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実家が空き家になったらどうすればいいのか…「資産価値のない家」を残された人に知ってほしい"2つの手段"

プレジデントオンライン / 2024年7月9日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokouu

家が空き家になったら子どもたちに迷惑がかかるのか。都市計画が専門の麗澤大学工学部教授の宗健さんは「相続、相続放棄、相続土地国庫帰属制度の利用という3つの手段がある。いずれにしても残された家の固定資産税を子どもたちが払い続け、管理を続けなければならないことはない。家を残すことを過度に心配する必要はない」という――。

■家は残すためではなく、住むためにある

全国に空き家が溢(あふ)れているというイメージが社会全体に広がって、空き家は大変な社会問題だということになっている。4月に発表された「令和5年住宅・土地統計調査」(総務省統計局)には、「空き家数は900万戸と過去最多、空き家率も13.8%と過去最高」と書かれていた。

そのため、今住んでいる家を子どもたちに残しても空き家になるだけで、空き家を子どもに残すのは迷惑になるだろうから、どうしようかと考える高齢者も多いようだ。

しかし、結論を先に言えば、残した家が空き家になっても問題はない。

なぜなら、家は残すためにあるのではなく、住むためにあるからだ。今、その家で幸せに暮らしているのなら、それでいいじゃないか、残した家の処分方法はちゃんとあるから心配はいらない、ということだ。

住まいに関しては、なぜか資産価値が注目を集め、資産価値の下がらない家を買うべきだ、とか、10年ごとにマンションを買い換えるのが良い、といった言説もある。

■住まいの本来の価値は「そこに住む」こと

しかし、住まいの本来の価値は、そこに住むという機能価値にある。資産価値はあくまで副次的なもので、われわれは住まいの資産価値を高めるために、そこに住んでいるわけではない。

そして、特に高齢者の場合には、そこで長く住み、人生を送ってきたという愛着や誇りといった情緒価値が大きくなる。

交通の便が悪く、近くにお店もないような場所に高齢者が住み続けるのは、この情緒価値が大きいからだ。

もちろん、子どもの幸せを考えて、自分の穏やかな生活を犠牲にして住み慣れた家を離れて、家を残さないほうがいいかもしれない、と考える親心も理解できるが、同じように子どもも親には幸せに暮らしてほしい、と思っているはずだ。

だとすれば、今、そこに住んでいることが幸せなのであればなんの問題もなく、残った家のことは残された者が考えればよい。

■資産価値がなければ「相続放棄」という方法がある

では、家を残された者はどうすればいいのだろうか。まず考えられる方法の一つは素直に相続することだ。

もちろん、相続人が複数いる場合は調整が必要だが、残された家に資産価値があれば素直に相続すれば良い。その上で、自分で住むなり、建て替えるなり、売却するなり、貸すなりすれば良い。

最近では、売れもせず、貸すこともできない不動産が増えているが、まだまだ資産価値が残っている地域も多い。

では、残された家に資産価値がない場合は、どうすればいいのだろうか。まず、考えられる方法は相続放棄だ。

残された財産が現預金等を含めてマイナスか、非常に少額の場合は、相続放棄すれば、現預金等はもらえないが、残された家に対する責任はなくなる。

相続放棄は、相続人全員が合意する必要はなく、個々人で判断でき、相続人全員が相続放棄すれば、その家は国に帰属することになる。ただし、相続人全員が相続放棄した場合は、弁護士や司法書士などを「相続財産管理人」とする申請を家庭裁判所で行う必要があり、一定の費用と時間がかかることには注意が必要だ。

弁護士
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

■2023年に始まった「相続土地国庫帰属制度」

残された財産に現預金がある程度あり、現預金等は欲しいが、家だけは欲しくないという場合は、2023年に始まった「相続土地国庫帰属制度」を利用する方法がある。

この制度を利用するには、建物を自費で取り壊し、土壌汚染や崖などがない、権利関係に争いがない、担保権が設定されていないといった条件を満たす必要があり、審査手数料と10年分の土地管理費相当額の負担金を支払う必要がある。

負担金は、市街地の200m2程度の宅地なら80万円程度とされており、解体費用等を考慮すれば、相続した現預金などがおおむね300万円以上あれば、相続放棄よりもこちらの制度を利用するほうが有利になる可能性がある。

いずれにしても、残された家の固定資産税を子どもたちが払い続け、管理を続けなければならないということはなくなっているのだから、家を残すことを過度に心配する必要はないだろう。

■クルマは廃車にするのに、なぜ家を滅失してはいけないのか

住まいに関しては、なぜか1981年以前の旧耐震物件で耐震性も断熱性も現在の水準に比べると大きく劣り、間取りや外観も古い、とても積極的に住もうとは思えないような古家であっても、できるだけ取り壊さず、とにかく利活用しなければならない、という雰囲気がある。

