秀吉の中国大返しは偶然ではない…驚異の段取り力で信長が討たれるストーリーを想定し情報網を張っていた説
プレジデントオンライン / 2024年7月2日 8時15分
※本稿は、増田賢作著、小和田哲男監修『リーダーは日本史に学べ 武将に学ぶマネジメントの本質34』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
■主君の信長が討たれ、岡山から京都まで200kmの強行軍を
本能寺の変(1582年)で織田信長が死んだとき、明智光秀以外の織田家の重臣は、京都を中心とした畿内(近畿地方)から遠くにいました。
柴田勝家(1522?〜83年)は北陸の上杉家と、滝川一益(1525〜86年)は関東の北条家と、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は中国の毛利家と、それぞれに戦っていたのです。
おそらく明智光秀は自分の勢力を広げようと、このような重臣不在の隙を狙って、信長を襲ったのでしょう。
しかし、明智光秀の思うようにはいきませんでした。中国地方にいた羽柴秀吉が、とても速いスピードで畿内に戻り、明智との山崎の戦い(1582年)で勝利したからです。
どのくらい速いスピードだったのかというと、本能寺の変が発生したのが1582年6月2日。そのわずか11日後、6月13日には山崎の戦いで秀吉が明智に勝利しています。
この間、秀吉は戦っていた毛利家と和睦する必要があり、備中高松城(岡山)から移動できたのは6月4日〜6日ごろ(諸説あり)とされています。
高松城から山崎までの距離は200kmほどありますが、これほどの長距離にもかかわらず、3万人を従えて7〜9日間で移動したのです。
この中国地方からの驚異的な移動は、「中国大返し(備中大返し)」と呼ばれています。
■情報収集力と段取り力の高さで実現した「世紀の大移動」
なぜ秀吉は、中国大返しをやり遂げることができたのでしょうか。諸説あるところですが、次の2つが有力視されています。それは秀吉の「情報収集力」と「段取り力」の高さです。
情報収集力については、秀吉が本能寺の変を知ったのは、その翌日である6月3日夜から4日朝といわれます。これだけ早く情報収集できた理由も諸説あります。
秀吉の生涯を描いた『太閤記』では、明智光秀が毛利家に向けて送った密使を捕まえたことにより、秀吉が本能寺の変を知ったとしていますが、多くの疑問が持たれています。
私自身は、信長をよく知る秀吉が、信長に対する反乱はいつでも起こり得ると考え、京都の情勢が届くようにシステム化していたのではないかと考えています。一説には茶人の長谷川宗仁(1539〜1606年)の使者から情報を得たともいわれます。
いずれにせよ、早期に情報収集できた秀吉は、ほかの重臣たちよりも早く移動することができたのです。
■信長が中国地方に向かうために作った中継拠点を活用したか
段取り力については、3万人もの兵が武具や武器とともに大移動するとなると、軍需品や食料の補給と兵站(へいたん)(ロジスティクス)を担う後方支援が必要となります。
最近の研究では、織田信長が中国地方に向かうための中継拠点「御座所(ござしょ)」を設けていたのですが、これを秀吉は中国大返しで活用したのではないかといわれています。
御座所は食料を大量に備蓄し、大人数が宿泊できる拠点であったと考えられ、秀吉は畿内に向かう際にこれを活用した可能性があります。
とはいえ、事前の綿密な段取りがないと、3万人もの大所帯では有効に御座所を活用できないはず。実際、武具や武器などの物資について、陸路とは別に海路で運んだという説もあります。
諸説あるものの、さまざまな段取りをしたことは間違いありません
■中国大返しの成功体験を活かした翌年の「美濃大返し」
私は秀吉の中国大返しが成功した要因は、情報収集力と段取り力によるところが大きいと考えますが、その後も秀吉は再びスピード感のある大移動を実現しています。
それは、山崎の戦いの翌年に行われた、柴田勝家との賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い(1583年)でのことです。
