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なぜ広島・長崎に「人類史上最悪の兵器」が落とされたのか…「降伏しない日本が悪い」というアメリカの詭弁

プレジデントオンライン / 2024年6月21日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/font83

なぜアメリカは日本に原爆を落としたのか。早稲田大学の有馬哲夫名誉教授は「アメリカは戦争を終わらせるためだったと主張しているが、多くの資料はそれを否定している。アメリカはソ連に原爆の威力を見せつけるために、わざと日本の降伏を遅らせたと考えるべきだろう」という――。

■原爆投下は「仕方なかった」?

今年4月3日、5月10日の2回にわたって、衆議院外務委員会で、立憲民主党の松原仁議員が「アメリカの原爆投下に抗議せよ、謝罪を求めよ」と上川陽子外務大臣に詰め寄った。アメリカのティム・ウォルバーグ下院議員が「手っ取り早く終わらせるため、長崎や広島のような」爆弾をパレスティナのガザに投下すべきだと発言したことを問題にしたものだ。

これまで日本のマスコミは、自虐史観に基づいて「日本は間違った戦争をしたので、原爆投下は仕方なかった」という論調だった。広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文と共通するメンタリティだ。

したがって、松原議員のアメリカに「抗議せよ、謝罪せよ」という姿勢は、ある意味、戦後の自虐的史観から一歩踏み出したものと評価できる。とはいえ、私からすると、認識不足で、かつ、要点を押さえていない。

■アメリカは「降伏しなかった日本が悪い」

松原議員は、アメリカに謝罪を求めるというが、その理由は、非人道的な兵器の使用を禁じたハーグ陸戦条約に反するからだそうだ。だが、毒ガスなどの非人道的兵器は日本軍も使っている。残虐行為に関しても、アメリカは731部隊の人体実験の資料を、終戦後、いの一番に押収したほどなので、よく知っている。アメリカからすれば「お前が言うか」になってしまう。

また、アメリカ政府の公式見解は、今も昔も、「戦争を終わらせるため、100万人の将兵の命をすくうために原爆を投下した」である。松原議員が「謝罪せよ」といっても、アメリカ側は「100万人の将兵の命を救うためだったのだから仕方ない。早く降伏しなかった日本が悪い」と切り返してくるだろう。

要は、「原爆投下は必要なかった。そうしなくても日本は降伏していた。だから不当だ」とアメリカ側に認めさせない限り、謝罪は得られないのだ。

■ソ連に原爆の威力を見せつけるためだった

私は2009年に上梓した『アレン・ダレス 原爆、天皇制、終戦をめぐる暗闘』(講談社)以来、『「スイス諜報網」の日米終戦工作』(2015年、新潮選書)、『歴史問題の正解』(2016年、新潮新書)、『原爆 私たちは何も知らなかった』(2018年、新潮新書)、『一次資料で正す現代史の真実』(2021年、扶桑社新書)などで、一貫して「原爆投下は必要なかった、スイスでの終戦工作によって、日本はアメリカが国体護持を認めることを見越して、降伏条件(ポツダム宣言のこと)を呑んで、戦争を終結させようとしていた」と述べてきた。

つまり、アメリカは、日本を降伏させ戦争を終結させるために原爆を投下する必要はなかった。投下したのは、日本を降伏させ、戦争を終わらせるためではなく、ヤルタ協定を無視し、東ヨーロッパを支配し、東アジアにも進出しようとしているソ連にその威力を見せつけるためだったということだ。

最近になって、日本でもようやく「原爆投下は戦争終結後をにらんでソ連をけん制するためだった」というコメントが見られるようになった。アメリカ側で、ロサンゼルス・タイムズのようなやや保守的メディアさえ、そのように報じ始めたからだ。だが、「原爆投下は不必要で、戦争はそれなしでも終わっていた」とまでいっているのはごく少ない。

