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なぜ周囲の反対を押し切って定子を内裏に戻そうとしたのか…一条天皇が当時では珍しい「純愛」を貫いたワケ

プレジデントオンライン / 2024年6月23日 8時15分

一条天皇像〈真正極楽寺蔵〉(画像=『別冊太陽 天皇一二四代』平凡社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

一条天皇はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「14歳のときに藤原道隆の娘・定子と結婚した。当時では異例の仲睦まじい夫婦で、定子が出家した後も周囲の反対を無視して寵愛を続けた」という――。

■定子のことしか頭にない一条天皇

どうやら一条天皇(塩野瑛久)は、出家して離れ離れになってしまっている中宮定子(高畑充希)のことしか頭にないらしい。

NHK大河ドラマ「光る君へ」の第24回「忘れえぬ人」(6月16日放送)では、出家したままの定子が第一子の脩子を出産したのちの、一条天皇の姿が描かれた。病気で臥せる母の東三条院詮子(吉田羊)を見舞った際に一条は、「中宮を内裏に呼び戻します。娘の顔を見ず、中宮にも会わずに、このまま生き続けることはできません」と宣言したのである。

同席する道長(柄本佑)は難色を示すが、「内裏に波風など立ってもかまわぬ」「これは私の最初で最後のわがままである」と強く主張。詮子も「道長、お上の願い、叶えてやって」というにいたった。

とはいえ、さすがに定子を内裏に戻せば、宮中の反発を抑えられないことを懸念した道長は、天皇の秘書官長にあたる蔵人頭の藤原行成(渡辺大知)の意見を聞き、内裏の東北にある中宮職のための役所、職(しき)の御曹司(みぞうし)に定子を移す、という妥協策をとることにする。

しかし、内裏からは近いので、天皇は日夜、定子のもとに通いはじめ、日記『小右記』の筆者である藤原実資(秋山竜次)をはじめとする公卿たちから女房まで、宮中の反発は激しかった、という様子が描かれた。

■女房たちが「どの面下げて戻ってきたの?」

「ドラマ」に対して「史実」との違いを指摘しすぎるのも野暮と思いつつも、話を円滑に進めるために、若干記しておきたい。

行成の意見を聞き、道長の主導で定子を職の御曹司に移した、という記録はなく、そこは脚本家の創作である。史料から判断するかぎり、一条天皇が定子を内裏に移す準備段階として、まずは職の御曹司に移したものと思われる。

それが決行されたのは、長徳3年(997)6月22日の夜のことだった。藤原実資は『小右記』に「今夜、中宮、職の宮司に参り給ふ。天下甘心せず。……はなはだ稀有なことなり(今夜、中宮定子様は、中宮職の役所である御曹司に転居なさる。宮中ではだれもが甘く見てはいない。……ありえないことだ)」と書いている。

ドラマで実資が、「前代未聞、空前絶後、世に試しなし!」と怒りをにじませ、女房たちが「どの面下げて戻ってきたの?」と囁き合った場面は、そのときの宮中の空気をよく表している。ただし、解釈が過ぎたと思われる場面もあった。

ドラマでは、一条天皇は内裏から近い職の御曹司に足しげく通うようになったが、それは違うのではないだろうか。それから1年半ほど経った長保元年(999)正月、一条はついに定子を内裏に戻している。その動機は、定子に皇子を産ませることであった。定子が職の御曹司に留め置かれたままでは「妊活」ができないので、どうしても内裏に戻したかったのである。

映画「バービー」の舞台あいさつに登壇した高畑充希さん=2023年8月2日、東京都千代田区
写真=共同通信社
映画「バービー」の舞台あいさつに登壇した高畑充希さん=2023年8月2日、東京都千代田区 - 写真=共同通信社

■友人であり姉であり母親だった

だが、いずれにしても、一条天皇が定子にこだわり続け、出家した身からもう一度、もとの立場に戻そうと必死だったことに変わりはない。なぜ、一条はこれほどまでに定子を寵愛したのだろうか。

道長の長兄、藤原道隆の長女である定子が入内したのは、正暦元年(990)正月25日のことだった。一条天皇はその20日前の正月5日に元服していたとはいえ、まだ数え11歳で、満年齢では9歳と半年にすぎなかった。つまり、いまの小学校3年生である。入内した定子は3歳年上だが、所詮は数え14歳であった。

なぜ「子供同士」が結婚したかといえば、ひとえに、一刻も早く自分の孫を天皇にし、みずからは外祖父として権力を盤石にしたい道隆の意向によるものだった。

一条天皇が定子を異常なまでに寵愛したのは、こうして幼くして結婚して以来、定子が妻であるだけでなく、友だち、姉代わり、母親代わりという役割を果たして、一条の心中を独占してきたから、という事情が考えられる。

