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「高学歴な人ほど人生は幸せ」はウソである…日本人が誤解している「最終学歴」の不都合な真実

プレジデントオンライン / 2024年7月2日 10時15分

出所=『100年学習時代 はじめての「学習学」的生き方入門』

日本では就職や職場での処遇の際に学歴が重視される。京都芸術大学客員教授の本間正人さんは「人生100年時代なのに、22歳までに受けてきた教育だけが過剰に注目されている。最終学歴には『要領のよさ』がかなり影響していて、資格・学位に見合った実力が備わっているかは大いに疑問だ」という――。

※本稿は、本間正人『100年学習時代 はじめての「学習学」的生き方入門』(BOW BOOKS)の一部を再編集したものです。

■一生の中で学校教育の時間は…

さて、図表1を見てください。これは人生の中で学校教育の占める範囲を表した図です。

横軸が年齢、左端が生まれたばかりの0歳、そこから20歳、40歳、60歳、80歳、100歳以上となっています。

縦軸は時刻を表します。一番上が真夜中の0時、中央がお昼の12時、一番下が真夜中の24時です。長方形に囲んだ部分が一人の人生を表します。

小学校1年生は6歳の8時半から始まって15時くらいまで。12歳までが小学校、15歳までが中学、18歳までが高校、その後、短期大学、4年制大学、大学院などに進む人もいます。

■なぜ「最終学歴」だけが注目されるのか

しかし、長い人生の中を見通してみると、学校教育の「箱」というのは、意外と小さく感じられないでしょうか?

しかも、土曜日、日曜日、国民の祝日、さらに、夏休み、冬休み、春休みがありますから、この箱の中には、かなりの隙間が空いています。学校暦は、一年を52週でなく、35週で計算するのです。

ここに引かれた縦の線が、ある人の「最終学歴」と呼ばれます。

厳密に言えば、教育基本法の第1条に定められた学校種を卒業、あるいは修了した場合に、学歴を獲得できるのです。就職しようと思えば、履歴書の所定欄に記入することになっていますし、人物紹介の「プロフィール」にも、記載するのが一般的です。

全体の中のごく一部である22歳までに受けてきた教育だけが、過剰に注目されてきているとは感じませんか?

■22歳で「学び終わり」は早すぎる

もちろん、最終学歴も極めて重要です。

文部科学省の学習指導要領に定められた所定の課程を経て、身につけるべき知識、技能を修得したということの証明となります。

現場の先生方は、やはり学習指導要領の枠内で、日々、精一杯の創意工夫を積み重ね、充実した授業を行おうと奮励努力されています。私自身も大学教員の一人として、楽しくて役に立つ授業をすべく務めています。

しかし、「最終学歴」という言葉には、大きな違和感を覚えます。

人生の中に「学び終わり」があってよいのでしょうか?

人生100年で考えたとき、こんなにも早い時点で学ぶのを終わるというのは早すぎないでしょうか?

30代、40代、50代、60代、70代、いや、もっと年齢が高くなっても、何歳からでも、学びたいときに学べるように、学校が門戸を開くべきではないでしょうか?

また、学校だけが学びの場ではないはずです。最後の学校を卒業した後、その人が仕事の中で、あるいは、さまざまな人間関係を通じて学んできたこともまた、学歴と同様に、場合によってはそれ以上に、重要なのではないでしょうか?

人生の中の多様な学びの大切さを、もっと評価する仕組みがあってしかるべきではないでしょうか?

等々、次々に疑問が湧いてきます。

■100年時代に備えて学び続けてほしい

最終学歴ももちろん価値があります。けれども重要なのは、その中身ではありませんか? その中身を吟味することなく、ただただ学歴や学校名だけが過大に珍重されていると思いませんか?

この小さな箱にすぎない学校教育を終えた後にも学び続けることが大切だということ、すなわち、「最新学習歴の更新」の重要性を広めること、それが本書を通じて私が訴えたいことです。

英語の履歴書では、学歴を表すのに、Educational Backgroundあるいは Educational Historyといった表現を用います。ここには「最終」のニュアンスは存在せず、学びの可能性は常に未来に開かれているというニュアンスがあります。

人生100年時代、誰もが、学び続けるのが自然であると感じられるような、「100年学習人生」が普通になってほしいと、心から願っています。

今、20歳以下の日本人はかなりの確率で100年以上生きるということが予測されています。そのため、100年時代に備えた医療、介護、福祉、街づくりを行っていかなければならないと、さまざまに議論されていますが、「100年学習社会」を、その中軸的な柱にすべきだと考えます。

■「最新学習歴」と「最終学歴」の違い

最新学習歴という言葉には、「最終学歴」との対比の中で、いくつか重要な意味があります。

第一に、「最終」ではなく「最新」であるということ。

人生に「学び終わり」があってはならない。あるはずがない。なぜなら、人間は生きている限り、学び続ける存在だからです。特に、社会の変化の速度が速くなっている現代社会では、学び続けることがとても重要です。

机で学ぶ高齢の男女
写真=iStock.com/jacoblund
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jacoblund

