名刺をビリビリに破られ、灰皿に捨てられた…営業スマイルを見抜かれた男が「大和証券の侍」と呼ばれるまで
プレジデントオンライン / 2024年4月29日 16時15分
大和証券のシンガポール法人WCS(ウェルス・アンド・コーポレート・クライアント・ソリューションズ)の森本博仁さん。シンガポールの日本人顧客から総資産1兆円を預かる「七人の侍」の1人だ - 撮影=永見亜弓
■エリートではなく、泥臭い営業マンを選んだ理由
大和証券シンガポールの富裕層向けサービスを行っているWCS(ウェルス・アンド・コーポレート・クライアント・ソリューションズ)は10年間で預かり資産1兆円を達成した。前面に立って営業し、結果を残したのは国内支店から派遣された7人の営業マンだ。
彼らはシンガポールの金融業界では「海を渡った7人の侍」と呼ばれている。彼らが所属するWCSはかつて鳴かず飛ばずで一時は閉鎖寸前まで行った。
だが、2012年のこと。「最後にひと勝負したい」と当時、海外担当の役員だった岡裕則(現副社長)がある戦略を考えた。それは日本の国内で頑張っている営業マンをシンガポールに派遣すること。英語力よりも営業力を重んじた海外派遣だった。
それはWCSが想定する顧客はシンガポール人ではなかったからだ。移住した日本人富裕層が相手だから、英語は得意でなくともいい。それよりも、「おもてなしスピリット」と根性のある営業マンを抜擢したのである。
「英語が得意な国際派なエリートよりも泥臭いドメスティック営業マンのほうが結果を出すだろう」
岡裕則はそう考えた。そして、その作戦は当たった。
シンガポールに赴任してきた営業マンたちは夜討ち朝駆け、年中無休営業という昭和的なスタイルで結果を出したのである。
■夜中も駆けつけ、居酒屋で割り勘で飲む
WCSに赴任してきた平崎晃史は顧客を徹底的に好きになる「アイ・ラブ・ユー作戦」で営業した。そうして、当面のライバル、外資系プライベートバンクから顧客を奪い返すことに成功したのである。
外資系プライベートバンクは予算もあればノウハウも持っている。金融商品のラインナップも豊富だ。強大なライバルである。しかし、外資系プライベートバンクの営業マンは夜中に呼び出されても出ていくことはない。居酒屋で割り勘で飲むこともない。
一方、平崎は電話があれば夜中でも出ていった。高級クラブではなく居酒屋で飲むことにした。
外資系プライベートバンクがやるとすればレストランを借り切ってシャンパンを開けたり、プールサイド・パーティを開いたりすることだ。そして、シンガポールグランプリの観客席を押さえて、特別室でパーティを開くこともやる。ゴルフコンペの賞品だって破格だ。
■金持ちほど合理性だけでは動かない
ある外資系プライベートバンクが開催した顧客向けゴルフコンペの「ホールインワン賞」はフェラーリ1台だったという。
一方、大和証券シンガポールの富裕層セクションもまたゴルフコンペで賞品を出す。しかし、いたってつつましいもので、優勝した人でもシンガポール高島屋の商品券だ。フェラーリ1台とはずいぶん違う。それでも外資系プライベートバンクより大和証券を贔屓(ひいき)にする資産家がいるのは、金だけではないサービスやコミュニケーションを求める人がいるからだ。
庶民は富裕層、資産家と聞くと、金だけを追求する合理的人間と思い込むところがある。けれど、人間は複雑だ。金持ちほど金の価値をさほど評価していないところもある。金を持った人間のなかには永遠に増やしてやろうと思う人もいるだろうが、むしろ、増やさなくてもいいけれど、減らしたくないと考えている人が多いのではないか。
第2回記事に登場した山本幸司、その後を追った平崎を始めとする営業の星たちが来星(シンガポールに来ること)してきて、彼らは営業カルチャーを変えた。欧米系プライベートバンクの手法を真似したのではなく、日本国内でやってきたことをシンガポールでも続けた。おもてなしスピリットと昭和的営業手法で顧客と付き合うことにしたのである。
そうしてみたら、意外と通用してしまった。思えば、彼らがサービスした相手は移住してきた日本人富裕層だ。国内の富裕層と付き合ってきた練達の彼らにしてみればやっていることは同じだったのである。
■「親孝行しなくちゃいけない」海を渡った営業職人
森本博仁が大和証券シンガポールのWCSにやってきたのは2016年。国内営業員をシンガポールに派遣し始めてから5年目のことだ。山本、平崎の「おもてなしスピリット」と昭和的営業がある程度の結果を残し始めた時期でもある。
