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「1万円札は諭吉先生でないと日本経済に大損失」慶應OBOGが恨み骨髄の渋沢栄一にシフトした大物政治家の名前

プレジデントオンライン / 2024年7月3日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hirohito takada

7月3日、新紙幣が発行され、1万円札の肖像画は福澤諭吉から渋沢栄一にバトンタッチされる。かつての聖徳太子から諭吉になって40年以上。ジャーナリストの田中幾太郎さんは「福澤先生の1万円札が永遠に続くと思っていた慶應OBOGが多く、新紙幣切り替えは日本経済の損失とまで語る塾生や塾員もいる」という――。

■“純金製”福澤1万円札の狙い

7月3日、紙幣が切り替わり、便乗したイベントが各地で開かれている。群馬県高崎市の高崎高島屋では新1万円札の肖像に選ばれた実業家・渋沢栄一の企画展を実施。同地には尊王攘夷派の若き日の渋沢が乗っ取りを企てた高崎城(現高崎城址公園)がある。結局、計画は未遂に終わったが、その渋沢が今回は客集めに一役買った。百貨店では渋沢が愛用した山高帽の復刻版が8万2500円で販売された。

出典=国立印刷局ホームページ「新しい日本銀行券特設サイトの新しい一万円札についてのページ」
出典=国立印刷局ホームページ「新しい一万円札について」

一方で旧紙幣にまつわるイベントも。大丸松坂屋百貨店は松坂屋上野店で「ありがとう諭吉セール」を開催。食品、衣料、宝飾品などを割安の1万円均一で販売。そうした中にひとつだけ、異色の商品があった。

純金製壱万円札(デザイン)(40g/160×76mm、厚さ0.17mm)
画像=プレスリリースより
純金製壱万円札(デザイン)(40g/160×76mm、厚さ0.17mm) - 画像=プレスリリースより

紙幣から消えることになった福澤諭吉の肖像が描かれた純金製の「壱万円札」である。価格100万円の同商品を百貨店側は10点用意していたが、瞬く間に完売したという。

「話題づくりの側面もあったが、この純金壱万円札イベントにはもうひとつの目的があった」と話すのは事情にくわしい流通業界紙デスク。その目的とは、福澤諭吉が創設した慶應義塾人脈への忖度だという。

大丸松坂屋百貨店を傘下に持つJ.フロントリテイリングでは今春、トップ交代人事があった。大丸松坂屋百貨店で社長を務めたあと、J.フロントリテイリングの社長に就いていた好本達也氏(68)が3月に退任。代わって社長に就任したのは48歳の小野圭一氏。同社最年少のトップが誕生した。同時に大丸松坂屋百貨店の社長に新たに就いたのも49歳の宗森耕二氏で、同グループは大幅に若返った。

「この5月に日本百貨店協会の会長に就任した好本さんは慶應義塾大学出身。一方、小野さんは関西学院大学、宗森さんは明治大学の出身です。2人は慶應OBの好本さんにどうすれば喜んでもらえるか考えた末、渋沢栄一ではなく福澤諭吉を冠にした企画に行き着いたようです」(流通業界紙デスク)

■家族にまで及ぶ「諭吉教」という宗教

福澤諭吉は塾生(慶應義塾の現役の生徒・学生)や塾員(慶應義塾大学卒業生)にとって特別な存在である。「まさしく神」と称するのは慶應義塾大学の文系教授。慶應義塾幼稚舎から始まって半世紀にわたって慶應に身を置いてきた人物だ。「福澤先生以外は塾生も塾員も横並びなんです。教授も例外ではない」と話す。

授業の休みを知らせる時、教務の掲示板には「○○君休講」という紙が貼られる。教える立場の教職員に対しても“君づけ”で呼ぶのが慶應のならわしなのだ。「実際に学生からそう呼ばれたことはありませんが、その姿勢は慶應にいる人間にとって基本的なもの」だと同教授は説明する。

慶應は福澤ひとりを“先生”としてスタートした。その後は当然、先生は増えていくのだが、それはすべて福澤の門下生であり、弟子である。さらに続く門下生にも福澤の教えが踏襲されていく。どこまでいっても、真の先生は福澤だけという考え方なのである。「“諭吉教”的な宗教のようなところがあって、慶應にいればいるほど、そうした感覚が染みついてくる」(文系教授)のだ。

諭吉教の布教は家族にまで及ぶ。私立小学校で最難関とされる幼稚舎の入試は例年、熾烈な闘いが繰り広げられるが、合格に最も重要とされるのが願書。記入するために保護者は福澤の著書を熟読しておかなければならない。願書には「お子さまを育てるにあたって『福翁自伝』を読んで感じるところをお書きください」という設問があるからだ。「保護者がどれだけ福澤の考えを理解しているかが入試の結果を大きく左右する」と幼児教室経営者は話す。子どもの幼稚舎合格を目指す親たちは福澤の考え方が凝縮されている福翁自伝を何度も読み直して、家族ぐるみで諭吉教の信者になっていくのである。

