1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「上級国民コースのがん治療」に翻弄された…「余命数週間」と宣告された43歳エリート男性の"悲しい最期"

プレジデントオンライン / 2024年6月2日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wutwhanfoto

「がんのステージ4でも生きられる」「普通の病院ではやっていない治療」などとうたう自由診療クリニックがある。こうしたがん治療にはどんな問題があるのか。ジャーナリスト・岩澤倫彦さんの著書『がん「エセ医療」の罠』(文春新書)より、ステージ4の胆嚢(たんのう)がんが見つかった大手シンクタンクで働く土谷和之さん(当時43歳)のケースを紹介する――。

■「余命は週単位で考えたほうがいい」

▼告知から20日目(2020年6月2日)

国立がん研究センター中央病院での診察は、改めて土谷さんに厳しい現実を突きつけた。検査の結果、手術、放射線、抗がん剤、いずれも積極的な治療は勧めない、という診断だったのである。土谷さんの胆嚢がんは、膵臓と肝臓に転移して、肝不全の一歩手前まで進行していた。

医師は土谷さんのいないタイミングで、診察に同行した友人に「ご本人には余命3カ月と伝えましたが、実際は週単位で考えたほうがいい」と言ったという。

「週単位」ということは、来週には終末期になるかもしれない切迫した状態である。終活の準備なども考えると、医師から本人に伝えるべき大切な情報ではないか。友人はそう思って困惑したが、自ら土谷さんに伝える事はできなかった。

すでに終末期が迫っていることを知らない土谷さんは、これから治療の可能性を探り続ける意思を友人たちに告げていた。

〈(国がんの医師に)他の治療法についても聞きましたが、肝機能がこの状況だとそれもリスクが大きすぎて難しいとのこと。余命も率直に3カ月程度と言われました。もちろんまだ可能性は探りたいので、色々検討したいと思います。並行して緩和ケアホスピスへの入院も検討します〉(※土谷さんが友人に送ったメッセージ)

■8リットルの腹水が溜まり、黄疸も悪化

▼告知から33日目(6月15日)

「少しお腹が出たようだけど、どうしたの?」

胆嚢がんが見つかった土谷和之さん、Facebookより
胆嚢がんが見つかった土谷和之さん、Facebookより

スリムな体型だった土谷さんのお腹だけが、妙に膨らんでいる事に友人は気づいた。

「実は腹水が溜まってしまって……」

この日は、土谷さんの知人である医師を交えて3人で、今後の治療方針を考えることになっていた。

「最近の体重は?」と医師がきいた。

「はい、普段は52kg前後なんですけど、いま60kgになっています」

つまり、8リットルほど腹水が溜まっている状態だ。しかも肌や白目が黄色い。肝臓の機能が大幅に低下したことを示す黄疸の症状が悪化していた。知人の医師は、がんを治すための治療を行う時期は過ぎていると感じたが、伝えるのを躊躇った。土谷さんは、治療を受けたいという気持ちが強かったからだ。

「先生、今から打つ手はありますか?」

土谷さんの問いに、知人の医師はこう答えるしかなかった。

「都立駒込病院でオプジーボ(免疫チェックポイント阻害薬)の治験が行われているようですが、エントリーできるかもしれません。明日の診察で、担当の先生に検査データをみてもらって相談してはいかがですか」

■治療を受けるか、最期の場所を選ぶか

▼告知から36日目(6月18日)

土谷さんの心は揺れていた。治療を受けたいという気持ちと、最期の時を過ごす場所を選ぶべきか、交錯していたのだ。まず、緩和ケアの高い評判を聞いていた聖路加国際病院(東京・中央区)を訪ねることにした。

私立病院の個室
写真=iStock.com/JazzIRT
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JazzIRT

聖路加の緩和ケア病棟は、すべて個室で23室ある。付き添い人の宿泊からパーティの開催、ペットの訪問まで、欧米のホスピスに近い自由な環境で最期の時間を過ごせるのが聖路加の特徴だったが、コロナ禍になって、付き添いや面会に制限がかけられていた。

土谷さんは、3日前に会った知人の医師の情報を確認した。

「都立駒込病院の治験に私も参加できるでしょうか?」

緩和ケア科の医師は首を横に振った。

「治療の可能性を探りたいお気持ちは分かります。残念ながら、肝臓の機能がかなり落ちていますし、全身状態から積極的に治す治療の段階ではありません。緩和ケア病棟の入院を考えてみませんか」

