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高校3年間を通して「羅生門」しか読まなくていいのか…灘中学の国語科教師が懸念する"文学離れのマズさ"

プレジデントオンライン / 2024年5月1日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/demaerre

高校生が国語で「文学」を読む機会が減っている。灘中学校・灘高等学校で国語科教諭を務める井上志音さんは「国語のカリキュラムが文学を扱いづらいものになっている。文学といえば『羅生門』を高1で読むのが精一杯で、高2と高3では文学は何も読まないまま卒業する子がいてもおかしくない状況だ」という――。

※本稿は、井上志音著、加藤紀子聞き手『親に知ってもらいたい 国語の新常識』(時事通信社)の一部を再編集したものです。

■文学作品を扱いづらいカリキュラムになった

【加藤】最近では「とにかく子どもが文学を読みたがらない」と悩む保護者も多くいらっしゃいます。そうなると、学校の教科書や塾の問題は、文学を読む機会を提供してくれる最後の砦にも思えます。そもそも保護者自身が本を読まなくなっていますよね。

【井上】もっと言えば、今、文学離れに拍車をかけるかのように、学校の授業でもなかなか文学作品を扱えないようなカリキュラムになっているんです。

【加藤】そうなんですか?

【井上】高校の話になりますが、2022年4月から始まった高校の新学習指導要領では、「現代の国語」で評論文を、「言語文化」で小説と詩歌、古文、漢文のすべてを扱うことになりました。しかし授業はそれぞれ週に2回ずつです。入試対策としては古文と漢文は譲れません。すると、いつ文学をやるのか、という問題が浮上します。

【加藤】古文や漢文の読み方のルールを教えるだけでも大変ですよね。

【井上】それだけで手一杯です。高2と高3の選択科目に「論理国語」と「文学国語」「国語表現」「古典探究」の4つの科目があります。多くの学校ではこれらの中から2つほど選びますが、大学入試の出題順を考えたら、日本の場合は当然、評論を読まなければなりません。もし選択科目で「論理国語」と「古典探究」を選んだ場合、高1の「言語文化」の中で、文学と言えば『羅生門』を1年間のどこかで読むのが精一杯で、高2と高3では文学は何も読まないまま卒業してしまうということが起こります。

■海外の国語では基本的に「文学」を扱っている

【加藤】『羅生門』もそろそろ古典の領域になりそうです。

【井上】行政としては、「『文学を軽視する』とは誰も言っていません。文学を選ばなかったのだとすれば、そちらの学校の判断でしょう」という理屈です。しかし現実には物理的にやる時間がないので、教育の現場としては悲鳴を上げざるを得ません。

それでも私立の場合は、高1でやることを中3と高1の2年間をかけてできるのでまだいいですが、公立の場合は手一杯です。これでは私立と公立の格差が広がる一方です。

【加藤】海外ではどうなのでしょうか。

【井上】IB校(国際バカロレア認定校)も含めて、海外の国語は基本的に文学を扱います。説明的文章を「論理国語」という科目名に収めて実施しているのは日本くらいです。たとえば科学論は理科の授業で、歴史学の本は社会の授業で扱えばいいはずです。国語の授業で独立した科目として評論を読むというのは日本特有の文化なのです。

■中学受験では子どもたちが抑圧されている面がある

【加藤】学校での文学離れは、今後どのような問題を生じさせると思われますか。

【井上】個人の体験や具体的な経験をないがしろにする風潮に拍車をかけるのではないかと危惧しています。ある人にしかわからない体験など、客観性がないのだからどうでもいい、という風潮が生まれてくるのではないかと。

灘校でも時折、自分の具体的な体験をプレゼンしたり、言語化したりするような場面で、「何の意味があるの?」という反応をする生徒がいます。中学受験では、「あなた自身がどう考えるかは問題ではない」と子どもたちが抑圧されている面があります。筆者が言っていることをかいつまんで説明しなさいとか、これを書いた人の視点に立って答えなさい、といった設問が多いために、子どもたちからすれば「あなたの意見はどうでもいい」と遠回しに言われているように感じるのではないでしょうか。

【加藤】「それってあなたの感想ですよね」といった物言いが小学生の間で流行っているそうですが、ただでさえ日本語では主語が省略されやすいのに、ますます「あなたはどう思う?」というやりとりをしなくなる、ということでしょうか。

子供の勉強
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

■世界と対等にわたり歩ける子が育つのか

【井上】何かを主張するときに、個人の体験ではなくて客観的な事実やデータに基づいていないと誰も納得しない、というのは怖いですよね。ひるがえって、海外の大学を受験するときには、「あなたは何をしてきたのですか?」と個人の体験を聞かれます。このギャップは大きいです。

【加藤】そうですね。「あなたについて説明してください」というように。

【井上】私も個人の体験として、世界と対等にわたり歩けるのかという危機意識を持っています。灘校には海外大学に進学する生徒もいますので。

【加藤】そう考えると、日本の教育は海外の教育のありようと真逆と言えるのでしょうか。

【井上】少なくとも文学より「実用性」という面はぬぐえないと思います。評論に慣れすぎてしまうと、客観性ばかりを重視するようになります。すると、それこそ随筆やエッセイのように、体験から始まってそこでの気づきで話を落とすような文章などは、よほど意識的に指導しないと書けるようにはなりません。

