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「母親に殺される赤ちゃん」を救いたい…熊本市の慈恵病院が日本で唯一の「赤ちゃんポスト」を運営する理由

プレジデントオンライン / 2024年6月29日 17時15分

「こうのとりのゆりかご」を運営する慈恵病院の蓮田健院長 - 筆者撮影

親が育てられない乳幼児を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト」が、日本にひとつだけある。熊本市の慈恵病院が設置した「こうのとりのゆりかご」だ。この運営をめぐり、病院と専門家らが真っ向から対立する事態になっている。一体、何が問題となっているのか。ノンフィクションライターの三宅玲子さんが取材した――。(第4回)

■赤ちゃんポストに預けるには匿名? 実名?

2007年5月、熊本市に「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト、以下ゆりかご)が誕生してから17年がたった。望まない妊娠をし、親や周囲に相談できない、の反対や経済的問題で自分では育てられない、といった事情を持つ人が身元を明かさずに赤ちゃんを預けることができるとされる。これまで預けられた子どもは179人に上る。

このゆりかごを運営する医師の蓮田健氏(熊本市・医療法人聖粒会慈恵病院院長)がいま、猛反発している。ゆりかごの運用について3年ごとに検証している熊本市の専門部会が6月5日、報告書を公表し、「匿名での受け入れは容認できない」「社会調査を徹底するべき」と指摘したからだ。

熊本市「『こうのとりのゆりかご』第6期検証報告」本編P59より
熊本市「『こうのとりのゆりかご』第6期検証報告」本編P59より

報告書公表から2週間後の6月19日、蓮田氏は公開質問状を検証部会と大西一史熊本市長宛に別々に提出した。

■病院は熊本市とたびたび対立してきた

先に背景をおさらいしておこう。慈恵病院では、2000年代に相次いで起こった嬰児遺棄事件を問題視。ドイツの赤ちゃんポストである「ベビークラッペ」を参考に、2006年、ゆりかごの運営のための病院改築許可を熊本市に求めた。

しかし、前例のない事態に熊本市は対応に苦慮した。国側は、伝統的家族観に反するとして、安倍晋三首相(当時)をはじめ、政権幹部が相次いで不快感を表明した。最終的には、厚労省と法務省は「違法性はない」と消極的に容認し、幸山政史市長(当時)が許可に踏み切ったという経緯がある。

その後も、預け入れた親の身元を探すために社会調査を実施する熊本市の児童相談所と、匿名性を譲らない病院との間で対立が続いてきた。そんな中、同院では母子の生命の安全と出自を知る権利を担保するため、病院の担当者にのみ身元を明かす「内密出産」の受け入れを始めた。2年半の運用で、29人に上る(うち、出産後に内密を撤回した人は12人)。

なぜ慈恵病院は「匿名」にこだわるのか。公開質問状を提出した直後の蓮田氏に、熊本市西区の慈恵病院で話を聞いた。

■「何をやっても揚げ足をとられる状態」

――質問状と書かれていますが、実際は抗議文です。

この検証報告書には問題があります。なぜなら、検証部会のメンバーは交代したのに、前任の検証部会長がとりまとめた第5回と、新しい部会長がとりまとめた第6回は、ほとんど同じ内容です。

前任の山縣文治部会長(関西大学教授)をはじめ、医師や弁護士など5人の先生方の検証部会とは対立していました。当時の部会は赤ちゃんの出自を知る権利が担保されないからゆりかごはダメだと言い、内密出産を検討するよう国に提言する、との立場でした。

そこで、2016年に私たちが内密出産に取り組む意思を表明すると、今度は法律がないのに許されないと言い出しました。何をやっても揚げ足をとられる状態でした。

しかし、2021年秋にメンバーが一新し、座長は安部計彦先生(当時西南学院大学教授、2024年現在、児童相談所検証機構代表理事)に引き継がれました。安部先生は山縣先生とはゆりかごに対して異なる立場であると明らかにされていたのです。

■「出自」より「命」のほうが上回る

――どのように異なるのですか?