森本は兵庫県三木市に生まれた。父親は会社経営者。インテリア関係の会社だったが、父親は「オレの本業は会社の経営じゃない。自分の作品を作ることだ」と言っていた。仕事の傍(かたわ)らというか、一日の大半は絵を描いたり、陶芸をやったりしていたのである。自宅に登り窯まで設けていたというから、陶芸家と名乗ってもおかしくはない。だが、森本が12歳の時、父親はがんで亡くなった。残された母親が事務職として働き、森本と妹を育てた。
「親孝行しなくちゃいけないですよね。でも、うちの母はまだ働いているので、シンガポールに呼んだこともない。僕は現代アートが好きなんですが、それは父親の影響かもしれません。僕もやはり父みたいに職人風の営業をしていると思っています」
■「目の前で名刺を破られた」忘れられない日
大和証券に入社した後、川崎支店に配属された。5年間、靴底をすり減らし、川崎の町を歩き回って営業した。地域の中堅企業経営者を訪問するのが日課だった。ビルに入っている企業、通りの両側に事務所を構えている会社、どんなところでも飛び込んでいって名刺を渡してきた。ガッツのある男なのである。
彼にはどうしても忘れられないことがある。
まだ営業を始めたばかりの頃だった。いつものように飛び込み営業をしたら、そこの社長に「いや、いいんだ。株を買う気はない」とやさしい口調で断られた。しかし、営業員の仕事は断られてから始まる。
「いえいえ、社長、もしかすると気が変わることもあるかもしれません。名刺だけ受け取っていただけませんか」
森本は笑みをたたえて言った。ただし、営業用の微笑みではある。
「いや、いらない。気が変わることはないから、名刺は要らない。だいたい、お前の会社はオレにいくら損をさせたと思っているんだ」
「社長、わかりました。すみませんでした。名刺はここに置いて帰ります」
そう言って、社長の机の上に名刺を置いたら、社長は手に取り、顔色も変えずに、森本の名刺を破り捨て、そのまま灰皿に捨てた。
森本は様子をじっと見た。灰皿に捨てられた名刺をストップモーションで見つめて、そのまま何も言わずに軽く会釈して帰ってきた。
■最前線で営業をやりたいと思いやってきたが…
証券会社の営業員であれば、それに近い経験を持っている者は少なくないだろう。この時、森本は心の底から「お客さまに喜んでいただける営業員になりたい」と感じた。
川崎支店の後、本社のウェルスマネジメント部という富裕層向けビジネスのセクションに移る。ただ、そこは営業のサポートをする部署だ。支店の営業員が担当する顧客が事業承継、相続、海外移住などに「関心がある」となったら、本社からウェルスマネジメント部の部員が出ていって相談に乗る。
その後、シンガポールにやってきた。
「自分は最前線で営業をやりたいと思ってシンガポールに来たんです。でも、最初はほんときつかった。人脈も何もないからお客さまはゼロなんです。山本さん、平崎さんは実績を上げていましたけれど、自分はゼロ。きつかったです。
最初は県人会、日本人会の集まりに顔を出すところから始めました。シンガポールの県人会はその県で生まれていなくてもいいんです。その県で働いたことがあるとか、短い期間でも住んでいたことがあれば出席してもいい。
僕は2桁の県人会に参加しました。そこの賀詞交歓会とかクリスマスパーティとかに参加して、移住者の資産家に出会うチャンスを待つわけです。資産家とは滅多に会えませんから、そこで聞いた情報を元に飛び込み営業も行いました。それでやっと半年くらいしてから仕事が回るようになりました」
■日本中から助けてくれる仲間が集まった
国内支店と協働し、若手ながら顧客拡大につなげているのが箕田一勇也だ。彼は入社から一度も異動がなく、人生において海外経験もなかったため、初の異動である大和証券シンガポールへの転勤に当初は苦労していた。そして、海外生活を立ち上げているさなかにも富裕層顧客への対応に追われた。だが、助けてくれる仲間がいた。
全国の支店にいる仲間たちからの電話が鳴り止まなかったのである。
彼は言う。
「シンガポールでの生活が始まってから、全国の仲間が連絡してきてくれたんです。全国の優績者(優秀成績者)懇親会などをきっかけに知り合った同僚から、その友人へ。さらにその友人から次の友人へ、紹介が広がっていきました。
松山支店にいる後輩、銀座支店の同期、大分支店にいる先輩……、千葉のうすい支店営業時代に知り合った元ライバルたちが『ひゅーや、今度こういう人がシンガポールに移住するよ』と教えてくれたんです。
