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老親に下剤飲ませて介護施設へ送る…世話をする家族が「外でウンコして帰ってきて」と願う自宅介護のしんどさ

プレジデントオンライン / 2024年4月6日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/liebre

最初に父親を、その次に母親を自宅で介護することになった50代の娘。介護離職を余儀なくされ、夜明け前から深夜まで働き詰めの日も珍しくない。80代の老親が世話になる介護施設や病院には感謝する一方、時には冷淡な対応をされ、当惑することもあった。昨秋に9年間の介護を終えた女性が直面したしんどい現実とはどんなものだったのか――。(後編/全2編)

■隣人の葬儀での巡り合わせ

2015年2月、近所に不幸があり、犬塚紀子さん(現在50代・仮名・関東地方在住)はなし崩し的に始まった父親(85歳)の介護の合間を縫って葬儀に参列した。

そこで犬塚さんが幼稚園の頃まで住んでいた借家の大家さんと久しぶりに会う。大家さんは最近ようやく、99歳の義母の介護認定を受けさせることができたという。それを聞いた犬塚さんは、「いいな〜、うちも受けたいんだけど、母(82歳)が嫌がって……」と苦笑した。

その数日後のこと。犬塚さんが仕事から帰宅すると、「昼間に大家さんが来て、介護認定を受けたほうがいいって。大家さんが言うなら受けてもいいと思う」と話し出す母親。犬塚さんはびっくりした。

その数日後、介護認定を嫌がっていた母親は、包括支援センターに行くという犬塚さんを快く送り出してくれた。犬塚さんは、さり気なくフォローしてくれた大家さんに心から感謝した。

■包括支援センターで受けたショック

包括支援センターでは、

「お父さんは、ある時期から急に性格が変わって怒りっぽくなったとか、暴言を吐くようになったことなどはありませんか?」

という質問を職員から受けた。

「いえ、父は昔から怒りっぽいので急変したような感じはありません。急変と言うなら母のほうが……」

そう言いかけてハッとした。

ここ3年ほどで、母親は性格がガラリと変わった。物が倒れたとか、家電が壊れたとか、誰のせいでもないことを全部犬塚さんのせいにして怒鳴った。

「何でもかんでも私のせいにして怒っていましたね。『お前の事は、昔から嫌いだったんだ。お父さんに似てるから』『お前なんか、どこへでも行けよ』という2つの言葉はけっこうこたえました」

呼ばれた時にすぐ自分の元に来ないと「遅い!」とヒステリーを起こし、ゴミ箱を蹴飛ばすなどの荒っぽい行動も。犬塚さんへの暴言もここ数年で急に始まった。

「私は母の変化を『介護ストレス』と思って我慢していました。『認知症=物忘れ』と単純に思っていたけれど、性格の急変や本人だけの謎のこだわりなど、他にもいろいろあるということをこのときに知って、見事なまでに母に当てはまると思い、ショックでした」

その日の夕方、包括支援センターの職員が、介護認定調査の申込用紙を2枚持って訪問。まさか自分にまで矛先が向くとは思っていなかった母親は、介護認定調査を必死に拒否。職員は強要をすることはなく、父親の介護認定調査や生活に必要なサービスなどの話に移った。

犬塚さんの悩みのひとつだった「主治医の意見書」問題は、胃潰瘍の時の主治医の診断は時間が経ち過ぎていたため、母親が健康診断で通っていたクリニックの医師が引き受けてくれた。

車のない犬塚さんのために、介護タクシーも紹介してくれた。父親は初めての介護認定調査を受けると、約1カ月後、要介護3という結果が出た。犬塚さんは、「とっくに認定を受けていいレベルだったんだな……」と複雑な気持ちになった。

■父親のデイサービスを拒否する母親

ようやく父親が介護認定調査を受けたが、今度は母親が父親のデイサービス利用を拒否しはじめた。「うちのお父さん、ウンコを漏らすから無理よ」。世間に身内の恥をさらしたくない。そんな心境だったのだろう。そこに訪問した地域包括支援センターの“オムツ”担当者Mさんは、母親を根気よく説得してくれた。

