18回挑戦しても勝てなかったのに…福永祐一が日本ダービーを勝つまでに「通算2000勝」を必要としたワケ
プレジデントオンライン / 2024年5月19日 14時15分
■通算2000勝を達成して「残るジョッキー人生を楽しもう」
エピファネイアでグッと勝利が近づいたかのように感じた日本ダービーだが、その後も騎乗機会が毎年あったにもかかわらず、なかなか勝ち負けまでは持っていけずにいた。
それでも、「ダービーなんて価値がない」とうそぶいていた頃とは違い、「一生ダービーを勝てないかも」と思う日もあれば、「勝たなければいけない」と思う日もあったり。日々揺れ動く感情の中で、何事にも執着することがない自分にしては珍しく、ダービーへの“執着”のようなものを自覚していた。
だが2017年、ある一つの出来事をきっかけに、心境に大きな変化があった。41歳になる年で、ジョッキー人生でいえば、とうの昔に折り返し地点を過ぎていた。残りのジョッキー人生は限られている──そう思ったとき、「ジョッキーにしか味わえないプレッシャーや緊張感を、もっと楽しまなければ損だ」と本気で思ったのだ。
ダービーやジャパンカップ、有馬記念といったビッグレースにも、あと何回乗れるかわからない。だったら、あの独特な緊張感をとことん楽しもうと。
そう思うに至った出来事とは、中央競馬史上8人目となる通算2000勝を達成したこと。1000勝はトップジョッキーの証として若い頃から目指していた数字だが、2000勝に関しては、正直、達成できるとは思っていなかった。だから、達成感というよりも「ここまで来たか」という充足感が大きく、そこからのジョッキー人生を見つめ直すには十分な出来事だった。
■ダノンプレミアム不在で過信が生まれてしまった
今思うと、どこか運命的なものを感じるが、2000勝を達成した翌日、7月16日の中京芝2000mでデビューしたのがワグネリアンだ。
その新馬戦では、超のつくスローペースだったとはいえ、中京競馬史上最速(当時)となる上がり3ハロン32秒6をマーク。素質がなければできない芸当で、初戦から申し分のない走りを見せてくれた。
その後、野路菊S、東京スポーツ杯2歳Sを楽勝し、一気にクラシックの最有力候補へ。エンジンのかかりが遅いタイプではあったが、ひとたび点火すれば鋭い脚を使う。しかも、自分が相次いで後ろ盾を失い、重賞で有力馬に騎乗する機会がめっきり減った頃にサクラメガワンダーやムードインディゴなどでチャンスをくれた友道康夫厩舎の管理馬とあって、春が待ち遠しくてたまらなかった。
春初戦の弥生賞は、2歳チャンピオンであるダノンプレミアムの2着。内容としては収穫のあるレースだったが、どうにもテンションが高く、陣営と相談した結果、中間はあまり強い負荷をかけずに皐月賞へ向かうことになった。
その皐月賞は、前走で後塵を拝したダノンプレミアムが出走回避。あろうことか、それによって自分の中に、「ダノンプレミアムがいないとなれば、多少強引な競馬をしても勝てるだろう」という過信が生まれてしまった。
■「祐一さん頼みますよ。今度は攻めてくださいね」
実際、後方待機から外を回って早めに動かしていき、4コーナーも外。直線では伸び切れずに7着に終わった。見た目は強引でも、明らかに守りに入った競馬。自身の過信を恥じた。あまり負荷をかけない仕上げで7着に負けたこともあり、ダービーに向けた調整は、精神面の安定を保ちつつ、攻める調教にシフトチェンジ。自分は一度も乗らなかったが、一見矛盾するような難しい調整を友道厩舎は見事にやりきった。
ダービーの枠順が出る前、調教助手の大江祐輔くんに、こう声をかけられた。
「今回はバシッと仕上げたので、祐一さん頼みますよ。今度は攻めてくださいね」
自分が皐月賞で守りに入ってしまったことを彼もわかっていた。まだ枠順は出ていなかったが、どこに入ろうと攻める競馬をする。身が引き締まる思いがした。
木曜日の夕方、外出先で枠順をチェックすると、まさかの8枠17番。正直「終わったな」と思った。その後、過去20年のダービーにおいて2着すら一度もない“死に枠”だと知り、ダービーとの縁のなさを呪いたくなった。
■ダービー週の定例取材に誰も来なかった
でも、こうなれば勝つための選択肢は一つ。メンバー的にスローペースになる可能性が高かったので、外から前目のポジションを取りに行き、そこで折り合いをつけるしかない。前に壁を作れないことでかかってしまう可能性もあったが、このときばかりはそれを恐れて守りに入るわけにはいかなかった。
ちなみに、皐月賞を1番人気で負けた影響で、ダービーは5番人気止まり。ダービー週の水曜日も誰も取材に来ないありさまで、友道厩舎のスタッフと「ダービーで上位人気馬に乗るジョッキーの水曜日じゃないよなぁ」なんて話しながら、思わず笑ってしまった。そんな状況が悔しいわけでも寂しいわけでもなく、ただただ気楽だった。
後方から競馬を進めた皐月賞とは一変、ダービーではスタートから積極的にポジションを取りに行き、最初のコーナーは外目の5、6番手で回った。危惧したとおり、前に壁がないことで行きたがったが、向正面に入るあたりで馬の後ろに入れることができ、その瞬間、ワグネリアンの力みがスッと抜けたのがわかった。
「これなら、直線でもうひと脚を使える」
