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「日本でエステサロンやろう」中国・大連出身の物理学専攻SEが即決した理由とその後に味わった"天国と地獄"

プレジデントオンライン / 2024年5月20日 16時15分

アクシージア代表取締役社長の段卓(だん・たく)氏。中国から日本に留学、日本企業にSEとして就職した後、友人たちと共に起業。順調に成長していたが、苦境に立たされることになる。

東証プライムに上場する化粧品メーカー・アクシージア。創業者で社長を務める段卓氏は、なんと中国の大連出身。日本で起業した彼を待ち受けていた「修羅場」体験とは――。

■ビジネスとは縁のない家庭で育つ

アクシージア 社長 段 卓

創業からずっと順調だった事業に急ブレーキ――私にとっての修羅場は2013年からの3年間。サロンもダメ、化粧品も儲からない。あの時期は全部が全部ダメでした。

現在のアクシージアの主力事業は、日本製というブランドを武器にした化粧品事業です。主な市場は私の出身国でもある中国。もともとはエステサロンの事業から始まりました。

私は中国東北部の大連出身なのですが、中国の北の人間というのは基本的に保守的で、あまり商売っ気がありません。両親は医者で、ビジネスとは縁のない家庭で育ちました。

■ビジネスを志すようになったきっかけ

お堅い環境で育った私がビジネスを志すようになったきっかけは、厦門(アモイ)大学への進学です。福建省にある厦門は、中国で最も早く設立された経済特区の一つ。経済活動が活発な街で、学校の友人たちも、みんな起業を目指していた。物理学を専攻していた私も、そんな環境で刺激を受けました。当時の憧れの人物は、孫正義さん。彼の日記や本を読んで、自分も野心を抱くようになりました。

大学を卒業した後、来日。経営学を学びました。ただ、すぐに何かができるわけでもないし、何か技術を身につけたわけでもありません。結局、最初の会社にはシステムエンジニアとして就職をしました。

■「エステサロンを経営しないか」と友人に誘われ起業

「エステサロンを経営しないか」と大学時代の友人に誘われたのをきっかけに起業。まったく知識のない美容業界で、しかも女性向けのビジネスです。店舗スタッフは20代の女性。経営者である3人は男性で、お店には立ち入りません。ただ、おかげで自然と経営に集中できたのがよかったのかもしれません。創業後は順調に売り上げが増え、店舗を増やし事業を拡大。創業してから10年で、グループ売り上げは50億円弱、最大50店舗を構えるまでになりました。

ビジネスが大きく成長した12年の暮れ、私たちは分社化に舵を切ります。事業が大きくなるにつれ、経営陣3人のやりたい方向性が少しずつ違ってきたからです。

私は会社を大きくしたいと考えていました。理由は中国で起業した学友たち。彼らはもっとスケールの大きなビジネスを展開しており、会うたびに「私もやるぞ」と触発されていたのです。

■分社化した後に事業を拡大、修羅場の始まり

分社化した後の13年。自分ですべて決断できることになった私は勝負に出ます。一気に5店舗を増やし、引き継いだ店舗を合わせて25店舗まで事業を拡大しました。ただ、ここからが修羅場の始まりでした。

いきなり事業を大きくしたためか、まず組織がガタガタになりました。エステサロンの従業員は20代、30代の女性です。出産や育児などのライフイベントが重なり、これまで事業を支えてくれた一人前の社員が十分に稼働できない。規模を拡大しても、人材が不足する状況に陥ったのです。

また、スマホの登場も大きかった。情報が平等にみんなに行き渡るようになり、安いエステに消費者が集まるようになりました。昔であれば高単価で契約を取れたエステの単価が、一気に下がりました。結果として、売り上げもガクッと下がってしまいました。

■売り上げが減るせいで宣伝費も減る悪循環

集客は維持することができていたものの、顧客単価の減少は経営に大きく響きました。売り上げが減ると広告宣伝費を減らさざるをえず、減った売り上げを補うだけの新規顧客を獲得できなくなる。悪い循環にハマってしまったのです。

当時、売り上げは自社で独自に開発したシステムで管理していました。自分がもともとシステムエンジニアだった経験を活かして、各店舗の売り上げがすぐにわかるようなシステムを自ら構築したのですが、日々の売り上げを確認することで精神的に追い込まれていきました。