みんな、『ひゅーやがシンガポールに行ったおかげで、シンガポールでどのようなビジネスをしているのか、日本のお客さまにどのようなソリューションが提供できるのか気軽に相談できるようになった』と言ってくれます。なかには、『オレもシンガポールで営業やりたい』って言ってくる人もいます」
■1日20kmの距離を自転車で飛び込み営業
大出真之は大和証券YouTubeでシンガポールの紹介動画に登場している。動画には緊張しながら話す大出が映っている。声もやや上ずっている。だが、実際の彼は動画の彼とは違う。笑顔を絶やさず、ジェントルマンそのものだ。
大出自身は言った。
「自分では営業には向いていないと思うのですけれど。でも向き不向きより前向きに取り組むしかないかな、と。むしろ不向きだから頑張っているところもあります」
大出は新卒で大和証券入社後、6年間、神奈川の厚木支店勤務だった。
「結果の差は行動量の差」と、多い日は1日20キロメートルを自転車で走って飛び込み営業した。
支店勤務の後、2012年、東京のプライベートバンキング部(PB)に異動した。PBは、上場企業経営者といったVIPを主な顧客とする部署である。ここでは顧客に鍛えられた。そして、営業スタイルが変わっていった。
単なる販売からコンサルティングに、コンサルティングからウェルスマネジメントに。決められて指示された商品の販売ではなく、ひとりひとりのニーズに合わせた提案ができるようになった。そして、関心を持ったのが海外でのPB業務である。シンガポールのWCSに異動したのは2019年。
■なぜここまで「尽くして尽くして尽くす」のか
WCSの顧客は前述のように日本非居住者で、シンガポール始めマレーシアなど、主に東南アジア在住の日本人富裕層だ。
比較的若くてバイタリティがあり、株式や不動産よりもキャッシュの資金力が豊富な人たちが多い。アジア展開や世界展開を視野に入れた現役経営者、M&Aで自社をバイアウトした元経営者も少なくない。
そして、大出もまた昭和的な営業スタイルである。
「運用のサポートは当然で、移住のためのサポート、法人設立、住居探し、お子さまの学校探し、旅情報、グルメ情報、手土産情報、各種リサーチ、ドライブのお付き合いからゴルフのお付き合いまで、とにかくお客さまに尽くします。尽くして尽くして尽くします」
彼は「シンガポールに移住される理由は主に6つあります」と言った。
「ビジネスの海外展開、お子さまのグローバル教育、税制のメリット、災害や地政学リスク等の回避、ゴルフ環境、そして投資環境です。
投資の環境は、税制と絡んで富裕層にとって妙味があります。特に投資商品の幅と、投資手法の点で、日本とは異なります。
シンガポールの地理的要因も大きいでしょう。日本から7時間ほどで到着し、成長するアセアンの玄関口にある。時差1時間ですから日本とのビジネスもリモートで成り立ちます。日本食の調達や日系医療機関も充実しています。英語で普通にビジネスができます」
■富裕層への営業は、人間臭くて泥臭い
「さらに、シンガポールの魅力のひとつがゴルフです。ゴルフをされる方はとても多いです。ゴルフは私の営業においては必修科目と言えます。一年中ゴルフができ、マレーシアやタイにも足を運んでゴルフを楽しめる環境に惹かれて移住される方、移住されてからゴルフを始められる方などさまざまですが、生涯スポーツですし、健康になります。なにより大人のコミュニケーションツールとして大変有用なのかと思われます。
教育移住も想像以上に多いです。シンガポール現地の公立校、日本人学校、インターナショナル校の選択肢がありますが、選ばれるのは主にインターナショナル校です。
シンガポールには60校以上のインターナショナル校の選択肢があります。
インターナショナル校で学ぶメリットは、英語に加え中国語を学べる語学環境、ICT教育の先進性、そして富裕層ネットワークを構築できる環境でしょうか」
WCSが手掛けるサービスは投資や運用といった金融面に限らず、日常のお手伝いまでが守備範囲になる。彼らがやっていることはプライベートバンキングという言葉のチャーミングな響きからは想像できない人間臭さと泥臭さに満ちている。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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