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「難民ようこそ政策」で治安が急激に悪化…警官殺害のアフガン移民を毅然と批判できないドイツ政府の大迷走

プレジデントオンライン / 2024年6月15日 9時15分

ミヒャエル・シュトゥルツェンベルガー氏(写真=Tetzemann/CC-Zero/Wikimedia Commons)

■「ヨーロッパのイスラム化」に反対する集会を襲撃

6月2日、ドイツで初めて警官が一人、イスラムテロによって命を落とした。いったい何が起こったのか?

5月31日、バーデン=ヴュルテンベルク州のマンハイム市では、市民運動「パックス・ヨーロッパ」の集会が行われる予定だった。テーマは、「政治化したイスラムについての啓発」。会場は町の中心の市場広場で、昼前にはインフォ・スタンドが設置され、その日のスピーカーであるミヒャエル・シュトゥルツェンベルガー(Michael Stürzenberger)氏らが準備に勤(いそ)しみ、すでに警備の警官も待機していた。

パックス・ヨーロッパというのは、「ドイツとヨーロッパにおけるキリスト教、ユダヤ教文化の保護、および自由で民主的な基本秩序の保持」を自分たちに課された義務であるとするグループで、「静かに浸透しているヨーロッパのイスラム化」を防ぐべく、長らく警鐘を鳴らしてきた。ドイツでの回教寺院の新設にも強く反対している。

シュトゥルツェンベルガー氏は1964年生まれで、90年代はバイエルン州の複数の放送局で記者やレポーターとして働き、また、2003~04年にはCSU(キリスト教社会同盟=キリスト教民主同盟のバイエルン版)の報道官も務めた。

■犯人はアフガニスタン出身の25歳の移民

ところが、2013年からはバイエルン州の憲法擁護庁から「反イスラム主義者」の疑いをかけられ、マークされるようになった。以後、何度か民衆扇動罪で訴えられたが、有罪の判決が出るには至っていない。現在は独立系のジャーナリストで、イスラムに批判的な活動家、ブロガーとして知られている。

31日の昼前、その広場に現れたのが、25歳のアフガニスタン人のスレマン・A。Aは2013年、14歳の時に、兄と共に保護者なしでドイツに入国。ヘッセン州で難民申請をしたが、14年の7月には却下されている。

ただ、ドイツは、未成年を国外に送還することはないため、そのまま義務教育を受け、19年にはドイツ国籍を持った女性と結婚。子供が2人できた後は、ドイツ国籍を持つ子供の保護者として正式にドイツの滞在許可(期限付き)を得た。

■目にもとまらぬ速さで襲いかかった

ただ、ここで注目すべきは、ドイツのウィキペディアの記述だ。それによると、Aは地元のテコンドーのクラブに所属し、13年にはラインランド=プファルツ州の国際大会のフルコンタクト部門で銀メダル、14年にはヘッセン州杯で金メダルを受賞しているという。

フルコンタクトというのは、敵と味方が直接接触する形式の競技の中でも一番過激なもので、力を抑制することなしに行うスポーツ。ちなみにカンフーや剣道でも「セミコンタクト」、サッカー、アイスホッケー、野球などは「リミテッドコンタクト」だそうだ。いずれにせよ、ウィキペディアの記述が正しければ、Aは若くしてプロ並みの格闘家であったということになる。

その日、Aが標的にしたのはもちろんシュトゥルツェンベルガー氏。そして、この後に起こったことは、ほとんど一瞬の出来事といえる。中継のためビデオチームが入っていたため、いろいろな角度から撮られた映像も残っている。

まず、Aが突然、インフォ・スタンドのところにいたシュトゥルツェンベルガー氏に襲いかかった。いったん倒れた2人が起き上がったところへ、「パックス・ヨーロッパ」の関係者2人が駆けつけたが、ナイフで武装したAを止めきれなかった。

■たった25秒の間に6人が重軽傷を負った

そこでAはもう一度、シュトゥルツェンベルガー氏に飛びかかり、何度もナイフで刺しているところに、今度はちょうど通りかかった勇気ある通行人2人が助けに入った。その時、さらにもう一人、年配の通行人が加勢しようとしたが、彼は状況を把握できず、先に戦っていた1人に殴りかかった。