しかし、このとき、緩和ケア病棟はあいにく満床だったので、空きが出たらすぐに入院できるように予約を入れるしかなかった。そして、当面は自宅近くの訪問診療クリニックのサポートを受けながら、待つことになった。

手続きをすると、早速この日に訪問診療を担当する医師と看護師が、打ち合わせのために自宅を訪ねた。

聖路加の緩和ケア病棟の空きを待ちながら、ある自由診療を受ける計画があることを土谷さんから聞き、医師は戸惑った。ほとんど動けないし、いつ何が起きても不思議ではないほど状態は悪い。終末期が近いことは、一目見て明らかだった。

■東大出身の医師は「治療はまだ可能」

▼告知から37日目(6月19日)

治療を諦めきれなかった土谷さんは、ネットで自由診療クリニックを見つけて、この日に予約を入れていた。思うように動かない体を引きずって自宅からタクシーに乗り、約10分でクリニックに到着すると、診察室で待っていたのは、土谷さんと同じ東京大学出身の医師だった。

これまで会ってきた医師たちの見解とは異なり、「積極的な治療はまだ可能」だという。それは「高度活性化NK細胞療法」という、免疫細胞療法の一種だった。

患者から約40ccの血液を採取し、それを最新の培養技術で増殖・活性化させ、2週間ほど無菌状態で約10億個のNK(ナチュラルキラー)細胞を増殖させたうえで、患者の体内へ戻すという。

■「ステージ4の患者が長期生存した」?

この時、土谷さんは診察室から友人に電話を入れていた。「高度活性化NK細胞療法」の治療を受けるため、友人に身元保証人になってほしいと依頼するためだった。

この友人は、前日に土谷さんが聖路加国際病院の緩和ケア科を受診した際も同行していたので、免疫細胞療法の治療を受けるという話に戸惑い、こう聞いた。

「緩和ケア病棟に入院する予約はどうするの?」

「大丈夫ですよ、その事はクリニックの先生に相談しました。聖路加の緩和ケアは、入院予約をこのままキープして待ってもらえば良いそうです」

土谷さんの“どうしても生きたい”という思いを感じて、友人は身元保証人を引き受けることにした。診察を終えると、彼はまたすぐに電話をしてきた。

「やっと良い治療が見つかりました! クリニックの先生いわく、『膵臓がんや胆嚢がんは、どんな医師でも余命3カ月、というのが決まり文句』だそうです。ステージ4で抗がん剤ができないと言われた患者が、クリニックの免疫細胞療法をやって長期生存したそうです。これを聞いて、めちゃくちゃ元気が出ました!」

■「特別な上級国民コース」と勧められた高額治療

いつもはクールな土谷さんが、めずらしく興奮していた。たまたま友人は、自由診療の免疫細胞療法が詐欺的である、という記事を読んだことがあった。その治療は本当に大丈夫なのかと聞くと、土谷さんからこんな言葉が返ってきたという。

「先生から教えてもらったのですが、この免疫細胞療法は非常に高額で、経済的に余裕のある人にしか選択できない、選ばれし者だけの治療なのでオープンにできない、特別な上級国民コースだそうです。だから普通の病院では、やっていない治療らしいですよ」

土谷さんがこの医師を信じたのは、同じ東大出身だったことが大きく影響していた。彼は病院を受診する時、医師が東大医学部の出身であるか、必ずチェックしていたのだ。そして、土谷さんは医師のこんな言葉に感激したと友人に話している。

「君は東大の後輩だし、特別に頑張って最優先で治療するよ、と先生が言ってくれました。初めて東大を出て良かったと思いましたよ、本当に」

このクリニックがウェブサイトに掲載している、免疫細胞療法の治療費は、1クール(6回投与)で約230万円となっているが、友人の記憶では、土谷さんが提示された金額は一桁違っていた。ただし、外資系の生命保険から生前給付が下りたので、支払いは十分可能だった。

初めて訪れたこのクリニックで、土谷さんは免疫細胞療法を受けることを決め、その場で採血された彼の血液は培養作業に回された。

■医師から安静を求められる中、クリニックへ

▼告知から42日目(6月24日)

梅雨らしい湿度が高い朝だった。連絡を受けた訪問診療の医師が、土谷さんの自宅マンションを訪ねた。土谷さんは排尿できず、苦しんでいた。むくみも目立つ。

応急処置として尿道にチューブを挿入して「導尿」を試みたが、出てこない。薬を処方してから、訪問診療医が安静にしてくださいねと伝えると、「これから予約があるのでクリニックに向かいます」と土谷さんは言った。あまりに真剣な表情に圧倒されて、訪問診療の医師は彼を止められなかった。

