超一流でも「将来のお金」に不安を抱えている…「7億円投資トラブル」TKO木本が吐露する芸能人の不安定さ
プレジデントオンライン / 2024年5月15日 16時15分
※本稿は、木本武宏『おいしい話なんてこの世にはない どん底を見たベテラン芸人がいまさら気づいた56のこと』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「イチオシ」のポジションから滑り落ちた
TKOは、20代前半で関西ローカルの「爆笑BOOING」という番組で5週勝ち抜いてチャンピオンになり、さらにチャンピオン同士の大会でも勝利して、グランドチャンピオンに輝きました。そこから京都のラジオ局のパーソナリティを任されるようになるなど、関西では人気のあるコンビという立ち位置になりました。
ですが、人気だったのは一瞬で、どんどんと仕事が減っていきました。関西の若手お笑い芸人ブームの終焉など、外的な要因もありましたが、基本的な原因は、僕らのコンビが若い女性にしか支持されていなかったことでした。
事務所のスタッフからは、「TKOは目の前の客を笑かしているだけ。それでは今後困るぞ」というアドバイスを受けていました。でも、僕らはそれを聞き流していました。
そんなとき、同じ事務所の後輩に「ますだおかだ」というコンビが現れ、あれよあれよという間に、関西お笑い芸人の登竜門である、「ABCお笑い新人グランプリ」を獲りました。それも、僕らにはない「漫才」というスタイルで。それをきっかけに、大阪の松竹芸能はますだおかだ推しにシフトします。僕らは“イチオシ”のポジションから滑り落ちたのです。
■AV男優にするという過激な企画まで…
推しから外れると、僕らの仕事はさらに減っていきました。深夜番組でTKOをAV男優にするという企画まで持ち上がりました。最終的にその企画はボツになり、他人に裸をさらさずにすみましたが、そんな落ちぶれた中で、母のガンが見つかったのです。
辛い時期を乗り越えて、TKOは東京に進出でき、なんとか全国区と呼ばれる芸人になりました。でも、「少しは売れたんちゃうか」からが茨の道でした。
最初に不安が大きくなっているのを自覚したのは、40代の半ばをすぎたころでしょうか。40代前半は、売れたときの勢いでレギュラーが増えます。仕事がなんだかんだでうまく回り出して、世間からも「あの人よく出ているね」といわれるようになります。ただ、50歳が近づくにつれてどんどん出番が減っていきます。
■目標とする「売れ方」には届かなかった
それでも出番はありましたが、然るべき時期に重要なポジションを担う芸人にはなれなかった。つまり、ゴールデンタイムの冠番組を持つところまではタッチできずに、横目で見ながらその時期を逃してしまったという思いが強くなってきます。
僕としては「あかんかった」と自覚がある。それでも世間的に見れば、忙しい人。周りからも「売れてよかったね」といわれるのですが、自分の中では「売れるっていうのは、そうじゃないねん」と反論したくなるのです。
■コロナ禍は「50代の予行演習」のよう
同世代の芸人仲間の話を聞くにつれ、芸人とは違う路線で“稼ぐ”手立てを考えなければという思いが強くなってきます。そんなタイミングで、暗号通貨ブーム直前の波に呑まれてしまったのです。自分の中に「投資」というものがインプットされてしまい、一気に加速していきました。
さらに追い打ちをかけられるように“コロナ禍”になりました。対面でのロケや取材が制限されましたし、外出自粛により、3カ月のあいだ、仕事がない状況に陥りました。僕はこれから迎える50代の予行演習をさせられている気分でした。そうした不安が重なって、僕はよく知りもしない投資にのめり込んでいきました。
すべては、「これからどないしよう。どないしたらええねん」という不安によるものでした。
トラブルを経た僕は、不安に押しつぶされていた自分を反省して、我々の強みを活かすべきだったと思っています。TKOというコンビの原点を忘れていた事実を思い浮かべながら。
■日頃からお金持ちに会う機会が多い
