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なぜ"映画の早送り"に親や上司の昭和脳が過剰反応するのか…Z&ゆとり世代がウケる"不適切"な思考回路

プレジデントオンライン / 2024年6月19日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/atlantic-kid

■「不適切すぎた」昭和 その裏にある価値を探る

一口に「昭和」といっても長い。その期間は60年をゆうに超えるが、日本は戦争によりいろいろなことがリセットされた経緯があるため、ここでの「昭和」は、戦後の高度経済成長期以降を指すことにする。

思えば、昭和というのは今では考えられない言動が許容された時代だった。世の中は男性中心の価値観がスタンダードであり、職場ではハラスメントが横行していた。

オフィスや飲食店、病院でさえも公然とタバコが吸われていた。学校では当たり前のように教師が生徒を殴った。日常的に飲酒運転をする人も多かった。社会的な弱者への理解は低すぎた。個人情報は垂れ流しだった。

こうした面だけ強調すると、当時を知らない世代の人たちは、「なんてひどい時代なんだ」と思うに違いない。「昭和、不適切すぎるでしょ」と。

だからこそ、やがて社会全体の意識に大きな変化が生じ、昭和的な価値観の多くは否定されるようになる。今もそれを押し通している人は「老害」なるフォルダにセグメントされる。

一方で、そのカウンターを気取り、「今は何にもいえない」「窮屈な時代」といった発言で、一部に賛同を得ている人もいる。だが、その人が窮屈でなかった時代に、苦しんでいた人がいる事実もある「セクハラって言われちゃうかな」という前置きを免罪符に、セクハラしている人もいる。やはり、昭和のまんまではいられない。

──こうした大前提を踏まえたうえで、それでもなお、昭和的な言動、発言、事象、システムを振り返ってみると、再評価し、価値を見出せる面もあるのではないだろうか。

白か黒か、○か×か、アリかナシか。今はなんでもかんでも二極化されがちだ。だが、多くの物事には両面がある。捉え方や光の当て方の違いで、見え方は変わってくるものだ。

白と黒の間にグレーがある。○でも×でもない△がある。無条件でアリではないが、場合によってはナシでもないケースもある。現在失われた昭和的な言動であっても、100%NGとはいえないケースもあるのではないか?

大事なのは、規制を設けることではない。社会全体がよくなること、一人ひとりの人生が豊かになることだ。不適切すぎた昭和を振り返りつつ、そうしたことをじっくり考えてみよう。

■1位 ダンディズムや“男の美学”に憧れる

かつての日本では、人々が以下のようなことを平然と口にしていた。

「妻子を養ってこそ男は一人前」「女はお母さんになることが一番幸せだ」「男らしい態度を見せろ」「女性らしいきめこまやかさを持て」

今日、社会的地位の高い人物が、公の場でこうした昭和的なジェンダー観に基づいた発言をすることで批判され、「誤解を招いたのならお詫びする」と釈明するのはよくあるパターンだ。つまり、全員の意識が変わったわけではないが、少なくともそれを口に出すことが不適切とされる社会であることは確かなのだ。

今や理想の男性像、女性像という考え方もなきに等しくなっている。昭和時代には、フィクションのなかの人物が理想の男性像、女性像として共通認識化されることが多かった。人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)、『西部警察』(テレビ朝日系)などにおいて、石原裕次郎が演じた人物は佇まいに貫禄があり、部下の暴走やミスには寛大で、女性には徹底的に優しく、会話はウイットに富んでいた。

一方、高倉健は寡黙でストイック、かつ自己犠牲の精神にあふれた人物を映画で演じることが多かった。損をするのを承知で誰かのために行動を起こしていた。そこに“男の美学”を見出す人は多かった。

さて、多様な男性像、女性像が尊重されるべき現代において、裕次郎や健さんの演じたキャラに憧れるのは不適切なのだろうか?

そんなことはない。「男はかくあるべきだ」と一般化するのではなく、「自分にとって理想の男性像である」と個人が考えるのは自由だからである。むしろ、裕次郎や健さんが演じた、面倒見がよく懐が深い人物や保身を最優先にしない人物は、今の社会にこそいてほしい存在かもしれない。

■2位 「コンプライアンス」で責任逃れしない

日本で「コンプライアンス」という言葉が頻繁に用いられるようになったのは2000年代のこと。法令を遵守し、社会の規範や倫理を守り、公正な経営を行うことで企業価値が高まると考えられるようになった。

