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「挨拶しない人」は確実に損している…「生産性は低いけど評価される若手」ほど明るくハキハキしている理由

プレジデントオンライン / 2024年6月28日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/seven

■「職場での挨拶」は必要か否か

6月初旬、インターネットテレビ番組「アベマプライム」の職場や学校での「挨拶」の是非について議論する回(2022年10月16日放送)の切り抜きがSNS上で拡散され、ネット上では何日にもわたって「挨拶の是非」をめぐる大論争が繰り広げられていた。

「挨拶の強制はいまどき時代遅れだ」と挨拶を重視する風潮に違和感を持つ人、「挨拶すらできない人間が社会人をやれるわけがない」と挨拶を否定的に見る声を批判する人など、じつにさまざまな意見が飛び交っていた。

たしかに、日本の会社組織では、ひと昔前ほど「挨拶」については強制的に求められるような風潮はなくなってきていることは事実だろう。労働場所を所定の位置に定めないフリーアドレスやリモートワークが当たり前に普及した今日においては、全員が顔を突き合わせて挨拶することも、もはや時代遅れの風習になりつつあるのかもしれない。

■挨拶ほどローリスク・ハイリターンなコミュニケーションはない

時代はたしかに「挨拶は必須ではない」に傾きつつあるように思われる。

だが、それでも私はあえて言いたい。挨拶は積極的にやっておいたほうがよいと。

挨拶は、ぜひやっておくべきだ。ハキハキとした声で、笑顔ならなおよい。

時代遅れだ社畜強要だとひんしゅくを買うかもしれないが、それでも伝えたい。

「笑顔でハキハキ挨拶」は、それをやるために必要な労力(の小ささ)に対して得られるリターンがあまりにも大きく、あえてやらない理由がまったくないからだ。これほどローリスクでハイリターンなコミュニケーションはない。いやローリスクどころか、なんなら“ノーリスク”と書いても言い過ぎではない。挨拶することの失敗リスクは皆無だが、それをやるだけで得られる恩恵は計り知れない。

挨拶自体はその表現も少ないパターンに定型化されているため、表現方法をいちいちゼロベースで創作する必要もなく、ひと工夫したりする余地もなく、これを表出するのに必要な認知的リソースはきわめて小さい。かなりローコストな営為である。挨拶で疲労困憊になることなどまずない。

もちろん時代の流れに沿って「挨拶をあえてしない」という選択の自由はあると思うし、そうしたければすればよいとも考えている。だがそうすることによってセーブできるリスクやコストはきわめて小さく、そのわずかな省エネを成功させる代わりに得られるはずだったリターンを逃してしまうという点を鑑みると、あまり収支のバランスが合わないスタンスであるように見える。

■「挨拶しないスタンス」は損をする

とくに気を付けておきたいのは、職場で20代くらいの新人・若手の時分に「挨拶しないスタンス」をやってしまうことだ。これは本人が想像している以上にデメリットは大きくなってしまう。

なぜなら、その人は周囲からの「給料泥棒」的なイメージが強まってしまうからだ。

当然ながら新人や若手というのは、基本的には組織内の生産性にあまり貢献できないものだ。一般企業で採用や教育にまつわる諸々のコストを差し引くと、3~5年くらい働いてもらったところで、ようやく採用したことで黒字が出る計算となる。

とはいえそれは新人や若手が悪いわけではない。組織にやってきたばかりの新参者なのだから仕方ないことで、職場の先輩や上司はその人がきちんとバリューを出せるように指導する責任がある。

オフィスで会議を開いているサラリーマン
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

■「笑顔でハキハキ挨拶」にはすごい効果がある

しかしながら、新人や若手はお金をもらいながら指導を受けている間、自分と同じ共同体に属する仲間に対して「お返し」をする術がほとんどないこともまた事実だ。「働きでその分を返す」というのは、そもそも新人や若手は生産性がマイナスなのだからもとより無理であって、そうなるとかれらにできるのはせいぜい「いい感じのムードをつくる」「元気をおすそ分けする」「自分に教えるのが楽しい気持ちにさせる」くらいしかないのだ。よって新人や若手が、周囲の先輩や上司にしてもらっていることへの、せめてもの“恩返し”の最適な方法が「笑顔でハキハキ挨拶」なのである。

「笑顔でハキハキ挨拶」の効用は思った以上にすさまじい。組織の生産性に貢献できず、仕事上でもミスが多くて、客観的には他のメンバーの足を引っ張っている人でも、だれよりも大きな声で「笑顔でハキハキ挨拶」ができるというただそれだけのことで、そうしたマイナスの側面が帳消しになっていることもめずらしくない。