「ウンコはみんな漏らすよ。デイサービスの日に下剤飲ませて送り出す家族もいるんだよ。デイでウンコして帰ってきてもらったほうが楽だもんね」
「漏らすのが心配ならば、お母さんのやる事はひとつ。バッグに、ズボンと股引(ももひき)を1枚多く入れる! それで大丈夫!」

その数日後、犬塚さんがデイサービスの見学に行くと言っても、母親は引き止めなかった。犬塚さんはMさんに心から感謝した。

そうしてデイサービスに通い始めた父親は、思いのほかデイサービスが気に入った模様。

「行政のサービスが充実していない時代を生きてきた母たちは、『人さまに迷惑をかけてはいけない』と信じて育ち、どんなときも自分たちで何とか家を守って来た世代なのだと思います。それを急に『頼れ』と言われても、急に変えられないですよね。認知症になり、自分の糞尿の始末すらできなくなった夫が、外で迷惑をかけるのも気が引ける。そして何より、よそ様から疎まれ、笑われ、厄介者扱いされるのではないかと思うと、何とも哀れで仕方なかったのでしょう。いくら夫婦仲が悪くともやっぱり家族。母なりに父を守っていたのでしょうね……」

寝具から突き出た男の手
写真=iStock.com/liebre
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/liebre

■両親のダブル介護でやむなく介護離職

2017年5月。87歳の父親は要介護4に。84歳の母親は7月に初めて介護認定を受け、要介護1だった。母親は転倒を繰り返すようになり、2月に圧迫骨折をしてしまった。

都内で働いていた犬塚さんだったが、母親が圧迫骨折したことで両親のダブル介護に突入し、やむなく介護離職を決める。

この頃の犬塚さんは、介護生活の中で最も多忙な時を過ごしていた。夜明け前の朝4〜5時頃、父親のオムツ替えで起き、また少し寝て、7〜8時頃に父親を起こし、オムツ替えと着替え。両親に朝食を食べさせた後、洗濯し、9〜10時頃、圧迫骨折した母親を車椅子に乗せ、近所の接骨院に置いてくる。

急いで帰り、父親の様子を見ながら洗濯物を干し、接骨院から電話が来たら母親を迎えに行く。

12時頃に昼食を用意し、食べさせ、14時頃、2人が昼寝をし始めたのを見届けてから買い物に。この間にわずかだが自由時間が取れる日もあった。

16〜17時頃、昼寝から起きた父親のオムツを替え、夕食を用意。夕食を食べさせ、食後2人がテレビを見ている間に、洗い物や布団敷き、湯たんぽの用意などをして、21〜22時、父親をお風呂に入れ、見守り。出たら乾燥肌用クリームを塗り、夜用オムツをセットし、パジャマを着せて寝かせる。

その後、母親が入浴中に、ゴミの処理、簡単な掃除、猫の世話などして、母親が出たら、自分が入浴。2時頃就寝する……という生活をしていた。

「穏やかに時間が流れる日ばかりではなく、トイレや衣服を汚され、掃除・洗濯を繰り返すことに時間が取られることも多かったです。父は就寝中の尿が大量だったので、夜中や朝方に尿漏れが広がり、上下全部を着替えさせることも……。着替えさせようにも、嫌がって騒ぎ、すると母が起きてしまって騒ぎ出し……となり、私の睡眠時間が削られることもよくありました。こうして振り返ってみると、小さな子どものいるお母さんのような生活ですね」

2017年の夏頃、今度は父親が家の中で転倒し、十二胸椎を圧迫骨折。父親は入院が決まる。

そのときすでに要介護4だったこともあり、病院の担当者会議で、

「リハビリ病院に移った後、入院期限である3カ月間で在宅生活に戻れるほど回復しない場合に備え、老健などの施設をあたってみてはどうか」

とアドバイスされる。

すぐに父親がデイサービスで通っていた老健に空きが出ることがわかり、入院期限の3カ月後に入所する流れになった。

「『家に戻してあげたら喜ぶだろうな』という気持ちもわきましたが、古い一軒家でのダブル介護。誰の目から見ても、このタイミングで父を入所させたほうがいいと……。時期が来たのだと、素直に思うことができました」

