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ついに「農協崩壊」がはじまった…農林中金「1兆5000億円の巨大赤字」報道が示す"JAと農業"の歪んだ関係

プレジデントオンライン / 2024年7月3日 18時15分

決算発表記者会見で質問に答える農林中央金庫の奥和登理事長=2024年5月22日、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト

JAなどが出資する農林中央金庫の今期最終赤字が、1兆5000億円規模になる見通しとなったと報じられている。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「農林中金は全国の農協が集めた60兆円超の資金を預かり、毎年3000億円ほどの運用益を還元している。これらが縮小・消滅していくと、農協は倒産・崩壊の危機に直面することになる」という――。

■なぜ簡単に資本増強できるのか

JAバンクの中央機関、農林中金は、5月22日の記者会見で、米金利高止まりによる外債価格下落で、2025年3月の赤字が5000億円となる見込みとなり、傘下のJA農協から1兆2000億円の資本増強を受けると公表した。ところが、6月18日、報道各社がその最終赤字は1兆5000億円規模に拡大する可能性があると相次いで報じた。08年のリーマンショックの際にもサブプライムローン問題で5700億円の赤字を計上し1兆9000億円の資本増強を行っている。

JA農協の金融機関である農林中金が、なぜ多額の資金を外債で運用して損失を被ったのか、なぜ簡単にJA農協から巨額の金を集められるのか、不思議に思われる人が多いのではないか。本稿では、その理由や背景と今回の赤字が農業に与える影響について述べたい。

■JA農協が持つ「政治力」と「資金力」のルーツ

戦前、農業には「農会」と「産業組合」という2つの組織があった。

「農会」は、農業技術の普及、農政の地方レベルでの実施を担うとともに、地主階級の利益を代弁するための政治活動を行っていた。農会の政治活動の最たるものは、米価引き上げのための関税導入だった。

農会の流れは、現在農協の営農指導・政治活動(JA全中の系統)につながっている。地主階級が米価引き上げや保護貿易を推進したのと同様、農会を引き継いだJA農協は、高度成長期に激しい米価闘争を主導したし、ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉、TPP等の貿易自由化交渉においては、農産物の貿易自由化反対運動を展開した。

「産業組合」は、組合員のために、肥料、生活資材などを購入する購買事業、農産物を販売する販売事業、農家に対する融資など、現在農協が行っている経済事業(JA全農の系統)と信用事業(JAバンク、農林中金の系統)を行うものだった。

JA共済事業は、職員に過酷なノルマを課すことで、勧誘がうまくできないと自分で保険に加入したり他人の保険料を負担したりする自爆営業を行わせていることが問題となっている。これは、戦後追加されたもので、本来農業と関連するよう考えられたものだが、今の事業は、生命保険や損害保険と変わらない。

■昭和恐慌を機に全農家が加入

当初産業組合は、地主・上層農主体の信用組合にすぎず、1930年の段階でも、零細な貧農を中心に4割の農家は未加入だった。

しかし、農産物価格の暴落によって、娘を身売りする農家も出た昭和恐慌を乗り切るために、1932年農林省は、有名な「農山漁村経済更生運動」を展開する。産業組合は、全町村で、全農家を加入させ、かつ経済・信用事業全てを兼務する組織に拡充された。これを農林省は全面的にバックアップした。

特に支援したのはコメの集荷と肥料の販売だった。これに圧迫されたコメ商人や肥料商人から激しい“反産(産業組合)運動”が起こされた。

昭和金融恐慌時に東京中野銀行で起きた取り付け騒ぎ
昭和金融恐慌時に東京中野銀行で起きた取り付け騒ぎ(写真=朝日新聞/『日本写真全集 10 フォトジャーナリズム』小学館/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