しかし、「挨拶をしないスタンス」の人はそのような恩恵はまったく得られない。それも生産性(売上)で貢献できず、周囲に教育やミスのリカバリーといった追加コストを支払わせる若輩者がそうだったら目も当てられない。周囲からの評価はかなり深刻になる。それはつまるところ「自分からは一切お返しをするつもりもなく、他人の時間やリソースを盛大に奪って平然としている人」に見えてしまうからだ。

■「挨拶しない人」は“二重の意味で泥棒”とみなされる

実際のところ「笑顔でハキハキ挨拶」する人もそうしない人も、新人や若手なら客観的数字だけを見れば給料泥棒であることには変わりない。しかし周囲の人から見て、前者のことを「給料泥棒」と感じる人はかなり少ない。むしろ「これから楽しみな人」とポジティブに評価されることの方が多い。なぜなら彼は「売上以外の部分で頑張ってくれている」からである。

しかし「挨拶しない人」は、「売上以外の部分で頑張ってくれている」ような印象は持たれないし、挨拶しない人間がいるということで悪くなる職場のムードのメンテナンスコストを他のメンバーに転嫁しているという点も考慮すれば、その人は二重の意味で泥棒なのである。給料を泥棒するだけでなく“気持ちの泥棒”をする人間とも見なされる。

■挨拶は共同体への「贈り物」である

これから働く若い人から「どういう勉強をしたらいいですか?/スキルを身に付けたらいいですか?」といった相談をしばしば受ける。

私はそうした相談には「とりあえずジョギングして体力をつけ、笑顔でハキハキ挨拶できるよう、腹から声を出す練習をするといいですよ」と答えるようにしている。小手先の資格やスキルを磨くよりも、その方がずっと効用が大きいと考えているからだ。むしろハキハキ挨拶もしないうちから資格勉強をいきなりやりはじめると、輪をかけて自己中心的な人間だと思われてしまいかねない。他人のコストやリソースを取っているくせに良いご身分ですねえ、と。

職場だけでなく、学校でも趣味の集まりでもなんでもそうだが、自分が属しているコミュニティにおいて笑顔でハキハキ挨拶することは、たんなる社交辞令ではない。それは「贈り物」なのである。

笑顔でデスクワークをしているビジネスウーマン
写真=iStock.com/maruco
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

共同体というのは、当たり前だがその共同体の内部で生産されるリソースより消費されるリソースが上回ってしまえばいずれは崩壊する。それは物的リソースもそうだが、心理的リソースも同じことだ。心理的リソースつまり「共同体の雰囲気や協調性」がマイナス超過になってしまえば、その共同体はメンバーの忠誠心が維持できずに分裂したり離反を招いたりして破綻してしまうのだ。

■共同体は「見えないリソース」がなければ成り立たない

笑顔でハキハキ挨拶することは、共同体の維持には絶対に欠かせない見えないリソース(=心理的リソース)を供給する行為に相当する。そのため、本人が考えている以上に「笑顔でハキハキ挨拶する人」の周囲からの好感度が高くなる。逆に「挨拶しない主義」の人は、共同体の見えない心理的リソースをひたすら消費する人間であることを周囲に宣伝してしまっているため、嫌われるし度が過ぎればそのせいで追放されてしまうことすらある。

生産性やパフォーマンスが高いが挨拶せず刺々しい言動でチームの雰囲気を悪くしてしまう人と、生産性やパフォーマンスは劣るが陽気でハキハキ笑顔で挨拶をして周囲を和ませる人なら、私は迷うことなく後者を選ぶ。なぜなら後者の人を採った方が(チームの忠誠心や団結力にプラスの影響がもたらされるため)長い目で見れば目標達成の確率は上がるからだ。

チームワーク
写真=iStock.com/Hiraman
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hiraman

共同体は、だれかが稼いでくれるからこそみんなが飯を食える。だれかが雰囲気をよくしようと努めてくれるからこそみんなが団結できる。食べ物があるだけでは共同体は維持できない。心が通じ合い、同じ方向を向いているからこそ維持できるのだ。

カネもムードも他人に差し出させようとする態度を隠さない“お客様”的な気質の人は、共同体にとっては単なるリスクになる。「挨拶しない主義」的なスタンスを実践するのは個人の自由だが、そのスタンスは「私はフリーライダーです」と周囲にデカデカと宣伝しているに等しいことは自覚しておいても損はないだろう。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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