いうまでもなく、昭和の日本でそんな言葉を使っている人はなきに等しかった。たとえば、当時は課長だった“島耕作”もそんな言葉は口にしていない。

今日、「コンプライアンス」というワードが発せられる機会のなんと多いことか。ここまで言葉が独り歩きすると、本来の意味を理解せずに使う人が増えてくるようになる。

そして、ボンヤリとした意味の「コンプライアンス」が、前例踏襲主義、事なかれ主義、責任逃れの免罪符として、都合よく使われかねないのだ。

そもそもの問題の本質を理解しようとせず、「コンプライアンス云々」で、ブレーキをかけ、思考を停止させることは、ビジネスのうえでベストな選択ではないはずである。

■3位 自由闊達に政治談議をする

「音楽に政治を持ち込むな」。ミュージシャンが政治や社会に批判的な発言をした場合などにSNSでこうした声を上げる人がいる。海外のミュージシャンが政治批判をすることはよくあることなので、発言者は総ツッコミを受けるのが常だ。

ただ、この件で、現在は政治の話をすることを嫌悪する人、不適切だと考える人がいる社会だということがわかる。「政治はダサい」という感覚を持つ人も少なくないかもしれない。

一方で、昭和期では政治談議は日常の風景だった。理髪店で理容師と客が政治家を批判していた。タクシーの車内でドライバーが客に「お上」への不満を述べることもよくあった。テレビでは政治が笑いのネタにされ、新聞や雑誌には風刺漫画が連載されていた。文学にも映画にも音楽にも、政治が持ち込まれていた。

さて、政治について自由に話せる社会と、政治の話がしづらい社会。どちらが健全なのだろうか?

■4位 コスパ・タイパの悪い行動

「Z世代はコスパやタイパを重視する」「映画はストーリーを知ったうえで早送りで観る」

ネットのニュースでそれを知り、“老害”認定されたくないと、コスパやタイパを過剰に気にするようになった昭和世代もいるかもしれない。だが、コスパ、タイパの悪いことを長らくやってきた人が、今さらZ世代と同じ土俵で勝負できるのか?

徹夜のカラオケ。年賀状や暑中見舞い。ローカル線の旅。図書館で調べ物をした時間。人気のチケットを入手するためにリダイヤルを続けた体験。待ち合わせ時間に相手が来なくて募らせたセンチメンタルな気持ち。レンタルビデオ店でAVだけ借りるのは恥ずかしく一緒に借りたどうでもいい映画……。それらを「コスパやタイパが悪い」と切り捨てていいのだろうか?

そんな一見無駄なことが、今の自分を形成してきたと考えられないだろうか。むしろ、Z世代が持っていない財産といえるのではないか。

デジタル化など社会の新しいシステムについていく必要はあるだろう。しかし、今後もZ世代が避けるコスパ・タイパの悪いことからも学び、そこから何かを得ることができるのは、昭和世代特有のスキルだと考えようではないか。

■5位 先輩・後輩で深い関係性を築く

現代の一部の企業では、社内のフラット化、風通しのいい環境づくり、実力主義の実現のために、「さん付け」を徹底し、上下関係を撤廃しようとする動きがある。長らく日本の企業で当たり前だった年功序列は、過去のものになりつつあるのだ。

昭和の日本では中学・高校・大学の運動部などで、先輩が後輩に対して権威主義的な、時には暴力的な支配を行うことがあった。それに似た傾向のある職場も多く、「ウチは体育会系なんで」などと自慢げに話す人もいた。

しかし、厳しすぎる上下関係は、パワハラやブラック体質を生む要因となりうる。そうした面からも、「後輩は先輩に無条件に従うべきだ」という考え方は不健全といえよう。

だが、両者に良好な関係性が築けているのなら、先輩・後輩というつながりは決して悪いものではない。たとえば、悩みや困りごとがある人が、自分より経験値の高い人に助言を求めることは自然なことだろう。かつて先輩に酒や食事を奢ってもらった人が、今度は自分の後輩に奢る。そこに伴う喜びは、決して悪いものではない。

だからこそ、コンプライアンス重視のテレビのドラマでも、先輩・後輩は理想的な人間関係のパターンとして今も頻繁に扱われがちなのである。

■6位 社員旅行、運動会、草野球など社内レクリエーションを活用する

昭和の企業では、社員旅行、運動会、はたまた野球大会などの社内レクリエーションへの参加は、半ば強制的なものだった。

そしてそれは、パワハラ、セクハラの温床となるケースも多々あった。たとえば、社員旅行での大宴会では女性社員に酒をつぐ役割が求められることが多かった。また、アルコールが苦手な人の立場はとても軽視されていた。

会社の宴席
写真=iStock.com/BiZhaMox
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BiZhaMox

00年代以降、働き方の多様化、プライベートと仕事の境界線の明確化もあり、「若者の社員旅行離れ」が進み、全国的に実施件数が激減したのは自然な流れだったろう。

ところが近年は、平成生まれのベンチャー企業などが社員旅行や運動会を積極的に行う例が目立っている。ワンマン経営者の自己満足である可能性はゼロではないが、少なくともそうした企業が昭和式で行っているとは考えにくい。社内運動会の企画運営を請け負う専門業者まで存在するほどだ。

自由参加でハラスメント要素ナシ、かつコミュニケーションの円滑化手段として機能しているなら、そこに不適切要素を探し出すのは難しい。また、そうしたレクリエーションの場は、部下が上司の、上司が部下の実像を見極める場としても価値があるかもしれない。各自が普段、職場では見せない顔を見せることもあるからだ。