■政府系金融機関として誕生した農林中金

農山漁村経済更生運動の大きな目標は、農民の負債整理だった。この手段として、産業組合が活用された。産業組合中央金庫は、その全国団体として設立された。半分が政府の出資によるものだった。したがって、政府系金融機関としての性格が強く、理事長以下の幹部はほとんど役人だった。これが、今の農林中金である。

産業組合中央金庫は、政府の出資金を利用して農業に低利で融資するものだったため、高橋是清蔵相は金融体系を乱すものとして設立に反対した。それを、農山漁村経済更生運動を推進した小平権一(後に農林次官)が、「あんなもの、頼母子講(タノモシコウ)に毛が生えたようなものですよ」と煙に巻いて認めさせた。大きな頼母子講になったものである。

■GHQが完全解体を目指した農協が生き残った理由

この二つの組織が、第2次大戦中、統制団体“農業会”として統一される。農業会は、農業の指導・奨励、農産物の一元集荷、農業資材の一元配給、貯金の受け入れによる国債の消化、農業資金の貸付けなど、農業・農村の全てに関係する事業を行う国策代行機関だった。

終戦直後の食糧難の時代、農家は高い値段がつくヤミ市場に、コメを流してしまう。そうなると、貧しい人にもコメが届くように配給制度を運用している政府にコメが集まらない。このため、政府は農業会を農協に衣替えし、この組織を活用して、農家からコメを集荷させ、政府へ供出させようとしたのである。これがJA農協の起こりである。

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向は、戦時統制団体である農業会は完全に解体するとともに、農協は加入・脱退が自由な農民の自主的組織として設立すべきだというものだった。農林省の中にも、そうした正論はあった。しかし、戦後の食料事情は、そのための時間的な余裕を与えなかった。こうして農協は農業会の「看板の塗り替え」に終わった。

GHQを去るマッカーサー
GHQを去るマッカーサー(写真=mariemon/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

■世界で類を見ない「総合農協」が誕生

ヨーロッパやアメリカの農協は、酪農、青果等の作物ごと、生産資材購入、農産物販売等の事業・機能ごとに、自発的組織として設立された専門農協である。これに対し、農業会を引き継いだJA農協は、作物を問わず、全農家が参加し、かつ農業から信用(銀行)・共済(保険)まで多様な事業を行う“総合農協”となった。欧米では、日本の農協のように、金融事業等なんでもできる農協はない。

農協法の前身の産業組合法も、当初は信用事業を兼務する組合を認めなかった。戦後、農協法を作る際も、GHQが意図したのは、欧米型の作物ごとに作られた専門農協だったし、GHQは、信用事業を農協に兼務させると、信用事業の独立性や健全性が損なわれるばかりか、農協が独占的な事業体になるとして、反対していた。アメリカの協同組合に、信用事業を兼務しているものはない。アメリカから日本のGHQ本部を訪問した人たちは、信用事業を兼務する協同組合が日本にあることに、みな驚いたといわれる。

しかし、農林官僚が日本の特殊性を強調し、総合農協性を維持した。信用事業を兼務できる協同組合はJA農協(と漁協)だけであるし、信用事業と他の業務を兼務することは、農協以外には、日本のどの法人にも認められていない。

■農協だけに認められた准組合員

農協の正組合員は、農業者である。農業者のための協同組合だから、当然である。しかし、農協には、地域の住民であれば誰でもなれる准組合員という独自の制度がある。

准組合員は、正組合員と異なり農協の意思決定には参加できないが、農協の信用事業や共済事業などを利用することができる。JA農協の前身だった産業組合は、農業に従事しない地主を含め地域の住民を組合員にしていた。しかし、農協法を作る際、GHQは地主を排除するため、組合員資格を“農民”とすることにこだわった。

このため、元の産業組合のように、地域の住民であれば誰でも農協を利用できるようにするため、他の協同組合にない准組合員という制度を作ったのである。利用者がコントロールするという協同組合原則からは完全に逸脱するものだが、歴史的な経緯から、やむを得ず、例外的に認められた制度だった。

