「日本人は無宗教」は勘違いである…クリスマスを祝い、初詣で神社に行く日本人の「宗教好き」を考える
プレジデントオンライン / 2024年3月13日 6時15分
※本稿は、瓜生中『教養としての「日本人論」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■日本人は「無宗教」ではない
日本には今も約7万7000カ寺の寺院と約8万8000社の神社があるといわれている。これに家々や会社の敷地内やビルの屋上にまつられているお稲荷さんの社などを加えれば、とてつもない数の神社が存在することになる。さらに、路傍や田畑の畦道にまつられている地蔵や馬頭観音などの石仏、庚申塚や道祖神などを入れれば、それこそ天文学的な数字になるということができるだろう。
また、初詣には神社と寺院を梯子し、旅行に行けばその行程には必ず神社仏閣が組み込まれている。そして、若い人でもお稲荷さんの社や路傍の石仏に手を合わせる姿は日常的に見ることができる。
日本人は外国人から無宗教だとか信仰心がないなどというレッテルを貼られ、だから、信頼性に欠けるといわれている。しかし、上述したような状況を見れば決してそのようなことはないのである。
ただ、日本人はキリスト教徒やイスラム教徒のように特定の信仰を持たないということは言えるだろう。日本人が古くから拠り所としてきた神社の信仰は宗教というよりも生活の規範のようなもので、神社にまつられている神に鄭重に仕えることによって大過ない日常生活、ひいては人生を送ることができると考えているのである。
■キリスト教徒、イスラム教徒には考えられない日本の信仰
早くから大陸(中国)の文化を受容してそれを自家薬籠中のものにして重宝に使ってきた日本人は、外来の文化や文物に対して寛容であり、その到来物を喜んで受け入れる民族性がある。
平安時代に編纂された私撰歴史書『扶桑略記』には、仏教公伝に先立つこと16年前の522年の条に、渡来系の司馬達等が自邸に仏像を安置して日々礼拝していたという記述がある。おそらくそれよりもはるか以前に渡来人が仏教を持ち込んでいたと考えられるが、日本人は私的な信仰に関してはほとんど関心を示さず、いい意味で寛容な態度を取ったのである。
538年に百済から正式な外交ルートを通じて仏教が伝えられると、蘇我氏と物部氏の間にその受容を巡って熾烈(しれつ)な争いが生じた。しかし、一般民衆はそんなことは意に介さず、隣の住人が仏像を礼拝し経をとなえていても違和感を感ずることもなかったものと考えられる。
横浜の外国人墓地の周辺には日本聖公会やカトリック山手教会などが建ち並び、多くの観光客で賑わっている。そして、日本人のほとんどはそれらの教会にあたかも日本の神社仏閣と同じように礼拝して手を合わせている。これは、キリスト教徒やイスラム教徒には考えられないことだろう。もし、キリスト教徒が自分の教会に行く途中にイスラム教のモスクがあったとしても、足を踏み入れることはないのである。
■キリスト教と浄土宗が混在する一家
また、私の古くからの知り合いにこんな家があった。その一家は家族の集合写真を載せ、聖書の言葉を記した年賀状を毎年、送ってくる。年賀状を受け取った人たちはその一家はみなクリスチャンなのだと思っていた。しかし、近年、その家の主の母親が103歳で亡くなり、通夜、葬式に行って驚いた。
その家は近くに浄土宗の菩提(ぼだい)寺があり、通夜と葬式はその寺の僧侶が執り行った。目を疑ったのは荼毘(だび)に付した遺骨が戻ってきたときのことである。骨箱は黒のビロードの布に包まれ、正面には白い十字架が表されている。後で主に話を聞くと、一家のうちクリスチャンは母親だけで他の家族は全員浄土宗なのだという。そして、その母親も浄土宗の檀家(だんか)だというのだ。
そのため、後日、教会で追悼のミサを行い、その後、菩提寺の僧侶が来て四十九日の法要を営んでから、菩提寺にある先祖累代の墓に埋葬するのだという。つまり、一家の中で一人だけがクリスチャンで、日曜日には教会に通い、しかし、法要などがあると菩提寺にも行く。そういう人と家族が何十年もの間、一緒に暮らしていたのである。
