なぜ「24時間テレビ」は「感動ポルノ」に変わったのか…日本テレビがそれでも番組を継続する理由
プレジデントオンライン / 2024年7月10日 10時15分
■原点は政治もストリップも扱う深夜番組だった
「愛は地球を救うのか?」
日本テレビ系列「日本海テレビ」元幹部による寄付金着服事件の発覚や、いわゆる「感動ポルノ」批判、そして視聴率低下などで存続が危ぶまれていた「24時間テレビ」(日本テレビ)が、1978年の番組開始当初から使われていた「愛は地球を救う」というキャッチフレーズをそのように変えて、今年も放送されることが発表された。約半世紀の間、続いてきた番組タイトルの意味、チャリティーの本質を見つめ直す“決意”をテーマに込めたという。
そもそも「24時間テレビ」の発想の原点は深夜番組「11PM」だった。「11PM」というと「サバダバサバダバ~」のスキャットに乗せてラインダンサーや裸の女性が描かれたアニメーションのオープニングが印象的で、リアルタイムで見ていない世代にとっては「深夜のお色気番組」というイメージが強い。しかし、「政治からストリップまで」を標榜していたように硬軟様々な企画をおこなっていた。
中でも象徴的なのが、月曜イレブンで展開されていた「巨泉 考える」シリーズ。このシリーズではポルノ映画を扱ったかと思えば、次の週では日韓問題を取り上げ、ストリップの妙技を題材にすれば、沖縄問題や性教育に斬り込んだ。音楽も選挙も等価で特集した。
■「世界の福祉」特集が24時間テレビのベースに
このシリーズを手掛けた都築忠彦は「日韓問題をタブー視し、性が気になるくせに本音で語らない。そんな日本の建前主義を崩したかった」(「読売新聞」1992年5月25日)と語っている。
その中のひとつ「世界の福祉」特集が、「24時間テレビ」のベースになったことは有名な話だ。日本テレビ開局25周年記念番組の企画公募がおこなわれると、都築はこの特集をもとにした企画を応募。それが通ったのだ。最終的な承認を得るため、当時の社長・小林与三次にプレゼンすると「おもしろいことを考えるなあ」と満足気に頷いたが、しかし、こう続けたという。
■日テレが潰れるまでやめられない運命を背負っている
「この企画は一回やったら日テレが潰れるまで何十年も何百年もやめられない。本来、チャリティーとはそういうもんだ。もし途中でやめたら世間から『なぜ、日テレはやめたんだ』と猛攻撃にあうのは間違いない。募金もおそらくかなり集まるからな。日テレが途中でやめれば社会的責任を途中で放棄したとみなされる」(※吉川圭三「メディア都市伝説」)
そう、「24時間テレビ」は最初から簡単にはやめられない運命を背負って生まれたのだ。
第1回の新聞ラテ欄には「ねたきり老人におふろを! 身障児にバスを!」という直接的なスローガンが掲げられた。萩本欽一、大竹しのぶをチャリティー・パーソナリティに据えた前代未聞の番組は人々の熱狂を生み、目標額の約3倍にあたる11億9000万円もの募金が集まった。高視聴率も記録し大成功。生放送中に社長自らが番組継続を宣言するほどだった。
■「テレビにできることは何か」を視聴者に訴え続けた
ちょうどこの年に生まれた僕にとって、子供の頃、つまり80年代の「24時間テレビ」は、硬派で真面目なイメージで、“手塚治虫の長編アニメを見るようなもの”だった。しかし、その前後には貧困・飢餓に苦しむアフリカの子供たちの映像が流れる。それはトラウマ級に衝撃だった。
なんとかしなければ、と子供心に思うものの、できることは小銭をかき集めて募金するくらいしかない。思えば、学校などで半ば強制的におこなわれるものを除いて、自発的にした初めてのチャリティー体験だったかもしれない。
まさに都築の狙いはそこにあった。「一体テレビにできることは何でしょう」という問いかけで始まったこの番組は「1つには生放送であること、もう1つは、テレビがメッセージを持ったということです。そのメッセージがお互いに無縁な人々の心を1つにし、行動を起こす契機となり、社会を動かしていくことを証明」(日本テレビ社史『テレビ夢50年』)しようとしたのだ。
都築は多くの人に問題を知ってもらうこと=「コンシャスネス・レイジング」こそが何より大事だったと強調している(「文春オンライン」2019年11月24日)。何しろ当時「ねたきり老人」という言葉さえ知らない人が多く、社会問題化していなかったという。
そのためには筆者のイメージにあった真面目一辺倒では誰も見てはくれない。その入口のひとつがアニメだったのだろうし、ロックコンサート企画などもあった。さらに深夜には、今では考えられないような過激なバラエティ企画もおこなわれていた。
■「硬派なVTR」ばかりで視聴率は低迷
たとえば、1981年の深夜企画は「タモリの素晴らしき今夜は最低の仲間達」。タモリと赤塚不二夫がロウソクを垂らし合うSMショーや、背の低いタモリと赤塚が猫背になり小さいレスラーに扮し、180cm以上あった景山民夫がレフリーをするミゼット(小人)プロレスのパロディなどをおこなった。
「タモリさんって権威主義に対してものすごい嫌悪感を持っていて、初期の芸風なんて、全部そんなものだったでしょう。(略)僕は『24時間テレビ』でチャリティーイコール権威というような図式を徹底的に破壊したかったんだけれども、その思いをタモリさんも共通して持ってたんです」(同)
初期の「24時間テレビ」は硬軟入り乱れた番組だったのだ。そう思うと単に「世界の福祉特集」の拡大版というよりは、「11PM」自体の拡大版と考えたほうがしっくりくるのではないか。
しかし、回を追うごとに、硬派なVTRの割合が多くなっていった。マンネリ化した番組は視聴率が低迷。1桁台にまで沈んでいた。
■ダウンタウンの起用と「原点回帰」で復活を遂げた
そんな状況に危機感を抱いて変革したのが1992年の「24時間テレビ」だった。
当時の若手社員や、日本テレビでヒット番組を連発していたハウフルスの菅原正豊(ちなみに彼は「11PM」のADとしてキャリアをスタートした)に舵取りを任せると、彼らはなんとチャリティー・パーソナリティに、チャリティーとは真逆のイメージのダウンタウンを起用した。