最近、リカレント教育やリスキリングが注目を集めているのは、そういう意味で、よい傾向と言えます。でも、学習は、それだけではないと感じている方も多いはずです。「最新学習歴」という概念は、社会人の学習を、いわゆるビジネススキルに直結したものに限定しません。

最新学習歴という言葉の、「最終学歴」との対比の中で、重要な意味のもう一つは、「学歴」ではなく、「学習歴」であるということです。学歴とは、教育基本法の第1条に定められた学校を卒業、あるいは修了した場合に獲得できるものです。これに対して「学習歴」は、人生の中の、ありとあらゆる学びを含みます。

■他者と比べず「自己ベスト」を更新する

「学歴」が示すのは、冒頭で示した図表1のごく小さな一部であるのに対し、「学習歴」は外側の長方形、つまり、人生のすべてを指します。後で詳しく述べるように、仕事も、家事も、子育ても、終活も、看取りも、すべてが学習です。

重要な意味の第三は、「最新」は、学習者にとっての「最新」であるということ。ともすれば、「新しい」という漢字に引っ張られると、最先端の科学技術や国際社会の動向などに意識が向くかもしれません。こうしたアップ・トゥ・デートな知識も対象になりますが、たとえば、ギリシャ哲学や中国古典、仏教や伝統文化・芸能、工芸などを学ぶことも、その人にとって初めてのことであれば「最新」の学習です。

第四の意味は、それに関連しますが、他者との比較で新しいかどうかは関係なく、「自己ベストを更新すること」が最新の基準になる、ということです。人生のどの時期に「最新」であったとしても、誰かより早かったとか遅かったとか、他者と比べる必要はないのです。

■「優等生」を目指さなくてもいい

十種競技の日本記録保持者・右代啓祐選手とお話ししたときに、「どうやって自己ベストを更新し続けてこられたのですか?」と質問すると、右代選手、答えて曰く「毎日、新しいことを取り入れています」。

決まった練習のパターン、ルーティンはあるのでしょう。しかし、それを続けているだけでは現状維持が関の山。自己ベストを更新するためには、何か新しい工夫、トレーニングの在り方を導入することが不可欠です。過去の自分と比較してどれだけ成長したかが、その人にとって大きな価値を持ちます。さすが第一人者の答えは違うなあ、と感じ入りました。

最後に、「歴」というのは、その人にとっての記録、軌跡であり、学位や資格、段位、級位のように権威ある他者から評価・認定されるものに限らないということです。

私たちは、他者から評価されることを過剰に重視してはいないでしょうか。優等生とは、他者の定めた基準に基づいて得られた評価です。

しかもその基準は、何らかの社会背景を反映した恣意的な基準にすぎません。にもかかわらず、その順位が上がった、下がったということに意識を向けすぎている人が多いのが実状です。それはペーパーテストの点数であり、学校の「偏差値」がその典型です。

ある人にとっての、最新学習歴とは、色の違いのようなもので、他者との優劣を比較する必要はありません。

■「最終学歴=本人の実力」とは限らない

先に、最終学歴も重要だと申し上げましたが、その相対的な重要性は年々低下していると言わざるを得ません。

最終学歴が保証する能力が、実際、当人に身についているのであれば、就職や昇進、処遇などの際に、これを判断基準の一つにすることは合理性があります。卒業まで学業を投げ出さずに、やり遂げたという努力もまた評価されてしかるべきでしょう。

しかし、実際には試験対策やレポート執筆などの「要領のよさ」がかなり影響していて、単位は充足した、卒業証書や学位は獲得したと言っても、その資格・学位に見合った実力が備わっているかは大いに疑問です。「分数の計算ができない大学生」が揶揄されることがありますが、高校の教科書に書かれた知識を正確に持っている人は滅多にいません。

中学校、いや、小学校の教科書の内容でも、怪しいものです。

■AI時代に小中学校の漢字テストは必要か

そして、AIと共存する社会では、こうした知識が必ずしも求められなくなるという傾向もあります。たとえば、小学校卒業までに1026字の教育漢字、中学卒業までに2136字の常用漢字の読み書き能力が本当に必要なのかは、検討すべきテーマですね。

この本もワープロソフトで書いているわけですが、手書きしかなかった時代とは、人間に求められる能力が明らかに変化していると感じます。この本の読者も、手書きで漢字を書く頻度は、年を追うごとに低下しているのではないでしょうか?