■7位 最後は「気合」と「根性」で乗り越える

野球劇画『巨人の星』にて、父・星一徹は我が子・飛雄馬に“ど根性”を叩き込み、幼少時より、地獄の苦しみが伴うトレーニング機器「大リーグボール養成ギプス」の着用を、恐ろしい顔で強制した。

昭和世代でも、今の時代なら一徹が不適切な“毒親”だと理解できるだろう。

ご存じ、メジャーリーガーの大谷翔平は合理的なトレーニングや食事、十分な休息時間の確保を重視し、『巨人の星』的な根性や気合とは無縁のアスリートの印象がある。だが、その大谷は、23年に開催されたWBC準決勝のメキシコ戦で、9回裏に2塁打を放ったあと、2塁ベース上で感情を爆発させ、チームメイトを鼓舞した。その後、不調だった村上宗隆がサヨナラ打を放ち、日本は劇的逆転勝利を収めた。

合理性は大事だが、最後の最後で「気合だ!」と高揚し、「根性だ!」と粘ることはまったく無意味でもない。アドレナリンの分泌とも関係し、いわゆる“火事場の馬鹿力”の存在も科学的に証明されている。

■8位 子どもが近所で自由に遊べる場をつくる

『ドラえもん』ではのび太たちが、土管のある空き地でいつも遊んでいる。『サザエさん』ではカツオや中島らが公園で野球をしている。ボールが近隣の家のガラス窓を直撃し、その家の人(主に高齢男性)に「コラッ!」と叱られるのがいつものパターンだ。

これはマンガだけの話ではない。公園や空き地、校庭と、昭和の子どもは自由に遊べる場があちこちにあった。だが、今はそうした環境が激減。ほとんどの公園は球技禁止。野球やサッカーはチームに入らないと楽しめない。「三角ベース」はもはや完全に死語である。

付け加えれば、昔は地域が子どもを育てる文化があった。空き地の所有者は子どもが遊ぶことを黙認していた。留守にする親が子を隣家に預けることもあった。遅くまで遊んでいる子を、周囲の大人は気遣った。

こうした文化は責任の所在が不明確になり、いろいろと簡単ではない。だが、少子化が深刻化する今、見直す価値はあるだろう。

■9位 電車の中で新聞を読む

昭和期、大都市圏の通勤・通学ラッシュの電車内は、新聞を読んでいる人だらけだった。紙面を大きく広げ、大股開きで読んでいる人は迷惑千万だった。

いうまでもなく現在も移動時に情報収集をしている人は多い。スマートフォンは新聞と異なり物理的に隣の人に迷惑をかけることはない。

ただし、そこから得られる情報はGoogleのアルゴリズムに左右される。多様性が求められる現代にあって、実は画一的な分野の偏った情報に限定されがちだ。また、総合的に情報を発信するニュースサイトは流動的であり、見出しをタップする必要がある。

これに対し新聞は多用で視覚的なメディアだ。新聞社によって報じ方に偏りはあるが、紙面をめくれば自ずと様々なジャンルの情報が目に飛び込み、記事の大小で重要度の違いもわかる。テレビ欄を眺めるだけでも何か発見がある。電車内で大きく広げて読むのはもちろん不適切だが、新聞自体をオワコン扱いするのは早計ではないか。

■10位 お節介を背景とした「お見合い」で結婚する

日本の少子化は、誰がどう見てもシリアスな問題だ。そして、少子化以前に婚姻率も低下している。この話題になると、原因として価値観の変容や経済的な問題が真っ先に挙げられ、「結婚したい気持ちはあるけれど、相手がいない」という人については軽視される傾向がある。

昭和の一時期は、お見合い結婚が5割以上を占めていたというデータもある。つまり、お見合いが減ったことが婚姻率の低下の要因の一つになっているといえるのではないか。

現在は結婚相談所、婚活アプリ、カップリングパーティの類いは増えているが、それにはシステムに登録するなどの能動的な行為が必要になる。消極的な人は、それさえ抵抗があるだろう。有料のサービスならなおさらだ。

その点、お見合いはお節介な人が仲介しがちなため、向こうから話がやってくる構造があった。それに登録料も成約料も請求されない。お節介に救われたという人もいただろう。

プライバシーに踏み込みすぎず、当人の性自認や価値観を尊重したうえでのお節介なら、現代社会にプラスになる可能性も秘めているのだ。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年5月31日号)の一部を再編集したものです。

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ミゾロギ・ダイスケ ライター、編集者、昭和文化研究家
映画、音楽、スポーツ、社会、犯罪などの昭和ネタについて、現代の視点から俯瞰するスタイルで執筆している。著書に『未解決事件の戦後史』(双葉新書)など

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(ライター、編集者、昭和文化研究家 ミゾロギ・ダイスケ)

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