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「20代後半なのに福井で父と同居」では人生詰んでしまう…紫式部が年上の貴族からの求婚を受け入れたワケ

プレジデントオンライン / 2024年6月16日 18時15分

紫式部を演じる吉高由里子さん(左)と紫式部の父、為時を演じる岸谷五朗さん=2024年3月7日、滋賀県高島市 - 写真=京都新聞社/共同通信イメージズ

998年、紫式部は父の友人の貴族・藤原宣孝と結婚する。歴史評論家の香原斗志さんは「父の赴任に伴って福井に移住したものの、紫式部には結婚時期を大きく逃しているという焦りがあった。だから年上で子持ちであっても、藤原宣孝との結婚を決意したのだろう」という――。

■「越前で紫式部に宣孝が求婚した」は史実ではない

父である藤原為時(岸谷五朗)が国守として赴任するのに同行し、越前(福井県東部)に赴いたまひろ(吉高由里子、紫式部のこと)。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第23回「雪の舞うころ」では、そこに遠縁で為時の友人でもある藤原宣孝(佐々木蔵之介)が訪ねてきた。

そして、宣孝はまひろに向かって、「会うたびにお前はわしを驚かせる」「わしには3人の妻と4人の子がおる。子らはもう一人前だ。官位もほどほど上がり、これで人生もどうやら落ち着いたと思っておった。されど、お前と会うと違う世界が垣間見える。新たな望みが見える。未来が見える。まだまだ生きていたいと思ってしまう」などと言葉を投げかけた。

その挙句、単刀直入にこう告げたのである。「都に戻ってこい。わしの妻になれ」。

たしかに宣孝は以前から、「越前まで唐人を見に行きたい」という発言はしていたようだが、越前まで足を運んだという記録はない。訪れることはなかったと思われる。また、当時の貴族が女性に求婚する場合、このように直球を切り出すことはなかった。

とはいえ、史実の紫式部も、任期をあと3年残している父を越前に残し、たった1年余りで都に帰り、宣孝と結婚するのである。

■都を離れる前から口説かれていた

為時と紫式部が越前に下ったのは、長徳2年(996)の夏以降のことだった。一方、宣孝はその前年の長徳元年までには、筑前(福岡県の大部分)の国守の任期を終え、都に戻っていた。

「光る君へ」では、越前に到着するまで、まひろは宣孝との結婚などまったく考えたこともなかったように描かれている。だが、SNSは当然のこととして電話も郵便制度もなかった当時、越前で暮らしている紫式部と宣孝の縁談が、急にまとまるとは考えられない。

伊井春樹氏は次のように推測するが、妥当なように思われる。「宣孝は筑前守として勤め、長徳元年(九九五)か前年には帰京していたはずで、そのころ紫式部との結婚話が具体的に進められた可能性がある。年が隔たっていることや、紫式部自身も二五、二六の適齢期を過ぎていたこともあり、気は進まず、あいまいな返事のまま、翌年には父為時の越前守赴任を口実に都を離れたのではないかと思う」(『紫式部の実像』朝日選書)。

やはり、紫式部が都にいるときから縁談が進んでいなければ、都から遠く隔たった越前で結婚を決意したりしないだろう。また、貴族の男性が女性に求婚する際は、まず歌を詠みかけ、受けとった女性は、いったんはやんわりと断るのがルールだった。そして、何度か同様のやりとりを繰り返した末に、話がまとまるときはまとまった。

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写真=iStock.com/Yusuke_Yoshi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yusuke_Yoshi

■宣孝の恋文に対して紫式部が返した歌

では、宣孝は紫式部にどう詠みかけ、彼女はどう返したのだろうか。

まず、年が長徳2年(996)から同3年(997)に替わって、「唐人見に行かむ(越前まで唐人を見に行きたい)」といっていた人、すなわち宣孝が、「春は解くるものといかで知らせたてまつらむ(春には氷も溶けるように、閉ざしている貴女の心も、いずれ解けて私を受け入れてくれるものだと、どうにかしてお知らせしたいもの)」といってきたのに対し、紫式部はこう返した。

「春なれど白嶺のみゆきいやつもり解くべきほどのいつとなきかな(春になりましたが、白く染まった山に雪はなおも降り積もっていて、いつ溶けるともわかりませんが、私の心もそれと同じです)」

ほかに、紫式部はこんな歌も返している。

「みずうみに友よぶ千鳥ことならば八十の湊に声たえなせそ(近江の湖で友を呼んで鳴いている千鳥さん、いっそのことたくさんの船着き場で鳴くように、多くの女性に声をかけ続けたらどうですか)」