地方の人口減少地域で、売ることも貸すこともできないような住宅でも、なんとか利活用しようという空気が強い。

しかし、住まいもクルマと同じようなある種の消費財であり、古くて使い道がなければ、クルマを廃車にするのと同じように滅失すればよいはずだ。

逆にクルマの場合は、20年以上前のクルマであっても、走行性能も居住性も燃費もガソリン車同士を比べれば、そこまで大きな差はない(筆者も20年前の初期型フィットに乗っているが、大きな問題も不満もない)。

ハイブリッド車だと燃費は大きく向上しているが、燃費の差によるガソリン代の差は10万km走ったとしてもせいぜい数十万円で、新車の製造コストやCO2排出を考えれば、古いクルマに乗り続けるほうが合理的だとも言える。

しかし、住まいのように古いクルマに乗り続けよう、古いクルマを利活用しよう、といった声はとんと聞かない。

車の運転をする人
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

■日本の生活は戦前と戦後で大きく異なる

耐震性や断熱性が低く、間取りや外観も古い住宅でも安易に滅失することなく利活用の方法を考えなければならない、という雰囲気が社会にあるのは、おそらく一部の人たちの「欧米では古い住宅に手を入れながら住み続けている。それに比べて日本の住宅はスクラップ&ビルドを繰り返しておりけしからん」という論調の影響だろう。

しかし、欧州の家が昔と変わらないのは、欧州では100年以上前から生活様式がほとんど変化していないことが背景にある。

100年前と比べて、馬車がクルマになり、ランプが電気になり、手紙がスマホになりといった変化はあるが、基本的には同じものを食べ、同じ服を着て、同じような仕事をし、同じように生活している。

一方、日本は戦前までは比較的伝統的な生活が残っていたが、戦後は服が和服から洋服になり、食事も欧風化し、住まいもエアコンがない夏を前提としたものからエアコンを使うための機密性の高いものになり、畳に座る生活から、椅子に座る生活になったように、生活様式そのものが大きく変わっている。

■「日本の住宅は20年で無価値になる」と言われる理由

生活様式が変われば住まいも変わり、しかも戦後の貧しい時代には100年住めるような十分な品質の住宅を供給するだけの余力はなく、少しずつ住まいの性能を向上させていった。

実際、耐震基準だけを見ても、1950年に建築基準法が制定され、1971年、1981年、2000年に大きな改正が行われている。大きな改正が行われるたびに住宅品質は大きく向上したが、一方で改正前の耐震基準の住宅は陳腐化していった。

日本の住宅が20年で無価値になると言われているのは、この耐震基準の改正による陳腐化の影響が大きく、ここ30年くらいで、やっと住まいの陳腐化が止まった、と言える状況になっている。

こうした背景を考えると、日本の住宅はスクラップ&ビルドを繰り返しておりけしからん、という批判は、長い時間をかけて住まいの品質向上に取り組んできた人たちへのリスペクトが足りない、かなり乱暴なものだろう。

家の模型と図面
写真=iStock.com/years
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/years

■空き家の処分は困らない、考えるべきは幸せの総量

空き家になる家を残しても子どもに迷惑をかけるだけだ、と心配する人の気持ちもわかるが、ここまで説明してきたように、空き家として残された家も、一定の手間とお金はかかるが処分の方法があるから、そこまで心配する必要はないだろう。

そして、いずれ空き家になるとしても、それまで幸せに暮らすことができた、という幸せの総量と、残された家を処分するというマイナスを合計するとおそらくプラスになる。

こうした考え方は、個々人の家についてだけでなく、社会全体にも適用することができるはずだ。

例えば、タワーマンションはいずれ廃墟になる可能性があるのだから規制しようという意見がある。しかし、筆者の研究ではタワーマンションに住んでいる人たちの幸福度が高いことが示されている。

タワーマンションがいずれ廃墟になる可能性を否定はしないが、その確率と廃墟になった場合の手間やコストと、それまでの数十年間に多くの人が幸せに住むことができたという幸福の総量を考えれば、プラスになる可能性が高い。

将来の不確定なリスクを元に現在の幸せを諦めるべきだ、というのはとても科学的な考え方とは思えない。

考えるべきは、幸せの総量をどうすれば増やせるのか、ということなのではないだろうか。

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宗 健(そう・たけし)
麗澤大学工学部教授
博士(社会工学・筑波大学)・ITストラテジスト。1965年北九州市生まれ。九州工業大学機械工学科卒業後、リクルート入社。通信事業のエンジニア・マネジャ、ISIZE住宅情報・FoRent.jp編集長等を経て、リクルートフォレントインシュアを設立し代表取締役社長に就任。リクルート住まい研究所長、大東建託賃貸未来研究所長・AI-DXラボ所長を経て、23年4月より麗澤大学教授、AI・ビジネス研究センター長。専門分野は都市計画・組織マネジメント・システム開発。

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(麗澤大学工学部教授 宗 健)

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