■現代文学を読みたいが現場には時間がない

【加藤】子どもが「あなたはどう思ったの?」と聞かれて、自分が思ったことを答えたときに、「そういう見方もあるよね」と言われると自信や自己肯定感につながるのは、国語の授業ならではですよね。アートなども同じです。そのように、自分がどう感じたかを認めてもらえる授業って、一部の子どもたちにとってはすごく大切な居場所だと思うのですが、いかがですか。

【井上】それは大きいですね。一方で、その裏返しで、「もしも自分の感じ方がほかの人に共感されなかったらどうしよう」という恐怖心や不安感も子どもたちにはあるのかもしれません。日本ではどちらかというと、「みんなと違ってもいい」ではなくて、「みんなと一緒がいい」という感覚が根強くあります。違うことを思っていたとしても、一緒に染めてしまうようなところがありますから。

【加藤】同調圧力の問題ですね。それにしても、高校の新しい学習指導要領は、国語の先生たちの間では不評なのではありませんか?

【井上】文学ができない国語ってなんだろう、という話にはなりますね。古文も文学かもしれませんが、やはり現代文学ならではの学びがあるはずです。本当は取り組みたいのに、現場には時間がありません。

■「役に立たないから読まない」

【加藤】私は「本屋大賞」の作品が好きで、最近ですと、2021年本屋大賞受賞作、町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)を読んだときは3回くらい号泣しました。

井上志音著、加藤紀子聞き手『親に知ってもらいたい 国語の新常識』(時事通信出版局)
井上志音著、加藤紀子聞き手『親に知ってもらいたい 国語の新常識』(時事通信社)

現代の作家さんたちは社会の縮図を見事に切り取って文章にしていると思うのですね。ですから、子どものころからこのような作品を読んでほしいのですが、「そんなの読んで何かの役に立つの?」という子どもが多いように感じます。

【井上】「文学を読んでも役に立たない」という考え方がありますよね。この場合の「役に立つ」とは、どのような視点で言っているんだろうと思うのですが。そもそも、実用性を重視して文学を読むことなどありません。でも、文学作品を鏡にして「自分」の実像を考えるという経験は皆さんもお持ちだと思います。

【加藤】映画やテレビ、ネットの動画などとは異なる没入感みたいなものが文学の醍醐味です。でも、多くの子どもたちがそれを体験しないまま大人になってしまう。

■「文学は何の役に立つの?」と聞かれたら…

【井上】今の子どもからすれば、自分は自分、この人はこの人、と割り切って終わるような感じなのではないでしょうか。たとえば今、文学を読んで泣く男の子ってどのくらいいるんだろう。

【加藤】確かに。もし、子どもから「文学は何の役に立つの?」と聞かれたら、どのように答えればいいのでしょうか。

【井上】いま「文学は人生を豊かにするために読むんだよ」と言っても、「豊か」の概念がよくわからない、と言われてしまうような気がします。子どもからすると、自分はいま十分満ち足りていて幸せなんだよ、という感覚なのでしょう。

文学の価値は読んですぐにわかるものではなくて、もしかしたら10年後、あるいは20年後に、それも役に立ったのかどうかも気づかないうちに生き方に影響を与えているようなものです。文学の価値とはそのようなものだと思います。

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井上 志音(いのうえ・しおん)
灘中学校・灘高等学校 国語科教諭
1979年奈良市生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科博士後期課程 単位取得退学。文学修士(学校教育学)。2013年より現職。灘中高での本務のほか、学外においても「国語科教育論(大阪大学・神戸大学)」「IB教育の理論と実践(立命館大学大学院)」を担当している。専門は国際バカロレア(IB)教育をふまえた教科教育学。高校国語科教科書(東京書籍)の編集委員のほか、「NHK高校講座 現代の国語」(Eテレ)では監修・講師も兼任している。著書に『メディアリテラシー 吟味思考を育む』(分担執筆、時事通信社)、『国際バカロレア教育に学ぶ授業改善』(共編著、北大路書房)、『これからの国語科教育はどうあるべきか』(分担執筆、東洋館出版社)など。

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加藤 紀子(かとう・のりこ)
教育情報サイト「リセマム」編集長
1973年京都市生まれ。1996年東京大学経済学部卒業。国際電信電話(現KDDI)に入社。その後、渡米。帰国後はフリーランスライターとして中学受験、子どものメンタル、英語教育、海外大学進学、国際バカロレア等、教育分野を中心に「プレジデントFamily」「ReseMom」「NewsPicks」「ダイヤモンド・オンライン」「『未来の教室』通信」(経済産業省)などさまざまなメディアで取材、執筆。初の自著『子育てベスト100』(ダイヤモンド社)は17万部のベストセラーとなり、韓国、中国をはじめ6カ国・地域で翻訳されている。その他著書に『ちょっと気になる子育ての困りごと解決ブック!』(大和書房)、『海外の大学に進学した人たちはどう英語を学んだのか』(ポプラ新書)がある。

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(灘中学校・灘高等学校 国語科教諭 井上 志音、教育情報サイト「リセマム」編集長 加藤 紀子)

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