新入社員の研修コストが大きく、離職率が高い…カスタマーサービスで「生成AIの現場導入」が進んでいる理由
プレジデントオンライン / 2024年5月16日 10時15分
※本稿は、今井翔太『生成AIで世界はこう変わる』(SB新書)の一部を再編集したものです。
■機械化・AI化によって「仕事が奪われる」とは限らない
それではここからは、「機械化による影響を受ける」という事象についてもう少し詳しく考察していきます。
実は先ほどから、「AIによって仕事が奪われる」という表現は一度もしていません。ここまで議論してきたのは、ある職業が影響を受けやすいか、受けにくいかというものです。
生成AIなどの技術による労働への影響を考える場合、その技術が「労働補完型」の技術なのか、「労働置換型」の技術なのか、分けて考える必要があります。
労働補完型の技術とは、人間の労働を補助し、その労働自体を楽にしたり、生産性を上げたり、新しい仕事を生み出すきっかけになるような技術です。一方の労働置換型の技術とは、文字通り人間の労働を完全に置き換え、人間が介在する余地をなくしてしまうような技術です。
労働がある技術の影響を受ける場合、その技術が労働補完型であれば、単純に現在の仕事を奪われるという事態にはなりません。むしろ、その技術によって労働が効率化され、賃金が上昇する可能性があります。
仮に現在の労働がほとんど機械に置き換わってしまった場合でも、その技術自体が新たな労働を生み出すことで、そのマイナスの影響を打ち消すことができます。
■産業革命で人間の仕事はどう変化したのか
第二次産業革命で登場した電気や、それを応用した大量生産技術などは労働補完型の技術であったとされ、実際に当時の雇用は増え、賃金も上昇したという研究結果が出ています。
逆に、産業革命初期に登場した紡績機、力織機などは労働置換技術であったとされ、スキルを持った労働者が不必要になり、そのような労働者が就ける代わりの仕事も生み出さなかったようです。
なお、この労働補完型か労働置換型かという議論は、あくまでも影響を受ける労働者の視点からの問題となります。どちらの技術であっても、最終的に産業発展が起きれば、それらの技術を採用した資本家や後世の人間は、その発展の利益を享受できます。
初期の産業革命で生まれた技術はほとんど労働置換型でしたが、人類の産業の発展という観点で見ると、すさまじい恩恵をもたらしました。
■生成AIは労働補完型か、労働置換型か
それでは生成AIは労働補完型の技術なのでしょうか。それとも労働置換型の技術なのでしょうか。
実は、その技術がどちらであるかは、技術そのものだけを見てもわかりません。仕事の一部を自動化するのは補完型/置換型のどちらでも同じですが、人間が介在する余地が残るかどうかは、その仕事の元々の複雑さに依存します。元の仕事が一定以上複雑な場合、技術を投入しても、その技術自体をコントロールする人材や最終的な出力を責任を持って選択する人材は、依然として必要です。
また、その技術が新しい仕事を生み出すかどうかは、正確に予測しようがありませんし、もし生み出すとしても、その仕事がどのようなものになるかは未知です。
現時点では、研究者の間でも意見が分かれています。どちらかというと、生成AIは労働補完型の技術であり、既存の労働をより生産的に、より快適で質が高いものにするという説が多い印象です。
ただし、完全に今の雇用が維持されるという楽観的な考えもまた少ないようです。新たなスキル獲得に向けた教育の提供や、雇用が失われた場合のセーフティネットの整備など、社会的、政治的な取り組みの必要性が強調されています。
■生成AIによる生産性向上を示す複数の実験結果
ここからは具体的に、労働のどのような領域に生成AIが関わってくるのか、そしてそれがどのような恩恵をもたらすかを見ていきます。
生成AIがどれだけ経済的な利益をもたらすのか、どれだけ生産性を向上させるのかについては、すでにいくつかの試算が出ています。
マッキンゼーの報告では、生成AIにより670兆円以上の経済効果が世界にもたらされるとしています。これはすさまじい額です。イギリスの国内総生産が450兆円程度ですから、生成AIによってイギリス一国の1.5倍もの経済効果が世界にもたらされることになります。
![製鉄所バロー・イン・ファーネスの版画](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/c/1200wm/img_7cf7bdce8ef5689c6942383aba87837f406730.jpg)
マサチューセッツ工科大学(MIT)は、プレリリース、短文レポート、分析報告書や計画書、電子メールでのやり取りなど、文章執筆に関わる仕事に関して、生成AIが与える具体的な影響について調査しています。
