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中尾ミエ77歳「15歳デビューからワガママ放題にやってきた私が愛され続けた理由」

プレジデントオンライン / 2024年5月21日 17時15分

■わがままとは、「自由に生きる」ということ

「わがまま」の定義って何でしょう?

中尾 ミエ氏
中尾 ミエ
歌手、俳優

1946年生まれ。62年のデビュー曲「可愛いベイビー」が大ヒット。以降、コンサート、TVドラマ、バラエティ、舞台、映画など幅広いジャンルで活躍する。著書に『76歳。今日も良日 年をとるほど楽しくなる70代の心得帖』(アスコム)。

最近は「老害」という言葉もあるくらいで、特にシニアのわがままに対して世間はきびしいです。そもそもわがままという言葉自体、どうしたっていい響きには聞こえません。それは「自分がしたいことをする」以上に、「他人の事情や都合を考えない」という意味を感じるからではないでしょうか。

でもわがままとは、「自由に生きる」ということでもあると思います。他人に気兼ねせず、だけど人に迷惑はかけず、自分の人生を思いきり生きる――。

そう定義するなら、私はわがままに生きてきました。15歳で渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメント)に入ってから、常に新しいことに挑戦してきました。「前例がないからダメだ」と言われれば、「前例がないから私がやるんだ」と張り切ったり……。はたから見れば、結構なわがままだったかもしれません。

いまでこそ髪型はショートヘアが定番ですが、デビューしたてのころはポニーテールでした。でも、くせっ毛なので一生懸命束ねても、おくれ毛がクシャクシャ出てしまう。当時の女子のヘアスタイルは、きっちりセットするのが標準だったから、周囲の大人から「その髪型、何とかならないのか?」と注意されることもありました。でも、「これが私のスタイルです」と貫いたんです。

ところがデビュー曲「可愛いベイビー」がヒットしたら、急に手のひらを返したように「その髪型がトレードマークだから」と褒められ始めた。もう頭に来ちゃって、美容院に駆け込んでバッサリ切ったんです。若さゆえの行動でしたが、自己主張もよい方向に転がれば、個性的と評価されます。

■反抗しながらも周囲に迷惑はかけない

では、自己主張とわがままの違いは何でしょう。それは最低限のルールを守っているか、筋を通しているかどうかだと思います。

当時、アイドルの走りだった私は、ボーイフレンドができたら、きちんと社長に紹介していました。「アイドルは彼氏をつくるな」という暗黙の了解はあったけれど、人間ですから恋愛もします。そのことを社長は理解して、筋を通せば許してくれたのです。

こうした感覚は幼少期からのものでした。小学校3年生の頃、理由は忘れましたが、先生に「もう授業に出なくていい!」と叱られたことがあるんです。「わかりました」と教室を出た後、授業中に遊ぶのはよくないと思って、給食室に直行して調理や配膳のお手伝いをしていました。すると私を探しに来た先生に「なにをしているんだ!」と再び怒られた。「授業に出なくていいと言ったじゃないですか」と反論する子どもは、さぞや可愛げがなかったでしょうね。でも反抗しながらも、周囲に迷惑はかけないルールは守ったつもりです。

芸能活動も同じです。15歳で入った渡辺プロダクションには30年間お世話になり、45歳で独立しました。自分の力がどこまで通用するのか、一度試してみたかったんです。そして無我夢中で走り続け、約30年後、社会人として還暦を迎えるタイミングで再び古巣に戻ることになりました。「また戻っていい?」と聞けたのは、どこにも所属せずに個人で頑張ってきたから。これがもし他の事務所にお世話になっていたら、「もう一度よろしくお願いします」とは言えませんでした。筋を通した行為は、わがままとは受け止められなかったと思います。

■人を頼ることは時にコミュニケーションにもなる

最近は「人からわがままと思われたらどうしよう」と思い悩んで、自分にブレーキをかける人が増えた気がします。何でも自分で完璧にこなさなくてはと頑張ってしまうのではないでしょうか。