さらに「愛の歌声は地球を救う」をキャッチコピーに、「武道館をカラオケの殿堂にしよう」とぶちあげ、24時間通した音楽企画を展開。FAXで募集した視聴者からのメッセージをもとに番組中に曲をつくるという試みまでおこなった。このときできた曲が「サライ」である。
「24時間マラソン」が生まれたのもこの年。当時、吉本新喜劇ブームで人気を博した間寛平が、その少し前から「スパルタスロン」に挑戦していたことから、マネージャーの提案で始まった。
![マラソン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/7/1200wm/img_678add2d095b4175468362066c6960ee409214.jpg)
いずれも通し企画。その頃の「24時間テレビ」は、1~2時間程度のVTRが24時間にわたって流れるような番組になってしまっていた。しかし第1回は、実に約4分の1が生放送だった。つまり、2時間×12本のような番組ではなく、24時間×1本の番組に立ち返る“原点回帰”をおこなったのだ。
この大リニューアルが功を奏し、当時の歴代最高視聴率17.2%を記録した。前年の6.6%という歴代最低記録から一転し、大きなターニングポイントとなった。
なお、この年、間寛平は無念のリタイヤ。翌年、リベンジを果たす。これにより「24時間マラソン」は恒例化していく。そして現在まで続く「歌」と「マラソン」を軸にするフォーマットができあがったのだ。
■「感動ポルノ」は視聴者や社会が成熟した証し
その後、それまでもあった「障害者による挑戦企画」の割合が多くなっていき、タレントと一緒に挑戦したり、タレントが応援にかけつけるといった要素が加わり、もうひとつの軸となっていく。時にそれが「障害者なのにがんばっている」といった上から目線を感じさせたり、「障害者は善良なもの」といった画一的な視点が見られることから、「感動ポルノ」などと評され批判を浴びることも少なくなくなった。
それは皮肉にも「24時間テレビ」がまいた種によって社会が“成熟”し、障害者への見方が変わっていった結果ともいえるのかもしれない。
■常識にとらわれない「サライ」後の「世界に一つだけの花」
もうひとつの“転機”といえるのが、1995年。阪神・淡路大震災が起こったこの年、チャリティー・パーソナリティに起用されたのがSMAPだった。SMAPがその後、チャリティーに対し積極的かつ継続的に取り組むきっかけの一つになったに違いない。
![「24時間テレビ 愛は地球を救う」の愛知県名古屋市久屋大通公園募金会場の裏手の風景。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/1/1200wm/img_31e0ebe5a5db2f3d4409c4d1460379a8358425.jpg)
その後、徐々にジャニーズ事務所のアイドルがチャリティー・パーソナリティ、あるいはメイン・パーソナリティに起用されることが多くなり、2003年以降は、毎年恒例となった。その流れを決定づけたのが2005年だろう。
草彅剛、香取慎吾がメイン・パーソナリティに起用されたのだ。他のSMAPメンバーも随所に登場し、番組を盛り上げた。中でも強烈なインパクトを残したのが番組のエンディング。1992年の誕生以来、「サライ」の大合唱で番組を締めるのが恒例になっていたが、この年は「サライ」の後に別の曲が流れた。
「世界に一つだけの花」である。
これを提案したのはSMAPのマネージャーとして辣腕を振るっていた飯島三智だと、構成作家としてこの回に参加していた鈴木おさむが明かしている(『週刊文春』2024年2月8日号)。いつの間にかできあがった“常識”に囚われず、視聴者が見たいものを提示するというテレビの“原点”に立ち返ったのだ。この年、いまだ破られていない歴代最高視聴率19.0%を記録した。
■「24時間テレビ」は本当に役割を終えたのか
相対的にテレビ全体の視聴率は下がっているし、いまや世帯視聴率だけで語るのはナンセンスではあるが、とはいっても近年の「24時間テレビ」の視聴率が低下傾向にあるのは事実だろう。つぶさに見ていくと変わってきている部分もあるが、全体的には障害者を画一的なイメージで取り上げる「感動ポルノ」と捉えられるのも否定できない。もはや、「24時間テレビ」は役割を終えた。そんな声があふれるのも無理はない。
しかし、都築がもっとも大事にしてきた「問題の存在自体を広く知ってもらうこと」が成されているかと問われれば、まだまだ「NO」と言わざるを得ない。何しろ、民放のテレビ番組でドキュメンタリーを除けば、障害者が登場することはほとんどなく、いまだ“見えない存在”に追いやられてしまっている。そうした問題を、若い人たちに人気のある人たちを通して、若年層に知ってもらいたいという強い意思は一貫している。
「テレビにできることは何でしょう」という問いかけで始まり「愛は地球を救う」と宣言したこの番組が、改めて「愛は地球を救うのか?」と問いかけようとしている。これまで「24時間テレビ」のターニングポイントになった回は、いずれも“原点”に立ち返り、形骸化したものを大胆に変えたときだった。ならば、原点を見つめ直して変わらざるを得ない今年の「24時間テレビ」が、大きなターニングポイントになるに違いない。
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ライター
1978年生まれ。ペンネームは「てれびのスキマ」。『週刊文春』「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』など。
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(ライター 戸部田 誠)
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