■「福澤諭吉は無難な人」の位置づけ

諭吉教の熱狂的な信者たちは今回の紙幣切り替えに怒り心頭だった。「福澤先生の1万円札が永遠に続くような気になっていた」(前出・文系教授)という言葉が多くの塾員たちの思いを表している。昨夏、慶應義塾高校が107年ぶりに優勝した全国高校野球決勝ではチームへの応援とは別に「1万円札を変えるな」というシュプレヒコールが甲子園に巻き起こった。

福澤諭吉、明治24年頃の写真。日本銀行発行紙幣の原画となる。
福澤諭吉、明治24年頃の写真。日本銀行発行紙幣の原画となる。(写真=福沢研究センター/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

「福澤1万円札は40年も続いたのにまだ欲しがるとは、図々しいにもほどがある」と塾員たちを批判するのは早稲田大学の同窓組織「稲門会」を取りまとめる校友会の代議員。その言葉には羨望と嫉妬が入り交じっている。早稲田の創設者・大隈重信は過去に紙幣の肖像に起用されたことがないのだ。旧大蔵省OBによると、大隈が候補として俎上に載せられたことは一度もないという。「賛否の分かれそうな政治家は避ける」ことになっていて、首相経験者の大隈はリストから除外されてきた。「今後、評価が固まれば、大隈の起用もあるかもしれないが、その頃には紙幣というもの自体が流通しなくなっている可能性が高い」とこの旧大蔵省OBは予想する。

1946年5月、連合国最高司令部(GHQ)は日本政府に対し、紙幣や切手の図柄について通達を出している。「軍国主義や超国家主義の人物を禁じる」というものだ。そこで政府が紙幣の肖像候補として挙げたのは20人。戦前から起用されてる聖徳太子、貝原益軒、二宮尊徳、野口英世、夏目漱石、光明皇后、勝海舟らに加え、福澤諭吉と渋沢栄一の名前もこの時すでにリストアップされている。

「どこからも反対の声が出ない候補となると、おのずと似たようなリストになってくる。この頃も今も最後に残るのは無難な人」(旧大蔵省OB)

福澤諭吉も世間からすると、塾員たちが思う「特別な存在」というよりは「無難な人」だった。1万円札に初登場した時もそれほどの盛り上がりはなかった。

■慶應関係者の間だけお祭り騒ぎ

1981年7月7日正午、大蔵省記者クラブでミッチーこと渡辺美智雄大蔵大臣(当時)が紙幣切り替え(1984年11月実施)を急遽、発表した。

「緊急会見というから何事かと駆けつけたら、新札の話だった。はしゃぐのはミッチーばかり。この時間では夕刊で大きく扱うこともできないし、こちらとしてはもうどうでもいいやという感じでした」

大蔵担当だった元記者は当時をこう振り返る。なんとも締まらない会見だった。

「新札で盛り上がるとしたら、かねてから噂のあった5万円札や10万円札の発行でしたがそれもなく、新たに福澤諭吉らが登場する程度では大したニュースにならない。案の定、世間の反応もイマイチでした。高額紙幣=聖徳太子のイメージが定着していたので、福澤では分不相応ではないかとの声も少なくなかった」

昭和61(1986)年1月4日発行停止の、聖徳太子の肖像が描かれた一万円札
写真=iStock.com/itasun
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/itasun

そうした巷の反応に逆行するように、慶應関係者たちの間ではミッチーによる発表があってからしばらくはお祭り騒ぎが続いた。「福澤先生の新札起用を祝うパーティーや飲み会が次々に開かれ、都内のあちこちで万歳三唱の声が響いた」と慶應同窓会の中核組織「連合三田会」の役員は話す。

次に紙幣切り替えが発表されたのは2002年8月(2004年11月実施)。5000円札の新渡戸稲造と1000円札の夏目漱石は“更迭”されたのに、なぜか1万円札の福澤諭吉だけは継続されることになった。決めたのは塩川正十郎財務大臣(当時)である。

「なぜ福澤は替えないのか、記者からも質問が出たのですが、塩川さんは『1万円札は大量に流通し馴染んでいるから』と要領を得ない答え。塩川さんも当時の首相の小泉純一郎さんも慶應出身。自分たちの人脈に配慮したのだろうと見られていました」(前出・元記者)

そして今回である。前述したように戦後すぐに渋沢栄一の名前は候補として挙がっていたので、福澤から切り替わっても何ら不思議はないのだが、やはり慶應関係者からは不満の声しか上がってこない。「日本経済にとってはマイナスにしかならない」と憤るのは前出の連合三田会役員だ。

「三田会には現在、40万人近くの会員がいて、国内外、有力企業に根を張っている。1万円札から福澤先生が消えることによる会員たちの喪失感を考えたら、その経済損失は計り知れない。一方、渋沢さんにどれだけのシンパがいるというのか。切り替えを決定した麻生太郎さんはあとで後悔することになると思いますよ」(同)

慶應OB・OGたちに新札を歓迎するムードはどこにもない。彼らの恨みはまだ当分続きそうだ。心機一転の新札に沸きそうな世の中だが、ひょっとすると諭吉から栄一へのスイッチが気に食わない三田会を含む層が新札での支払いを拒むことでキャッシュレス化に拍車なんてこともありうるかもしれない。

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田中 幾太郎(たなか・いくたろう)
ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。教育、医療、企業問題を中心に執筆。著書は『慶應三田会の人脈と実力』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

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(ジャーナリスト 田中 幾太郎)

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