夜、食事をしながらではとても数字を見られません。「こんなに売り上げが少ない」と落ち込んでしまい、食べる気がなくなってしまうんです。

社員などから文句をいわれることはなかったものの、厳しい経営状況の中で賞与もあまり出せませんでした。あのときは本当に心が痛かった。最低限の賞与も出せず、苦しい思いをさせてしまいました。

アクシージア設立直後の段氏
アクシージア設立直後の段氏。サロン事業が傾き、化粧品事業も軌道に乗らず苦闘の日々が続いた。

■サロンもダメ、化粧品も儲からない…地獄のような日々

どう状況を打開するか。分社化の少し前から、自社で化粧品の製造と販売も行っていました。サロン向けのBtoBの化粧品で、自社のサロンで使うことはもちろん、他のサロンへの外販を始めました。ただ、国内の展示会に出展したものの、残念ながらほとんど売れません。確かに綺麗な商品で、しっかりと作っていますが、他社の商品と明確に差別化された特徴的な商品、というわけでもありません。結局、自社で使うばかりでした。

中国でも事業者向けに販売しました。メイド・イン・ジャパンの化粧品は根強い人気があったため、展示会を通して営業活動を行い、売り上げも知名度も少しずつ上がっていきました。しかし、収益に大きなインパクトを与えたかといえば、そうでもありません。化粧品の商品開発などで発生した損失を、ただでさえ減少しているエステの利益で埋め合わせる羽目になりました。ほとんど自転車操業の状態です。

順調だったはずのエステ事業が傾き、多角化で始めた化粧品も軌道に乗らない。地獄のような日々でした。

■事業の撤退だけは考えなかった

ただ、事業の撤退だけは考えませんでした。常に前を向くことが、私の経営哲学です。悩んでいても、家の中にいては何も考えが出てきませんから、やっぱり現場に行くのがいい。香港や中国の展示会に自ら出向いて、何か新しいものがないか探して回りました。美容器具で面白いものがあったら試してみる。「サロンのお客さんにウケるんじゃないか」と思ったら、日本に持ってきてすぐに導入する。商品開発や商売に繋がるネタを、足を使って集めていきました。とにかく毎月アイデアを生み出したり、新しいサービスを導入したり、海外でいろいろネタを見つけたりと、奔走しました。

転期が訪れたのは、中国の一般消費者に向けて商品を作り始めたことです。

きっかけは販売代理店のオーナーからの提案でした。彼女は中国のECサイトでも商売をしていて、そこで非常に人気だったのがメイド・イン・ジャパンの美容アイテム。ただ、大手の製品は手に入りづらい状態が続いていました。「あなたも日本のメーカーだから作れないの?」と懇意にしていた私に相談してくれたのです。市場を調査したところ、美容ドリンクが開発できそうでした。

すぐにはヒットしませんでしたが、1年かけて味やビンなどを改良し、リニューアル。そこから爆発的ヒットになりました。毎月2万箱を製造しても、入荷する前から買い付けが入るほど。この美容ドリンク(AGドリンク)は、今でも当社の看板商品です。これまでBtoBの事業が中心でしたから、急にBtoCの商品が売れたときの経営へのインパクトはものすごかった。市場が10倍は違います。BtoCのマーケットの大きさに感動しました。

■悪い状況を打破する力より強いものはない

美容ドリンクがヒットしたことで一気に会社の知名度も上がりました。ただ、一つの商品だけで勝負するのは危ない。業績がいいときでも、常に会社やブランドの宣伝をして、他の化粧品も売れるように工夫を続けて、今に繋がっています。

経営していて悩むことはありますが、悪くなったからもうダメだ、と思ったことは一度もありません。悪いときこそ前進する。悪い状況をどう打破すればいいかを考えるエンジンのパワーほど、力強いものはありません。また逆境も待ち構えているでしょうが、ピンチこそチャンスに変えて、さらに事業を大きく成長させたいです。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年5月31日号)の一部を再編集したものです。

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段 卓(だん・たく)
アクシージア代表取締役社長
1966年、中国大連生まれ。89年厦門大学卒業後、留学生として来日。98年琉球大学大学院を修了。システムエンジニアの経験を経て、2002年エステサロン事業を友人と起業。11年にアクシージア設立。12年に分社化し、現在に至る。

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(アクシージア代表取締役社長 段 卓 構成=東香名子 撮影=大槻純一)

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