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「ススキノ首狩り娘」はいかにして誕生したのか…精神科医の父が娘の凶行を止められなかった哀しい理由

プレジデントオンライン / 2024年6月23日 9時15分

首が切断された男性の遺体が見つかった札幌市の繁華街ススキノのホテル=2023年7月8日午後 - 写真提供=共同通信社

■失敗しない子育てなんてあるのだろうか

昔から「子育ては失敗する」といわれてきた。

しかし、親になった以上、子どもが荒波逆巻く人の生を生き抜き、幸せな人生を送ってほしいと望まない親はいないのではないか。

しかし、どう子育てをしたらそんな子になってくれるのか悩む親のために、指導書が巷(ちまた)には溢(あふ)れている。成功する子育て、失敗する子育て、どうしたら心の強い子に育つのか、私はこうして子供を東大に入れた、などなど。

私はこの手の本を読んだことはなかったし、私の子どもたちに期待することもなかった。

無責任な親だったが、それでも長男は突然中国にわたり就職した後、帰国してアメリカ資本のドラマ配信会社に入り頑張っている。

長女は手堅い中堅企業で着実にキャリアを積み重ねている。次男は大学には行かず、アルバイトをしながらロック野郎としての道を歩んでいる。私にはこういう生き方はできなかった。うらやましいとさえ思っている。

3人子どもがいれば三様の生き方がある。それでいい。

だが、自分の娘が小学校低学年の時、同級生のひと言に激怒し、彼の首にカッターナイフを突きつけたとしたらどうであろう。

親を奴隷のように扱ったり、架空の恋人と虚空を見つめながら愛を語ったりするようになったら、私だったらどう対処できたのだろう。

■頭部のない全裸男性の遺体が発見される

精神に異常をきたしたのだから精神病院にでも入れろと、多くの親たちはしたり顔でいうのだろうが、娘の父親は精神科医、しかも名医だったというのである。

週刊文春(6月20日号)の「ススキノ首狩り娘(田村瑠奈・30)と精神科医父(60)のSMプレイ」は、娘の母親・浩子(61)の冒頭陳述や綿密な周辺取材で、この事件の“深層”に迫ったすぐれたルポルタージュである。文春を見ていこう。

昨年7月2日、札幌市内のラブホテルの一室で、頭部のない全裸男性の遺体が発見された。被害者は、恵庭市に住む会社員のA(当時62)だったが、ホテル内や周辺の防犯カメラは、大型のスーツケースを引き、現場を1人で立ち去る小柄な同行者の姿を捉えていた。

捜査当局は被害者と接点のある女に絞り込んで捜査を進めたが、この世にも稀(まれ)な猟奇事件は単独犯ではなかった。娘とその両親による犯行だったのである。

7月24日、北海道警は、職業不詳の田村瑠奈を殺人、死体損壊、死体領得、死体遺棄容疑で、その父親で精神科医の修はほう助容疑で逮捕した。翌25日、母親の浩子もほぼ同じ容疑で逮捕された。

■「おじさんの頭を持って帰って来た」

文春は、1年後の今年6月4日に札幌地裁で開かれた浩子の初公判での冒頭陳述をもとに、こう書いている。

娘と夫がAを殺して首を家に持って帰ってきたことを知らなかった浩子は、二階のリビングで起床して、同じ階にある洗面所に向かった。

「浴室に見慣れないプラスチックのケースが置かれていた。中には、黒いゴミ袋のようなものが入っているのも見える。勝手に触れば、瑠奈の機嫌を損ねてしまうだろう。浩子は容器の中身を確認しなかった。

数時間後、三階の部屋から起きてきた瑠奈が、さらりとこう口にする。

『おじさんの頭を持って帰って来た』」(文春)

にわかに信じられるものではなかった。その場を取り繕った浩子は、翌日、ススキノで頭部のない遺体が見つかったというニュースを目にする。娘のいったことは本当だったのだろうか?

「その数日後のこと。浩子は瑠奈に呼び出された。

『見て』

普段と変わらない自然な口調だったため、浩子は警戒心を解き、促されるまま浴室に足を踏み入れる。目に飛び込んできたのは、洗い場に置かれている、皮膚を剥がされて全体が赤くなった人間の頭部だった――」(同)

この時の心境を浩子は、弁護士にこう語ったという。

「この世の地獄がここにあると思い、深い絶望感に襲われました」

なぜこのような娘が育ったのだろうか?

