東電に「命をかけろ」と言ったのは間違いではなかった…東日本大震災を陣頭指揮した菅直人の自戒と教訓
プレジデントオンライン / 2024年3月11日 6時15分
■東日本に人が住めなくなるかもしれない「最悪の事態」だった
――東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から13年がたちます。当時の菅直人内閣の危機対応は強い批判を受けましたが、当時の対応をどう振り返られますか。
福島原発事故は、対応を誤れば東日本に人が住めなくなるという事態でした。自衛隊をはじめいろいろな人が頑張ってくれましたが、東日本に人が住めなくなる「最悪の事態」まで被害が拡大しなかったことは、言葉は難しいですが、ある種の達成感はあります。
――一方で、原発事故により福島県などからの避難を余儀なくされ、今も故郷に帰れない方々も大勢いらっしゃいます。
それが原発事故の怖さなんですね。(避難指示は)仕方がなかったとはいえ、多くの方が元の生活に戻れずにいることについては、大変申し訳ないと思います。
■「自衛隊10万人動員」を早々に決断
――震災が発生した時、首相として何を最優先に考えて行動しましたか。
二つの要素がありました。地震と津波という自然災害と、それに伴い発生した福島原発事故。二つの非常に危機的な状況に、同時並行で対応することを迫られました。
この二つにどう対応するか。まず、地震と津波の自然災害については、北澤俊美防衛相(当時、以後同様)が中心となり、自衛隊を早々に10万人派遣するという最大限の体制をとりました。力のあるベテランの北澤さんが防衛相だったことで、防衛省の動きが早かった。10万人もの自衛隊員を動員できたのは、北澤さんの力です。
■「東京からの国民の避難」も視野に入れていた
もう一つの原発事故は、自画自賛のように聞こえてしまうかもしれませんが、東京工業大学の応用物理という比較的原子力に近い分野を学んでいた私が偶然首相だったことは、その意味では良かったと思っています。
台風などの自然災害であれば、たいていの人が大なり小なり体験していて、ある程度は常識で対応を判断できると思いますが、原子力災害は日本で初めてでした。原発は特殊な装置であり、東電の社長や会長でさえも、原発の構造や原理をよく理解していません。経済産業省の原子力安全・保安院から来ていたトップ(寺坂信昭院長)は経済学部出身でしたし。もちろん(福島第一原発の)吉田昌郎所長は原子力の専門家で、彼が非常に頑張ってくれたことには、とても感謝しています。
原子力災害への対応は私が直接しましたが、それに伴う住民避難の問題は、枝野幸男官房長官と福山哲郎官房副長官が対応を考えてくれました。
「原発がどういう状況に陥っているか」と「どこまでの避難が必要か」は、まさに裏表です。原発が本当に危なくなったら、東京から住民を避難させなければなりません。そういう最悪の事態は避けられましたが、可能性は確かにありました。言葉にこそしませんでしたが、私自身、そういう危機感を持っていました。
原発事故への対応と住民避難、被災者の救援という課題を、首相の私と、官房長官と副長官、そして防衛相が、連携しながら役割分担した。内閣の中での役割分担が、それなりに機能したと思います。
■なぜ発生翌日に首相自らヘリで現地視察をしたのか
――自衛隊に最大限の出動を求めることは、どのように判断したのですか。
地震発生の翌日(3月12日)、ヘリコプターで被災地を上空から視察しました。福島第一原発を視察した後、さらに北のほうまで飛んでもらいました。
海岸線がありませんでした。広範囲にわたって海と陸の境目がなくなっていたのです。
私自身が早い段階であの現場を見たことが、自衛隊の最大限の動員につながったと思います。北澤防衛相も頑張ってくれました。
――菅さんがヘリで現地に飛んだのは、原発の状況が官邸に入ってこないため、現地で状況を直接聞くのが最大の目的でした。もし原発事故が起きなかったとしても、津波被害を視察に行ったと思いますか。
たぶんね。原発事故は(被害が目に)見えないけれど、津波被害は見えますから。上空から見れば、海がどうなっているか、ある程度リアルな実感として分かります。原発事故と津波被害は性格が違うけれど、私の感性からすれば、どちらもきちんとこの目で把握すべきだと思ったでしょう。
