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見るとほっこりする…「沖縄の90歳の独居老人」をTikTokの人気者に変えた"ゴキゲンな口癖"

プレジデントオンライン / 2024年6月19日 10時15分

沖縄県の国頭村からTikTokを発信している大田吉子さん(90歳)。「南の島のおばーと孫」というアカウントで仕事風景やおしゃべりする様子を投稿しており、40万人のフォロワーをもつ名物インフルエンサーだ - 画像提供=KADOKAWA

沖縄県の最北端、国頭村に住む大田吉子さん(90歳)は、InstagramやTikTokなどで計50万人のフォロワーを持つインフルエンサーだ。そんな「名物おばー」は、どうやって誕生したのか。『90歳のおばーのゴキゲンなひとり暮らし 孤独を吹き飛ばして幸せに生きるヒケツ』(KADOKAWA)より一部を紹介する――。

■「南の島のおばーと孫」で大人気に

はじみてぃ・やーさいー(沖縄言葉で、初めてお目にかかります)。

大田吉子、90歳。TikTokerです。

2019年のお盆のこと。隣の家に住んでいてよく遊びに来ていた孫の浩之が「TikTokっちゅうものを一緒にやらんかね」と誘ってきまして。「南の島のおばーと孫」(おばーは、沖縄では「おばあちゃん」という意味)というアカウントに登場しております。

私が好き勝手おしゃべりしたり、海や山で遊んだりしている様子を孫がスマホで撮影しておりましてね。その動画や写真は、インターネット上で誰でも見ることができるのだそうです。

「おばーの遊んでいるところなんて誰が見たいのだろう?」「私、女優さんでもないのに、なんでカメラに撮られているの?」と思いましたけれど、孫が「やろうよ、おばー」と言うもんですから「私でよければ」とやっておりました。

そうしたらなんと、現在50万人もの人たちが私たちの動画や写真を見てくれているというのです。

沖縄から遠く離れた本土の人にまで「おばー、かわいい」なんて評判になっていると聞いて、それはそれは驚いております。最近は、インターネットを見た人に、近所の道の駅で声をかけられることも多くなりました。「一緒に写真撮ってもらっていいですか」なんて言われることもあるんですよ!

■口癖は「私でよければなんでもやるよ」

喜んでくれる人がいると思うとなんだかうれしくなって、俄然はりきってしまうおばーです。

「私でよければなんでもやるよ」

これが私の口癖、座右の銘でございます。

1934年(昭和9年)3月生まれ。おぎゃーと生まれたときから今日までずっと、沖縄県国頭村の奥間というところで暮らしてきました。沖縄本島の最北端、山原の森の中、静かないい村でございます。

子どもは、男の子ばかり5人。今はそれぞれ所帯を持ち、孫が10人、ひ孫が14人もできました。

夫は2023年の4月に老衰で亡くなりまして、現在私は奥間でひとり暮らしをしています。

私の人生、とにかく忙しかったです。貧しい家に生まれ、食べ物といえばふかした芋ばかりだった子ども時代。10歳の頃には戦争でずいぶんと悲しい光景を目の当たりにしました。

戦後は家計の足しになればと、高校に行きながら幼稚園の保育士さんとして働き、卒業したあとも家族を助けるためにいろいろな仕事をいたしましてね。バスガイド、アメリカ軍ラジオ局の電話交換手、結婚してからは夫と一緒に村で初のアイスキャンディー店を開店。さらに精肉店や鮮魚店も夫と一緒にやりました。

子どもが生まれてからは「絶対に5人の息子全員を大学まで出して立派に育て上げる!」と心に決め、そのためにはなんでもやったものです。

■ベビーシッター、民泊、村人の悩み相談まで

アイスキャンディー店を営んでいた数年間は、ほとんど寝ずに働いていたと思います。

いろいろな仕事をしていく中で、いつも私が意識していたことがあります。

それは、人から「やってみないか」と言われたことは絶対に断らず、なんでも引き受けてみる、というものです。

「アメリカ兵さんの子どものベビーシッターをしないか」「修学旅行生を受け入れる民泊をしてみないか」「ホテルのレストランで働いてみないか」「畑の作物を道の駅に卸さないか」……こんな相談もしょっちゅうでした。