そこへ警官ルーヴェン・Lが飛び込み、その年配の人を引き離したが、その時、警官Lは一瞬、Aから目を離した。しかし、その“一瞬”に格闘家Aが機敏に反応、後ろからLの頭部をナイフで2度刺した。その時、ほぼ同時に、他の警官がLを撃ち、ようやく惨劇はやんだ。これらすべては、たったの25秒間のことだったという。

負傷者は警官Lと、シュトゥルツェンベルガー氏のほか、「パックス・ヨーロッパ」関係者2人、さらに、勇気ある通行人であったカザフスタン系のドイツ人とイラク人で合計6人。顔、上半身、足に重傷を負い、多量の出血に見舞われたシュトゥルツェンベルガー氏は、緊急手術でどうにか命は取り留めたが、29歳の警官Lは、手術の甲斐もなく、6月2日に死亡した。臓器は本人の意思により移植に役立てられると報道された。

Aは手術を受け、命に異常はないが、事情聴取はまだできていないという。なお、残りの4人は、すでに全快、あるいは快方に向かっている。

■難民問題を議論することすら避けてきたドイツ政府

ドイツ政治は長い間、イスラムテロの危険を無視し続けてきた。そして、それを指摘する者、つまりシュトゥルツェンベルガー氏などは、極右、差別主義者の烙印を押されたため、はっきり言ってドイツでは、難民問題に関しては議論の余地さえなかった。

不法入国をした外国人は、難民の申請をしたら最後、たとえ難民認定が却下されても、母国送還が実施されることは稀(まれ)だった。しかも、それは重罪を犯して捕まっている難民申請者でも同じだった。緑の党は、たとえ重罪犯といえども、死刑になるかもしれない国に戻すのは、人道に反するとして送還に反対している。

マケドニア共和国の難民キャンプで登録を待っている難民たち
写真=iStock.com/BalkansCat
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BalkansCat

ちなみにAは働いておらず、市民金で生活しており、これまで危険人物として警察にマークされてはいなかったという。市民金については、昨年12月30日付の本欄〈「ドイツの手篤い社会保障」が目当ての難民が続々と…「難民ようこそ」と言っていたドイツ人が拒絶を始めた理由〉で詳しく書いたが、受給者は家賃全額援助などさまざまな援助を受けられるので、子供手当と合わせれば、低賃金で働くよりも条件が良い。現在の政権成立後、社民党の労働相が導入した“自慢”の社会福祉制度である。

ドイツで難民が急激に増えたのは、2015年9月、メルケル前首相が中東難民に国境を開いた後だったが、実は、2022年以来、ヨーロッパ全体で再び難民の流入が激しくなっている。

■外国人による犯罪件数が急増している

しかし、現在のショルツ政権は、それを積極的に止めるつもりがなく、EUの他の国が次々と難民対策を強化しているにもかかわらず、「国境防衛」や「違法難民の母国送還」は口先だけだった。政権内にいる緑の党に至っては、誰がドイツ人かわからなくなるほどたくさん他国の人たちが入ってくるのは、実は大歓迎なのだ。

ドイツのオーラフ・ショルツ首相(2024年6月11日)
写真提供=NurPhoto/共同通信イメージズ
ドイツのオーラフ・ショルツ首相(2024年6月11日) - 写真提供=NurPhoto/共同通信イメージズ

ただ、そうして入ってきた外国人の増加により、最近のドイツでは、50年も前からいたレバノンギャングや、クルドギャングと、2015年以降、急激に増えたシリアの暴力グループの縄張り争いで、何十人、時には100人を超える武力衝突が相次ぐようになった。つまり、難民の無制限受け入れの弊害は経済負担だけでなく、明らかな治安悪化となって現れている。

22年から23年にかけては、ナイフを使った暴力事件が急増。連邦検察庁が23年11月に発表したところによれば、同年11月までに届出があったものだけでも、ナイフによる殺傷事件は2万件。毎日60件起こっている計算となる。暴力犯罪の摘発数も前年比17%増で、容疑者が外国人であったケースが23%増。

■左派とは異なる意見を述べるだけで「極右」扱い

ナイフは接近戦の武器としてはピストルよりも効果的で、やり方さえ知っていれば一突きで人を殺せるという。中東やアフリカの男性たちは、ドイツ人や日本人とは違って、自衛の本能が発達しており、必ずと言っていいほどナイフを持っているから、最近のドイツでは、ウエスト・サイド・ストーリーのような危ない光景が、しばしば繰り広げられているわけだ。