今でも覚えています。座長に就任されて最初に開かれた部会で安部先生はこうおっしゃったのです。「検証部会の役割は、赤ちゃんが安全に預け入れられたかどうかの確認である」と。ところが、今年6月に提出された第6回報告書では、第5回報告書と同じく「預け入れた女性の匿名性は容認できない」と書かれています。これには矛盾を感じます。

以前の検証部会は「命」より「出自」という立場でした。出自がわからない状態で赤ちゃんを受け入れるのは認められないとする考えです。安部先生はそうではないとはっきりおっしゃったのに、なぜ過去の検証報告書を踏襲する内容になるのか。

母親の手を握る赤ちゃん
写真=iStock.com/west
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

――ゆりかごが始まって初めての検証報告書は、熊本県が設置して熊本市と共同で運営した検証会議が作成しています。2010年に熊本市が児童相談所を開設し、ゆりかごの専門部会は熊本市に移管しました。第2回以降、第6回まで検証報告書の中身にあまり変化がありません。今回、特に強く反発したのはなぜですか。

先代の蓮田太二理事長(※2007年にこうのとりのゆりかごの運用を始めた)は「言いたいことがある人には言わせておいたらいい」という考えでした。私たちも都度、訂正を求めるべきだったかもしれませんが、放置してしまっていた。そのことには反省があります。

一方で、実は私たちも「命」のほうが「出自」を上回るという考えを言い切れる自信がありませんでした。ですが、今でははっきりと「出自より命だ」と言い切ることができます。

■社会から孤立し、わが子を棄てる母親

――根拠を教えてください。

私たちはこの3年、嬰児遺棄事件の裁判支援に関わってきました。鹿児島、札幌、岩手、東京、埼玉、愛媛など10件に上ります。膨大な裁判記録を読み込み、弁護士と議論をし、意見書を提出し、証人尋問に臨んだ経験からわかったことは、被告となった女性たちの社会からの孤立でした。妊娠の事実を誰にも相談できず、孤立出産し、死産した赤ちゃんを遺棄した、あるいは、生産だったけれどとっさに殺害してしまった人たちです。

また、当院が2021年12月から受け入れを始めた内密出産の女性たちは、産前から当院に入院し、産後も長い人では1カ月近く滞在します。彼女たちの生育環境や妊娠に至った経緯、発達の特性などを一定程度把握することができました。

遺棄事件の被告となった女性たちと内密出産の女性たちは、判で押したように、母親との愛着関係に問題がありました。そして、自分の置かれた状況を言語化して説明することが苦手な人たちでした。

■匿名で預けられるから救える命がある

――そのことと「匿名性」の関係は。

「こうのとりのゆりかご」は匿名性を担保しているからこそ預け入れる人たちがいます。もし匿名性が守られなかったなら、預け入れを躊躇する人たちは必ず出てきます。そうなると、殺害・遺棄の可能性は高まります。

つい最近、預け入れにこられた女性が、匿名性は容認できないという報道を見て、預け入れをためらうというケースがありました。ただでさえ大変な思いをして熊本まで預け入れにきている女性が、「匿名性は容認できない」という報道により、育てられない事実と預け入れへの罪悪感の間に立たされて苦しんでいる。こういう事実もあることを知っていただきたい。

――三重県津市で起きた4歳児虐待死事件についても検証報告書は触れています。

2023年5月に津市で4歳の女児が母親からの虐待で亡くなりました(※)。6月に母親が逮捕され、報道で母親の名前を見た職員が気づいて記録を確認したところ、2019年2月に生後1週間で預け入れていたことがわかりました。当院がこの事実を公表したことについて、検証報告書は「プライバシーの侵害」と指摘しています。しかし、これはおかしい。

※連載第1回「1日に話しかけるのは5回だけ…娘3人を育てるシングルマザーは、なぜ三女にだけ虐待を繰り返したのか」参照

■「自分で育てる」と決めても悲劇は起きる

そもそも、事件被疑者に関して警察が公表した事実は全て報道されています。本件でもゆりかごへの預け入れはいずれ裁判で明らかになったでしょう。それを私たちが女性の逮捕直後に公表したのは2つの理由からです。

女性がゆりかごに預け入れるまでに孤立していたことを先んじて伝えることで、裁判時の情状酌量につなげるため。そして、ゆりかごに預け入れたあとに自分で育てる選択をした人たちにも、このような虐待死に至らしめる可能性がある、それほどにゆりかごに預け入れた女性たちは養育困難下にあることを周知するためです。

インタビューを受ける蓮田院長
筆者撮影
インタビューを受ける蓮田院長 - 筆者撮影

――この女性には上にも2人のお子さんがいます。お子さんたちのプライバシーを侵害するという意見があります。

考えてみてください。すでに女性は殺人を犯した人として社会に知れ渡っているんですよ。殺人者となってしまった母親が、ゆりかごに預け入れるほどに周囲から孤立していたことを知らせることは、お子さんたちにとっても重要な情報です。