世界では紛争や戦争が絶えないが、その原因の多くは宗教の違いにある。ローマ・カトリック教会は7回にわたって十字軍を遠征してイスラム教との間に熾烈な闘争を繰り広げた。
■明治時代までは「宗教」という概念がなかった
神道が宗教かどうかは難しい問題である。合理的には説明できない事象を、神という普遍的な存在に解明してもらおうとする信念の下に、人々が参集するという意味では宗教としての性格を具えている。
ところが、日本では古くから神道は宗教とは切り離して考えられてきた。これは神道に特定の教義書がないということに主な理由がある。特に明治以降、神道は宗教ではないといわれ、今も靖国神社は宗教ではないと明言している。
ただ、日本には仏教が伝来してから、真言宗や浄土宗など「宗」という概念はあったが、「宗教」という言葉や概念がなかった。「宗教」という言葉は、明治になって英語のリリジョン(religion)を翻訳したもので、その意味や概念もそのまま伝えられたのである。だから、明治になって、神道が宗教か否かという問題が一気に浮上した。
これは維新政府が神道を国教化して国家神道を提唱し、そのために神仏分離政策を行ったことと深く関係している。つまり、神仏分離とは神道と他の宗教とを明確に分けることだった。慶応4年(1868)、維新政府は「五箇条の誓文」を発して、新政府の方針を明らかにすると同時に、全国に「五榜の掲示」を掲げて一般民衆にも新政府の方針を知らしめた。
「五榜の掲示」は五条(札)からなる短い訓令で、全国の要所に高札の形で掲げられた。その第三条には「切支丹・邪宗門厳禁」とある。切支丹はキリスト教、「邪宗門」は文字通り「邪な宗教」だが、中核がハッキリしない宗教を指す。これには当時盛んだった念仏会や、キリスト教も含まれる。前半の3条は徳川幕府の法度をそのまま流用したもので、幕府はキリスト教=邪宗門とし、厳しく禁じていたのである。
■維新政府がキリスト教を禁じた本当の目的
志士というよりも蔭で討幕に加担した三条実美や岩倉具視といった公卿にとって、キリスト教の禁止は喫緊の課題だった。彼ら一部の公家が一番恐れたのは、欧米人がキリスト教を持ち込んでくることだった。
というのも、万人の平等を説くキリスト教が日本の国政に関与すれば、三条や岩倉のような貴族(特権階級)は当然のことながら認められないだろう。そうなれば、大化の改新以降、積み上げられてきた既得権は水泡に帰し、一市民として生きることを余儀なくされる。
このような危機意識に基づいて神道を前面に押し出し、その司祭者である天皇を神聖不可侵の存在に仕立て上げたのである。国家神道を提唱したのは邪宗門(キリスト教)に対抗する日本オリジナルのものを打ち立て、キリスト教を含む他の宗教(邪宗門)を排斥するためだった。神仏分離の実態は、実は仏教の排斥ではなく、キリスト教の排除に主眼が置かれていたのである。
このような一部の公家のもくろみは、実際に討幕の先頭に駆り出された薩長を中心とする勤王の志士の与り知るところではなかった。彼らの大半は、いわば三条や岩倉らに唆されて討幕運動に専心したのである。
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文筆家、仏教研究家
1954年東京生まれ。早稲田大学大学院修了。東洋哲学専攻。仏教・インド関係の研究、執筆を行い現在に至る。著書は、『知っておきたい日本の神話』『知っておきたい仏像の見方』『知っておきたい般若心経』『よくわかるお経読本』『よくわかる浄土真宗 重要経典付き』『よくわかる祝詞読本』『教養としての「日本人論」』ほか多数。
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(文筆家、仏教研究家 瓜生 中)
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