それに加えて、村の婦人会や老人会の運営、防火クラブの設立、小学校で沖縄の文化や方言を教えるボランティア、村人の悩み相談、民生委員といった村の行事関連のことも「やってみないか」と言われれば、なんでも引き受けてきました。

テレビや映画で「沖縄のおばー役として出演してくれないか」という頼まれごとがあり、出させてもらったことも何度かあります。

それ以来、奥間にテレビや新聞の取材が来るときは、いつも私が駆り出されております。

■「あなたならできそうだ」と思ってくれるなら、やりたい

あれやこれやと、沖縄ローカルのテレビコマーシャルにも出てしまいました。

サイバー犯罪から人々を守る「さいばぁおばぁ」という役どころです。うれしいような恥ずかしいような……でございます。

「私でよければ、なんでもやるよ」という姿勢でいると、自然と仕事が舞い込んでくるのです。そうしてがむしゃらに働き続けていたら、息子5人分の学費もなんとか工面することができたというわけです。

そしてそのすべてが、やってみると不思議ととても楽しいのです。きっと人に「やってみないか」と言われることは、少なからず自分に向いていることなのでしょう。

誰かが自分のことを見ていてくれて「あなたならできそうだ」と思っていてくれたということ。だから「やってみないか」と声をかけられたら、なんでもありがたくやってみます。そうして、知らず知らずのうちに自分の世界が広がっていくのかもしれません。

私が暮らす奥間は人口が少なく、便利なお店もあまりありません。ですから昔から助け合いがとっても大事でした。

村人同士、毎日声をかけ合い、ご馳走は分け合う。

金銭に困っている人がいたらみんなでお金を出し合って助け、子どもや老人は村総出で面倒を見るのが当たり前。

■「100m先でもいるのがわかる」と言われるほどの声量

こんなふうですから、村中が家族みたいなものなんです。1年前に夫が亡くなったとき、なにもする気が起きなくなってしまった私にも村中の人が声をかけてくれ、市場やら老人会やらに連れ出してくれました。

あのまま落ち込み続け、家から一歩も出ずに過ごしていたら、とっくに心も体もダメになって、今頃は寝たきりになっていたかもしれません。

村の人たちのおかげで、私は今こうして笑顔で元気に過ごすことができているのです。だから、私もまだまだ人のためにお役に立ちたい。誰かのために、なにかをしたいと思っています。

歳をとりまして、体が思うように動かないことは確かにあります。けれど、それを嘆いていても仕方ありません。

毎日たくさん歩いてラジオ体操をして、村の人とたくさんおしゃべりをする。それができているうちは「なんでもやろう」という気持ちでおります。

ちなみに、私は声がとっても大きいんです。海を越えて、みなさんのいる本土(沖縄の人は「内地」と言います)まで聞こえているかもしれません。

子どもの頃から「100m先にいても吉子がいるのがわかる」と言われるほど、とにかく声のでかい吉子として村では有名です。

声の大きさを見込まれて、老人会の運動会で、老人会の歌を大勢の前で独唱しないかと言われたこともあります。「私でよければ」と引き受けて歌ってみましたら、とっても気持ちがよかったわ。

辺戸岬、沖縄
写真=iStock.com/okimo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/okimo

■大きい声を出せばストレス解消になる

老人会の仲間と合唱する機会もありました。ところが、あまりに私の声が大きいため他の人の声が聞こえず、これも私の独唱のように聞こえたと、息子に笑われてしまいました。

一緒に歌った方には申し訳ないことをしましたが、せっかくならみなさんも私に負けず大声を出してほしいですね。だって、大きい声を出すのも健康のためにはいいことですから。

ただ、私の場合は「出す」のではなくて、自然に大きい声が出ます。私の母もずいぶん声が大きかったので、遺伝なのかもしれません。

声は大きいですが、私は耳が遠いわけではありません。近所の自動販売機の「ガシャン」というジュースが落ちる音で目が覚めてしまうくらい、聴力はすごくいいです。

毎日耳は丁寧に掃除していますし、大きい声を出してストレスを解消しているから、体にも耳にもいいのかもしれません。ありがたいことです。

あんまり声が大きいので、内緒話をしても周りに丸聞こえでございます。だから私には隠しごとはいっさいございません。

■80年以上守り続けている「元気で過ごす秘訣」

毎朝、6時30分から始まるNHKのラジオ体操(テレビ体操)は、テレビに合わせてしっかり第2までやる。出かけるときは、なるべく歩いて移動する。少なくとも一日3kmは歩くようにしています。

