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実は「主役シュワルツェネッガー」は想定外だった…低予算映画『ターミネーター』が大ヒットした意外な背景

プレジデントオンライン / 2024年6月20日 17時15分

『ターミネーター』(1984)主演:アーノルド・シュワルツェネッガー、監督:ジェームズ・キャメロン(=1984年10月26日) - AF Archive/Orion Pict/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ

1984年公開の大ヒット映画『ターミネーター』を監督したジェームズ・キャメロンは、当時あまりに貧乏で、シュワルツェネッガーとの打ち合わせではランチをおごってもらうつもりだった。その後、彼は『タイタニック』や『アバター』などを手がけ、世界一稼ぐ映画監督となる。映画評論家・町山智浩さんの著書『〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。

■撮影初日、フィルムの入れ方も分からず

ジェームズ・キャメロンはジョージ・ルーカスも通っていた名門私立大学USC(南カリフォルニア大学)の図書館に通って、映画に関する本を読み漁った。本を買う金もなかったからだ。自動車も持っていなかったので、毎日バスで2時間もかけて往復した。

「技術のことしか読まなかった。ハンフリー・ボガートが誰かも知らなかった」

ひととおり本を読んだキャメロンは実践に移った。しかし、貯金もクレジット・カードもない。そこで彼は『ゼノジェネシス』と題したSF映画の企画書を書き、地元の歯医者から出資を集めた。「ちょうど『スター・ウォーズ』(77年)が大ヒットしてたから、誰もがSF映画で一儲けしたがっていたのさ」

とはいえ、手に入れた予算はわずか二万ドルだった。この額では自分の考えるSF映画を作るのは無理だ。そう考えたキャメロンは12分のパイロット・フィルムを撮ることにした。撮影初日は、どうやってカメラにフィルムを入れるのか試行錯誤しただけで終わった。

「カメラ・レンタル会社に問い合わせすると、こっちが使い方を知らないのがバレるから自分で考えるしかなかったよ」

■「特撮のエキスパート」と嘘をつき、スタッフに

このフィルムは結局一本の映画として完成せず、出資者はまったく利益を得なかったが、キャメロンは本物の機材で練習ができて満足だった。内容は男女が殺人ロボットから逃げるというもので、これも『ターミネーター』の原型である。

78年、キャメロンは同棲していたシャロンと正式に結婚した。「仕事」が必要だ。キャメロンはニューワールド・ピクチャーズを訪ねた。コッポラ、スコセッシ、ジョー・ダンテなど若い映画作家たちを育ててきたロジャー・コーマンの経営する独立プロだ。キャメロンはコーマンに「僕は特撮のエキスパートです」とハッタリをかまし、『スター・ウォーズ』ブームをあてこんだSF映画『宇宙の7人』(80年)のスタッフに雇われた。

そこで彼は、2番目の妻となるゲイル・アン・ハードに会ってしまった。

■メカのデザインから撮影・編集まで一人でこなす

ゲイル・アン・ハードは大学を出た後、コーマン門下に入り、『モンスター・パニック』(80年)の現場でアシスタント・プロデューサーをさせられていた。

「半魚人が裸の女性を襲ういやらしいシーンの撮影だったんで見てられなくて、セットから逃げ出したら、せっせとミニチュアを作ってる男の子を見たの。ジムだったわ」

しかしキャメロンはただのミニチュア職人ではなかった。メカを自分でデザインし、イメージボードを描き、マットペインティングまで描き、フロントプロジェクションで撮影し、編集する。すべてを一人でコントロールできた。

キャメロンとゲイル・アン・ハードは「いつか他人の映画の下働きじゃなくて、自分たちの映画を作るんだ」と夢を語り合い、そのうちにどんどん親密になっていった。キャメロンはコーマンのスタジオのあるヴェニス・ビーチにアパートを借り、そこに寝泊りすることが多くなった。

■監督第一作は「何もかも最低だった」

『宇宙の7人』の次に、キャメロンは『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』(81年)の特撮を任された。切られた腕に蛆(うじ)がたかるシーンの撮影は今や伝説になっている。キャメロンは蛆では小さすぎるので代わりにミミズを使ったが、思ったように蠢(うごめ)かなかった。そこでミミズに電気を流した。「スタート!」でカメラが回るとミミズがのたうって、「カット!」の声で止まった。

