最低賃金16ドルのNYに、時給3ドルのレジ係が登場…アメリカで「地球の裏側のレジ係」が広がる理由
プレジデントオンライン / 2024年7月15日 7時15分
■AIではなく、遠隔地に住む人間が対応
アメリカで登場した「リモートレジ」が話題を呼んでいる。レストランで食事を終えてレジへ向かうと、レジに係員はいない。代わりにディスプレイが据え付けられており、アメリカ国外にいる係員が画面内に登場する。
係員はビデオ会議越しに、支払い方法の説明や質問への対応を担当。顧客は電子決済で支払いを済ませる。人件費の高騰を受け、フィリピンの人材を安価に活用する方法として注目されている。
ニューヨーク市のクイーンズ区でからあげなどを振る舞う和風レストラン「サンサン・チキン」は、リモートレジを導入して話題を呼んでいる。ニューヨーク・タイムズ紙が店舗を訪れると、入り口に設置された画面越しに、フィリピンに住むバーチャルアシスタントが笑顔で迎えた。
![Googleで元M&Aを担当していたテック系起業家のブレット・ゴールドステイン氏のXのポストより](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/4/1200wm/img_1446cae5427e68c726d7b77b0d971aef433219.jpg)
バーチャルアシスタントはAIの映像などではなく、遠隔地に住む人間のスタッフだ。訪れた顧客を案内するほか、フードデリバリーの注文対応、電話応対、ネットに投稿されたレビューの確認などを行う。物理的な金銭の授受が必要となることから、現金払いにこそ対応できない。しかし、現地ですでに浸透しているキャッシュレスでの支払いなど、レジ周りの業務を幅広くこなす。
同紙によるとバーチャルアシスタントは今年4月時点で、同店のNYクイーンズ店やニュージャージー州のジャージーシティ店で導入されているほか、系列のサンサン・ラーメンや、中華料理店のヤソ・キッチンでも試験的に利用されている。ほか、ロングアイランドで少なくともこれ以外の中華料理店2店舗がこのサービスを導入している。昨年10月からテスト導入が始まった。
■レジだけでなく、各テーブルでもリモートで接客
電子通信の専門メディアである英「UCトゥデイ」は、こうしたバーチャルアシスタントは入り口だけでなく、店舗によってはテーブルに備え付けのタッチスクリーン式注文端末にも登場する、として取り上げている。
通常のレストランでは、注文に迷った場合、店員をつかまえておすすめを聞くことがある。とはいえ、注文や配膳で多忙にしている場合、気軽に声を掛けづらいこともあるだろう。バーチャルアシスタントの場合、画面越しのバーチャルアシスタントを呼び出し、気軽に質問をすることができるメリットがある。
■フィリピン人のレジ係「仕事を楽しんでいます」
技術を支えるのは、地球の反対側に住むフィリピンのメンバーたちだ。
顧客がモニターに近づくと呼び出しがかかり、ビデオ会議ソフトのZoomを通じて店舗のスクリーンに登場する。ニューヨークとは実に12時間の時差があるが、現地にいるスタッフとほぼ同等の接客をこなす。レジやテーブルでバーチャルアシスタントを呼び出すと、ヘッドセットを付けた担当者が、店舗のイメージに合わせて用意した背景ボードの前に座り、画面の中に現れる。
ニューヨーク・ポスト紙の記者がクイーンズ区のサンサン・チキンを訪れると、33歳女性のパイ氏が迎えた。マニラから車で2時間半、アメリカ文化の影響が色濃いスービック市に彼女は住んでいる。自宅のリビングルームからのリモート通話だ。
「仕事を楽しんでいます」と語る彼女は、もう半年ほどこの仕事をしているという。レストランに直接雇われているわけではなく、リモートレジのサービスを提供する米ハッピー・キャッシャー社との契約だ。
接続先の画面を切り替えながら、同時に3つのレストランを担当している。彼女は多くの顧客が、「バーチャルのレジ係に驚きます」と語る。一部の人々は、画面の中の彼女が人工知能だと勘違いすることさえあるという。
給与について彼女は明かさなかったが、顧客からときおり、多額のチップを受け取ることがあると述べた。マンハッタンの対岸に位置するヤソ・キッチンのジャージーシティ店を担当した際は、40ドルのチップをもらったことがあるという。チップはマネージャーやキッチンスタッフと分け合っている。
■インフレに苦しむ飲食店の救世主
バーチャルアシスタントは、レストラン業界の救世主となる可能性がある。とくに小規模なビジネスを展開しているオーナーたちは、店舗家賃の上昇や食材の急激なインフレに対応しようと必死だ。人件費を節減すれば、メニュー価格をむやみに上げずに、顧客に還元できる。
サンサン・チキンのマンハッタン・イーストビレッジ店でマネージャーを務めるロージー・タン氏は、このサービスを称賛している。彼女はニューヨーク・タイムズ紙に対し、「小規模ビジネスが生き残るための手段となり得ます」と述べる。とくに小さな店舗において、スタッフの数を削減し、コストとレジ周りのスペースを節約できる恩恵は大きい。
運営の効率化は、店の設備の充実につながり、顧客にとっても良い方向に働く。浮いた費用とスペースのおかげで、店舗前に小さなコーヒースタンドを新設できるかもしれない、と彼女は語る。
■客、店舗で働く従業員にも大きなメリット
運営元のハッピー・キャッシャーも、サービスに自信を示しているようだ。創業者でCEOのチー・ジャン氏は、 「ハッピー・キャッシャーのスタッフは完璧な英語を話しますし、Uber Eatsの電話注文を受けることもできます」とフォーチュン誌に語る。
「店内で働いている従業員が注文を調理している間にも、(バーチャルアシスタントが)顧客の質問に答えたりすることで、従業員の対面対応の負担を軽減します。ハッピー・キャッシャーを導入したことで、店舗の運営効率が向上しています」
