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「確実に嫌な予感」30代嫁が直面した"絶望ワンオペ"…難あり老親4人と愛息2人を"私一人で"という無謀

プレジデントオンライン / 2024年6月22日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AHMET YARALI

二世帯住宅での生活はうまくいくのか。39歳で教員の夫と、6歳と1歳の息子がいる36歳で専業主婦の女性は、80歳の義父と68歳の義母との同居生活を開始した。近くには、女性の両親の実家があるが、60代の両親は不仲で父親がうつに。老いていく4人と幼い子2人。唯一の世話役の女性の行く末には真っ黒な暗雲が垂れ込めていた――。(前編/全2回)
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

■自分優先な親たち

北海道在住の森山吹子さん(仮名・40代・既婚)の両親は、お互い高校卒業後に入社した大手建設コンサル会社で出会った。

父親は設計技師になり、母親は翌年に入社し、地質部で働きはじめる。2人は社内イベントで出会うと、すぐに交際がスタート。母親が20歳のときに父親が働く現場まで押しかけ、プロポーズをして結婚。母親が27歳のときに兄が、28歳のときに森山さんが生まれた。

母親は結婚を機に専業主婦になったが、森山さんが幼稚園に入園した頃に、結婚前まで勤めていた会社の仕事を請け負い、在宅で働き始め、森山さんが中学生になった頃に会社勤務に戻った。

「父は口数が少なく、職人気質です。あまり家族には関心がなく、現役の頃は、週末はゴルフばかり行ってました。母は社交的でPTAや育成委員などをし、気が強くプライドも高くハッキリとした性格で、家庭や子どもより自分優先な人でした」

子どもの頃は、母方の祖父母と同居していた。

「母方の祖父は温厚な人で、町内のためにいろいろな活動をしていました。口数が少なく、怒られた記憶はありません。祖母は母そっくりで、見栄っ張りでプライドが高い人でした。光熱費は両親が払っていたので、祖父母の年金はほぼお小遣いでした。祖母は自分の姉妹としょっちゅう温泉へ行ったりお寿司を振る舞ったりしていましたし、髪は必ず美容院で洗ってもらっていました」

祖母と母はそっくりと言うが、口数が少なく、家庭内よりも外での存在感が大きいという点で、祖父と父親もよく似ている。

森山さんは物心つくと、祖母も母親も兄ばかり大事にしていることに気付いた。洋服は、兄は着たいものを買ってもらえていたが、森山さんは兄のお古ばかり。森山さんが「○○に行きたい」と言えば頭ごなしに反対されるが、兄には「お金は出してあげるから行っておいで」という具合だった。

「兄は幼い頃から偏食がひどく、こだわりがある神経質な子でした。社交的ではないですが、友だちはいましたし、私とも一緒に遊んでくれました。祖母と母がいわば“長男教”なら、父は男尊女卑の気質がありました。『女の子はお嫁に行くから学歴は必要ない』とか、『良い相手を見つけて結婚するのが幸せ』とか言われていました。私は幼い頃から、両親や祖母の扱い方が兄と違うことは感じていましたが、中でも強烈だったのは、幼稚園のころ、兄の真似をして母に甘えたら、私だけ『気持ち悪い』と言われたことです。それから母に甘えたことはありません。母に抱きしめてもらった記憶もないし、遊んでもらったこともありません」

それでも森山さんは、おてんばで元気な子に成長。小学校時代は異年齢の友だちと日が暮れるまで遊び、中学生になると陸上部に入り、部長を務めた。

「昔から母は家事が嫌いで、中学生になってからは母の代わりに私が家事をしていました。母は、『外でアルバイトしたいと言われたら家事をしてもらえなくなるから』と、バイト代として毎月2万円くれました。着道楽で食道楽、高級志向で、父は定時帰りがほとんどでしたが、母はよく飲み歩いていたし、繁忙期は徹夜で帰宅しない日もありました。まるで父親が2人いるみたいでした……」

■虚飾の世界からの転落

森山さんは高校卒業後、大手化粧品メーカーに入社し、美容部員として働き始める。

化粧品テスターのリップ
写真=iStock.com/VTT Studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VTT Studio

「職業柄、美意識が高い集団に身を置き、最先端のメイクやファッションに身を包んだ先輩たちはキラキラでかっこ良くて、若かった私はすぐに影響を受けました。お給料が出れば洋服や靴を爆買いし、ボーナスが出るとハイブランドのバッグを入手。当時はノルマもあり、売り上げ額に達しない日は自ら高級シリーズを購入し、数字を作っていました。今にして思えば、先輩たちも借金していたのだと思います」

森山さんはカードのキャッシングに手を出し始め、それでも足りなくなると、複数の消費者金融からも借りるようになった。

当時19歳の森山さんには、高校生の時から交際していた同級生の彼がいた。森山さんは彼に、給料やボーナスで、スーツや下着、食材や日用品などを買い与えていた。

そんな彼は翌年に東京へ異動になり、遠距離恋愛に。彼に会いに行く旅費もホテル代も食事代も彼は一銭も出してくれず、森山さんは全て借金で賄った。

同じ頃、森山さんはディスコ(クラブ)にハマり、夜な夜な繰り出しては、ストレス発散と現実逃避の日々に明け暮れる。やがて森山さんは、借金やノルマによるストレスでメンタルをやられ、4年で化粧品会社を退職。