「あれを見て、みんな驚いて、『ミミズに芝居させることができるんだから、俳優の演出もできるだろう』ということで監督を任されたんだ」

ジェームズ・キャメロン監督
ジェームズ・キャメロン監督(1986年)(画像=Towpilot/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons)

夢にまで見た監督第一作は『殺人魚フライングキラー』(81年)。ジョー・ダンテ監督のヒット作『ピラニア』(78年)の続編で、今度は翼の生えた魚が空を飛んで美女を襲うのだ。

「プリプロダクションはすでに終わっていて、僕は現場に行って演出するだけだった。でも、脚本もクリーチャーも何もかも最低だった」

プロデューサーは『エクソシスト』(73年)の亜流『デアボリカ』(73年)、『アマゾネス』(73年)に空手ブームをくっつけた『空手アマゾネス』(74年)、『JAWS/ジョーズ』(75年)の亜流『テンタクルズ』(77年)など、二番煎じ映画で悪名高いイタリアのオヴィディオ・G・アソニティス。彼はキャメロンが撮影したフィルムを自分の住むローマで勝手に編集して関係のない裸の女性の映像などを挟み込もうとした。

■絶望続きのローマで見た悪夢

キャメロンはたった一人でローマに行って現地のスタッフたちと闘ったが、結局押し切られてしまった。だから彼は『殺人魚フライングキラー』を今も自分の作品だとは思っていない。

「ローマで僕は人生最大の疎外感を味わった。イタリア語はわからないし、金はないし、おまけに食あたりまで起こした」

そして悪夢を見た。炎の中から金属の骸骨(がいこつ)のようなロボットが立ち上がる映像だったという。そのイメージからキャメロンは物語を膨らませていった。『ターミネーター』へと。

■作業BGMは『惑星』の「戦いの神・火星」

「他人の脚本ではダメだ」

キャメロンはついに『ターミネーター』のシナリオを書き始めた。士気を高めるため、ホルストの組曲『惑星』から勇壮な「戦いの神・火星」をエンドレスで聴きながら机に向かった。

『ターミネーター』の設定は、レーガン政権の対ソ強硬策で核戦争の危機が高まっていた1982年当時の状況を反映している。核戦争からアメリカを防衛するため、NORAD(北米防空司令部)はサイバーダイン・システム社が開発したコンピュータによる全自動防空ネットワーク「スカイネット」を採用する。

これはレーガンが提唱したスター・ウォーズ計画(人工衛星からのビーム砲でICBMを迎撃する)によく似ている。ところが「スカイネット」は自ら核戦争を起こしてしまう。人間社会が崩壊した後、スカイネットに率いられた機械たちが地球を支配し、人類を奴隷にした。

『猿の惑星』の「猿」を「機械」に置き換えた話のようだが、『地球爆破作戦』(70年)という映画にもよく似ている(原作D・F・ジョーンズ)。

アメリカ政府はNORADのあるロッキー山脈の地下に、防空システムを統括する巨大コンピュータ「コロッサス」を設置する。ところがソ連も同様のコンピュータ「ガーディアン」を開発。二つのコンピュータは戦争を防ぐための話し合いをしたいと人間に要求する。言われたとおり回線を繫ぐと、二つのコンピュータは結託して核ミサイルで人類を脅迫した。核で滅びるか、このままコンピュータに服従して世界平和を実現するか……。

■「人類を終結させる者」ターミネーター

『ターミネーター』の世界では、奴隷になった人類が機械に反乱を起こす。レジスタンスのリーダーの名はジョン・コナー。コナーは地下に潜り、ゲリラ戦で敵を翻弄(ほんろう)する。機械軍はコナーに関する情報を集めたが、母親の名前がサラだという程度しかわからなかった。コナーは織田信長に抵抗した雑賀衆の謎の頭目、孫市のようなものだ。

そこで機械軍はゲリラ側に潜入できる人間そっくりのロボットを開発した。それがターミネーター(人類を終結させる者)だ。ターミネーターの体は人間と同じ皮膚で覆われ、外見では人間と見分けがつかない。ただ、犬だけは人間と機械を嗅ぎ分けることができた。