筆や鉛筆で、「とめ」「はね」などが正確にできているか、正しいとされる書き順で漢字が書けるかなどを、すべての子どもたちに要求する合理性はもはやありません。

また、最終学歴の獲得には、本人の資質や努力以外の要素も大きく影響します。アメリカなどでは、私立学校の学費が高いため、恵まれた家庭の子どもが高学歴を獲得する一方、所得の低い家庭では高学歴を獲得することが難しいと言われてきました。過去50年の傾向を見ると、日本もそのパターンになっています。

■「立身出世」のシナリオが崩れてきている

そもそも大学に入学するまでの経済的なハードルが高くなってきました。

1971年まで国立大学の授業料は年額1万2000円に据え置かれていました。

それが1972年に一気に3倍の3万6000円に、1976年に9万6000円、私が入学した1978年に14万4000円、2006年からは53万5800円になりました。それぞれの時代の物価水準を考慮に入れても、私立大学との差は小さくなり、国公立大学の授業料は安い、とは必ずしも言えなくなりました。

【図表2】大学授業料の上昇(東京都区部、年間、円)
出所=『100年学習時代 はじめての「学習学」的生き方入門』

かつては、貧しい家庭の子どもも一生懸命勉強すれば、学費の安い国立大学に進み、給料のよい仕事に就くことができ、親よりも高い社会階層に所属することができるという「立身出世」のシナリオが存在しましたが、それが崩れてきているのです。

東京大学の学生の親の所得が、早稲田や慶應の親の所得と同じか、それよりも高くなって、社会階層の固定化が進み、社会学者で中央大学教授の山田昌弘氏が「希望格差社会」と呼ぶ状況が生まれています。今後、給付金奨学金の拡充も必要ですし、学費の安い通信制大学、通信制大学院の卒業生が活躍する状況にも期待したいと思います。

しかも、特定の学校を卒業した経歴が過大評価されすぎという傾向も大いに疑問です。

■政権中枢を文系が占める、憂慮すべき事態

私には、現在の東京大学法学部が、まさにその前身である徳川幕府の昌平坂学問所に見えてなりません。幕末から明治維新にかけて、欧米列強に対抗するために、蘭学や近代的な工業技術、経済学、軍事学などを学ぶ必要があったのに、幕閣トップの老中、若年寄などの家柄の子弟は、神君家康公以来の伝統ある朱子学を学び続けていました。

職務遂行に必要な能力を備えていないリーダーが国の舵取りをするのはあまりにも危険なので、ペリー来航以降、ようやく小栗上野介忠順、勝海舟など、譜代大名ではなく旗本の家柄の武士を重要ポストに登用することになりますが、極めて例外的でした。

同様に、現在の政権の中枢が、東大法学部などの文系学部出身者に占められている事態が憂慮されます。ITやAIなどの情報通信技術、データサイエンス、科学技術の素養が求められる時代に、閣僚や官僚の資質の見直し、人材登用の在り方の多様化が急務です。

さらに言えば、最終学歴と幸福(=ウェル・ビーイング)の相関関係も弱くなっているようです。

■「子どもを高学歴に」と親を煽る教育産業

神戸大学の西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授が、全国の20歳以上70歳未満の男女を対象に行った「生活環境と幸福感に関するインターネット調査」(2018年2月8日~2月13日)は、所得・学歴・自己決定・健康・人間関係の5つについて幸福感と相関するかについて分析を行いました。

この調査によると、幸福感に与える影響力が最も大きかったのは、学歴ではなく、健康でした。その後、人間関係、自己決定が続き、所得や学歴はそれらを下回りました。

学歴が幸福感に与える影響に至っては、有意差が出ませんでした。

さらに、最終学歴が高いことよりも、自分の意志で人生の進路を決定したかどうかが幸福度に直結するという調査結果もあります。

※「生活と職場での満足感と行動変容能力――日本における実証研究」(独立行政法人経済産業研究所 西村和雄・八木匡)

本間正人『100年学習時代 はじめての「学習学」的生き方入門』(BOW BOOKS)
本間正人『100年学習時代 はじめての「学習学」的生き方入門』(BOW BOOKS)

欧米の調査でも、同様の結果が出ています。学歴が高かったからと言って、必ずしも幸せになれるとは限らないという、ある意味、当然の結論です。しかし、学歴が低いと不安だという気持ちを手放せない人が多いのも現状で、かくして「教育産業」は、子を持つ親の不安を煽るメッセージを流し続けているのです。

本書の目的は、「勉強しなければ」という不安感ではなく、「学ぶことの楽しさ、素晴らしさ」を社会に広めていくところにあります。

人生100年学習社会に必要なインフラは整ってきています。あと必要なのは、私たち自身が、古い教育観から脱却して新しい「学習観」に立つことなのです。

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本間 正人(ほんま・まさと)
NPO学習学協会代表理事、京都芸術大学客員教授
「教育学」を超える「学習学」の提唱者。アクティブ・ラーニングを30年以上、コーチングを25年以上実践し、「研修講師塾」「調和塾」を主宰。NHK教育テレビでビジネス英語の講師などを歴任したほか、企業や官庁の管理職や教員・医療関係者対象の研修講師を務めてきた。現在、らーのろじー(株)代表取締役、一般社団法人クロスオーバーキャリア代表理事、一般社団法人キャリア教育コーディネーターネットワーク協議会理事、NPOハロードリーム実行委員会理事などを務める。誰もが最新学習歴を更新し続ける「ラーニングコミュニティ」「学習する地球社会のビジョン」構築を目指す。コーチングやほめ言葉、英語学習法、などの著書多数。東京大学文学部社会学科卒、松下政経塾(3期生)を経て、ミネソタ大学大学院修了(成人教育学 Ph.D.)。

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(NPO学習学協会代表理事、京都芸術大学客員教授 本間 正人)

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