![競馬](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/5/1200wm/img_25e26966c0c7a357076dc2bf4feb665a1205495.jpg)
■ゴールまで残り200メートルで味わった「無」の境地
そんな手応えを感じながら迎えた4コーナー。内にいたブラストワンピース(池添謙一)の手応えがよく、少しでもスペースを与えたら絶対に押し出してくるシーンだ。それがわかっていたから、寸分の隙も与えないようコーナーをピッタリと回り、謙一を内に閉じ込めた。
そう、そのときの自分はとても冷静だった。あとは、ゴールを目指してひたすら追うだけ。エポカドーロ(2着・戸崎圭太)とコズミックフォース(3着・石橋脩)が思った以上にしぶとかったが、残り200mあたりで抜け出すと、そこからはいわゆる「ゾーン」に入ったような不思議な感覚に……。スタンドの歓声も何も聞こえなくなり、見えているのはワグネリアンだけ。
まさに「無」の状態のまま、先頭でゴールを駆け抜けた。
これは“初めて経験した時間”だった。ウイニングランを終えてスタンド前に戻ってきたとき、言葉にならない感情が胸の奥から突然込み上げてきたのも、あのダービーが初めてだった。
■最後まで自分を信じ切ることができた理由
何より大きかったのは、戦術面での選択肢が一つしかない中、最後まで自分を信じきることができたこと。あのダービーを勝ったことで、「それまではどこかで自分を信じきれていなかったのかもしれない」という大事なことに気づけた。
2000勝を達成したことで野心に一区切りがつき、「本気で楽しもう」というモードに入っていたことも大きいが、自分を信じきることができた一番の要因は、やはり周りの人たちが自分を信じてくれたからにほかならない。
ダービー当日も、ゲート裏で「祐一さん、信じてますから」と言ってくれた持ち乗り助手の藤本純くん。彼の声が今も耳の奥に残っている。
自分を信じるということにもつながるが、このダービーをきっかけに、大きく変わったことがあった。GIレースに向かう際、それまでは常に三つか四つの選択肢を持って臨んでいたが、「勝つためのポジション」を一つに絞り込むようになった。
■どれだけ勝っても埋まらなかった最後の1ピース
もちろん、周りの動きも関係してくるため、そういった予測も含め、シミュレーションにまつわるすべての精度を上げる必要があったが、トラックバイアスや騎乗馬の能力などをベースに考えたとき、勝つための選択肢がいくつあるかというと、実はそれほど多くはない。
だから、そこから一つに絞り、それができるかできないか、二つに一つというような戦術を取るようにしたのだが、そのほうが勝率は高かったし、晩年はかなり精度を上げられた実感もあった。もちろん、それができなければ負ける。応用はいくらでも利くが、リスクを取らなければ勝てないのがGIだ。
![福永祐一『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(KADOKAWA)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/d/1200wm/img_cdfbe4bccff59fbb85b575a78ad53e20259666.jpg)
結局、2020年のコントレイル、2021年のシャフリヤールと、生涯で3度も勝つことができたダービー。まるで憑き物が落ちたように……という表現がピッタリだが、一体何が変わったのかは自分ではわからない。
ただ一つ、わかったことがある。
2000勝という想像していなかった数字を達成し、これ以上ない充足感を味わいつつも、ほんの少しだけ、まだ何かが抜け落ちているような感覚をずっと持っていた。たとえるなら、1ピースだけ埋まっていないパズルのような……。
その最後のピースこそ、自分にとってダービーだったのだ。勝つことができて初めて、それがよくわかった。父親の代から引き継いできた肩の荷を下ろせたことで、ようやくパズルが完成──。
自分のジョッキー人生を変えた、本当に大きな出来事だった。
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調教師
1976年生まれ。父は現役時代に「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一。96年にデビューし、最多勝利新人騎手賞を受賞。2005年にシーザリオでオークスとアメリカンオークスを制覇。11年、全国リーディングに輝き、JRA史上初の親子での達成となった。18年、日本ダービーをワグネリアンで優勝し、父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇を実現。20年、コントレイルで無敗のクラシック三冠を達成。23年に全盛期での引退、調教師への転身を決断。自身の厩舎を開業してセカンドキャリアをスタートさせる。
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(調教師 福永 祐一)
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