しかし、ターミネーターでも機械軍はコナーに近づけなかった。そこでタイムマシンでターミネーターを過去に送った。コナーが生まれる前に母親を始末するのだ。これを知ったコナーも決死隊を過去に送った。自分の母を守るために。

キャメロンの最初のアイデアでは決死隊は二人で、「生まれて来なかった男」同様、タイムワープ時の事故で一人が死亡する。このような決死隊は実際の戦史にヒントを得たのだろう。たとえばドイツに占領された母国チェコに敵中降下し、「死刑執行人」と呼ばれたナチスの残虐なハイドリッヒ長官を暗殺し、玉砕したヤン・クビシュたちの戦いは『暁の7人』(75年)として映画化されている。

■「シナリオを買いたい」という依頼が殺到

シナリオを書くキャメロンの相談相手となり、励まし続けたのはゲイル・アン・ハードだった。キャメロンは書き上げた『ターミネーター』の権利をたった1ドルで彼女に譲った。このシナリオを決してキャメロン以外の誰にも監督させないという約束と引き換えに。それはまた、彼女への愛の証(あかし)でもあった。

ゲイル・アン・ハードとジェームズ・キャメロン監督
ゲイル・アン・ハードとジェームズ・キャメロン監督(画像=Towpilot/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons)

『ターミネーター』のシナリオはたちまちハリウッド中の噂になった。数々の映画会社がキャメロンを訪れてシナリオを買おうとした。一文無しのキャメロンは喉から手が出るほど金が欲しかったが、断った。どこも『殺人魚フライングキラー』なる駄作以外に実績のないキャメロンに監督をさせたがらなかったからだ。

■一躍、人気脚本家となり有名作を手掛ける

唯一、イギリス出身の若いプロデューサー、ジョン・デイリーが立ち上げたヘムデイル社だけが、キャメロン監督、ゲイル・アン・ハード製作という条件を吞んだ。さらにオライオン映画も出資することになった。

オライオンはユナイテッド・アーチストのエグゼクティヴを辞めたマイク・メダヴォイとアーサー・クリムが78年に立ち上げた新興スタジオ(ユナイテッドは80年に『天国の門』で崩壊する)で、アン・ハードとコーマン学校で同期だったプロデューサーが働いていた。予算は640万ドルと低予算だったが、キャメロンは自分の映画が撮れることになった。

『ターミネーター』の評判のおかげで、キャメロンのもとにはシナリオの依頼が殺到した。なかでも高額の脚本料を提示したのは『ランボー』(82年)、そして『エイリアン』(79年)という二大ヒット作の続編だった。金のためにキャメロンはこの二つを引き受けた。昼間は『ターミネーター』の製作準備、夜は『ランボー2』と『エイリアン2』を同時に書いて、キャメロンは一睡もしないで働いた。

『ターミネーター』の撮影に入る84年、キャメロンは、ずっと彼を待ち続けていたシャロンと正式に離婚した。キャメロンは「すべて僕が悪いから、どんな償いもする」と言ったが、シャロンは断り、形式的にたった1200ドルだけ受け取った。

「まだ、ジムを愛しているから」

■『ランボー2』と『エイリアン2』の共通点

『ランボー/怒りの脱出』(85年)と『エイリアン2』(86年)は非常によく似ている。『〜怒りの脱出』は、前作で警官隊や州兵とたった一人で戦って生き延びたランボー(シルヴェスター・スタローン)が、ヴェトナムに今も残されている米軍捕虜を救出する作戦に無理やり参加させられる。

『エイリアン2』は、前作でエイリアンとの死闘の末、たった一人で生き延びたリプリー(シガーニー・ウィーヴァー)が、エイリアンに襲われた植民惑星に残された人々を救出する作戦に無理やり参加させられる。

ランボーは協力者のヴェトナム人女性を愛し、彼女が殺されたことで戦いの目的を得る。リプリーは生存者の少女を発見し、彼女を守るためにエイリアンと徹底的に戦う。また、主人公に任務を与えた軍が、最初から主人公を利用しようとしていたという展開も同じだ。

