前の状態を考えてみよう。原初状態の下では、我々は自分が貧乏に生まれるか、金持ちに生まれるかわからない。健康な体で生まれるかどうかもわからない。ましてや、どのような人生を送り、どのような経験をするかもわからないのだ。

自分がどう生まれるかわからない「無知のベール」の下で、公正な社会は何かと聞かれれば、「我々が最もみじめな状態で生まれたときに許容できる最上の状態が与えられる社会だ」とロールズは答える。そこで「最も恵まれない人の状態が最善になる状態」、ゲーム理論で言えば、最大の損失を最小化する「ミニマックス」(Minimax)の状態を社会的正義の目標としようというのだ。

しかし、人間は原初状態を経験しないし、「無知のベール」の下にもない。そして、人は様々な既得権益や、あるときには限界状況を抱えて生まれてくる。そのため、ロールズの「正義論」は正義の問題を考えるのに極めて重要な思考実験をしてくれるものの、同時に正義を社会的に実現することが極めて困難なことを示す学説ともなっているのである。

■公正な社会の実現には寄付文化が必要だ

次のような民話を聞いたことがある。日本の山奥に寒村があり、冬は雪で山のふもとの人との連絡が不可能になる。村が雪で隔離される前にふもとの住人は、米俵を峠の登り口に置いておく。春になって峠を交通できるようになると、その米俵がどうなっているかを、ふもとの人は確かめる。米俵がそのまま残っていれば峠の住民は無事だったことになるが、消費されていれば米俵が峠の人を救ったことになる。このような民話は、日本社会にも人助けの強い伝統があることを示すのであろう。

ただ世界の統計でみると、(何を指標にするかには議論があっても)寄付文化、寄進文化が進んでいるのは、企業や実業家の寄付活動の盛んな米・英や、宗教の支えで庶民の寄進活動を支えるイスラム教の国々だ。

ザカートの概念
写真=iStock.com/Mohamad Faizal Bin Ramli
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mohamad Faizal Bin Ramli

旧約聖書に「10分の1税(タイス)」というものがあり、西欧では「年間の所得の10分の1を慈善活動に回せ」というのが一つの緩やかな(しかし、必ずしも守られるとは限らない)基準となっている。それに加え、消防署、警察、地方公共団体、卒業した大学、病院などから絶えず寄付の依頼があるのが普通だ。税額の一部が控除されることもあり、年の終わりには寄付が集中する。ちなみに、わたくしが能登半島地震の被害に対してささやかな寄付を決意したのは、米国に住むという周囲の環境にもよるが、NHKの国際放送で能登の地面が激動する画面を目撃したからであった。

1997年のアジア金融危機のころ、私はインドネシアを訪ねたことがあるが、現地の駐在員から次のような話を聞いた。「イスラム教のインドネシアの人たちは強い助け合いの心を持っている。役場にはいつもツボが置いてあり、そこに豊かな人が米をいつも寄進している。必要な人はいつもツボから米を手に入れることができるのだ」

同様のことが、イスラム地域全体についても言える。片倉もとこ(元国際日本文化研究センター所長)さんが、人に幸せをもたらすことで自分の心の平安を得られることを、『ゆとろぎ イスラームのゆたかな時間』(岩波書店、2008年)に美しい文章でつづっている。「弱い立場にあるものを保護するのが義務」という「草の根の弱者救済」の精神がイスラム教にあり、この考え方は多くのイスラム教徒に広まっているというのである。

■「人助けをしない国」のイメージを払拭する方法

寄付文化を日本で今よりも盛んにするためには、今後、息の長い様々な努力が必要である。米国のように税額の一部が控除されるなど、税制にも工夫が必要だ。

寄付活動がより盛んになり、日本が往々にして紹介される「人助けをしない国」のイメージを払拭することを祈りたい。

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浜田 宏一(はまだ・こういち)
イェール大学名誉教授
1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。近著に『21世紀の経済政策』(講談社)。

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(イェール大学名誉教授 浜田 宏一)

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