それに加えて、もうひとつ指摘できることがある。道隆の妻、すなわち定子の母の高階貴子(たかしなのたかこ)はかなりの才媛であったと伝わるのである。

■定子に心をわしづかみにされた

山本淳子氏はこう書いている。「貴子は特に漢文に長け、『大鏡』は彼女を『まことしき文者(本物の漢詩人)』『少々の男にはまさりて(生半可な男よりは有能)』と評し、自作の漢詩文もあったとする(『大鏡』「道隆」)。彼女はいわゆる『バリバリのキャリアウーマン』だったのである」(『道長ものがたり』朝日選書)。

おそらく、道隆はそういう妻に、宮中に送り込む娘を教育させるという道を選んだのだろう。その結果、定子はどんな少女に育ったか。山本氏の言葉を続ける。「こうして、教養のみならず華やかさにおいてもお茶目さにおいても、きわめて女房に近い価値観と行動様式を持った后が誕生した。知性にあふれつつ、親しみやすく、一緒にいて楽しい。定子は自信に満ち、そのオーラは内気な少年だった一条天皇の心をわしづかみにした」(前掲書)。

一条天皇は若く、まだほかに入内する娘がいなかったから、定子への思いには拍車がかかったことだろう。

しかし、兄弟の伊周と隆家が花山法皇に矢を射かけるなどし、責任を問われた2人が流罪になったとき、定子はみずから出家する。このとき周囲の貴族たちは、定子は事実上、一条天皇と離別したものと考えた。

それを受け、長徳2年(996)7月に、大納言の藤原公季が長女の義子を、11月には右大臣の藤原顕光が次女の元子を入内させた。ところが、一条は彼女たちに関心を示さず、ひたすら定子を求め続けたのである。

■周囲が反発したワケ

一条が定子を職の御曹司に移したとき、藤原実資をはじめ宮中から大きなブーイングが起きた旨は先に述べた。というのも、周囲が戸惑ったのは、一条の天皇の行動は前例がなかったのに加え、当時の常識に照らしてまったく理解できないからであった。

木村朗子氏は「摂関政治下において、天皇の性愛は、入内した女たちの父親の地位にしたがって配分されねばならなかった。心のおもむくままにだれか寵愛することなど許されてはいなかったのである」と書く(『紫式部と男たち』文春新書)。

したがって、父親は関白にまで上り詰めたとはいえ死去し、兄弟も流罪になった定子を寵愛する自由は、本来、一条天皇にはなかった。すでに大納言や右大臣の娘が入内している以上、目を向けるべき相手がだれであるかは、明らかなはずだった。ところが、一条天皇はあくまでも自分の感情を優先し、定子を寵愛し続けた。

それは、当時の宮廷社会のルールを無視した行動だったから、貴族たちも女房たちも戸惑い、大きく反発した。それでも一条天皇はお構いなしで、先述したように、しまいには定子を職の御曹司から内裏へと呼び戻してしまった。

【図表1】藤原氏と天皇のつながり

■道長にとって大きな悩みの種

むろん、そういう一条天皇は、近い将来、長女の彰子を入内させたいとねらっていた道長にとっても、大きな悩みの種だった。実際、道長が手を打つ前に、一条が定子に皇子を産ませることになれば、皇子の外戚になる伊周や隆家ら中関白家が復活して、道長の権力基盤を揺るがすことにもなりかねない。

一条が常識外の愛情を定子に注いでいるからこそ、道長はまだ幼い彰子の入内を急ぐことになったのである。もっとも、彰子は入内した長保元年(999)には、まだ数え12歳にすぎず、すぐに懐妊する可能性はないといってよかった。

倉本一宏氏はこう書いている。「平安中期の醍醐から後朱雀までの十人の天皇のキサキのうち、初産年齢がわかる十四名について調べると、彼女たちの入内年齢は、平均して十六・四歳、最低では十二歳(彰子)という若さであるのに、初めて皇子女を出産した時の年齢は、平均すると二十一・四歳であり、最低でも十九歳に達しないと出産し得ていない」(『増補版 藤原道長の権力と欲望』文春新書)。

それでも、あえて「子供」の彰子を入内させたのは、定子にしか目を向けない一条天皇にくさびを打ち込み、プレッシャーをかけるためだった。そして、道長は前代未聞の「一帝二后」を推し進めて、彰子を定子とならぶ一条天皇の后にする。だが、それでも定子が没するまで一条天皇の心は動かなかったのである。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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