■監督がシュワルツェネッガーを嫌がった理由

こんなに似ているのはたんに同時期に書かれたからだけではないだろう。主人公が「大切な人を救うために命を捨てて死地に戻っていく」という物語の根幹は、『ターミネーター』にも共通するし、『アビス』(89年)や『タイタニック』のクライマックスにもなっている。キャメロンは、このプロットにとりつかれているようだ。『ターミネーター2』では「I’ll be back !(戻ってくるぜ!)」がシュワルツェネッガーの決めゼリフになった。

『エイリアン2』は後に自分で監督することになるが、キャメロンは『〜怒りの脱出』の監督の依頼は断った。主演のスタローンと会ったとき、『ロッキー』(76年)のシナリオも自分で書いたスタローンが自分にリライトさせろと言って、脚本を持っていってしまったからだ。原型を残さないほど書き換えられて極端に右翼的な内容になった『〜怒りの脱出』を、キャメロンは自分の作品ではないと言っている。

筋肉スターのエゴに懲(こ)りたのか、マイク・メダヴォイから『ターミネーター』の主役にアーノルド・シュワルツェネッガーを薦められたキャメロンは、絶対に嫌だと断った。

■目立たない容貌の俳優を探していたが…

ターミネーターはもともと人間の中に紛れ込ませる刺客として作られたので、あまり目立たない容貌の俳優、たとえば『U・ボート』(81年)のユルゲン・プロホノフ、または『殺人魚フライングキラー』に出演して友人になったランス・ヘンリクセンが想定されていた。

キャメロンはヘンリクセンをモデルに自分でイメージボードまで描いていた。しかしメダヴォイは「もっと知名度のある俳優」が必要だと主張して、元フットボール選手のO・J・シンプソン(!)を推薦した。そして、ターミネーターと戦う戦士カイル役にシュワルツェネッガーを推したのだ。

ボディビル映画で知名度を高めたアーノルド・シュワルツェネッガー
ボディビル映画で知名度を高めたアーノルド・シュワルツェネッガー(画像=Los Angeles Times/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

アーノルド・シュワルツェネッガーはオーストリアのアルプス山中の小さな村に生まれ、ボディビルのヨーロッパ・チャンピオンになると、22歳で渡米、俳優を目指したが、きついオーストリア訛(なま)りが直らず、芽が出なかった。

35歳にしてやっと『コナン・ザ・グレート』(82年)でハリウッド大作の主役の座をつかんだが、腰布一枚で剣を振り回すだけのコナンでは俳優として認められなかった。シュワルツェネッガーにしてみれば、ここできちんとセリフもある『ターミネーター』のカイル役がどうしても欲しかった。

■「おしゃべりなターミネーター」に辟易

キャメロンとシュワルツェネッガーは一緒にランチをとった。「一発殴られる覚悟で断るつもりだったんだ」。キャメロンは言う。「でも、貧乏だったからシュワルツェネッガーに奢(おご)ってもらった。情けなかったよ」

町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』(朝日文庫)
町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』(朝日文庫)

シュワルツェネッガーは愛想よく『ターミネーター』のシナリオを絶賛した。彼がおしゃべりなことはまだ知られていなかったので、キャメロンは驚いた。シュワルツェネッガーがふかす葉巻の煙で気分が悪くなったキャメロンは「頼むから黙ってくれないかなあ」と思いながら、いつもの癖で手元の紙に思わず相手の似顔絵を描き始めた。描きながら、ふと気づいた。……イイ顔をしてる……。

シュワルツェネッガーのしゃべりを遮ってキャメロンは言った。

「君がやるべきはターミネーターだ」

シュワルツェネッガーの目は点になった。

家に帰ったキャメロンはさっきのスケッチに彩色した。手に拳銃を持ち、顔の半分の皮膚が剝(は)がれ、内部の機械が露出した絵を。それを送られたシュワルツェネッガーはすぐにターミネーター役を引き受けた。

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町山 智浩(まちやま・ともひろ)
映画評論家、コラムニスト
1962年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。宝島社社員を経て、洋泉社にて『映画秘宝』を創刊。現在カリフォルニア州バークレーに在住。TBSラジオ「こねくと」レギュラー。週刊文春などにコラム連載中。映画評論の著作に『映画の見方がわかる本』『ブレードランナーの未来世紀』『トラウマ映画館』『トラウマ恋愛映画入門』など。アメリカについてのエッセイ集に『底抜け合衆国』『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』などがある。

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(映画評論家、コラムニスト 町山 智浩)

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