■「子どもたちの今」は分からないまま

――熊本市こども局長と三重県の子ども福祉・虐待対策課長の両者が、慈恵病院の公表に不快感を示しました。

それは、ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんが、親に引き取られたあとに虐待死した事実が明らかになることが、彼らにとって不都合だからです。ゆりかごに預け入れた女性が自分で育てることになったケースは32例あります。特に熊本市に対しては、32人のお子さんと女性が安心な環境で生活できているか、追跡調査をしてほしいと私は再三提案をしてきましたが、無視されてきました。

過去にはゆりかごに預け入れたあとに引き取った母親が赤ちゃんとともに心中した事件が起きましたが、これについて熊本市は触れようとしません。自分たちが、追跡調査をしなかった責任を問われることを恐れているのではないでしょうか。

ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんが親のもとで育つことになったというと、大抵の人は「よかったね」といいます。私たちも以前はそうでした。

しかし、2020年から取り組んでいる内密出産でも、出産後に内密を撤回して自分で育てる選択をした人たちは、その多くが周囲の支援が全く足りておらず、非常に苦しんでいます。ゆりかごや内密出産を選択した人たちが自分で育てることになっても、その後、行政は支援できていないのです。

■実名化は母親にとってプレッシャーになる

専門部会長の安部計彦先生からは教えられたことがあります。昨年、私たちが実母さんを説得し、個人情報を病院に預けていただくことができたケースがありました。それを専門部会で報告した際、安部先生から逆に「預け入れる際に実名を残さなくてはならないというのは母親にとってプレッシャーになる懸念がある」と指摘をいただきました。

私たちとしては、出自情報を預かることで、赤ちゃんが将来出自を知りたいと思ったときの助けになると考えたのですが、安部先生のご発言に、ゆりかごの原点に立ち返る思いがして感銘を受けました。ですので、今回の検証報告書には違和感を持ちました。

――違和感とは。

検証報告書といっても、熊本市の意向が強く反映されているのではないかと思いました。これを安部先生が認めて出されているのであれば、過去のご発言はなんだったのかという思いがします。

もし、これを熊本市が作成しているとすれば、専門部会の独立性に疑問が生じます。専門部会の役割な何なのかという話になるのではないでしょうか。

■病院が母親の個人情報を保管すべきか

――前述のケースについて、検証報告書では個人情報を慈恵病院が保管するべきではない、という指摘がありました。

一民間病院が個人情報を保管し続けることについては私も賛成ではありません。ただ、現時点では、当事者が知られたくないと言っている個人情報を熊本市に提供すれば、公務員は法令に基づいて行動しなくてはならないため、児童相談所は児童福祉法27条に従って社会調査(※)をしなくてはならない立場だとされています。

※子どもや保護者などの置かれた環境、問題と環境の関連、社会資源の活用の可能性を明らかにし、どのような援助が必要かを判断するための調査

もし、世論が「社会調査をするべき」となった場合には、病院が提出した個人情報を基にした社会調査はしないという確約をもらわなくてはなりません。でも、熊本市のこれまでの姿勢を見る限り、それは不可能です。

■すでに匿名性は守られていないという現実

――ゆりかごの運用が始まって17年経ってもなお、「出自」か「命」かを巡って専門部会と対立している状況をどう思いますか。

この検証報告書は、熊本という田舎で起きているこじんまりとした見解という程度の存在だったかもしれません。でも、全国を見回せば、私たちの活動を知って、孤立出産をめぐる状況に胸を痛め、理解してくださる方は増えています。

赤ちゃんのベッド
写真=iStock.com/Moha El-Jaw
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Moha El-Jaw

ゆりかごは育てられない事情のある女性が匿名で赤ちゃんを預け入れることのできる仕組みだ、というふうに社会の人たちは理解していたでしょう。ところが、この検証報告書は「社会調査を徹底せよ」と書いていますし、現実には預け入れられた179人のうち、135人について身元が判明しています。

しかし、ゆりかごに預け入れたあとに児童相談所が追跡調査をして母親を特定する行為(=社会調査)が行われていることを多くの方々はご存じない。ゆりかごに預け入れるほどに追い詰められた女性の身元を追跡する行為は、公権力による人権侵害ではないのでしょうか。ぜひ、社会で議論していただきたい。

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三宅 玲子(みやけ・れいこ)
ノンフィクションライター
熊本県生まれ。「ひとと世の中」をテーマに取材。2024年3月、北海道から九州まで11の独立書店の物語『本屋のない人生なんて』(光文社)を出版。他に『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文芸春秋)。

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(ノンフィクションライター 三宅 玲子)

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