芸人の世界に入った若い頃は、「億万長者になりたい」という夢が漠然とありました。ただ、その具体的な方法などはわからず、芸人として目の前の仕事を一生懸命やっていただけでした。ただ、この世界にいる怖さなのですが、日頃のおつき合いを通じてお金持ちに会う機会が多いのです。
僕は、比較的そうした社長さんの飲み会には顔を出さないほうでしたが、ロケで知りあったきちんとした企業の社長さんなどと仲よしになります。僕は社長さんをタニマチにして飲み歩くのではなく、純粋に興味を持って接していました。
社長さんの周りには、やはり社長さんがいらっしゃるので、いつの間にかそうしたネットワークの中に自分がいるのに気づきます。すごいお金持ちや、成功者の中に身を置いていると、自分の感覚も麻痺してきます。
「俺もそうなりたい」
気がついたら、そちらへベクトルが向いていました。
じゃあ、どうすればいいか? というところで投資という方向にしか目が向かなくなっていたのです。
■超一流の芸能人でも「将来のお金の不安」を抱えている
じつは、さらにそれを加速させる出会いがありました。
縁があって、日本中の誰もが知るトップ芸能人の方とサシ飲みする機会をいただいたのです。
びっくりしたことに、その方が「将来のお金の不安」について話しはじめました。たくさん稼いでいらっしゃる方ですから、お金の心配など必要ないと思っていたので、なおさらでした。聞けば、その方はめっちゃ投資されているのでした。僕がのちに手を出す、暗号通貨やFXなどではなく、手堅い投資です。
僕は不思議に思いながら、
「それはおもしろいからやってらっしゃるんですか?」
と尋ねると、
「いや、違う」
と断言されるんです。
そしてこんなふうに続けられました。
「冷静に考えてごらんなさい。どんなに一生懸命に仕事をやってきても、あした死んだら収入がゼロになってしまう仕事なんだよ」
身体中に「ビリビリッ」と音を立てて電気が走りました。
僕の立場からいわせてもらえば、なんの不安もなく、バリバリと仕事をしている超一流の芸能人ですら、きちんと投資に向き合っている。それも、「死んだらゼロ」という不安を抱えながら。
■「芸人という柱」しかない現実に怯えていた
その方の話を聞く以前から、芸能界の名だたる人も、不動産をはじめ、さまざまなジャンルへ投資をして、芸能界で食っていけなくなるときに備えている人が多い事実は知っていました。
また、つき合いのある社長さんたちも、本業のほかに別の「収入の柱」を構築していることも聞いていました。
そうした予備知識を持ちながら、僕自身はどうやって収入の柱を作ればいいか思い悩んでいたのです。
そんなタイミングで、芸能界でトップを走っている方の「不安」を知ってしまった。
そしてこう思いました。
「俺ももうひとつ柱を作らんといかん」
そこから「投資への扉」が開いていったのです。
もちろん、その方々のせいだとは微塵も思っていません。
ただ、漠然とした思いがある中で、2017年に暗号通貨に出会ってしまった。そこからはすでに説明した通り、「欲にまみれて」しまいました。
騒動の後に、冷静に振り返ってみると、もし30代で暗号通貨に出会っていたら、僕はなびかなかったんじゃないかと思います。
自分が「芸人という柱」しかない現実に、怯えていたのかもしれません。
■そしてすべてが明るみになった
2022年の5~6月の頃でしょうか。僕の投資に関するトラブルは芸能界でも知られるところになってきました。そして、ある番組の収録時に、僕とも仲のいい芸人が「木本さん、なんかお金のトラブル大変なんでしょう」と、松竹の後輩芸人にトークとしてぶっこんできたのです。
向こうからしたら軽いフリでしたが、現場は凍りつきました。後輩も、トラブルについて知っていましたから、なんとか取り繕おうとしてくれたそうです。マネジャーも現場に立ち会っていましたから、その事実はすぐに事務所の上層部に報告されました。そして、後日その部分はカットしてもらうことで決着しました。それを伝えられた僕は、
「これはもうヤバいな。こっから目くるめく速度で、マスコミに広がるんやろうな」
と感じ、トラブルが表沙汰になるのを覚悟しました。
