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648万円の腕時計を後輩に無理やり買わせる…そんな「体育会系ノリ」のとんねるずが時代の寵児となれたワケ

プレジデントオンライン / 2024年6月9日 16時15分

インターネットドラマ「肉まん」「SHADOW」の制作発表。左からとんねるず、高島礼子、後藤理沙=2000年7月、東京・新宿のホテル - 写真=共同通信社

お笑いコンビ「とんねるず」は、なぜテレビの人気者となったのか。社会学者の太田省一さんは「それまでの芸人にはない華があった。加えて、テレビのお約束をことごとく破壊していく破天荒な姿を若者が支持し、大人気となった」という――。

■とんねるずはいかにして「時代の寵児」になったのか

これまで人気になったお笑い芸人は数多い。だが、最大瞬間風速のすごさという点で、とんねるずに勝る存在はいないだろう。この連載では番組にスポットを当ててきたが、今回はとんねるずという“ひと”を取り上げる。2人が残した破天荒なエピソードの数々を振り返り、とんねるずとは何者だったのかを探ってみたい。

とんねるずというと必ず持ち出されるのが、「テレビカメラ破壊事件」だ。

1980年代、深夜番組『オールナイトフジ』(フジテレビ系)での生放送中のこと。女子大生ブームを巻き起こしたこの番組のレギュラーだったとんねるずは、彼ら初のヒット曲「一気!」を歌った。

「一気!」は学生のコンパ風景を歌った宴会ソング。石橋貴明(以下、タカさん)と木梨憲武(以下、ノリさん)は応援団風の学ラン姿で激しく動き回った。その勢いでタカさんがテレビカメラをぐいぐい引っ張ったからたまらない。大きなカメラがそのままドスンと倒れてしまった。

後ろで見ていた女子大生たちは「キャー!」と悲鳴を上げ、スタッフ数人が寄ってきてあわててカメラを起こそうとする。タカさんは固まってしまい青ざめた表情。ノリさんも、「オレ知らねー」「シャレになんない」と事の重大さにドン引きになっている。

テレビカメラは高価なもの(1500万円だったという)。弁償となれば、まだ人気が出始めたばかりのとんねるずにとって痛かっただろう。実際はなんとか保険が下り、その後とんねるずも大ブレークを果たした。このテレビカメラ破壊事件も、とんねるずらしい武勇伝として語り継がれることになった。

■演者とスタッフの境界線をなくす

確かに生本番中にテレビカメラを壊すなど、後にも先にもないようなことだ。しかしとんねるずが本当にすごかったのは、こうした破壊を単なる若気の至りなどでなく、立派な芸風にしてしまったことだ。

とんねるずは、文字通りの破壊だけでなく、テレビにつきもののお約束や暗黙の了解、一言で言えば古いテレビをことごとく“破壊”した。そして見ている視聴者はそれを極上のエンタメとして楽しんだ。

演者とスタッフの境界線をなくしてしまったのはそのひとつ。たとえば、カメラマンが持っているハンディカメラをいきなり奪い取って、自分が勝手にカメラマンになってしまう。また、どこからか大道具のスタッフが使う金槌を持ってきて本番中にセットを直すと言って叩き始める。こんなことをとんねるずはよくやった。

野猿のメンバーが、とんねるず以外『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の番組スタッフだったのは象徴的だった。スタッフがお遊び的に番組に出ることはほかにもあったが、ちゃんとした歌手としてデビュー、しかも歌がヒットして『NHK紅白歌合戦』に出場までしてしまうところがいかにもとんねるずだった。

NHKホール
NHKホール(写真=Kakidai/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■いま振り返っても信じがたい「ケチャップ事件」

また視聴者とのあいだの一線をなくしてしまったのもとんねるずだ。しかもそのやりかたが過激だった。

それを象徴するのが、1980年代おニャン子クラブのブームを生んだことで有名な『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の企画「勝ち抜き腕相撲」だろう。

その名の通り、とんねるずが連れてきた腕相撲チャンピオンに応募者が挑戦するコーナー。だが本筋はそこではない。

腕相撲の勝負が決まった瞬間、それを合図にスタジオに来ている100人の観覧客が一斉に立ち上がり、スタジオで暴れ出す。スタジオ全体が一瞬でカオスとなる。

みな高校生から大学生くらいの男子たちだ。番組側は大量のスモークを噴射して静かにさせようとするが、そんなことはお構いなし。しまいにはタカさんに立ち向かっていく猛者も。タカさんも負けじと飛び蹴りを食らわせて応戦する。ノリさんは、ちょっと離れたところで「オーッと!」などと実況しながら、時々自分も参戦する。

この大騒ぎを毎週水曜日に繰り返していたのだから、いま振り返っても信じがたい。しかも生放送。素人の悪ノリはエスカレートして、タカさんのシャツに隠し持っていたケチャップをかけるという「ケチャップ事件」も勃発した。100%ガチではなくプロレス的な遊びの要素が多分にあるのだが、それでもいまのテレビではきっと無理だろう。

■ミリオンセラーも出た歌手としての力

こうして、とんねるずの行く先々で興奮と熱狂が生み出されるようになった。それはまさに“とんねるず現象”と呼ぶに相応しかった。

とんねるずのカリスマ性は、お笑い・バラエティ以外でも発揮された。

「雨の西麻布」(1985年発売)以来、ミリオンセラーとなった「ガラガラヘビがやってくる」(1992年発売)など歌手としてヒット曲を連発。歌をヒットさせた芸人はそれまでもいたが、その場合、歌は余技にすぎなかった。

一方とんねるずは、コミカルな風味の楽曲もあったが、歌手として評価され売れたところが新しかった。DJ OZMAとのユニット・矢島美容室などを思い出せば、納得できるだろう。