■「国防がおろそかになる」批判は的外れ
――自衛隊10万人体制については、当時野党だった自民党から「国防がおろそかになる」などの批判がありました。
ヘリで上空を視察した時、被害の大きさが想像できました。だから、北澤防衛相と連携して、自衛隊の最大限の動員を目指したのです。震災では現実に多くの人が亡くなりました。自衛隊10万人派遣について「(規模が)大き過ぎた」というのは、的外れな批判だと思います。
防衛とは1年365日、一定のレベルの警戒心を常に持っている必要があります。しかし、大震災や原発事故などの緊急事態が現実に起きた時、平時とは違う形での大規模な自衛隊派遣が必要だと考えれば、それを決断する。それが首相や防衛相の責任です。
小規模な災害であれば、全国の消防や警察から人材を集めることもできますが、召集には時間がかかります。自衛隊は国の組織なので、首相や防衛相の命令で、指揮下にある何十万の隊員を動かすことができます。
それに、自衛隊は戦争という最大の危機に備える組織。飛行機でもヘリコプターでも自動車でも、大規模災害に即応できるさまざまな移動手段や装備を持っています。
あの時は、私の判断と北澤防衛相の判断が一致したこともあり、自衛隊には非常によく動いてもらったと思います。
■岸田首相の能登半島地震の初動対応
――元日に発生した能登半島地震では、初動対応について「自衛隊派遣の規模が小さかった」との指摘があります。
現政権のことをあまり言いたくはありませんが、岸田文雄首相が官邸の執務室で1人で座って対応していたのなら、私の感覚とは全然違います。
――被災地が半島だったため「早期の現地入りが難しかった」との声もあります。
「行けるか、行けないか」ではありません。首相が「これは大変なことだ」と思って、自分の目で被害状況を「見たいと思うか、思わないか」なのです。たとえ何が起きていようが、首相が「行く」と言えば、自衛隊は動きます。
現在の状況は平時を超えています。トップが現場を見て、判断できることは自分で判断しなければいけないのに、岸田首相は何もしていません。
道路が寸断されたのなら、ヘリコプターで上空を飛べばいい。自分で現場を見て「これは大変だ」と思うか、上がってくる情報を待っているかで、2日後、3日後の対応は違ってきます。危機の時にはその2日、3日の差が非常に大きい。岸田首相にはその意識が足りなさすぎます。
原発事故のような非常時には、自衛隊や、場合によっては米軍にも、大きな範囲で動員を求めることが必要になります。そういう「大きな判断」をするためにも、首相が早い段階で、上空からでも被害状況を確認すべきだったと思います。
■「岸田さんは危機管理には適さない首相」
――岸田政権は今、自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金問題も抱えています。
派閥政治ばかりやっていて、裏金問題で頭がいっぱいだったのでしょう。思えば私の政権の時も、いろいろな政治的な問題がありました。
――震災の前年(2010年)夏の参院選で敗れて「ねじれ国会」となり、党内では小沢一郎さんとの対立など、政権運営に苦慮されていましたね。そんな中であの震災が起きました。
政治的な駆け引きと、自然災害や原発事故のような(非常事態の)問題は、当然ですが次元が違います。国民が生命や財産の被害を受けそうだという時に政治が何をすべきか、ということは(平時とは)次元の違う形で考えなければいけない。それは首相の仕事ですが、そういうことへの感性が感じられないのです。危機管理には適さない首相だと思います。
■東電社員に「命をかけろ」と言った意味
――原発事故発生から4日後の3月15日、菅さんは東電本店に乗り込み、原発からの「撤退はあり得ない」と社員に向けて演説しました。「逃げても逃げられない。命をかけてください」と。あれは衝撃でした。「市民派」政治家の菅さんが首相となり、結果として戦後の首相として初めて、国民に対し「国のため命をかけろ」と言わなければいけなくなった。振り返ってあの発言をどう思いますか。
感覚は全く変わっていません。
首相という立場の人間が、いや、政治家全体もそうですが、「命をかける」などという言葉を中途半端に口に出すべきではありません。これは震災の前も震災当時も、もちろん今もそう考えています。
