なぜ浜松は薄口醬油で、静岡は濃口醤油なのか…どんな県知事でも「オール静岡」が難しいと言われるワケ
プレジデントオンライン / 2024年6月1日 10時15分
■県知事候補者たちが「オール静岡」を叫ぶ違和感
川勝平太前知事の突然の辞意表明を受けて急遽行われた静岡県知事選。5月26日に投開票が行われ、立憲民主党と国民民主党が推薦した元浜松市長の鈴木康友氏が、自由民主党が推薦した元静岡県副知事の大村慎一氏らを下して、初当選を果たした。
だが、この選挙、私個人としておもしろかったのは、どの陣営もやたらに「オール静岡」を強調していたことだった。
まず大村氏が、4月12日の記者会見で、立候補の理由について「混乱と分断、対立がある県政の現状に危機感を持ち、『オール静岡』で課題を解決して、ふるさとの元気で明るい未来をつくっていきたい」と述べた。
すると、鈴木氏も3日後、浜松の財界関係者と一緒に行った会見で、こう語った。「混迷している県政をしっかりと立て直し、静岡県のすばらしい資源を活用して、『オール静岡』で、静岡県の発展に全力を尽くす」。
たかだか日本を47に分割した一つの自治体の話なのに、なぜこうも「オール」を強調するのだろうか。
■前知事の「御殿場はコシヒカリ」発言の意味
そういえば、川勝前知事の県政では、県内はまとまっていないかも、と思わされる発言がよく飛び出した。その典型が、2021年10月23日、参院静岡選挙区補欠選挙で、川勝氏が浜松市出身の候補を応援した際の演説だった。そのとき、元御殿場市長である対立候補について、次のように語ったのだった。
「あちら(御殿場市)はコシヒカリしかない。ただ飯だけ食って、それで農業だと思っている。こちらにはウナギがある。シラスもある。三ケ日みかんもある。肉もある。野菜もある。玉ねぎもある。なんでもある。もちろんギョーザもある」
もちろん、御殿場市も静岡県の一部であって、県知事がこんなふうに揶揄するのはどんなものか、と思うが、それは本題ではない。川勝前知事の発言が同時に示唆するのは、静岡県は47都道府県のなかでも、地域ごとの対立が激しいという事実である。
静岡県は東西に長く、155キロにもおよぶ。そして、東部は首都圏の経済的影響が強まっているに対し、西部は中京圏の経済的影響が大きい。だから、今回の選挙でも、東部の有権者からは「元浜松市長が知事になったら、県政が浜松びいきになるのではないか」などという懸念の声が聞かれた。
■そもそもは静岡県と浜松県だった
じつは、この問題、たんに県域が東西に長いというだけで生じているのではない。背景には、長い歴史的経緯があるのだ。
1871(明治4)年の廃藩置県後、「静岡県」が誕生したが、当初は現在の静岡県の中部から東部にかぎられた。西には浜松を県庁所在地とする「浜松県」があり、東の伊豆半島周辺は、さらに東の旧相模国(現在の神奈川県の中西部)とともに足柄県を形成していた。
それが1876(明治9)年の第二次府県統合で、浜松県と足柄県の西側が、旧静岡県に吸収合併され、新生静岡県となったのである。さらに説明すれば、当初の静岡県はかつての「駿河国」、浜松県は「遠江国」、そして、足柄県のうち静岡県に吸収されたのは「伊豆国」だった。
ちなみに、川勝前知事が持ち上げた浜松市は、旧浜松県イコール旧遠江国で、御殿場市は旧静岡県イコール旧駿河国だった。
■駿河乞食、遠州泥棒、伊豆の飢え死に
この旧3国は現在も言葉や気質まで三者三様だといわれ、それぞれの特徴はよく「駿河乞食(あるいは物乞い)、遠州泥棒、伊豆の飢え死に」と表現される。
3国とも気候は基本的には温暖で、ふだんは食糧などに困ることは少ない。だが、いざ飢饉などが起きると、駿河の人は為政者に物乞いをし、遠州(遠江)の人は泥棒をしてでも自分で食べ物を手に入れ、伊豆の人はのんびりしているうちに餓死してしまう、というのだ。