この戦いでは、近江(滋賀)で勝家と秀吉の両軍がにらみ合いを続けていましたが、秀吉は勝家に味方していた織田信孝(信長の三男・1558〜83年)を討つため、一時的に美濃大垣(岐阜)に移動したのです。
このとき勝家軍の一部が、にらみ合いの状況から秀吉不在の秀吉軍に襲いかかりました。にらみ合いから一方が動き出すのは、動いたほうの陣形が崩れるため危険なのですが、一時的に美濃大垣に移動した秀吉は、しばらく戻ってこないと考えたのでしょう。
これが1583年4月19日でしたが、翌20日には、秀吉が移動先の美濃大垣で、残った秀吉軍に勝家軍の一部が襲いかかったという情報をキャッチします。
襲われて討ち死にした武将を哀悼しつつも、ここで戻れば勝家軍に勝てると秀吉は確信したといわれます。
そこから美濃大垣から戦地の近江まで戻る「美濃大返し」が始まりました。
■柴田勝家を討つため、大軍を時速10kmで動かしたとされる
この大返しは1万5000人の軍勢が52kmの距離をおよそ5時間で移動したといわれます(諸説あり)。道中の村々には秀吉軍から使者を送り、食料と松明(たいまつ)を用意するように命じたのです。
こうした段取りのよさで、秀吉軍は5時間で近江の戦場に戻ることができました。
想定以上の速さで戻ってきたことに勝家軍は驚き、退却を始めましたが、陣形が崩れていたこともあり、秀吉軍の攻撃の前にあっけなく敗れ去りました。
柴田勝家は居城の北庄(きたのしょう)城(福井市)まで戻りますが、秀吉軍にとり囲まれ、自刃を余儀なくされました。
これで秀吉は、織田信長の後継者の地位を確かなものにしたのです。
この美濃大返しでも、早期に勝家軍の侵攻を把握した情報収集力と、近江までの移動を円滑に行った段取り力を発揮しました。中国大返しでの成功を活かしたともいえます。
歴史にご法度の「もしも」の話ですが、中国大返しと美濃大返しがなかったら、その後の歴史はかわっていたかもしれません。
もし中国大返しがなければ、明智光秀は織田家重臣不在の間隙(かんげき)を縫(ぬ)って畿内周辺を支配し、織田家の重臣たちとの戦いに備えたでしょう。その後、明智が天下統一できたかどうかは未知数ですが、混乱が長引いた可能性は高いです。
一方、もし美濃大返しがなければ、勝家軍は秀吉不在の秀吉軍を壊滅させ、秀吉が戻ってきたとしても逆転勝利はできなかったかもしれません。そうすると秀吉による天下統一は、なかったでしょう。
いずれもスピード感ある行動が、豊臣秀吉の天下統一につながっていったのです。
■長時間労働が許されない現代で急ぎの仕事の武器になること
私が社会人になった25年ほど前は、スピード感が求められる仕事については、残業しながら長時間働くことで、なんとかやり遂げていました。
過労死問題がとり沙汰され「働き方改革」が進んだいまとなっては、けっして褒められることではありませんが、終電を逃して何度も徹夜したことがあります。それが特段おかしなことでもない空気もありましたし、むしろ勤勉さを示す武勇伝的な側面さえあったかもしれません。
しかし、もはや法律に背くような長時間労働は、厳しく制限されるのが常識になっています。2018年に公布された「働き方改革関連法」では、残業時間の上限は原則として月45時間(年360時間)と定められています。
■働き方改革は進めるべきだが、どうやってスピードを速くするか
長時間労働からの脱却は、心身の健康を保つためにも、家族との時間を確保する健全なワーク・ライフ・バランスのためにも必須の条件です。この流れ自体は、とてもよいことだと思います。
一方で、スピード感が求められる仕事を長時間働くことでカバーすることが難しくなっている面もあります。スピード感をもって仕事を進めていくため、現代のリーダーこそ豊臣秀吉のような「情報収集力」と「段取り力」が必要になります。
そこで、この2つの力を現代に活かすポイントを掘り下げてみたいと思います。
情報収集力については、日ごろからさまざまな情報に興味をもち、インプットすることが大前提です。情報の「質」も大事ではありますが、情報の「量」が絶対的に少なければ、情報が偏ってしまいますし、幅が広がりません。
取得した情報が即、仕事に結びつくこともあれば、たいして役立たないこともあります。