■映画『オッペンハイマー』でも描かれている

映画『オッペンハイマー』を見た方は記憶しているかもしれないが、映画の中でアメリカの政権の主だった人びとが原爆投下を議論しているとき、陸軍長官のヘンリー・スティムソンが「日本は降伏しようとしている」と言う場面がある。つまり、彼らは日本が降伏しつつあるのに原爆を投下したのだ。

さらに衝撃的なことを言えば、アメリカ政権トップは、日本が降伏しようとしているのを知りながら、原爆を投下したいがため、それをするまで、降伏させなかった。鳥居民が2005年に『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)という著書を出したが、これはまさしくこの事実にフォーカスを絞ったものだ。

とはいえ、彼の著書は、アメリカの歴史学者ガー・アルペロヴィッツの『原爆投下決断の内幕』を踏まえたもので、「アメリカは原爆を投下するまで日本を降伏させなかった」という知見は、アルペロヴィッツのものだ。

鳥居は英米の公文書館にある一次資料を使っていなかった。だから、主な知見をアルペロヴィッツの知見に頼りつつ、新味を出すために、当時国務長官代理だったジョセフ・グルーをスイスに送り、スイス公使の加瀬俊一に会見させるというフィクションを織り込んでいる。

■ポツダム宣言に仕掛けられた「2つの罠」

本論では、アルペロヴィッツが使用しなかったイギリス国立公文書館の資料とスイス連邦公文書館の資料を加えて、どのように「アメリカは原爆を投下するまで日本を降伏させなかった」のか、それが招いた意外な結果を明らかにしたい。

当時のアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンと国務長官ジェイムズ・バーンズは、ポツダム宣言(正式名称日本の降伏条件を定めた公告)に2つの罠を仕掛けた。

ハリー・S・トルーマン大統領の肖像
ハリー・S・トルーマン大統領の肖像(写真=アメリカ国立公文書記録管理局/PD-US-not renewed/Wikimedia Commons)

1つ目は、原爆を投下するまで日本を降伏させないようにしたこと。

2つ目は、原爆を落としたとき、「われわれは警告した」といえるようにしたこと。

そして、当時の鈴木貫太郎首相は、まんまとこの罠にはまってしまった。

その結果が、1941年8月6日と9日の広島、長崎への原爆投下である。しかも、アメリカ側は今でも「原爆投下を警告したのに無視した。だから投下した。したがって正当だ」といっている。

■日本の降伏条件が国体護持のみと知っていた

では、1つ目の罠はどういうものだったのか。それは、7月24日までポツダム宣言の第12条にあった太字部分の国体護持条項を削除したことだ。

第12条 連合国の占領軍は、これらの目的(侵略的軍国主義の根絶)が達成され、いかなる疑いもなく日本人を代表する平和的な責任ある政府が樹立され次第、日本から撤退するであろう。もし、平和愛好諸国が日本における侵略的軍国主義の将来の発展を不可能にするべき平和政策を遂行する芽が植えつけられたと確信するならば、これは現在の皇室のもとでの立憲君主制を含むこととする

この太字部分が残っていれば、鈴木首相は宣言を呑んでいただろう。アメリカは日本の暗号電報を解読して要約した「マジック」によって、日本が条件として考えているのは国体護持のみで、これを認めさえすれば戦争が終わることを知っていた。(詳しくは前掲書、とくに『「スイス諜報網」の日米終戦工作』に譲る)

トルーマンとバーンズ(というのも、スティムソンやグルーはこの条項を残すように2人に要請していた)は、これを削除すれば、日本が宣言を受諾しないことを知っていて、原爆を落とすまで降伏させないよう、削除したのだ。

■「原爆投下を警告した」は本当か

ちなみに原爆投下の命令は7月25日に出ている。つまり、宣言の発出の1日前である。これは、日本が国体護持条項のない宣言を拒否することをアメリカ側が確信していなければ、ありえない。

