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「笹の葉はサラサラ」と感じるのは日本人だけ…子どもに英語を早期教育するのが「もったいない」理由

プレジデントオンライン / 2024年7月4日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/taka4332

外国語の早期教育は必要なのか。脳科学者の黒川伊保子さんは「日本語を母語として育つと、母音と自然音を左脳で聴くようになり、特有の感性が磨かれる。3歳くらいまでに外国語教育を始めればネイティブのようにしゃべれるようになるが、同時にこの感性が弱まる可能性が高い」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、黒川伊保子『孫のトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

■日本語の使い手は自然音を聞き分けられる

よく質問される「早期の外国語教育」について、私の見解を述べておこうと思う。

結論から言えば、私自身はあまり積極的じゃない。その子の(その親の)生きる戦略にもよるけど、せっかく特別な感性を拓く日本語の使い手として生まれて、英語のような汎用言語で、脳の感性領域をまぜっ返すのはもったいなくない?

日本語は、母音を主体に音声認識する言語である。母音は複雑な波形のアナログ音で、自然界の音(笹の葉のこすれる音、小川が流れる音、風の音、虫の音……)とよく似た音声波形を持つ。このため、日本語で育つと、自然音を微細に聞き分ける能力が高い。

具体的に言うと、日本語の使い手は、自然界の音を左脳(知覚した音に情緒的な意味を付す場所)で聴くのである。

■ひぐらしはカナカナ、笹の葉はサラサラ

ひぐらしのカナカナという鳴き声を聞いて寂寥感を覚えるのも、笹の葉のサラサラいう音を聞いて清涼感を覚えるのも、日本語の使い手に強く働く感性なのだ。このことは、角田忠信先生の『日本語人の脳』(言叢社)に詳しい。

一方、英語は子音を主体に音声認識する言語で、英語を母語とする人は、母音にほぼ左脳が反応しない。自然界の音にも同様で、日本語人のように、左脳に神経信号が流れない傾向にあるのだという。

ちなみに、ここで言う「日本語人」とは、日本語を母語として育った人たちのこと。遺伝子や国籍に関係なく、日本語を母語として育つと、母音と自然音を左脳で聴くようになるため、厳密には「日本人」ではない。日本人に生まれても、日本語が半端なら、この限りではない。

■特有の感性を捨てて、汎用言語を取る?

脳の母音に対する感性は、3歳くらいまでに絞り込まれていく。このため、それより以前に外国語教育を始めれば、ネイティブのようにしゃべるのが簡単なのだ。と同時に、日本語人特有の感性が弱まる可能性が高い。というわけでまぁ、どっちを取るかって、話である。

日本人特有の感性を、私はけっこう重要視している。数学や物理学の領域では多くの日本人が業績を残しているし、漫画やアニメやゲームなどのエンターテインメントの分野でも世界をけん引している。

私たち祖父母世代が若者だった時代は、グローバルということばが世界を席巻し、マジョリティ(多数派)が世界の勝者だった。だから、マジョリティ言語=英語をマスターして、「世界の一般人」を目指す必要があったのである。

今や、汎用の答えはネットやAIが即座に教えてくれる時代、人々が欲しがっているのは汎用の答えなんかじゃなく、「そこにしかない個性」である。そんな時代に、汎用言語の使い手になる?

■日本語人の家庭で日本語を習得できる幸運

なお、海外で育つ、あるいは家族の中に複数の母語の使い手がいるなど、日常に「感情とともに話される言語」がハイブリッドで飛び交っている場合は、「日本語をしゃべるときは日本語が拓く感性、他言語をしゃべるときはその言語が拓く感性を使う」というハイブリッド脳になる可能性もある。

ただ、現実には(そういうご家庭の様子をお聞きしてみると)、子どもたちの脳は主たる言語を決めるようだ。気持ちを表現するのに優先して使う言語が生じて、その感性を伸ばしていくようである。