■同級生の喉元にカッターナイフを突きつけ…

北海道で生まれ、北海道教育大学旭川校を卒業した浩子は、1993年3月、旭川医大卒で精神科医の修と結婚した。翌年2月、生まれたのが瑠奈であった。

一人娘だった瑠奈は、両親の愛情をたっぷり受けて育った。小さな頃の瑠奈は、友達を自宅に招いて遊ぶ普通の子どもだった。

だが、小学校2年生の頃から次第に不登校気味になっていったという。

両親はそれでも瑠奈の個性を尊重し、家庭教師をつけながら娘を見守ろうとしたそうだ。

この頃から、何事においても「瑠奈ファースト」という親子関係が形成されていったと、検察側は冒頭陳述で指摘したそうである。

だが、小学2年生の幼いわが子が不登校気味になっていれば、修のように精神科医でなくても、しばらく見守ってやろうと思うのではないだろうか。

だが、小学5年生の時、瑠奈が同級生の喉元に刃物を突きつける“事件”が起きた。

その当事者は、瑠奈の服装を「アニメのキャラみたいだな」といっただけなのに、急に筆箱からカッターナイフを持ち出してきて、馬乗りになられ、「次いったら刺すからな」といわれたという。

■「田村瑠奈は死んだ」と宣言

瑠奈の父方の祖父がこう話している。

「瑠奈は小さい時から“病気”があったんです。息子の修が言うには、癇癪の一種だと。何かあったら脳の中に蜘蛛が出てきて、悪さをして、その瞬間は、瑠奈も自分で何をやっているか分からないんだって」

事件から間もなく、修が札幌市厚別区に三階建ての自宅を購入。瑠奈には三階が与えられた。

だが、状況は好転せず、中学に入学してからは一切登校できなくなっていった。その頃から瑠奈は、人体の構造に興味を持ち始め、頭蓋骨の模型などを部屋に展示するようになったという。

修は精神科医だったが、自分の子どもを診るというのは客観的な判断ができなくなると考えたのだろうか、瑠奈が中2の頃に別の精神科医を受診させたそうだ。主治医の意見も聞きながらフリースクールに通わせていたが、そこにも通えなくなり18歳の頃には完全な引きこもり状態になってしまった。

そして自殺未遂を繰り返し、「田村瑠奈は死んだ」と宣言したという。これを弁護側は、「瑠奈の死体に五~六人の人格、魂が入り込んでいると思い込む『ゾンビ妄想』が出始めた」といっているという。

両親が瑠奈と呼ぶことを許さず、「お嬢さん」と敬語を使わせ、修を「ドライバーさん」、浩子を「彼女」と呼ぶようになった。

■父親と娘で「SMプレイ」の練習を…

やがて瑠奈には「ジェフ・ザ・キラー」なる妄想上の恋人もでき、時折虚空を眺めて「彼との会話を楽しんだ」という。

ホラー映画やSMに興味を持ち始め、ススキノの「怪談バー」へ行きたいというようになった。昨年5月28日、修の運転でススキノに足を運び、クラブ「キングムー」の閉店イベントにも出かけ、そこで女装したAと出会ったのだ。

盛り上がっているクラブのフロア
写真=iStock.com/bernardbodo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bernardbodo

だがAは、「女装はするけど、好きなのは女の子」だった。知り合ってすぐにAと瑠奈はラブホへと向かったという。

そこでトラブルが起きた。Aは短時間に何回も性行為に及んだが、最後は、避妊具をつけるという瑠奈との約束を破ってしまったのだという。

別れた後Aの仕打ちに怒り狂っていたそうだが、瑠奈は、Aが謝ったら許してあげる、次にはSMプレイをしたいと両親には話していたようだ。

だが検察側は、人体に関心があった瑠奈は遺体を解体して弄ぶことを計画し、両親もそれを容認し、協力したとみているという。

「SMの女王」になりたいという瑠奈のSMプレイの練習のため、家で修と2人で練習をしていたそうだから、異様というしかない。

娘と父親はAを探し当て、7月2日、ラブホへAと瑠奈が入って行った。

■「娘と地獄まで付き合う」という覚悟があったのか

「入室早々、全裸になったAさんを浴室に誘導した瑠奈は、SMプレイを装ってアイマスクで彼の視界を塞ぎ、両手を後ろ手にして手錠をかけた。そしてハンディカメラを用意する。

『お姉さん(Aさん)が一番、反省しなきゃいけないのは、私との約束を破ったことでしょ』

言葉と同時に、瑠奈の殺意が爆ぜる。刃渡り約八・二センチの折り畳みナイフを、Aさんの背後から右頸部に何度も突き立てた。(中略)その後、瑠奈は用意していたノコギリを使い、約十分でAさんの頭部を切断した」(文春)

先の祖父がこうもいっている。

「病気のある瑠奈を大切にしていたのは分かる。『修さ、抱え込んだってダメなんだよ』って言ってきたけど、うちの子はこういう症状が出るから、これでいいんだと。ドライバーさんとか呼ばれていたっていうのも、従属してるんじゃなくて、そうやって瑠奈に付き合ってあげていたんだろう。殺人まで起こすなんて、二人とも分かってなかったと思う」