さらに付け加えるならば、トルーマンはスターリンが7月18日にポツダム会談の席で「日本が和平を懇願してきている」と告げたときも、これを議題にしようとはせずスルーしている。議題にしていれば3巨頭が一堂に会していたのだから、そこで原爆投下もソ連の侵略もない和平が成っていたかもしれない。なのにスルーしたということは、やはり原爆を落としたかったということになる。

ヨシフ・スターリン(1943年)
ヨシフ・スターリン(1943年)(写真=U.S. Signal Corps photo./PD US Army/Wikimedia Commons)

2つ目の罠は第13条の最後の一文だ。

われわれは日本政府にすべての日本の軍隊の無条件降伏を要求し、このような行為を忠実に実行する適切かつ十分な保証を求める。
これ以外の日本にとっての選択肢は、速やかで完全な破壊である

アメリカ側はこれをもって原爆投下の警告をしたといっている。たしかに、スティムソンはポツダム会談中のトルーマンとの会話のなかで、一貫して宣言を「警告」と呼んでいる。しかし、今日、アメリカがそう主張していると知った上でも、この一文は原爆投下についての警告とは読めない。

■日本の首相は気づかず「黙殺」してしまった

実はこれには訳がある。アメリカ側は1945年5月31日の暫定委員会(原子力エネルギーや原爆について協議する委員会)で、工場労働者の住宅があるような地区に、警告なしで、原爆を投下すると決定した。

ところが、ケベック協定第2条「われわれは、互いの同意なしに、それ(原爆)を第3者に対して使用しない」に基づいて、原爆の使用について協議することになったイギリスは、警告してから投下することを要求した。そうすれば、人的被害が少なくなり、また、ハーグ戦争条約にも違反しないからだ。これはイギリス国立公文書館所蔵の「ケベック・メモ文書」から私があらたに明らかにしたことだ。

このため、原爆投下について何か言っているとはとても読めないものの、なにかしら警告めいて聞こえる太字部分が、7月2日になって宣言の最後に加わることになった。アメリカはこの「警告」を7月4日にケベック協定国であるイギリスとカナダの代表に合同方針決定委員会(ケベック協定国で方針を協議する委員会)で示し、了承を得ている。

鈴木首相は、これが原爆投下の警告だとはつゆしらず、罠にはまって「黙殺」してしまった。

■原爆投下を実現したトルーマンの誤算

こうしてトルーマンとバーンズは、日本が降伏する前に原爆を2発投下することができた。世界はこの新兵器の登場に震撼した。

Atomic Cloud Rises Over Nagasaki, Japan
Atomic Cloud Rises Over Nagasaki, Japan(写真=チャールズ・レヴィ/National Archives at College Park/PD US DOE/Wikimedia Commons)

ところが、トルーマンの計算に狂いが生じた。ソ連が8月9日に日本侵略を始めたのだ。トルーマンが7月18日にスターリンと会談したときは、ソ連は8月15日に日本と戦端を開くと言っていた。トルーマンの心づもりとしては、2発の原爆を投下すれば、遅くとも8月14日までには日本は無条件降伏するはずだった。そして、スターリンは、もう間に合わないとして日本侵略を諦めると思われていた。

しかし、スターリンは、8月6日には落ち込んで対日侵略を諦めたものの、翌日に日本がまだ降伏していないと知ると、気をとりなおし、アレクサンドル・ヴァシレフスキー極東軍総司令官に「夏の嵐作戦」の開始を命じた。ソ連極東軍は、予定を切り上げ、無理に無理を重ねて、8月9日に侵略を開始した。この辺のことは、長谷川毅がソ連側の資料に基づいて書いた名著『暗闘』(2006年、中央公論新社)に詳しい。

■日本は降伏せず、ソ連は支配地域を拡大

「ヤルタ極東密約」によれば、ソ連が日本と戦うならば、南樺太、千島列島、満州の東清鉄道がソ連のものになるはずだった。その際は、ルーズヴェルトの死によって副大統領から昇格して間もない、外交経験がほとんどないトルーマンが、まったく不案内な東アジアの問題で、スターリンとむずかしい交渉をしなければならなかった。