■血まみれの母親

父親が老健に入所したタイミングで犬塚さんは、「何でもいいから母の世話をしながら働ける、家から近い職場はないか」と近所を探し、実家から歩いてでも通える小さな町工場でのアルバイトを始めた。

2019年11月末。18時頃、町工場から帰宅すると家に電気がついていない。不思議に思いながら玄関を開けると、突き当たりの浴室で、母親が頭から血を流して倒れていた。

母親は起き上がろうとしたが、犬塚さんは「起きちゃだめ!」と言って救急車を呼んだ。母親の頭の下には血溜まりができ、上半身は血だらけ。おそらく浴室で血を洗おうとしたのか、下半身は水に濡れていた。

搬送された病院は隣の市にある初めての病院だった。救急の医師から、

「レントゲンでは脳内出血は今の所ない。骨折は今はわからない。ベッドが今ひとつしか空いていない。入院させてあげるけど、明日には出て行ってもらうよ。救急待合室にいた患者家族にはこれから入院することを言わないでね。おたくのほうが重傷だから、そっちを帰すんだからね」

とぶっきらぼうに言われたが、10分ほどで「状況が変わった」と先ほどの救急の医師に呼ばれる。

X線画像
写真=iStock.com/AzmanJaka
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AzmanJaka

「やっぱり今日、(出血箇所を)縫い終わったら帰ってもらうから。もっと重傷の人が来ることになったから仕方ないでしょ。タクシーでも何でも使って自力で帰って」

そう冷たく言われた犬塚さんは、

「転倒したときに骨折しているかもしれないし、痛がってタクシーの乗り降りもできないかもしれないので、他の病院を探してもらえませんか?」

と言い、実家のある市内の救急対応している病院名を挙げた。すると医師は、

「A整形外科は脳を診れないから嫌がるかもよ。あ、でも建て直したばかりなんだよ。今、人を集めたいから入院できるかもしれないよ。事務に電話させるから」

と言う。犬塚さんはカチンと来て、「人を集めたいって。どうなんですか? その言い方って……」と軽蔑の表情を浮かべたが、すぐに事務の人が電話をしてくれたらしく、医師がたずねてくる。

「A整形外科はベッドの空きはあるが、『もし脳に出血が出てきた時、すぐ対応できないけどいいか?』と言っているけどどうする?」

犬塚さんはすかさず、

「家に帰った場合でも、脳に出血が出てきた時すぐに対応できませんよね? B病院はどうでしたか? あそこは脳神経外科と整形外科もありましたよね?」

と返す。

「B病院に電話はまだだが、優先順位つけるなら、B病院のほうがいいかもな。頭の安静を優先に考えたほうが……」

犬塚さんの毅然とした態度にうろたえたのか、医師の口調が明らかに最初より丁寧になっている。

「頭の安静を……って。タクシーで帰れと言ったのに、よくもまぁ言えますよね」

犬塚さんは唖然。

「なんかたらい回しみたいで悪いけど……」と言葉を濁す医師に、

「たらい回しというより、適当に帰してしまおうとしてましたよ」と犬塚さんはきっぱり。

そしてB病院のベッドに空きがあることがわかると、犬塚さんは看護師と事務員に丁寧にお礼を言い、救急車で移送してもらった。

「救急はどこも大変なんだろうと思います。でも結果として、『縫ったらタクシーで自力で帰宅』という話から、『実家のある市の病院まで救急車で移送→入院』となり、非常にありがたかったです。私の態度にもちろん問題はあったと思いますが、やはり時には家族の強気も必要だと思いました」

帰宅した犬塚さんが、母親が倒れていた場所の血溜まりを処理していると、血痕は庭から続いていることがわかる。どうやら母親は庭で転倒し、運悪く石に頭をぶつけたようだ。

母親はB病院に入院し、3週間ほどで無事退院できた。

■父親が肝硬変に。母親は特養に

2021年1月。6日に91歳の誕生日を迎えた父親は老健で具合が悪くなり、入院。全身の浮腫がひどく、検査の結果、「肝硬変」であることが判明。主治医から、「がんより悪いと思ってください」と言われる。

しかし世の中はコロナ禍。直接面会はできず、iPadごしにしか会えない。

「あの様子では長くない」と感じた犬塚さんは、帰宅して家事をしていても気持ちが乱れ、当時、立つにもトイレに行くにも手を貸さないといけない母親の存在を疎ましく思ってしまう。