土谷さんが選択した免疫細胞療法は、NK細胞を培養するのに、2~3週間が必要とされる。それを待つ間、自由診療クリニックの医師からは温熱療法や高濃度ビタミンC点滴の治療を勧められていた。その治療を予約していた日だったのである。

■もう歩く力さえ残っていなかった

午後4時半過ぎ、友人が心配になって、土谷さんにメッセージを送った。

〈こんにちは。体調はいかがでしょうか〉

本来はすぐに緩和ケア病棟に入院しなければならないほど、病状は進行している。免疫細胞療法の治療が始まったが、いつ何が起きてもおかしくない。

約1時間後、土谷さんから2つの返信があった。

〈いろいろ待ち時間がありましたが温熱療法とても良い感じでした!〉
〈これからゆっくりお休みします〉

午後6時過ぎ、雲で覆われた東京の空は暗かった。コロナ禍の影響で街に人影はない。

クリニックの自動ドアが開くと、土谷さんは銀杏並木の下に停まっていたタクシーに向かって歩き始めた。そして、すぐに崩れるように倒れた。彼の身体には、もう歩く力さえ残っていなかったのだ。その顔は異常に黄色い。

タクシー運転手が異変に気づいて、すぐに119番に通報する。京橋消防署から出動した救急車がサイレンを鳴らしながら、国立がん研究センター中央病院に搬送した。知らせを受けて中央病院に集まった友人たちに、医師が告げた。

救急車
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

「残念ながら、回復する余地は1ミリもありません」

■免疫細胞療法の治療は一度も実現せず

▼告知から43日目(6月25日)

午前2時28分、土谷和之さんは43年の人生を終えた。

友人が受け取った死亡診断書には、進行がんによる肝不全、腎不全、そして心不全による死亡と記載されていた。結局、免疫細胞療法の治療は一度も実現しなかった。

大手シンクタンクの主任研究員の仕事と同時に、国際的なNGO活動に参加していた土谷さん。東京・文京区の寺で行った葬儀には、300人を超える参列者が集まり、世界各地の人々から彼の死を悼むメッセージが届いた。

8月になって、土谷さんが住んでいたマンションの遺品整理に私は同行した。

独身とはいえ、身の回りの品が少ない。ハンガーにかかっていた服もブランド品の類ではなく質素なものばかりだ。そして、デスクの中から、国内外の子供たちを支援する活動に寄付をした記録が出てきた。

トータルすると、相当な金額である。土谷さんは幼い頃に両親が離婚して、頼れる身内もなく、独力で人生を切り開いてきたと友人に明かしていた。だからこそ、恵まれない境遇の子供たちを、彼は陰で支えてきたのだろう。

なんとか生き続けたい、と土谷さんが願った理由が、少しだけ分かった気がする。

■偽りの希望に奪われた時間

「これはひどい」

土谷さんの血液データを目で追いながら、がん治療専門医の勝俣範之教授(日本医科大学)はつぶやいた。

岩澤倫彦『がん「エセ医療」の罠』(文春新書)
岩澤倫彦『がん「エセ医療」の罠』(文春新書)

「この状態で治療するなんて、犯罪レベルです。黄疸で、肝機能の数値も4桁に近いので肝不全になっています。おそらく立っていることも辛かったでしょう」

自由診療の免疫細胞療法を行う医師たちは、「標準治療がなくて、絶望した患者に生きる希望を与えている」と主張する。これを勝俣教授は一蹴した。

「それは偽りの希望です。がん免疫細胞療法は大学病院などで数多くの臨床試験を行い、有効性が証明できませんでした。つまり“効かない”ことがハッキリしているのです。温熱療法や高濃度ビタミンC点滴も同様で、あの状態で必要な治療ではなかった。

土谷さんが、適切な緩和ケアを受けていれば、お仕事や社会貢献活動の整理をしたり、大切な友人たちと別れの挨拶もできたでしょう。路上に倒れてしまう悲劇も避けられた。偽りの希望で彼から多額の治療費をとり、貴重な時間を奪ったことは許し難い」

----------

岩澤 倫彦(いわさわ・みちひこ)
ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家
1966年生まれ。フジテレビの報道番組ディレクターとして「血液製剤のC型肝炎ウイルス混入」スクープで新聞協会賞、米・ピーボディ賞。著書に『やってはいけない がん治療』(世界文化社)、『バリウム検査は危ない』(小学館)、『やってはいけない歯科治療』(小学館)など。

----------

(ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家 岩澤 倫彦)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください