「藤原道長への思いを断ち切れなかった」からではない…紫式部が婚期を逃し続けた本当の理由
プレジデントオンライン / 2024年4月14日 15時15分
NHK大河ドラマで藤原宣孝を演じる俳優の佐々木蔵之介さん。東京タワー下の特設会場で行われる期間限定のイベント「モエ・エ・シャンドン “エフェルヴェソンス” シャンパンの魔法と輝きを」のフォトコールに登場した。(2022年12月8日、東京都港区) - 写真=時事通信フォト
■道長と紫式部は本当に恋愛関係にあったのか
平安時代の空気がそれなりにかもし出されているのはいいのだが、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、若き藤原道長(柄本佑)と紫式部(吉高由里子、ドラマではまひろ)のかなわぬ恋愛が、いつもドラマの真ん中に置かれているのが気になるといえば気になる。
紫式部が若いころのことは、あまりわかっていないとはいえ、この2人が若い時分に恋愛関係にあった可能性は、歴史学の側からも、国文学の側からも、ほぼなかったと考えられている。
ところが、「光る君へ」では、2人のさまざまな行動の起点が、この恋愛に置かれてしまう。道長が左大臣源雅信(益岡徹)の娘、倫子(黒木華)および源明子(瀧内公美)と続けざまに結婚する気になったのも、まひろと破局したからであり、まひろが結婚する気にならないのも、道長への思いを断ち切れないせいだという描き方である。
第12回「思いの果て」(3月24日放送)では、道長からの手紙を受けとったまひろは「妾でもいい、あの人以外の妻にはなれない」と決心して逢引きの場所に駆けつけたが、道長から左大臣家へ婿入りすることになったと聞かされると、思いを伝えられなくなる。道長は心のなかで「妾でもよいといってくれ」と願っているが、まひろには伝わらない。
■当時としてはきわめて遅い初婚
それから4年がたった第13回「進むべき道」(3月31日放送)。父の藤原為時(岸谷五朗)が官職を失ったままで、貧しい暮らしを強いられているまひろだが、生活のために縁談を勧められても、まったく乗り気にならない。代わりに働き口を探すが、父に官職がないためどこも受け入れてくれない。
そんな噂を聞いた倫子が土御門邸で働かないかと救いの手を伸ばすが、道長が婿入りした家では働けないと思い、「もう決まりました」とウソをついて断ってしまう。
しかも、その場で倫子から、道長が文箱に大事にしまっていたという手紙を見せられるが、それはなんと、まひろが書き送った陶淵明の詩だった。自分の手紙を道長が大切にとっていてくれたという思いから、まひろの心はますます道長から離れなくなってしまう。
この第13回で描かれているのは正暦元年(990)ごろで、事実、紫式部はそれから8年以上をへた長徳4年(998)の冬まで結婚しない。紫式部の生年はわかっていないが、初婚当時、26歳前後だったと想定する研究者が多い。
現代の感覚では、26歳といえば結婚年齢としてはむしろ早いくらいだが、「これは当時としてはきわめて遅い初婚で、二度目の結婚という説もあるくらいである」と倉本一宏氏は記す(『紫式部と藤原道長』講談社現代新書)。
■20も年の離れた初婚相手
では、紫式部はなぜ晩婚だったのか。ドラマのように道長への思いを断ち切れなかったからなのか。その回答を記す前に、紫式部の結婚がどんなものだったのか眺めておきたい。
その相手は「光る君へ」でたびたび紫式部の家、すなわち藤原為時邸を訪ねてくる藤原宣孝(佐々木蔵之介)だった。為時と宣孝は曽祖父が同じという遠縁で、二人のあいだにはドラマ同様、交流があった可能性が高い。
伊井春樹氏は「寛和元年(九八五)正月十八日には内裏で『賭弓』(正月行事、天皇隣席のもとでの弓の競射)が催され、『小右記』に宣孝と為時の名が記されるのをみると、二人は旧知の間柄でもあるのだろう。為時よりも年下ながら、すでに三〇もすぎた歳であった」と書いている(『紫式部の実像』朝日選書)。
そんな宣孝から紫式部のもとに、求婚の書状が届いたのは、長徳3年(997)の正月ごろで、ということは、前年からそういう話があったものと思われる。
■何人もの女性と浮名を流した放埓な男性