核家族化が進んで、隣人同士が助け合う機会も減りました。私が幼かったころは、「雨が降ったら、洗濯物を取り込んでおいてね」と隣家に頼むことも普通でしたが、いまや都会のマンション生活では、挨拶も遠慮しがちです。

でも、人って他人から頼られると案外嬉しいものです。私はそのことに気づくのに、少し時間がかかりました。デビューして、私と伊東ゆかりちゃんと園まりちゃんは「3人娘」として活動することがありました。それぞれ付き人がいたけれど、私以外の2人はいろいろと付き人に頼むんです。一方、私はあれこれ頼んでは大変だと思って、「いいわよ、自分でやるから」とあまり頼み事をしないように努めました。ところが、2人の付き人は長続きするのに、私の付き人は辞めていってしまう。あまり頼られないことで、「自分は必要ない存在なのでは?」と寂しく感じたのかもしれません。

人を頼ることは時にコミュニケーションにもなると気づいた私は、それがわがままではないかと過度に気にすることはやめました。それ以来、私は頼み上手になりました。

ただ、何でもかんでも丸投げするのはよくありません。自分でできることは自分でやる。そして自分でできないことは得意な人を探して、100%頼ってしまうのです。

私の場合、それは料理や車の運転でした。料理は一念発起して習ったのに上達しなかったし、運転免許は50代で取得しましたが、私より上手な人がハンドルを握ったほうが安心安全です。空いた時間や労力は、自分の得意なことに使うようにしています。

私は頼れる人を見つけるのがうまいなと自分で思います。コツがあるとするなら、同業者ばかりとつるまないこと。同業者は自分と得意分野がかぶっていることが多いのです。そして相性のいい友人が1人か2人でもできれば、その人が同じような仲間を連れて来てくれて、枝葉のように広がっていくものです。

■「100%完璧」を自他ともに求めない

私は60歳で自宅の隣にアパートを建てました。入居者は若者限定で、相場より安く家賃を設定しています。職業もバラバラで、そこからいろんな人と知り合いました。何かあったら住人に面倒を見てもらおうという気持ちもあって、力仕事や運転をお願いすることもあります。その代わりに肉や魚をたくさんいただいたときは、みんなに声をかけて庭でBBQ。その適度な距離感が心地よいのか、若者を集めたはずが、いつの間にかみんないい年齢になりましたね。

人間誰しも、得意なことと不得意なことがあります。その凹凸部分を補い合うパズルのピースを探すのが、人生の面白さだったりするんです。人は似た者同士で集おうとするけれど、凹同士凸同士では、ピースはうまくはまりません。自分にない才能や世界を持つ人を求めたほうが健全です。短所こそ、実はその人の個性ということもある。だから自他ともに「100%完璧」を求めすぎないほうがいいでしょう。

シニアがわがままになってしまうのは、自分の短所を隠して、他人の短所も許さないからかもしれません。でも、年を取れば短所なんて増えこそすれ、減りなんてしないものです。体力も衰え、これまでできていたこともできなくなる。できないことは素直に白状して、元気な若者にお願いしてしまいましょう。若者だって、威張り散らすお年寄りは敬遠しても、素直に頼ってくれる人には優しく接してくれるはずです。

そこで心がけたいのは、お互いに楽しい時間を過ごそうとすること。相手の能力を見定めて、「自分の役に立ちそう」という理由で人付き合いしても、うまくいきません。「あの人と過ごす時間が楽しい」と相手に思ってもらえることで、関係は長く続いていきます。まずは自分が人生を楽しみ、相手にも楽しんでもらう。それができれば、人生バラ色になりますよ。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年5月31日号)の一部を再編集したものです。

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中尾 ミエ(なかお・みえ)
歌手、俳優
1946年生まれ。62年のデビュー曲「可愛いベイビー」が大ヒット。以降、コンサート、TVドラマ、バラエティ、舞台、映画など幅広いジャンルで活躍する。著書に『76歳。今日も良日 年をとるほど楽しくなる70代の心得帖』(アスコム)。

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(歌手、俳優 中尾 ミエ 構成=三浦愛美 撮影=宇佐美雅浩)

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