だが、精神科医の父親と、やはり学歴のある母親が、なぜ、娘の鬼畜のような行動を止められなかったのか。娘と地獄まで付き合う。そういう覚悟があったのだろうか。

これを読みながら、私が週刊現代の編集長だった1997年5月に起きた「少年Aの事件」を思い出していた。

■小学6年生の時にAが作った異様な作品

中学校の正門の上に小学4年生の男の子の頭部を置くという残忍な犯行は、世の中に大きな衝撃を与えた。その前には小学生の女の子をハンマーで殴り殺している。

さらに不敵にも「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社に犯行声明を送りつけたのである。メディアも総力を挙げて取材合戦を繰り広げた。だが杳(よう)として犯人像を絞り込めなかった。

それから約1カ月後、私はタクシーの中で逮捕の一報を聞いてのけ反った。14歳の少年だったのである。

事件の詳細は省くが、事件から2年後に少年Aの母親(父親も書いてはいる)が手記『「少年A」この子を生んで……』(文藝春秋)を出版した。

その中にこのような記述がある。

「学校の図工の時間に、Aが赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつも刺した不気味な作品を作ったのは、小学六年生のときでした。『粘土の固まりは人間の脳です』と説明し、聞いた担任の先生がびっくりして、夜七時頃に家を訪ねてこられたのです」

「当時は(温度計を万引きした=筆者注)その理由が分からず、ただただ不思議でした。でも、その頃Aが、猫を解剖したり、温度計の水銀を集めて猫に飲ませたりしていた、と逮捕後の報道で知り、頭を何かで殴られたような気分になりました」

■田村容疑者とAの共通点は多く見つかる

「Aの中一か中二か、どちらか忘れてしまいましたが、春休みのときに、家の軒下の空気孔から、家では誰も使っていないはずの家庭用の斧が出てきました」

「中学二年の十一月には、レンタルビデオ店でホラービデオを万引きし、警察に補導されたことがありました」

「鑑定書の中で、あの子は自分の空想で作りあげた友達を語り、その姿を描いていました。

『エグリちゃん』と名付けた身長四十五センチぐらいの女の子。
その絵は気持ち悪くなるようなグロテスクなものでした。

頭から脳がはみ出て、目玉も飛び出している醜い顔で、エグリちゃんはお腹が空くと自分の腕を食べてしまうそうです。

『ガルボス』という空想上の犬(絵はない)も友達で、『僕が暴力をふるうのは「ガルボス」の凶暴さのせい』と、話していました」

「精神鑑定の結果、精神や脳には異常はない。あの子は一体、何者なんでしょうか?」

同級生の喉元に刃物を突きつける。人間の脳に見立てた粘土に剃刀を突き立てる。ホラー好き。空想の人間と対話する。田村瑠奈容疑者と少年Aの共通点は多く見つかる。

ましてや瑠奈の父親は精神科医である。このままでは娘は大変なことをしでかすと見通していたのではないか。

暗くて狭い廊下に座り込んで俯いている幼児
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

■狂気に気づいた時点で手が打てるとは限らない

しかし、娘の暴走を止めるどころか、犯行に加担してしまったのだ。母親は、自分は傍観者のように証言しているようだが、そうではあるまい。

3人だけの異常だが親密な世界をつくり、その中だけで生きていけるのなら、それでいいではないか。他人に迷惑はかけていないのだから。そう考えたのだろうか。

しかし、娘はその世界からハミ出し、自分の欲望のハケ口を外に求め始めた。その先に何があるのかをわかっていたはずだろうが、両親はその現実を直視することが怖かったのではないか。

そして娘の狂気が暴走してしまった。もはや両親にはそれを止める体力も気力も残っていなかったのだろう。

だからといって、両親の罪が軽いというわけではない。少年Aの母親も、子どもの狂気に気付いた時、何らかの手を打てたのではなかったのか。世の多くの親はそう考えるに違いない。だが、果たしてそうだろうか。

少年Aの母親は事件が起きた後もこう綴(つづ)っている。

「私の知っていたAは、親バカかもしれませんが、人に必要以上に気を遣うなど、繊細でやさしいところのある子でした。すぐ人を信じて傷つきやすく、臆病で純粋すぎる。根がバカ正直なので、学校でも先生に思ったことをそのまま言うなど、不器用で心配になる部分があるほどでした」

■「異常な人間の特殊な犯罪」で片付けていいのか

この母親は子どもの躾けに厳しく、自分の母親から「あんたは叱りすぎる」と窘(たしな)められていたというから、溺愛しすぎて盲目になっていたのではないようだ。だが、親が見ているのは子どものごく一部分でしかない。

どうしたら自分の娘や息子の本当の姿や本音を知ることができるのだろう。そう悩んでいる親たちは多いのではないだろうか。専門家と称する人たちのトリセツ的な子育て論が役に立つとは到底思えない。

この2つの事件を、異常な人間が犯した特殊な犯罪と片付けてしまっていいのだろうか。

誰もが失敗する子育てだからこそ、失敗から学ぶことは多いし役に立つことも多いはずである。

早くも少年Aの事件は世間の関心が薄れ、忘れ去られようとしている。だが、この2つの猟奇殺人事件は、「子育て」という観点から今一度、徹底的に研究、分析される必要があると、私は考える。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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