駿河国は江戸時代、三代将軍徳川家光の弟で駿府城主だった忠長が改易、すなわちお取り潰しになって以降は、広範にわたって幕府直轄の天領だった。このため、藩校がなく、寺子屋が少なく、教育水準はイマイチだったが、徳川家康の臨終の土地であり、さまざまな点で優遇されていた。このため為政者に頼るクセもつき、いざとなったら物乞いすれば済む、という気風になった、というのもわからなくはない。
それにくらべると、遠江の人は気性も激しく、困ったときには泥棒でも強盗でも働く、というのだ。また、浜松藩がその典型だが、藩主がたびたび入れ替わりながら、老中をはじめ幕閣を多く輩出した。あたらしい藩主や藩士たちが他者を受け入れるとともに、綿織物業など産業育成にも力を入れた実績がある。こうして、泥棒もいとわない積極的な気風が誕生したといわれる。
伊豆もやはり天領が多く、気風は駿河にも近いが、山ばかりで海に囲まれた狭い土地なので、いざ困った状況になると飢え死にしてしまう、ということらしい。
■「やらまいか」と「やめまいか」
この違いは、さらに時代をさかのぼっても説明がつく。戦国時代、駿河は京都の文化の影響を受けた今川氏の本拠地だった。一方、遠州は三河(愛知県東部)や信濃(長野県)との交流が盛んで、争いも日常的だった。伊豆は小田原の北条氏の領地で、政情は比較的安定していた。
また、江戸時代には、「駿河の人は、下駄は後ろから減るが、遠州の人はせっかちで、下駄が前から減る」といわれたらしい。これは駿河の人に、遠州の人に気をつけるように諭す警句で、静岡県の成立後も、戦前まではささやかれていたようだ。
遠州の人がせっかちであることを示すことばに、「やらまいか」という言葉がある。とにかくやってみよう、という意味の言葉で、下駄が前から減ることに直結する。だから、遠州からヤマハや河合楽器、ホンダやスズキが誕生したものと思われる。トヨタにしても、創業した豊田佐吉は遠江国の出身である。
遠州の人の特徴が生じた背景には、気候も関係していると思われる。遠州は風が強く、遠州灘は波が荒い。その点が駿河とはだいぶ違う。駿河の気候は非常に穏やかで、それを象徴するのが静岡市である。南に穏やかな駿河湾が開け、三方を山に囲まれ、まるで陽だまりのような土地である。
浜松はいわゆる「遠州の空っ風」が吹き、雪が降ることもあるが、静岡は日本列島が大寒波に襲われているときでも、滅多に雪は降らない。だから、遠州の「やらまいか」を文字って「やめまいか」といったりする。余計なことをやらずに、現状維持でいいではないか、という精神を表している。「やらまいか」と「やめまいか」は、そのまま「駿河物乞い」と「遠州泥棒」に呼応する。
■県の真ん中に東日本と西日本の境がある
このため、複数の静岡県出身者に聞くと、部活動の成績などは、運動部から文化部にいたるまで、西部すなわち遠州の学校のほうがはるかに実績を上げている。私自身、親が遠州の出身で、親戚も遠州に多いので、実感としてわかる。
だが、西部(遠州)が、東部(駿河)よりも平均年収が高いわけでもない。静岡県が発表している「令和2年度しずおかけんの地域経済計算」の地域別一人あたり所得では、浜松市を含む西部地域は307万5000円、静岡市を含む中部地域が317万5000円、となっている。
駿河の人は気張らない余裕が功を奏しているのか、これといって産業もないのに暮らし向きは豊かなのである。
駿河と遠州の違いは、両国の国境が東日本と西日本の分かれ目だと考えれば、わかりやすい。だから食べ物でいえば、そばのつゆは、静岡市以東は関東風の黒いかけつゆが多く、浜松では薄口しょうゆの澄んだタイプが多い。うなぎのかば焼きも、東部は関東風の蒸したものが多いのに対し、浜松など西部では、関西風の蒸さないものが中心になる。
要するに、東部は東日本、西部は西日本なのが静岡県なのである。「オール静岡」が強調される理由はここにあり、それを実現するのが困難な理由も、やはりここにあるということだろう。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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