それによると、ChatGPTをこれらの仕事に使うことにより、仕事を終えるまでの所要時間が平均40%減少し、アウトプットの質も18%向上したとのことです。この実験でChatGPTに触れた労働者は、「実際の業務でChatGPTを使用したい」と答える割合が実験後に2倍になっています。
また、これは複数の研究で報告されていることですが、生成AIを使うことにより、労働者間のスキルの不平等が減少したという事実があります。
つまり、すでに高いスキルを持っている労働者への影響は最低限で、新人労働者などに対して最も大きな影響を与えたということです。多くの場合、スキルが低い労働者が、スキルの高い人と同等のアウトプットができるようになるとされています。
![【図表1】業務タスクにおけるChatGPT使用の有無による生産性の比較](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/7/1200wm/img_07e752a62af21e9f9020dd7fdaf55335408742.jpg)
![【図表2】業務タスクにおけるChatGPT使用による業務満足度と自己効用感の向上](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/b/1200wm/img_9b5fe8e45addece2cc968f69d0501efe408142.jpg)
■1回きりの実験ではわからないこともある
ただし、これらの研究の見方には注意が必要です。
まず、これらの研究は長期的な雇用への影響については考慮していません。企業や労働者が生成AIを採用することで、労働市場には長期にわたって大きな変動があることが予想されますが、それは実験室での1回きりの実験で測ることはできません。
需要の大きな伸びが期待される分野であれば、生成AIによる生産性の向上がそのまま市場の拡大につながります。労働者が以前より高い生産性を得ることにより、以前には対応しきれなかった潜在的な顧客に対するサービス提供が可能となります。その結果、当該分野の雇用は増加することになります。
一方、需要がすでに頭打ちだった場合は、生成AIを使うことで一人ひとりの労働者が対応できる量が増加するため、必要な労働者の量が減り、雇用の減少につながる恐れがあります。
こうした外部的な要因が、とある技術が労働に与える影響を分析するうえで難しいところです。これらは本質的に長期にわたる検証が必要な問題であり、いくら生成AIを使った短期的な実験を行っても、結論を出すのは困難です。
おそらく今後も、生成AIと労働に関する実験は多く出てくるでしょうが、そこでいくら生産性の向上などが強調されていても、雇用や賃金などは外部要因によって決定されることを理解しておく必要があります。
■すでに生成AI導入が進む「カスタマーサービス」分野
ここからは、生成AIが特に利用されるであろう個別分野におけるユースケースについて考察していきます。生成AIの現場への導入はまだ始まったばかりで、業務のどの部分に組み込むかはまだ手探り状態ですし、長期的に良い影響があるかは不透明です。
ただ、カスタマーサービスとソフトウェア開発の2分野に関しては、生成AIブーム以前に、分野固有の事情から生成AIの導入が比較的進んでいたという特徴があり、その影響についても長期的な視点での報告があります。
カスタマーサービスは、現時点で生成AIが最も威力を発揮するとされている分野です。生成AIの流行以前から、この機能に特化したAIを導入して顧客対応を行っていた企業が多く存在したという調査結果もありますし、長期の影響を分析した詳細な研究結果も報告されています。
カスタマーサービスにおける生成AIの強みは、サービスの質を落とさず、場合によっては高い顧客満足度と高速化を達成しつつ、顧客とのやりとりを半自動化できることにあります。
また、この分野には、新入社員では生産性が低く、トレーニングコストが大きいにもかかわらず、離職率が高いという背景があります。これらの問題が、企業が生成AIを導入する強い動機となっています。
実際にはさまざまな導入形態があると思われますが、ここでは一例として、MITなどによる既存研究で紹介されているシステムを取り上げます。この研究は、実在の生成AIシステムを導入したある米国大手ソフトウェア企業を対象に、5000人以上の利用者数かつ数カ月以上の期間の実運用データをもとにしており、企業での生成AI導入の実例として大変興味深いものです。
■従業員と客をサポートするツール
この生成AIシステムは、ソフトウェア製品に関する顧客の技術的質問に答える人間のサポートをするものです。顧客の質問と過去の会話を入力し、「エージェントが顧客に返す回答文章」と「顧客の質問に関連する社内文書へのリンク」の2つを出力します。
この出力はエージェントのみに提示され、顧客には見せません。生成AIは、専用に特化したものであっても時に不適切な出力を行いますが、あくまでエージェントへの提案システムとして導入することで、不適切な出力を顧客に返すリスクを回避しつつ、エージェントの作業を効率化できます。