むしろ、ほとんどが関係のない情報として処理されてしまいます。
そのため、ある程度情報量を追えるようになったら、次は「こういう情報を取得したら、仕事でこのように活用したい」というストーリーを組み立てておくことをおすすめします。
これによって目的に沿った情報へのアンテナが立ち、より効率的に確度の高いニュースをキャッチできるようになります。
■情報を集めマーケットの今後のストーリーを予想する
秀吉も事前に、「もし信長への反乱や勝家の攻撃があったら……」とストーリーを組み立ててアンテナを立てておいたからこそ、素早く必要な情報をキャッチできたのです。
ビジネスの現場では、新規開拓がテーマにあがることがよくあります。
この場合でも「このような新規客を獲得して売り上げアップにつなげたい」というストーリーを組み立てておくと、そのストーリーにかなった営業戦略に動きやすくなります。
私のクライアントである地方の年商100億円規模の商社では、今後の食品加工業の成長を見据えて、「食品加工業の会社を新規客として開拓していく」という方針を決めたことで、食品加工業に集中して情報を集め、効率的に営業展開するようになりました。
このように事前にストーリーを構築することが、素早い情報取得につながるのです。
■リーダーは部下の強みが活かせるように仕事を割り振る
次に、段取り力についてです。
勝つためのストーリーを組み立て、情報を取得できたとしても、それを実現するためには、いろいろとやるべきことがあります。
先ほどの新規開拓の例では、担当者の抜てきや訪問先のリストアップとアポイントメント、訪問時の説明資料の準備など、会社によっては商談のシミュレーションをするロールプレイング(役割演技)研修を実施して、実践的なスキルを磨くケースもあります。
これらも段取りして進めないと、「新規開拓に注力したけど、1年たっても成果が得られない」ということにもなりかねません。
■タスクやスケジュールを一覧表にして「段取り力」を磨く
具体的な段取りとしては、「やるべきタスク(仕事)」「担当者」「スケジュール」を明確にした一覧表を作成します。担当者の割り振りは、部下の強みを考慮しながら決めます。
秀吉も、戦闘には加藤清正や福島正則などの武功派をあてる一方、事務や物流などの裏方には石田三成などの実務派をあてました。
“人たらし”ともいわれる秀吉は、それぞれの家臣の強みを把握し、仕事を任せ、活躍できるようにすることで、家臣たちのプライドがくすぐられるようにしていたのです。
一覧表を作成したうえで、会議や日ごろのコミュニケーションを通して具体的なタスクを指示(依頼)したり、進捗を確認したりすることになります。
基本的には会議を通じての確認でもよいですが、会議では把握できない担当者の本音やちょっとした悩みがあったりするものです。
何気ない日ごろのコミュニケーションのなかで、「仕事はうまく進んでいる?」といったやりとりが意外と問題解決に直結しやすく、部下の仕事が進みやすくなります。
労働時間が短くなっている昨今でも、豊臣秀吉のようにスピード感をもって成果を実現するためには、「効率的で確度の高い情報収集力を磨く」「迅速・確実に進めるための段取り力を磨く」ことが、これまで以上に求められてきます。
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経営コンサルタント
小宮コンサルタンツ コンサルティング事業部長・エグゼクティブコンサルタント。1974年、広島市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、生命保険会社、大手コンサルティング会社、起業を経て、現在に至る。中学・高校で司馬遼太郎の著作を読破し、日本史・中国史・欧州史・米国史と歴史書も読みあさる。現在は経営コンサルタントとして100社以上の経営者・経営幹部と向き合い、歴史の知識を活かしたアドバイスもしている。
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(経営コンサルタント 増田 賢作)
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