脳は、結局、自分に合った言語を母語として選び取る。両親の母語と、育つ社会の母語が一致していれば、自然にそれ。母語ハイブリッドな環境で育った脳は、その脳らしいチョイスをして、個性を発揮する。

私は何も、単一言語でないといけないなんて言ってない。日本語人の家庭に生まれ、日本語の使い手として育っているのなら、その幸運を生かさない手はないのでは? と言ってるだけ。

■なぜ大谷翔平選手は日本語を使い続けるのか

大谷翔平選手は、アメリカにおける公式な挨拶も、美しい日本語で行っている。つい先日、ロスアンゼルス市が5月17日を「大谷翔平の日」に制定したセレモニーの会場でもそうだった。

試合後、取材に応じるドジャース・大谷
写真=共同通信社
試合後、取材に応じるドジャース・大谷=(2024年5月20日、ロサンゼルス) - 写真=共同通信社

彼が、自身の脳にフィットした母語を誇らしく使う姿を見るたびに私は胸が熱くなる。そして、このことが、彼のずば抜けた運動センスに関与していることを思わざるを得ない。ことばの発音には、身体制御の中枢司令塔・小脳を使うからだ。

運動選手が外国語を使うか使わないかは、その効用による。たとえば、サッカー選手がポルトガル語をマスターしたことによって、ポルトガル語が拓く感性を手に入れることになるかもしれない。サッカーの強豪国ブラジルの言語だから、サッカーのセンスに寄与する可能性はもちろんある。ただし、一方で日本語が拓く感性領域を少し休ませることになる。

脳がとっさに流せる神経信号の数は僅少なので、誰もが全方位に鋭敏になることはできないのである。脳にはどうしたって指向性があり、そのチューニングに関しては、戦略が必要だ。大谷翔平選手のように、最高峰の運動センスを誇る脳は、母語にこだわるべきだ。一方、発展途上の選手が、強豪国のことばをマスターするのはあり。

■早期の強制的な外国語教育には賛成できない

ただし、多くの人が、母語に特化したセンスを究めたほうが有利なのは否めない。母語は、母の胎内で10カ月近くも、母親の横隔膜の動きや音響振動、母親の感情変化に伴うバイタル情報と共に脳に入れてきた魂の言語なんだもの。

だから私は、早期の、半ば強制的な(母語を無邪気にしゃべれない時間が何時間にもわたるような)外国語教育に賛成できないのである。ただし、ときどき通うだけの、楽しく遊ぶタイプの幼児教室などはその限りではない。

とはいえ、子どもを汎用言語の流暢な使い手にしたいという親の強い希望があれば、それはそれ。脳の感性のチューニングは、そもそも親の影響で施されるもの。日常の些細な言動の一つ一つが、子どもの脳の指向性を作っているので、親の生き方に任せるしかない。祖父母には、なんともしがたい聖域なのである。

■外国語は大人になってからもマスターできる

というわけで、「早期の外国語教育をどう思いますか?」と聞かれれば、私はこう答えている。

「母親がしたいのならすればいい。何をしても、しなくても、脳には得るものと失うものがある。その子を10カ月おなかに入れていた母親がしたいと思い、すべきと直感するなら、それがその子に必要なチューニングなのでしょう。――ただ、少しでも迷いがあれば、勧めない。ママ友に『ゼロ歳からの英語教育はマスト。小学校で授業についていけなくて泣くよ』なんて脅されて、しぶしぶ通うのなら、美しい日本語を使う機会を増やすべき。母親の直感に従って」

外国語は必要なら、大人になってからだってマスターできる。コミュニケーションのツールなら、ネイティブのような発音じゃなくたっていいわけだし。超一流になっちゃえば、大谷翔平選手のように、美しい日本語を堂々としゃべって、なおかつ尊敬されるわけだし。