しかし、福島原発事故は、極論すれば日本の半分が壊滅しかねないような事故だったことが、後でわかってくるわけです。相当のリスクがあったとしても、対応できる部隊に対応を指示するしかありません。その最大の存在が自衛隊です。
1986年のチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故で、当時のソ連は多くの人が亡くなる可能性があるのを承知で、現地に人をどんどん送って事故に対応しました。少なくともある種の職業には、そういう役割が求められることがあります。
大勢の国民の命を助けるために、多少のリスクや危険性があっても、そのリスクに耐えるトレーニングを受けている人がいるのなら、その人たちに頑張ってもらわなければなりません。あの時はそういうギリギリの場面でした。
■「東電のせいで壊滅した」なんて言えるはずがない
――政府が民間企業である東電との「統合本部」を設置したことについても、当時は「政府が民間企業に介入するのか」といった批判がありました。事故対応で命をかけなければならない場面もあることを考えると、原発を抱える電力会社が民間企業であるという組織形態は正しいのでしょうか。
原発を100%公的に管理すべきだ、という発想はありません。でも、もし原発で事故が起きた時、第一義的に対応すべき電力会社に対応する能力がなければ、政府がやるしかありません。
福島原発事故では、東電本店は何も機能しませんでした。しかし、その結果被害を受けるのは国民です。原発が制御不能になり、放射性物質をどんどんまき散らしたら、東京から、関東から逃げ出さなければならなくなる。その時に政府が「東電のせいで(東日本が)壊滅しました」なんて、絶対言えませんよ。
――能登半島も原発立地地域です。幸い福島原発事故のような事態にはならなかったようですが、半島という立地もあり、事故があれば住民が逃げ切れなかった可能性もあります。改めて日本の原発のありようについてどう思いますか。
私の結論は非常にはっきりしています。原発に依存するのは諦めるべきです。
今は「原発がなければ日本中で停電が起きる」といったことはありません。再生可能エネルギーで日本の電力のすべてを賄うことは、技術的にも問題なくなっています。一方で、事故が起きた時のリスクは高い。原発はもうやめるべきです。
■「安全神話」の中では危機管理はできない
――「平時」が「非常時」に切り替わった時、政治のリーダーはどうあるべきでしょうか。
「非常時」がいつ起きるかは、誰も予期できません。だから平時のうちに最低限「最悪の事態」を想定した準備をしておくことが大切です。
福島原発事故の時、経産省の原子力保安・検査院のトップが経済学部出身だったと言いましたが、米国ではこんな人事は考えられません。一定のレベルを超えた専門性を持った人間を担当させます。残念ながら日本では、原発のことを知らない人を(保安院の)トップにするような人事を、平気でやってしまう。これを「平時」の発想というのです。
「安全神話」という言葉で分かるように、日本では「危機は起こらないもの」と考えられています。だから、危機に自分たちで対処する発想がない。個人の問題なのか、自民党という組織全体の問題なのか分かりませんが、少なくとも岸田首相には、そういう意味での危機管理的発想は感じられません。
――その割に自民党は「憲法に緊急事態条項を盛り込め」などと主張しています。
逆なんですよ。危機管理のために必要な準備を整えることと、単に格好をつけることがごっちゃになっている。危機の時に何をやっていいか分からないから、あんなことを言うのではないでしょうか。
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ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)、『野党第1党 「保守2大政党」に抗した30年』(現代書館)。
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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)
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