■政府資金を運用して大儲け

戦後JAバンクは、食糧管理制度の政府買い入れ制度の下、政府から受け取ったコメ代金をコール市場で運用して大きな利益を得た。

日本の米と稲穂
写真=iStock.com/kaorinne
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kaorinne

さらに、肥料メーカーには、独占禁止法の適用除外を認めた「肥料価格安定臨時措置法」によって1954年から1986年までカルテル価格が認められた。本来の趣旨は、国際市場で価格競争をするため安くなる輸出向け肥料の損失を、国内向け価格を上げて補てんすることがないようにするというものだった。

しかし、制度の運用結果は、正反対のものとなった。1954年当初は輸出向け価格と同水準であった硫安の国内向け価格は、1986年には輸出向け価格の3倍にまでなった。この法律は5年間の時限立法であったが、制度の継続・延長を繰り返し要望したのは、肥料産業というより、肥料販売の大きなシェアを持つ農協だった。

■預金に回る「高いコメ代金」

高い価格を払うのは、農家だ。ところが、政府が農協を通じて農家からコメを買い入れていた食管制度の時代、肥料や農薬、農業機械などの生産資材価格は、政府が買い入れる際の価格(生産者米価)に満額盛り込まれた。農協が農家との利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが、生産者米価の算定方式によって、制度化されていた。

肥料などの農業資材を農家に高く販売すると、米価も上がる。食管制度の下で米価を高くすると、農家にとってヤミに流すうまみが薄れ、農協を通じて政府に売り渡す量が増える。このため、農協のコメ販売手数料収入は価格と量の両方で増加する。農協は、農家への資材の販売、農家の生産物の販売という両面で、手数料収入を稼いだ。

高いコメ代金はJAバンクに預金される。また、農林中金は、高い肥料価格を保証された肥料産業へ融資した。1956年から10年間で、農林中金から肥料産業への融資額は13.5倍に増大し、農協の肥料販売シェアは、1955年の66%から03年には90%まで増加した。

■農業の非効率化と縮小が進んだワケ

米価引き上げで、コストの高い零細な兼業農家もコメ産業に滞留した。

酪農家の84%が農業で生計を維持している主業農家であるのに対し、コメ農家の74%は副業農家で、主業農家は8%しかいない。これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。農家全体でみると、多数の米農家の存在を反映して、2003年当時で農業所得に比べ兼業所得は4倍、年金収入は2倍である。これらは、JAバンクの口座に預金された。

また、地価高騰による宅地等への巨額の農地転用利益もJAバンクに預金された。農地面積は1961年に609万haに達し、その後公共事業などで約160万haを新たに造成した。770万haほどあるはずなのに、現在は430万haしかない。食料安全保障に最も重要なものは農地資源である。日本国民は、造成した面積の倍以上、現在の水田面積240万haを凌駕する340万haを、半分は転用、半分は耕作放棄で喪失した。160万haを転用したとすれば、農家は少なくとも200兆円を超える転用利益を得たことになる。

南魚沼の水田の反射
写真=iStock.com/joka2000
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/joka2000

■農業の生産額を超えて拡大したJAバンクの預金

JAは、急増した預金量を農業や関連産業への融資では運用しきれなくなった。このため、JAは、農協だけに認められた准組合員制度を活用して農家以外の人を組合に積極的に勧誘し、他の都市銀行に先んじて住宅ローンなどの個人融資を開始した。今や准組合員は634万人で農家組合員の1.6倍に達する。また、准組合員はローンや共済を利用するだけでなく、預金もしてくれるので、さらに預金額は増える。JAは農家以外の組合員が多い“農業”協同組合となった。