宣孝も生年は明確ではないのだが、寛和元年(985)には30歳をすぎていたのだから、この求婚時には40代も半ば近かったはずである。むろん、初婚ではない。この時点ですでに3人の女性に子供を産ませており、紫式部と同時に近江の女にも求愛していたという。
堅物の紫式部のイメージと合わないが、事実、そんな男だったのだろう。
倉本一宏氏も次のように記す。「宣孝は有能な官人であり、雅な面も持っていた。『宣孝記』という、公事を丁寧に記録した日記も残している。その一方では、派手で明朗闊達、悪く言えば放埓な性格でもあったようである。派手な服装で金峯山詣を行なったことが、『枕草子』に描かれている」(『増補版 藤原道長の権力と欲望』文春新書)。
それにしても、そんな「放埓」な人物がなぜ紫式部に目をつけたのだろうか。関幸彦氏は「多くの研究者が指摘するように、何人かの女性と浮名を流した宣孝も熟年に達するなかで、精神性を加味した大人の女性を必要としたのだろうか」と推測している(『藤原道長と紫式部』朝日新書)。
そして、紫式部は求婚を受け入れた。
ところで、宣孝は京都から求婚したのだが、じつは、紫式部はこのとき、都から遠い北国である越前(福井県)にいた。そのことも、この結婚を解くカギになる。
■都人に北陸の気候は堪えた
その2年前の長徳2年(996)秋、父の為時は、花山天皇の出家にともなって官職を失って以後、ほぼ10年ぶりに任官し、越前守として赴任することになったのである。その際、妻をともなわなかったので、当面、父の世話をする必要があったのだろう。紫式部も同道した。
そこに、前年には筑前守(筑前は福岡県北西部)の任期を終えて京都に戻っていた宣孝から、求婚の書状が届いた。それを受け入れた紫式部は、長徳3年(997)の年末か同4年(998)の春に、父を越前に残してひとりで帰京し、同4年の冬に宣孝と結婚した。
前出の関氏は「都から遠い北国の地にあった式部にとって、宣孝の存在は心理的な“化学反応”をもたらしたようだ」(前掲書)という見方をする。
倉本氏も「紫式部にはその後の一年ほどの越前滞在で、その風物を詠んだ歌はない。国内のあちこちに出かけることは、ほとんどなかったのであろう。(中略)豊かな大国であるとはいっても、やはり都人には北陸の気候は堪えたのであろう」と指摘する(『紫式部と藤原道長』)。それゆえ、都にいる宣孝の求めに応じる気になったのかもしれない。
■父親が大国の国司になった成果としての結婚
では、なぜ宣孝が紫式部に求婚したか、である。関氏がいうように「精神性を加味した大人の女性を必要とした」という面もあるかもしれないが、それだけではなかろう。
倉本氏が記す。「ここまで婚期が遅れたのは、なにも紫式部の内省的な性格や結婚観や性的嗜好によるものではない。紫式部の適齢期に為時が無官であったためである。当時は男性が婿として妻の実家に入る結婚形態であったから、政治的にはもちろん、経済的にも後見の期待はできない為時の婿になろうなどという男は、現れるはずがないのであった。紫式部としても、装束や食事や牛車の用意もできない我が家に婿を迎える気にはなれなかったであろう」(『紫式部と藤原道長』)。
紫式部より20歳前後も年長で、すでに百戦錬磨の宣孝の場合、婿入りする家の政治的および経済的貢献をさほど必要としなかったかもしれない。とはいっても、父親が無官で困窮しているあいだは、その娘に求婚する気にはならなかっただろう。
10年にわたって無官のままだった為時が、越前の国司に任命された。しかも、当時は日本の国々は面積や人口、政治力、経済力などによって、大国、上国、中国、下国の4等級に分けられており、越前は大国だった。
大国の国司の娘になったこと。これこそが、紫式部がようやく結婚にたどり着けた最大の理由だろう。ここまで結婚できなかったのは、ひとえに父が長く無官だったからであり、道長への思いを断ち切れなかったからではない。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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