今の学校にこそ「ハリー・ポッター」のような"異界"が必要だ…「不登校30万人」の日本の学校に欠けているもの
プレジデントオンライン / 2024年4月22日 9時15分
※本稿は、内田樹『だからあれほど言ったのに』(マガジンハウス新書)の一部を再編集したものです。
■人間社会を支えている四つの仕事
天職というのは、必死にキャリア形成をして身につけるものではない。そうではなくて、気がついたらいつの間にかその道のプロになっていたという仕方で人は天職に出会うのである。特にその傾向が強いのは教育者と医療家である。この二つの職業を天職だと感じる人の数はどんな集団にも一定数必ずいる。二つとも集団が生き延びるために絶対に必要な職業だからである。
人類が集団として生きていくために絶対必要な仕事がいくつかあるが、基本的なものは四つだと私は思う。その四つのピラーで人間社会は支えられている。
第一は「物事の理非を判定する仕事」である。あらゆる集団はその内部で起きたトラブルについて、正否の裁きを下す人を求める。長老や智者がその役を引き受けることもあるし、力が強い者がその仕事をする場合もある。
第二が「癒やす仕事」。病気や怪我を治す医療者である。
第三が「教える仕事」。次の集団を担う若者たちに必要な知識や技術を教えて、その成熟を支援する仕事である。
第四が「祈る仕事」。宗教である。人々に「この世ならざる異界」のことを教え、それとの応接の作法を教え、死者を供養する仕事である。
■「裁く」「癒やす」「教える」「祈る」で人間集団は成立している
集団が存立するためにはこの四つのピラーが必要不可欠であると私は思っている。基本動詞として言い換えれば「裁く」「癒やす」「教える」「祈る」になる。この四つの基本動詞で人間集団は成立している。それなしでは集団は維持できない以上、それぞれの仕事に心的に惹かれる人たちが必ずいるはずである。
どんな集団にも「癒やし系」の人たちはおそらく全体の7~8%はつねにいると思う。「ものを教えることが好き」という人はもう少し多くて、おそらく全体の10%くらいはいると思う。もちろん、この10%の人たちが全員教師になるわけではない。違う仕事に就いていても、何かのもののはずみの時に「ちょっと教師の仕事代わってくれるかな」と頼まれた時に、「あ、いいですよ」と即答してしまう。なんだか自分でもできそうな気がして。
■今晩越せない患者のそばにゆくと「屍臭がする」という看護師
ある女子大が看護学部を作った時に、そこの先生になるナースの方たちと雑誌で対談したことがある。看護教育と女子教育について対談して、終わった後にご飯を食べながら雑談してる時に、いろいろ面白い話を伺った。
ナースというのはなかなかミステリアスな仕事である。いろいろな異能の持ち主がいる。私が対談した方は、今晩越せない患者のそばにゆくと「屍臭がする」のだと教えてくれた。実際に、その通りになる。同僚には、明日の朝まで持たない患者のそばにゆくと「鐘の音が聞こえる」という人がいたそうである。ナースたちの間では「そういうことって、あるよね」で通るのだけれど、もちろんドクターたちはそんな話を信じない。科学的エビデンスがないのだから信じるはずがない。
ところがその病院の近くで大きな事故があって、次々と重傷患者が搬入されてくるということがあった。医療資源には限りがあるから、トリアージをしなければならない。そうなると、もうドクターも仕方がなくなって、この2人のナースを呼んで「この人、屍臭してる?」「鐘鳴ってる?」と訊いてトリアージの判断をしたのだという。そういうことができるような人が医療家になる。
■30万人もの子どもたちが不登校になっている原因
学校にもそういうある種の「ミステリアス」な部分が必要だと私は思う。
子どもたちはまだ「野生」に半身を残している。そういう子どもたちを「この世」にソフト・ランディングさせなければならない。そのためには「セーフティネット」が要る。それはいろいろ先生がいて、さまざまな価値観を持っていて、さまざまな教育方法を用いて、一人ひとりの子どもを見る目が違うほうがいい。子どもたちを学校に包摂するためには、何よりも多様性が必要なのである。
今、30万人もの子どもたちが不登校になっているのは、学校の中は子どもたちが「とりつく島」がないからである。学校の価値観が一律で、子どもたちを定型に押し込め、テストの点数で格付けして、成績の良否に基づいて資源配分する。その冷酷な仕組みが子どもたちを傷つけている。
■「この世」の格付けが無効化される保健室
「保健室登校」というものがある。これは保健室が、他の教室と違って、医療原理が支配する空間だからである。医療者の誓言は古代ギリシャの医聖ヒポクラテスが定めて以来、基本的には変わらない。重要な誓言の一つは「相手が自由人であっても奴隷であっても、診療内容を決して変えてはいけない」ということである。医療は商品ではない。金で売り買いするものではない。誰であれ、傷つき病んでいる者に対してはなしうる限りの手立てを尽くす。だから、保健室は学校の中における異世界であり得る。そこには査定や格付けがない。その空間だけ「この世」の格付けが無効化される。
そういう異界が学校の中にできるだけたくさんあるほうがいい。美術室もそうだ。そこは芸術の原理が支配する空間である。美術の先生だけが自分を認めてくれて、美術室だけが息のつける場所だったと後年回想する人は少なくない。
図書室も異界であってほしい。そこでは少なくとも「知」については、教室とはまったく違う度量衡で価値が考量される。「入試に出る」とか「それを知っていると就職に有利」というような基準では、誰も知について語らない。それが図書室である。教室には行きたくないけれど、図書室になら行けるという子どもたちが一人でもいたら、それで図書室はもう十分にその役割を果たしていると私は思う。
■学校に必要なのは「ミステリアス」な空間
これは真剣に言っているのだが、学校教育の本来の意味を考えたら、学校の中にはミステリー・ゾーンがなければならないし、先生たちの一部は「魔法使い」でなければならない。
子どもたちが『ハリー・ポッター』をあれほど喜ぶのは、ホグワーツの魔法学校が秘密だらけで、先生たちがみんな魔法使いだからである。J・K・ローリングの物語は「学校の理想」を描いたことによって世界的なベストセラーになったのである。子どもたちは、この学校に行けば、自分も心に傷を負った時もそれを癒やす人たちに恵まれ、順調に成熟の旅程をたどれるに違いないということを直感したのである。
今の学校で教員たちは「ミステリアス」であることを制度的に禁じられている。それでも、教師たちはその直感に従って、教室に来られない子どもたちのために「ミステリアス」な空間を学校内に創り出してほしいと思う。
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神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長
1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。2011年、哲学と武道研究のための私塾「凱風館」を開設。著書に小林秀雄賞を受賞した『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、新書大賞を受賞した『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の親子論』(内田るんとの共著・中公新書ラクレ)など多数。
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(神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長 内田 樹)
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