図表1は、農業生産額とJAバンクの預金総額の推移である。1960年頃は、JAバンクの預金額が農業生産額を下回っていたが、1970年頃から逆転し、今では10倍以上もの開きがある。JAが農業に融資したくても、預金額に比べて農業の規模はあまりに小さい。さらに、農業には、政府系の日本政策金融公庫による長期低利の制度資金がある。また、大きな農業法人のメインバンクは地銀となっている。JAバンクの農業融資は、これらの金融機関と競合する。このため、JAバンク全体で農業への融資は預金総額の1%程度に過ぎない。

【図表1】農協貯金平均残高(2015年基準実質価格)

■農業の赤字を金融事業で補てん

現在JAバンクの預金量は109兆円に上る。

以前から、JAバンクの貯貸率(預金に対する貸し出しの比率)は3割程度であり、他の銀行に比べて著しく低いことが指摘されてきた。JAは、准組合員向けの住宅ローンや自動車ローン、農家が農地転用した土地に建設するアパート建設資金への融資などで努力しても、30~40兆円程度しか処理しきれない。

60兆円超の運用を任せられる農林中金は、日本有数の機関投資家として海外有価証券市場で大きな利益を上げ、預金集めの見返りとして傘下のJAに毎年3000億円の利益を還元してきた。JAが簡単に資本増強に応じるのも、今までの受益の蓄積があるからだ。逆に、JAに利益を還元するためには、国内ではなく収益の高い海外で運用するしかなかった。しかし、今回の赤字計上で、今まで通りの資産運用はできなくなっている。

21年JAの収益は、信用(銀行)事業で2425億円、共済(保険)事業で1160億円の黒字、これに対して、農業関連事業は226億円、生活その他事業は229億円、営農指導事業は978億円の赤字である。金融事業からの補てんで、農業等の事業を行っているのだ。

別の見方をすれば、大手商社も農業資材分野で活動しているにもかかわらず、JA農協が肥料で8割、農薬や農業機械で6割の圧倒的な販売シェアを維持しているのも、この補てんによる効果があるからだろう。私の郷里の葬祭業者は店をたたんでしまった。住民が葬式を出そうとするとJA農協に頼むしかない。

■農林中金と共にJA農協も崩壊する

今回の赤字の根源に農家や農協の“脱農業化”がある。

本籍農業のJAを支えるのは農林中金中心の金融業である。信用事業の利益は、農林中金による利益還元のおかげである。しかし、共済事業の自爆営業も、農林中金のマネーゲームも持続可能(サステイナブル)ではない。これらが縮小・消滅していくと、JA農協は倒産・崩壊の危機に直面する。

【図表2】農協の部門別当期事業利益(2022)

農政は、農協、農林族議員、農水省の三者による連合体で実施されてきた。私は、『農協の大罪』(宝島社)という著書の中で、これを“農政トライアングル”と呼んだ。これは極めて強力な利益共同体だった。

農協は多数の農民票を取りまとめて農林族議員を当選させ、農林族議員は政治力を使って農水省に高米価や農産物関税の維持、農業予算の獲得を行わせ、農協は減反・高米価等で維持した零細農家の兼業収入を預金として活用することで日本第2位のメガバンクに発展した。

今回の農林中金の赤字は、戦後政治で最大の利益団体となったJA農協の弱体化につながる。政治力が弱まれば、減反政策のような「補助金」と「高いコメ代」という二重負担を国民に強いる政策についても見直されていくだろう。非効率な零細農家は離農し、その農地は専業農家に集約されて生産性が向上する。

本来農業振興のための組織だったJA農協の弱体化が、農業の再生につながるとは皮肉な話である。

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山下 一仁(やました・かずひと)
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
1955年岡山県生まれ。77年東京大学法学部卒業後、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、同局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員、2010年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。著書に『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書)、『農協の大罪』(宝島社新書)、『農業ビッグバンの経済学』『国民のための「食と農」の授業』(ともに日本経済新聞出版社)、など多数。近刊に『日本が飢える! 世界食料危機の真実』(幻冬舎新書)がある。

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(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 山下 一仁)

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