トルーマンは、原爆を投下すれば、ソ連が軍事行動を起こす前に日本が降伏し、このような面倒は避けられると思った。彼ならずともそう思うだろう。しかし、予想とは裏腹に、原爆投下は、ソ連の日本侵略の引き金となった。

計算違いはもう一つあった。広島に投下したらすぐにでも無条件降伏を呑むはずの日本がなかなかそうしなかった。あくまでも国体護持にこだわり、これが守られなければ降伏しないと言い張った。8月10日にご聖断を下したときも昭和天皇は無条件ではなく、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」と無条件降伏ではなく、条件付き回答をしてきた。

トルーマンは、燎原の火のごとくソ連の支配地域が広がっていくので、もう待てなかった。バーンズは8月12日に「占領とともに天皇の国家統治の大権は連合国総司令官の下に置かれる」と返すしかなかった。きわめて曖昧だが、少なくとも無条件降伏の強要には読めない。事実、日本軍の武装解除と降伏を天皇が保証せよと付け加えていた。何年かかるかわからないこのプロセスのあいだ、天皇はその地位にあるということだ。

■終戦条件があいまいなまま、戦争が終わった

しかも、驚くべきことに、日本側はこのバーンズ回答に返答しなかった。これはスイス連邦公文書館にある「日本の降伏」という公文書からわかったことだ(詳しくは『一資料で正す現代史のフェイク』第7章「日本が無条件降伏したというのはフェイクだ」参照)。

バーンズは待ちきれずに降伏交渉を仲介したスイス政治省に電話を入れたが、日本側からの回答はまだないという返答だった。そこで、耐え切れなくなったトルーマンは、「日本はポツダム宣言を無条件で受諾した」と一方的にプレスリリースして、アメリカ軍に戦闘停止を命じてしまった。

日本は日本で、8月9日に提示した条件をアメリカが受け入れたかどうか確認せず、バーンズ回答にもきちんと答えないまま、8月15日に「終戦の詔勅」を読み上げる天皇陛下の「玉音放送」を流してしまった。

■アメリカが謝罪と賠償をすべき本当の理由

つまり、トルーマンは、原爆を投下したために、大統領に昇格したとき上下両院議会で宣言した「ルーズヴェルトの日本を無条件降伏させるという方針を変更しない」という公約を果たせなかったのだ。

原爆を手に入れたことによって、トルーマンとバーンズは、日本をただ降伏させるだけでなく、国体護持の条件付きではない、無条件降伏に追い込めると信じた。さらに、東ヨーロッパを支配し、東アジアにも勢力圏を広げようとしているソ連に原爆の威力を見せつけることができればもっといいと思った。だから、原爆を落としたあとで日本を降伏させようとした。

だが、結果は、ソ連の軍事行動を早め、東アジアへの拡大を許し、さらには日本を無条件降伏させるという公約すら守れなくなるというものだった。

松原議員が主張するように、日本はアメリカに謝罪を求めるべきだ。さらに、一歩進めて、賠償を求めるべきだ。

必要もない原爆を投下したことによってアメリカは広島、長崎で何十万という日本人の尊い命を奪った。それだけでなく、起きずにすんだはずのソ連の侵略まで招いてしまった。原爆投下がなければ、ソ連は侵略を前倒しすることなく、南樺太、千島列島が日本に残ったまま終戦を迎えたはずだ。

松原議員はこういった理由でアメリカに謝罪を求めるべきなのだ。

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有馬 哲夫(ありま・てつお)
早稲田大学名誉教授
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『歴史問題の正解』『日本人はなぜ自虐的になったのか』『NHK受信料の研究』(新潮新書)など多数。

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(早稲田大学名誉教授 有馬 哲夫)

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