今はちょっと膝が痛むのでリハビリに行っていますが、それでもなるべく毎日たくさん「歩け、歩け」と自分を鼓舞しています。

「膝が痛い」とずっと言ってはおりますが、歩いているうちに、だいぶきれいに歩けるようになったと、村の人に褒められましたよ。たくさん歩くこと。必ずラジオ体操をすること。

元気で過ごすためには、この2つが欠かせません。この健康のための2箇条は、小学生の頃から80年以上も守り続けています。小学校の担任だった宮城カナ先生との約束だからです。

泣き虫で、泣いたらすぐ鼻血を出す小学生の頃の吉子。

そんな私を心配したカナ先生が、私に言ったのです。

「元気でいるには、たくさん歩くこと、必ずラジオ体操をすること」

先生と指切りげんまんをして約束しました。そのおかげか、だんだん心も体も丈夫になって、鼻血も出さなくなったんですよ。

それから80年経った今も元気! 前屈するとピタッと地面に手がつくくらい、体もとっても柔らかいのです。

若い人でも体がずいぶん硬い人がいるでしょう。あなたもそうかね? だったら、まずは毎朝のラジオ体操を始めてみんかね?

■子供5人を育てるため、芋だけを食べる日々

私はとても貧しい家に生まれまして、子ども時分から、ご飯は朝昼晩とも芋。

学校には月桃という、沖縄ではそこらじゅうに生えているいい匂いのする葉で包んだ芋を毎日お弁当に持って行っておりました。

たまにあるおかずはニンニクの茎の塩揉み、油味噌といった質素なもの。けれど三食いただけることがありがたく、贅沢は言えませんでした。

結婚してからは「子どもたち5人を大学に入れてやるんだ」という一念で、節約の毎日。子どもたちには栄養のある卵や野菜、豆腐を食べさせて、夫婦ふたりは芋、なんて日もよくありました。

そうやって苦労した時代にずっと食べていた芋。今は……大好物でございます。昔イヤというほど食べたものは、あとで嫌いになる人もいるみたいですけど、私の場合まったくそんなことはございません。

■おかげで90歳になっても便秘知らず

長いこと食べていたせいか、今や一日ひとつ芋を食べないと落ち着かないくらいです。高齢者は便秘に悩む人が多いですが、私は芋のおかげでずっと便秘知らずの快腸が続いています。

大田吉子『90歳のおばーのゴキゲンなひとり暮らし 孤独を吹き飛ばして幸せに生きるヒケツ』(KADOKAWA)
大田吉子『90歳のおばーのゴキゲンなひとり暮らし 孤独を吹き飛ばして幸せに生きるヒケツ』(KADOKAWA)

沖縄では紅芋が有名ですが、実はあれは贅沢品。田芋という里芋のような芋や、サツマイモというよりジャガイモに近い品種などを普段は多く食べています。鹿児島のサツマイモを初めて食べたときは、なんて甘くて美味いしいのだろうと感激しましたね。

「紅はるか」という品種のサツマイモも、味が濃くって大好きです。

そうそう、5年ほど前に孫の浩之が「タピオカ」っちゅう粒々したものが入った甘い飲み物をくれたんです。若い子の間で流行っているということで、私が生まれて初めてタピオカミルクティーを飲んでびっくりする様子を孫が撮影していました。

これも芋が原料なんでしょう? えらい美味しくて、以来ときどきコンビニで買っております。

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大田 吉子 インフルエンサー
1934年3月18日沖縄生まれ。沖縄本島最北端の国頭村で暮らす。22歳のときに故・大田孝全さんとお見合いで結婚。幼稚園の先生、バスガイド、アメリカ軍のラジオ局で電話の交換手の仕事を経て自営業でアイスキャンディー店、鮮魚・精肉店を営む。その後、農業、畜産業、民泊、ホテルの朝食準備スタッフとさまざまな仕事をこなしてきた。子どもは5人、孫10人、ひ孫は14人。元気のヒケツは毎朝の「ラジオ体操」。口癖は「私でよければなんでもやるよ」。

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(インフルエンサー 大田 吉子)

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