「よもの海に塩焼く海人の心からやくとはかかるなげきをやつむ(あちこちの海で製塩のために海水を焼く海人が、役目として投げ木を焼くように、あなたは多くの女性に心を寄せては、自分から嘆きを重ねているのでしょうか)」

■20代後半で結婚していない焦り

また、紙に朱色をポツポツと落として、それが「涙の色」だといってきたときには、

「くれなゐの涙ぞいとどうとまるるうつる心の色に見ゆれば(血のような涙の色を、私は疎ましく思います。朱色がすぐに変色するように、あなたの心も移ろうのでしょうから)」

とやり返している。しかし、こうしてやりとりを重ねるうちに、紫式部は宣孝のプロポーズを受け入れる気になっていったのだろう。女性は男性の浮気心を詰りながら、次第に相手との距離を縮めていくのが普通だった。

ただし、この「くれなゐの涙ぞいとど」の歌に続いて、「もとより人の女を得たる人なりけり(相手の男性は、以前からほかの娘と結婚していた人です)」と記している。紫式部は宣孝と結婚したとき、自分がどのような扱いになるのか、理解していたということだろう。

いずれにせよ、紫式部は都から遠く離れた越前に辟易としていた。同時に、すでに20代後半になって、当時としては、結婚時期を大きく逃しているという焦りもあって、宣孝との結婚を決意するにいたったのだろう。

倉本一宏氏はこう書いている。「私にはどうも、為時の着任が一段落したら京に帰って宣孝と結婚するのが規定の行動だった気がしてならない。紫式部は当時、二十六歳前後と考えられるが、これは当時としてはきわめて遅い初婚で、二度目の結婚という説もあるくらいである」(『紫式部と藤原道長』講談社現代新書)。

月岡芳年「石山月」紫式部
月岡芳年「石山月」紫式部(画像=大英博物館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

■ふたりの新婚生活の様子

紫式部は越前で1年余りをすごしたのちの長徳4年(998)の春、父の為時を越前に残し、一人で都に帰った。しかし、都に着いてからも、宣孝から「言葉へだてぬちぎりともがな(隔てを置かない仲になりたい)」という歌を受けとると、こんなふうに返している。

「へだてじとならひしほどに夏衣薄き心をまづ知られぬる(私は心を隔てたりしないようにお返事しているのに、隔てない契りをもちたいと強調してくるあなたは、夏の衣服のようにお心が薄いとわかりました)」

このように詰りながらも、結婚に向かって事は進んでいき、いよいよ同年冬、2人は結婚した。

とはいえ、先述のように、宣孝はすでにほかに妻がいる身だった。いずれかの妻のもとで暮らし、紫式部のもとに時おり通う「結婚生活」で、紫式部の生活が大きく変わったわけではなかった。

相変わらず歌を詠み交わしながら、夫が通ってくるのを待つ。ただし、紫式部は性格に一本筋がとおっており、男にとって、必ずしも御しやすい女性ではなかった。

自分が書き送った手紙を、宣孝が他人に見せていると聞き知った紫式部が、「ありし文ども取り集めておこせずは、返りごと書かじ(これまでの手紙などすべて返してくれなければ、返事を書きません)」といってきたので、焦った宣孝は「みなおこす(すべて返す)」と返答。それに紫式部はこう返した。

「閉ぢたりし上の薄氷解けながらさは絶えねとや山の下水(氷に閉ざされた谷川の薄氷が春に溶けるようにやっと打ち解けたのに、山に流れる下水がまた途絶えてしまうように、2人の仲も切れていいと思っているのですか)」

■突然終わった幸福な結婚生活

こうした紫式部の「強さ」には宣孝も降参し、結婚生活は進んでいった。おそらく長保元年(999)には、2人の間の唯一の子である賢子が産まれ、紫式部は父が留守で夫が時折、通いくるだけの屋敷で、一人娘を育てることになった。

その後、紫式部は七夕に、次のような歌も宣孝に送っている。

「天の川逢ふ瀬を雲のよそに見て絶えぬちぎりし世々にあせずは(天の川の逢瀬は雲の彼方のよそごとだと思って、それより私たちは、今夜は会えなくても、切れることがない仲がずっと変わらなければよいと思います)」

なんだかんだいって、夫婦仲はよかったようである。ところが、長保3年(1001)4月25日、宣孝は病死する。九州発の疫病が流行していた折から、感染した疑いもある。紫式部は結婚からわずか2年半で、寡婦になってしまうのである。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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