![今井翔太『生成AIで世界はこう変わる』(SB新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/6/1200wm/img_06266c1026733fe56b58e725b08d91e9283003.jpg)
同じ質問でも、顧客の背景に応じて回答が複数考えられるため(たとえば顧客が使っている製品バージョンなど)、システムは複数の解答案を生成します。
単にシステムに回答させるだけだと、内容はともかく、相手の感情を考慮しない無機質な回答になります。この例では、専用の学習、あるいはプロンプトを工夫する(たとえばプロンプトの冒頭に「熟練のカスタマーサポートとして回答してください」という文を入れる)ことにより、良い結果を引き出せそうな回答には、「この質問に関してはお力になれそうです!」や「この件をお手伝いできるのは光栄です!」といったフレーズを付け加えて回答するよう学習していきます。
![コンピュータを使用しながらヘッドセットを身に着けているビジネスウーマン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/0/1200wm/img_10cdac88ff6c756e84870485414ba664396364.jpg)
■スキルの低い従業員ほどより多くの恩恵が受けられる
さて、このシステムを導入することで、本当にカスタマーサポートの主要な指標を改善できたのでしょうか。
まずは生産性です。これは1時間あたりにエージェントが解決した質問数によって計測できます。平均で見ると、このシステムの導入で生産性が14%向上していました。
この研究では、システムを利用するエージェントがスキルの高さによって分けられ、それぞれ個別の結果も報告されています。システムを利用した生産性の向上効果は、最もスキルが低い労働者(Q1)が最も大きく、1時間あたりの解決率が35%向上しています。一方、最もスキルが高い労働者(Q5)の場合、ほとんど解決率の向上が見られません。
システム導入後の労働者と顧客の満足度(ポジティブな感情)はどうでしょうか。図表3を見ると、両者とも上昇傾向にあり、特に顧客の満足度の変化は非常に大きくなっています。また、カスタマーサポートは特に離職率が高い職業であると最初に説明しましたが、システムの影響は離職率を下げる方向に作用し、離職者が平均して9%近く減少するということです。
![【図表3】生成AI提案システムを導入した場合の業務改善](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/3/1200wm/img_83860dbe4035ffcda9a328958249cbbb408064.jpg)
これらの結果を総合して考えると、生成AIシステムの導入は、労働当事者の満足感を上げつつ、仕事の質も向上させ、さらに顧客の満足度も上げるという非常に良い影響があることになります。
■AIを使えば誰でも価値を理解できる
ところで、このシステムはあくまで回答の候補を提案するものでしたが、そもそもエージェントはこの提案を採用しているのでしょうか。これについては面白い結果が報告されています。
システム導入の初期には、最もスキルが高い労働者はシステムの提案を拒否する傾向があったようです。しかし、時間の経過とともに、どのスキル帯の労働者もシステムの提案を受け入れるようになり、最終的な変化の割合は最もスキルが高い労働者で大きくなっています。
スキルが高い労働者は、当初は自分のスキルへの自信ゆえにAIの出力を拒否するものの、最終的には生成AIの提案の質や価値を認めるようになるというこの傾向は、生成AIが別の分野に導入される場合にも参考になるでしょう。
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AI研究者
1994年、石川県金沢市生まれ。東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻松尾研究室に所属。人工知能分野における強化学習の研究、特にマルチエージェント強化学習の研究に従事。ChatGPT登場以降は、大規模言語モデル等の生成AIにおける強化学習の活用に興味を持つ。著書に『深層学習教科書 ディープラーニング G検定(ジェネラリスト)公式テキスト 第2版』(翔泳社)、『AI白書2022』(角川アスキー総合研究所)、訳書にR.Sutton著『強化学習(第2版)』(森北出版)など。
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(AI研究者 今井 翔太)
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