米パデュー大学のモハンマド・ラフマン教授(経営学)は、フォーチュン誌の別の記事のなかで、バーチャルアシスタントは運営合理化の「スイートスポット」を突いていると語る。
「労働コストを節約しながらも、(タッチパネルなどの)フルに自動化されたセルフサービス端末ではなし得ない、問題解決能力と温かみを提供していると言えるでしょう」
■「楽しい」「何これ?」割れる利用者の反応
画面越しの接客は新鮮だが、利用者のなかにはすでに気に入ったと述べる人々もいる。メトロノース鉄道で車掌を務める34歳のダン・オキーフ氏は、ニューヨーク・ポスト紙に対し、「楽しいと思いましたよ」と利用体験を振り返る。
香港のサウスチャイナ・モーニングポスト紙は、Googleで元M&Aを担当していたテック系起業家のブレット・ゴールドステイン氏の意見を採り上げている。
彼は1万3000キロ以上離れたフィリピンからの接客に「正気の沙汰ではない」と驚きつつ、「ニューヨークのどの対面式のレジ係よりも」フレンドリーなサービスを受けられたと称賛した。セルフサービスの端末で注文した際、バーチャルアシスタントは常に付き添ってシステムの操作を代行し、質問があればすぐに対応してくれたという。
![ニューヨークの道路](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/1/1200wm/img_e14682f63da89ee2b533cb2fa0156cae530211.jpg)
だが、画面越しの対応とあって、さすがに戸惑いを覚える顧客も少なくない。サンサン・ラーメンを訪れた25歳女性は、ニューヨーク・タイムズ紙に、リモートレジと関わりたいとは思わなかった、と語る。画面内から「こんにちは」と語りかけられたが、「何だこれ?」と思った彼女が返事を返すことはなかった。
同店を利用した別の顧客は、「物理的にそこにいないと、人とのつながりを失うと思います」とニューヨーク・ポスト紙に述べている。ブロンクスのある教師は、「人間の対話の方が、ビデオ通話よりもはるかに良い」と否定的だ。
■「労働搾取」との批判もあるが…
バーチャルアシスタントをめぐり、労働力の搾取だとの批判が一部にある。サンサン・チキンのマネージャーは、UCトゥデイに対し、バーチャルアシスタントの導入は主にコスト削減のためであると認めている。
ニューヨーク・ポスト紙は、東南アジアの国々では平均時給が3.75ドルほどだとしている。これに対し、ニューヨーク市がチップ労働者を対象に定めた最低賃金は、チップの最低分配分を含め時給16ドルとなっている。4倍以上の開きだ。
一方、ハッピー・キャッシャーの場合、現地の平均的な給与水準よりも手厚い待遇を用意している。サウスチャイナ・モーニングポスト紙によると、フィリピンで雇用された人々が不当に搾取されているとの批判は、必ずしも当たらないようだ。ハッピー・キャッシャーの求人広告に記載されている給与は月額1万7920ペソで、これはフィリピンの一般なレジ係のなかでも高額な部類となっている。
加えて、チップや業績ボーナスでさらに稼げる可能性がある。アメリカの飲食店では会計の際、15~20%程度のチップを支払うことが一般的だ。月給の中央値がわずか325ドルというフィリピンにおいて、前掲のような1回最大40ドルのチップは、多額の収入源となり得る。サンサン・チキンやヤソ・キッチンなどの店舗でも、会計の際、最大18%のチップを支払うか顧客が選択する。
こうした背景から、ジャンCEOはフォーチュン誌に対し、「フィリピンの平均なレジ係の150%を支払っています」と述べている。
![フィリピン・マニラの歩道にマンゴーが並ぶフルーツスタンド](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/1200wm/img_8ef3d14682f7275d94a7c666f315611d425429.jpg)
■「リモートレジ」は日本でも広がる可能性
画面越しに接客を受けるバーチャルアシスタントは、現時点ではアメリカでも一部店舗への導入に留まる。しかし、今後の動向次第では日本でも導入される可能性があるだろう。
賃金面では搾取との批判もあるが、実態としては前述のように、むしろ現地の水準としては好待遇の部類に入る。流暢な英語をしゃべるフィリピンの人々であれば、渡米せずとも、住み慣れた自分の国で暮らしながら高給を目指すチャンスとなっている。
また、海外の安価な労働力を活用するビジネスは、これまでにもアメリカや日本など各国が実施してきた。製造拠点をアジアなど海外に設ける製造業界や、開発を国外で行うIT業界など、すでに各産業で取り入れられている。先進国側は現地の優秀な人材を安く登用でき、現地にとっても能力さえあれば国内平均より好待遇を目指せるメリットがある。
バーチャルアシスタントに関して現地で一部に拒絶反応が聞かれる背景には、むしろこうした観点よりも、画面越しにスタッフと会話することへの直観的な嫌悪感があるのかもしれない。一部に否定的な声も聞かれる一方、コールセンターへの通話が海外の日本語話者に転送されるケースがあるなど、国境を越えたサポートはすでに広がりつつある。
世界各地で物価が高騰する昨今、セルフ注文のタッチパネルの浸透など、飲食業界の店内は急速に変化している。バーチャルアシスタントはいつしか普及し、あとは"慣れ"の問題となるのかもしれない。
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フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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