■情報には「出逢うべきとき」がある

その他の早期教育も、親たちの気持ちで決めればいい。

ただ、一つだけ、親たちに教えてあげてほしいことがある。脳は、情報と、出逢うべきときに出逢うことが一番なのだということ。

与えたい情報を、子どもの周辺に用意するのは素晴らしいことだけど、強制しないで、子どもの脳が自然に出逢うのを待ってあげてほしい。その「何か」と目が合って、子ども自身が触れたいと願って手を伸ばすとき、脳は最大限の感性情報を獲得する。

足元に散らばった文字や数字、おもちゃで遊ぶ幼児
写真=iStock.com/dvulikaia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dvulikaia

1990年代、様々な手遊びのアイテムが集合した、プレイセンターなどと呼ばれる知育玩具が流行った。1枚のプレートに、ダイヤル、押しボタン、レバー、コンセント、ワイヤーに球を通したものなどが収まっていて、あらゆる手の動きをこのプレートで体験できる。

布製のそれもあって、リボンをほどいたり、ボタンをボタンホールに通したりして遊ぶものもあった。手の制御は、脳を統合的に使う、とても知的な行為なので、「知育玩具」の名に恥じない、いいおもちゃだと思う。この手のおもちゃは、今もある。

■子どもの脳のペースで遊ばせることが重要

ただ、私の母が、彼女の孫(私の息子)の手をとって、「ほらほら、見てみて。こうするのよ、ほら」と指導しようとするので、「お母さん、それ、使い方間違ってる。お母さん自身が楽しそうに遊んで見せるだけでいい。彼が興味を示して、近寄ってくるのを待って。もしも彼が興味を示さないのだとしたら、彼の脳の準備が整ってないので、また明日以降、遊んでみて」とお願いした。

たとえば、ボタンがボタンホールをすり抜ける場面は、初めて出逢う赤ちゃんの脳にとっては、まるで魔法。めくるめくスペクタクルである。ただ、脳の三次元認知の能力がある程度整っていないと、これを認知して感動することはできない。

黒川伊保子『孫のトリセツ』(扶桑社新書)
黒川伊保子『孫のトリセツ』(扶桑社新書)

願わくば、ごく自然に、赤ちゃんの脳の準備が整ったころに「抱っこしてくれた大人のカーディガンのボタンに指が引っかかって、そのシーンを目撃し、脳が興奮した」なんていう出逢いをしてくれると最高なんだけど、なかなかそんなわけにはいかないし、その後、同様のシーンを繰り返し体験することで、脳の刷り込みを強めることも、偶発的な事象では難しい。というわけで、知育玩具の登場になるわけ。

ただ、脳の準備が整っていないうちに、ボタンの出し入れをしつこく強制されたら、準備が整って出逢うべき瞬間が来たとき、赤ちゃんの脳が、その風景に飽きている可能性がある。好奇心が働かなくては、その感性情報を深く脳にしまうことがかなわない。せっかくの出逢いを無駄にしてしまうかもしれない。赤ちゃんの横で、大人がさりげなく遊ぶ……くらいの誘導が理想的だと思う。

子どもの感性を伸ばすのが目的なら、子どもの脳のペースで。子どもは、ちょっと暇なくらいがいい。脳は足りないことより、過剰なことのほうが仇(あだ)になるから。

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黒川 伊保子(くろかわ・いほこ)
脳科学・AI研究者
1959年、長野県生まれ。人工知能研究者、脳科学コメンテイター、感性アナリスト、随筆家。奈良女子大学理学部物理学科卒業。コンピュータメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばの研究を始める。1991年に全国の原子力発電所で稼働した、“世界初”と言われた日本語対話型コンピュータを開発。また、AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した感性分析の第一人者。近著に『共感障害』(新潮社)、『人間のトリセツ~人工知能への手紙』(ちくま新書)、『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(講談社)など多数。

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(脳科学・AI研究者 黒川 伊保子)

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