「お父さんが死にそうなんだよ。お母さんしっかりして!」と言っても、もう母親は理解できていない様子。頭の怪我をして入院した後も、もう何度も転倒している。

この頃、認知症が進んだ母親は、2020年11月、なんと要介護5になっていた。一人での留守番も難しくなり、二度目の介護離職も考えた犬塚さんだったが、年齢的にも金銭的にも難しい。悩んだ末に、4月に市内にオープンするという特養を申し込んだ。

3月。91歳3カ月で父親がこの世を去った。死因は肺炎だった。

そして4月。母親は特養に入所。

それから2年後の2023年11月。90歳8カ月で母親が亡くなった。食事も水分も摂れなくなって枯れていき、それでも穏やかな最期だった。

自宅のトイレで大人の男
写真=iStock.com/eugenekeebler
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/eugenekeebler

■介護者も被介護者も「1人で抱え込まないで」

「とにかく必死な9年間でした。1人で2人を看ていたので、片方に何かあったときお願いできる相手がいないことに不便を感じていましたね。姉は数カ月に一度くらいの割合で両親の顔を見に来ましたが、普通に遊びに来て帰って行くだけで……。どうにも耐え難い心境になった時、状況を話しても、『それは困ったね』と言うだけ。いつも最後に『何もできない娘ですいません』という決まり文句で締め括り、手伝おうという気持ちが感じられなかったので、自然とあてにしなくなりました」

介護の困りごとは、ケアマネや包括センターの職員に相談した。だが1人ではどうにもならないことは少なくなかった。

長風呂好きだった父親は、のぼせて自力で出られなくなることがあり、女性である犬塚さんの力ではどうにも浴槽から出せなくなったことが何度かあった。そんなときも、「もう1人いれば」と思ったという。

結局、実際1人ではどうにもならず、一度だけ救急車を呼んでしまったことがあったが、救急隊員は嫌な顔ひとつせず助けてくれた。

「普通に結婚でもしていれば、重い物を持ってもらえたり、車を出してもらえたり、男手があったらいろいろ助かったのかも……。なんて思うこともありました」

もともと喧嘩の多かった両親は、介護生活になっても喧嘩は絶えなかった。

「2人が喧嘩をしていて、止めに入るときなどは、怒鳴ったりすることはよくありましたね。親子なのでお互い遠慮なしで……。父が母を叩いたとき、思わず父のハゲ頭をビタンっと叩いてしまったこともありました」

どうにも腹が立ったり、やり切れないような気持ちになったりするときはブログを書くことが良い気分転換になっていたようだ。

「文章にしてみると、何となく面白く思えて消化できたというか。ブロ友さんとの交流もありましたので、共感し合える仲間がいてくれたのはありがたかったです。昔のブログを読み返し、過去の自分に励まされるようなこともありました」

幸い両親には貯金があり、2人の葬儀を出してお墓を立て、実家の補修にあてても、まだ姉妹で分け合えるほどの額が残った。

「改めて介護生活を振り返ると、デイやショート、介護ヘルパーなど、あらゆるサービスを利用しておいたほうがいいと思います。いろいろなところとつながっておくことで、自分や家族の非常事態の時などにどこかしらが助けてくれますし、介護者の安心や心の余裕になると思うのです。被介護者も、デイやショートに早い段階から慣れていれば、心の負担が少なく済む気がします。そういった意味で、よく聞く『1人で抱え込まないで』というアドバイスは、介護者のための言葉のようでいて、被介護者のためでもあるように感じます」

介護のプロとはいえ、家の中に他人が出入りすることに抵抗を感じる人は少なくない。そういう意味で介護者も被介護者も、人の手を借りることに早くから慣れておくほうがお互いにいい。

「今の私の目標は、75歳くらいまでは、元気に何らかの仕事をすることです。最近は、親に対する感謝の気持ちが自然に湧いてくることが多く、そんな時『介護をしたことが、育ててもらったことへの、少しばかりの恩返しにはなったかもしれないな』と思ったりしています」

現在犬塚さんは、好きなように使える時間を存分に楽しんでいる。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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