そのため、今ではパトロールの警官は、首に通称ナイフ・ショールと呼ばれる防御帯を巻いており、暑い夏にはかなりの負担だという。一般の国民がまったく知らなかったことだ。しかし、犯人Aはおそらく知っていたのだろう、彼は、警官Lの首筋の、ちょうどナイフ・ショールの切れ目のところを、見事に突き刺していたという。

ドイツ政府のイスラム擁護はメルケル時代からのことだが、当時はまだ、それに反対する意見も述べられる雰囲気は残っていた。しかし、現左翼政権ではそれがなくなり、批判してよい対象は「極右」のみ。しかも、左派の考えとは異なる人全員が「極右」とされる傾向が強くなった。最近では、司法までその影響下にあるという危険な状況だ。

5月18日、旧東独のテューリンゲン州の地方裁判所で、AfDの州支部長ビョルン・ヘッケ氏に判決が下った。罪は、彼が21年にある政治集会のスピーチで、ナチの使ったフレーズを使ったというものだった。

■替え歌でふざけただけで解雇、停学処分に

何と言ったかというと、「私は心から言いたい、すべてわれわれの故郷のために、すべてわれわれのザクセン=アンハルト州のために、すべてドイツのために("Im Brustton der Überzeugung sage ich: Ja, alles fur unsere Heimat, alles für Sachsen-Anhalt, alles für Deutschland")」で、最後の「すべてドイツのために」という文章が、かつてナチの突撃隊(SA)が使ったため禁止されているフレーズだそうだ。

3年後の今、氏は有罪となり、1万3000ユーロの罰金刑を言い渡された。氏はナチとして、すでに長らく憲法擁護庁から監視されているが、テューリンゲン州では支持者が減らないどころか、いまだに一番多いため、左翼政権としてはどうにか息の根を止めたいところだろう。

もう一つ、5月23日には、北海のリゾート地のズィルト島で、酔っ払った若者が大勢で、「外国人は出て行け」という替え歌でふざけている数秒の映像が、ネットで拡散された。そして、それを公共放送などが大仰に取り上げ、ショルツ首相、フェーザー内相ほか、さまざまな政治家が、外国人差別、反民主主義などの批判声明を出すに至った。

そのため、はっきり顔の写っていた数人がまもなく特定され、あっという間に解雇されたり、大学を停学になったりした。この替え歌が良いものだとは思わないが、しかし、バカンスで酔っ払って悪ふざけの替え歌を歌ったことは、若者たちから未来を奪うほどの大罪だったのだろうか。

■「口だけ」の政権に国民の不満は高まっている

しかし、これまでイスラムの危険を無視していた緑の党では、マンハイムのイスラムテロの後、形勢が悪くなったため、それを挽回しようとしたラング党首がコメントでズィルト島の若者を持ち出し、「すべての過激派は弾劾しなくてはならない」と述べた。

つまり、警官が殺害されたイスラムテロと、観光地での若者の悪ふざけを同等に並べ、双方を“過激派”として相対化することを試みたわけだ。しかし、これはさすがに無理があり、抗議の声が高くなった。

そんな中、ショルツ首相は6日の国会で、今後、重罪犯は、アフガニスタン、シリアといった紛争地の出身者であっても送り返すと述べ、案の定、それに対して緑の党が抗議している。

もっとも、アフガニスタンは現在、タリバン政権なのでドイツとは国交がなく、送り返す手段などない。ショルツ首相の言っていることは、欧州議会選挙を見据えた「口だけ」の話で、緑の党の反論も、それを知った上でのデモンストレーションであった可能性は高い。

多くの国民は、もうこのような茶番はいい加減に解消する時期だと思い始めているが、自分も解雇や停学の憂き目を見ると困るので、まだ、大きな声にはなっていない。今回のマンハイムのテロ事件がこの流れを変える可能性はあるが、ただ、そんな当たり前のことのために、若い警官の犠牲が必要だったのか思うと、悔しさが込み上げてくる。

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川口 マーン 惠美(かわぐち・マーン・えみ)
作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。

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(作家 川口 マーン 惠美)

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