お笑い芸人でも歌手でもあるという、このとんねるずの独特なポジションがテレビ史上に残るハプニングを生んだこともあった。

1970年代から1980年代にかけて一世を風靡した音楽ランキング番組『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系)。とんねるずもベストテン入りの常連だった。

事件が起こったのは、1985年10月17日、番組400回記念の放送。この日はいつものスタジオから飛び出し、静岡の日本平で多くの観客を入れての生放送だった。

■生放送中に「てめえ、なにしやがる」

このときとんねるずは、ステージからではなく観客席から神輿で登場した。それが間違いのもと。先ほどの「勝ち抜き腕相撲」の件からもわかるように、若者はとんねるずをまるで“マブダチ”のように思っている。だからすぐ近くにとんねるずが来れば、おとなしくはしていない。

この日とんねるずは、番組の記念回ということで特別に豪華な衣装を身につけていた。ところが殺到する観衆にタカさんがかぶっていたおしゃれな帽子をはぎとられるなど衣装はぼろぼろに。怒り心頭に発したタカさんの「てめえ、なにしやがる」といった声やらなにやらがマイクを通じて響き渡る。しかしそれが逆に観衆を煽ることに。

そしてようやくステージまで到達。だがタカさんの怒りは収まらず、「てめえら、最低の奴だ! お前ら」と叫び、演歌風のしっとりした曲のはずの「雨の西麻布」を最初から最後までだみ声でシャウトしながら歌った。

これが、「タカさんぶち切れ事件」である。これも生放送なので、編集しようがない。タカさんが本気で怒っていたのも確かだが、ここでも端々に冷静な計算が垣間見えるところがとんねるずのとんねるずたる所以である。

■後輩芸人に何百万円もする腕時計を無理やり買わせる

このようにカリスマ的な人気を誇る一方で、とんねるずは当時の芸人としては珍しく高身長でスポーツマンということもあってアイドル的な人気も高かった。

タカさんとノリさんは東京の有名私立高校である帝京高校の同級生。タカさんが野球部でノリさんがサッカー部。ともに全国的に知られる強豪である。ラジオの深夜放送『オールナイトニッポン』などでも、その頃の友人とのエピソードがよくネタになっていた。

体育会のノリは、番組にも生かされた。『とんねるずのみなさんのおかげでした』の人気企画「男気ジャンケン」もそのひとつ。とんねるずと男性ゲストがジャンケンをして、勝った1人が自腹で全員分をおごる。ゲストに元プロ野球選手が出ることも多く、いかにも部活仲間の帰り道の一コマという雰囲気があった。

後輩芸人との絡みも、部活的な上下関係のノリがベースになっていることが多かった。同じく『みなさんのおかげでした』の「買う」シリーズ。後輩芸人に何百万円もする時計など高級品を半ば無理やり買わせてしまうこの企画も、体育会系のノリがあるからこそ成立するものだった。(※)

※編集部註:「買う」シリーズでの腕時計の最高額は、2013年5月に放送されたスギちゃんの648万円(ロレックス「デイトナレパード」)。

店頭に並んだロレックスの腕時計
写真=iStock.com/Erikona
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Erikona

当時から批判もあったが、いまならこのあたりはコンプライアンスの問題が出てくる可能性は小さくない。むろん裏では暗黙の了解が存在していただろうが、現在ではそれだけでは許される理由になりにくい。そのあたりはとんねるず、そしてテレビが担った時代性でもある。

■なぜ若者は彼らを熱狂的に支持したのか

とんねるずが感じさせる身近さは、地元愛の強さという点にもあった。

タカさんが成増、ノリさんが祖師ヶ谷大蔵と、いずれも東京の西側にある私鉄沿線の街の出身。とんねるずのファーストアルバムのタイトルもずばり「成増」だった。祖師ヶ谷大蔵で自転車屋を営む実家をモチーフにしたノリさんソロの「振り向けば自転車屋」などもそこに収められている。

ほかにドラマや映画にも出演し、マルチな活躍を繰り広げたとんねるず。「時代のカリスマ」にまでなった理由は、それまでの芸人にはなかったような、ずば抜けた“華”があったことだろう。見た目のカッコよさもあったが、至るところでテレビという世界を破壊して回る破天荒な姿に若者は解放感を覚え、憧れをかきたてられたのだ。

そんな2人は、生粋のテレビっ子だった。

タカさんが1961年、ノリさんが1962年生まれの同級生。テレビが本格的に普及し、物心ついた頃にはテレビが娯楽の王様だった世代だ。いわばテレビっ子第1世代であり、これほどテレビに憧れた世代もない。とんねるずのブレーン的存在である秋元康も1958年生まれで同世代だ。

■テレビっ子の夢をかなえた

コンビ結成間もない2人が『お笑いスター誕生!』(日本テレビ系)などで披露していたのも、往年の深夜番組『11PM』のオープニングシーンのパロディやアニメ『魔法使いサリー』のサリーちゃんのパパの物まねなど、テレビネタが中心だった。

そしてブレーク後も、『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)の「仮面ノリダー」や宮沢りえらが出演した学園コントなど、テレビのパロディネタを大の得意にしていた。

そんなとんねるずの姿は、子どもの頃目を輝かせて見たテレビで自分たちも同じことがやれるという喜びに満ちていた。そう思えば、さまざまな“破壊”もテレビのことは裏側から何からすべて知りたいという好奇心ゆえのことだったのではないか。

2人は、テレビっ子の夢を叶えた。そしてそこにテレビ世代の視聴者も強烈な羨ましさと快感を覚えたのである。

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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。

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(社会学者 太田 省一)

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