そして、事務所と話し合いをして、すべての生放送のレギュラー番組や、収録済みの番組を含めて、出演しているものをストップしてもらいました。とにかく、少しでもリスクを減らすことしか考えられませんでした。
そして7月中旬に、一斉にマスコミが報じます。
■「不安にも種類があるんや」と気づいた
7月23日には松竹芸能を退所することを発表しました。
僕はその辺りのできごとをあまり覚えていません。当時の自分の精神状態や、身に起きたことがらは覚えています。ただ、それが人間の強さなのか、防御本能なのかわかりませんが、本当に辛かったはずのいろいろなできごとが「ポコっと」記憶から抜け落ちているのです。
そして、振り返ってみて、「不安にも種類があるんや」と気づきました。
将来に対する不安が投資に向かわせたことは説明しましたが、それよりも大きなものは、「未知のこと」に対する不安だと思ったのです。
投資トラブルを隠しようがないとわかったとき、僕はご飯が食べられなくなりました。食べてもすぐ、誰にもいわずにトイレに駆け込んで、すべてを戻してしまいます。固形物はサプリメントバーも受けつけません。栄養補給ゼリーでなんとか体調を保っている状況です。体重も13kg落ちました。
それが、報道された途端に食べられるようになりました。まだ、体重は落ち続けていましたが……。
そこを自分なりに俯瞰してみると、僕の不安の中心にあったのは「記事になるという現実」でした。
どういう報道をされるか、どんなトーンで書かれるか? そこが未知数だったからです。「未知の不安」にビビっていたのでしょう。記事が出て「ついに白日の下にさらされたな」と観念しました。それでも、逆に自分の気持ちは落ち着きました。
■報道で「自分がどこまで落ちたか」を刻み込むことができた
ただ、どうしてもやりきれない思いをしたのは、「木本は仲間たちを騙したサギ師だ」とか、「後輩に30万円を持って来させて、強引に投資させた」などという事実無根の記事でした。僕は「投資に興味がある仲間」と交流を深める中で、こんな投資がいいんじゃないかという話をトコトンしていました。ですが、興味がない人を巻き込んで、「ええ投資話があるで」と肩を叩くようなまねは絶対にしていません。
そうした憶測の記事も含めて、「こんな感じで書かれるんや」「自分の状況はこうなんや」という事実を知る。報道のすべてが正確ではないとしても、そこを含めてどんなトーンなのかを把握できました。それによって、改めて自分の状況を客観視できたのです。別の言葉を使えば、「自分がどこまで落ちてしまったか」を、自分の中に”刻み込む”ことができたのです。
多くの人は「騒動が発覚したときが不安のピークでしょ」と思われるかもしれません。
もちろん、それはそれで大変ではありました。自宅前にはマスコミが押し寄せ、家から一歩も出ることができませんでしたから。
ただ、「自分がどうなるかわからへん……」という不安が一番怖いことなんだ、と認識できたのは収穫でした。発覚前の数週間ほど、僕を極限の不安に陥れた状況はなかったからです。
僕たちTKOは、2023年の1月に活動再開会見を行いました。会見の前も不安はありましたが、それは「前向きな不安」「将来への不安」でした。「未知の不安」を経験した僕にとって、ビビるほどの事態ではなかったのです。
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お笑い芸人
1971年5月6日生まれ。大阪府大東市出身。90年に木下隆行とお笑いコンビ「TKO」を結成しツッコミを担当。2006年に東京へ本格的に進出し、キングオブコント3位などの実績を残す。ドラマやバラエティなどでも活躍していたが、22年7月に投資トラブルが発覚し活動休止。23年1月に記者会見を開き活動を再開した。同年8月より47都道府県すべてを周る全国ツアー「周るTKO」を開催しているほか、YouTubeチャンネル「TKOチャンネル」「TKO木本武宏のキモトゥーブ2」でも活躍中。
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(お笑い芸人 木本 武宏)
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