高校の頃から交際していた彼には、何度も浮気をされてはよりを戻していたが、同じ頃、ついに完全に振られてしまう。

心も体もボロボロになった森山さんには、

・消費者金融2件
・信販会社1社
・カードのキャッシング満額
・カードも満額
・矯正下着のローン

合計230万円の借金だけが残り、絶望した森山さんは、過食や大量のアルコール摂取を繰り返すように。23歳になる直前のことだった。

■父親の会社での出会い

森山さんは高校卒業後、「一人暮らしをしたい」と言ったが、「するなら2度と敷居をまたがせない」と父親から脅されたため、渋々実家から仕事に通っていた。そのため膨大な借金を抱えても、寝る場所と食べるものには事欠かなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

しばらくして森山さんは、心療内科を受診すると「不安症候群」との診断を受け、精神安定剤を処方される。帰宅して母親に伝えると、「気持ちが弱いだけだ」と冷たくあしらわれた。

化粧品会社退職後に実家でただ休養している森山さんのことが気に入らない母親は、徐々にイライラし始める。そして3カ月後、そんな不機嫌な母親と接し続けることに限界を感じた父親は、森山さんに、自分が長年勤めている会社でのアルバイトを勧める。自分が家にいることでイライラしっぱなしの母親が怖かった森山さんは、二つ返事で受け入れた。

そんなある日、仕事から帰宅すると、母親が言った。

「一体、いくらあるの?」

「怒ったような、呆れたような口調だったと思います。『あー、バレた』と思うと同時に『これで苦しみも終わる』と思いました」

母親は勝手に森山さんの部屋へ入り、森山さんの借金返済関係の書類を見つけたらしい。数年前、薬物依存症で逮捕されたことのある俳優が、逮捕される瞬間、「ありがとうございます」と言ったという話は有名だが、「これで苦しみも終わる」と思った森山さんも、この言葉から買い物依存症だったことがわかる。

借金は、全額両親が肩代わりしてくれることになった。

翌年、女性ばかりのきらびやかな世界で働いてきた森山さんは、男性中心の建築コンサル会社の空気や仕事が合わず、退職。その後は就職活動の末に、道内の地域開発に関わる会社に契約社員として採用された。

同じ頃、父親と同じ会社で働いていたときに知り合った3歳上の社員の男性と交際が始まる。男性は教員になる夢を叶えるために会社を辞職し、教員採用試験の勉強をしていた。そして2年後、見事合格すると、森山さん26歳、夫29歳で結婚した。

■想定外の事態

森山さんは結婚後、夫の転勤のため退職し、29歳のときに長男を出産。そして33歳のときに、夫の地方勤務が終了することを見越して夫の実家を二世帯住宅へ建て替える。だが、地方勤務が延長になったため、完成と同時に義両親だけ先に入居することに。

「夫は親孝行のつもりで、まだ住んでもいない二世帯住宅の固定資産税や光熱費だけでなく、お小遣いまであげていたうえ、義両親が使う家電が壊れるたびに買ってあげていました。『一人っ子で、大切に育ててもらったから恩返ししたい』と言われたら、専業主婦の私は何も言えませんでした」

しかし二世帯住宅の光熱費と自分たちが住んでいる賃貸の家賃や光熱費・生活費、二世帯住宅のローンの支払いなど、想像以上に出費が膨らみ、貯金もままならなくなっていく。夫のボーナスが出ても3分の1は住宅ローンの返済に消える。そのうえ、結婚と同時に夫が趣味で購入したクラッシックカーの維持費が重くのしかかってきた。

そこへ追い打ちをかけるように、想定外の第2子の妊娠が発覚し、34歳で次男を出産。翌々年に長男が小学校に上がるため、ようやく地元に戻ることとなった。

■地獄へのカウントダウン

36歳の森山さん、39歳の夫、6歳の長男、1歳の次男の4人と、先に住んでいた80歳の義父と68歳の義母との二世帯住宅での同居が始まった。

その頃、義実家から車で20分ほどの距離にある森山さんの実家では、60歳の頃に定年退職し、2年ほどの嘱託勤務を経て完全に退職した父親(64歳)と、52歳の頃に退職した母親(63歳)が暮らしていた。

同居していた母方の祖父母は、森山さんが22歳の頃、母方の祖父は80歳で、祖母は82歳で、それぞれ少しも介護らしい介護をすることなく、病院で亡くなっていた。

父親は土地を借り、長年夢だったログハウスを自分で建て、家庭菜園などをしながら、自宅とログハウスを行ったり来たりしていた。一方、これといった趣味のない母親は、友だちとお茶やランチ、買物などをして過ごしていた。

ところが、完全に退職してから数年後、父親はいつしかうつ病を患っていた。心配した森山さんが話を聞くと、「母さんとの生活が嫌になった」と言った。

若い頃から母親は、父親に暴言を吐いた。結婚した後も1〜2カ月に1度、森山さんが実家を訪れると、孫たちがいようがいまいがお構いなく、母親は父親の一挙手一投足にケチを付け、舌打ちし、「死ねばいいのに!」と毒づいた。それでも父親は一切言い返さなかった。おそらく父親のうつ病は、定年後、夫婦で顔を合わせる時間が増えたことによる発症だったのだろう。

森山さんは、二世帯住宅で義両親と同居をしながらの幼い息子たちの子育てと、実家の両親の不仲と、多くのストレスを一身に背負い込むこととなった。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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